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{{Otheruses||この山の世界遺産|富士山-信仰の対象と芸術の源泉|その他}}
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[[ファイル:河口湖から見た富士山.山梨県富士河口湖町.jpg|サムネイル|河口湖から見た富士山.山梨県富士河口湖町]]
{{Notice|style=important|text=ウィキペディアはインターネット百科事典であり、富士山の画像投稿サイトではありません([[Wikipedia:画像利用の方針|画像利用の方針]]・[[Wikipedia:百科事典向け写真撮影のガイド|百科事典向け写真撮影のガイド]]を参照)。}}
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'''富士山'''(ふじさん、{{lang-en|Mount Fuji}}
{{Infobox 山
 
|名称=富士山
 
|画像=[[ファイル:MtFuji FujiCity.jpg|320px|富士山]]
 
|画像キャプション = 南西の富士市より([[富士山がある風景100選]]選定地)
 
|標高=3,776.24m(剣が峰の最高地点の標高)<br />なお、二等三角点「富士山」の標高は、3775.51mである(2014年4月1日標高改算)<ref>[http://www.gsi.go.jp/chubu/minichishiki4.html 第4回 標石基準点について] - 国土地理院</ref><ref name="kijun">二等三角点の標高は3,775.51m。[http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/ 基準点成果等閲覧サービス・富士山(甲府)] - [[国土地理院]](2015年10月24日閲覧)</ref>
 
|座標={{coord|nosave=1|format=dms|display=inline,title|type:mountain_region:JP|notes=<ref name="kijun" />}}
 
|所在地={{JPN}}{{flatlist|class=hlist-comma|
 
;[[静岡県]]
 
:[[富士宮市]]
 
:[[裾野市]]
 
:[[富士市]]
 
:[[御殿場市]]
 
:[[駿東郡]][[小山町]]
 
  
;[[山梨県]]
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[[山梨県]][[静岡県]]にまたがる典型的な[[成層火山]]。[[活火山]]で,[[常時観測火山]]。日本の最高峰で標高 3776m。[[富士箱根伊豆国立公園]]の中心で特別名勝。現在の山体の基盤には小御岳火山と古富士火山があり,南部に富士山より開析の進んだ[[愛鷹山]]がある。山頂には直径約 700m,深さ 200mの火口がある。山麓には[[寄生火山]][[富士五湖]][[溶岩流]],風穴,氷穴,[[白糸の滝]]など火山活動に起因する地形が多い。有史以来も噴火の回数は多く,貞観6(864)年の活動では寄生火山の一つ長尾山(1424m)から大量の溶岩を流出。[[青木ヶ原]]の一部,[[本栖湖]],[[精進湖]],[[西湖]]を形成。最後の活動は宝永4(1707)年南東側の中腹での噴火で,この際に[[宝永山]](2702m)の火口が形成された([[宝永富士山噴火]])。以後,火山性活動はほとんど認められないが,東京大学地震研究所と[[防災科学技術研究所]]が観測を続けている。山頂に[[浅間神社]]奥宮がある。山岳信仰の対象としての富士登山は平安時代に始まり,江戸時代には[[富士講]]が普及して山麓には宿坊が発達した。日本を代表する国立公園の一つとして世界にも知られ,交通の便や宿泊,レクリエーション施設は完備している。登山口としては須走口,吉田口などがあるが,1964年[[河口湖]]から 5合目(小御岳)まで[[富士スバルライン]]が開通,続いて 1970年に御殿場,富士宮から富士スカイラインを経て新5合目までの[[表富士周遊道路]]が開通。富士山と周辺の湖,神社などは,2013年「富士山:信仰の対象と芸術の源泉」として[[世界遺産]]の文化遺産に登録された。
:[[富士吉田市]]
 
:[[南都留郡]][[鳴沢村]]
 
}}
 
|山系=独立峰
 
|種類=[[成層火山]][[活火山]]ランクB<ref>{{Cite web |url=http://www.jma.go.jp/jma/press/0301/21a/yochiren.pdf |format=PDF |title=火山噴火予知連絡会による活火山の選定及び火山活動度による分類(ランク分け)について |publisher=[[気象庁]] |date=2003-01-21 |accessdate=2012-03-17}}</ref>・[[活火山#常時観測対象の火山|常時観測火山]]
 
|初登頂=663年([[役小角]]
 
|地図={{location map
 
|Japan#Japan Shizuoka#Japan Yamanashi
 
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|relief=1
 
}}富士山の位置{{日本の位置情報|35|21|38.26|138|43|38.52|富士山南東|nocoord=Yes}}
 
}}
 
{{世界遺産概要表
 
|site_img = FujiSunriseKawaguchiko2025WP.jpg
 
|site_img_capt = 河口湖からの富士山
 
|site_img_width = 275px
 
|ja_name = [[富士山-信仰の対象と芸術の源泉|富士山―信仰の対象と芸術の源泉]]
 
|en_name = Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
 
|fr_name = Fujisan, lieu sacre et source d'inspiration artistique
 
|country = 日本
 
|area = 20,702 [[ヘクタール|ha]]<br />(緩衝地域 49,628 ha)
 
|criterion_c = (3), (6)
 
|rg_year = 2013年
 
|ex_rg_year =
 
|remarks =
 
|url_no = 1418
 
|map_img = ファイル:LocMap_Fuji_Mountain.png
 
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}}
 
  
'''富士山'''(ふじさん、{{lang-en|Mount Fuji}})は、[[静岡県]]([[富士宮市]]、[[裾野市]]、[[富士市]]、[[御殿場市]]、[[駿東郡]][[小山町]])と、[[山梨県]]([[富士吉田市]]、[[南都留郡]][[鳴沢村]])に跨る[[活火山]]である<ref group="注釈">日本の活火山で3,000mを超えるのは、富士山・[[御嶽山]]・[[乗鞍岳]]の3つである。</ref>。[[標高]]3776.24 [[メートル|m]]<ref group="注釈">2等三角点「富士山」の標高は3775.51mである。最高地点はこの三角点から北へ約12mのところにある岩の頂上であり、その高さは、三角点より0.61mだけ高い(1991年の観測)。</ref><ref>[http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/fuji_info/fuji_info-top.html 富士山情報コーナー] 富士山の高さ・大きさは?、国交省富士砂防事務所。なおこのHPに記述されている2等三角点の標高 3775.63mは、2014年4月1日に改算されて3775.51mとなった。</ref>、[[日本一の一覧|日本最高峰]]([[剣ヶ峰 (富士山)|剣ヶ峰]])<ref group="注釈">日本が[[玉山 (台湾)|玉山]](新高山)のある[[台湾]]を領有していた時期を除く。</ref>の[[独立峰]]で、その優美な風貌は日本国外でも[[日本]]の[[象徴]]として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えただけではなく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は[[駿河湾]]の海岸まで及ぶ。
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{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
古来[[霊峰]]とされ、特に山頂部は[[浅間大神]]が鎮座するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため[[律令国家]]により[[浅間神社]]が祭祀され、[[浅間信仰]]が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる[[富士上人]]により修験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が行われるようになった。これら[[富士信仰]]は時代により多様化し、[[村山修験]]や[[富士講]]といった一派を形成するに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズンには[[富士登山]]が盛んである。
 
 
 
[[日本三大一覧|日本三名山]]([[日本三霊山|三霊山]])、[[日本百名山]]<ref name="fukada">『日本百名山』 [[深田久弥]](著)、[[朝日新聞社]]、1982年、ISBN 4-02-260871-4、pp269-272</ref>、[[日本の地質百選]]に選定されている。また、[[1936年]]([[昭和]]11年)には[[富士箱根伊豆国立公園]]に指定されている{{refnest|group="注釈"|[[1936年]](昭和11年)2月1日に指定。山の上部がその特別保護地区、周辺が特別地域及び普通地域になっている。また車両の乗り入れ禁止区域が設定されている<ref>[http://www.env.go.jp/park/fujihakone/intro/index.html 富士箱根伊豆国立公園区域の概要] - [[環境省]](2010年12月28日閲覧)</ref>。}}。その後、[[1952年]](昭和27年)に[[特別名勝]]、[[2011年]]([[平成]]23年)に[[史跡]]、さらに[[2013年]](平成25年)[[6月22日]]には関連する文化財群とともに「'''[[富士山-信仰の対象と芸術の源泉]]'''」の名で[[文化遺産 (世界遺産)|世界文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite news|title=富士山 世界遺産に登録へ|newspaper=NHKニュース|date=2013-04-30|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130430/t10014292061000.html|accessdate=2013-05-01|publisher=日本放送協会|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0501-1919-26/www3.nhk.or.jp/news/html/20130430/t10014292061000.html|archivedate=2013-05-01}}</ref>。日本の文化遺産としては13件目である。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤りである。
 
 
 
== 名称 ==
 
{{出典の明記|date=2018年6月23日 (土) 23:27 (UTC)|section=1}}
 
[[ファイル:Mt Fuji ESC large ISS002 ISS002-E-6971 3060x2035.JPG|thumb|right|[[国際宇宙ステーション]]から見た春の富士山]]
 
 
 
=== 語源 ===
 
富士山についての最も古い記録は『[[常陸国風土記]]』における「'''福慈岳'''」という語であると言われている。他にも多くの呼称が存在し、'''不二山'''もしくは'''不尽山'''<ref group="注釈">(例)「田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞ '''不尽'''の高嶺に雪はふりける」[[山部赤人]] (『[[万葉集]]』)。{{要出典範囲|「不二」は「日本最高峰の並ぶものの無い」の意とされる。他に「布士」や「布自」の字を当てている書籍もあった。|date=2018-06-24|title=}}</ref>と表記する古文献もある。また、『[[竹取物語]]』における伝説もある{{refnest|group="注釈"|竹取物語の最後の章では、[[天皇|帝]]が、家臣にかぐや姫から授けられた不老不死の薬を[[駿河国]]にある天に一番近い日本で一番高い山の山頂で燃やすよう命じるという描写があり、結びは「そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山を「ふじの山」とは名づけける。」校訂者脚注「つわもの(士)をたくさんつれて登ったから、士に富む山、即ち富士の山と名付けた、という洒落。同時に不死の薬を燃やしたので「ふし山」の意を込める。」<ref>岩波文庫「竹取物語」ISBN 4003000714 56項。</ref>{{Full citation needed|date=2018年6月23日 (土) 22:38 (UTC)|title=著者名、出版年不明。「56項」というのは「56頁」の誤記か?}}。}}。「フジ」という長い山の斜面を表す[[大和言葉]]から転じて富士山と称されたという説もある。近代以降の語源説としては、[[宣教師]][[ジョン・バチェラー|バチェラー]]は、名前は「火を噴く山」を意味する[[アイヌ語]]の「フンチヌプリ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「[[アペフチ|アペフチカムイ]]」からきた誤解であるとの反論がある<ref group="注釈">フチ=フンチは「火」ではなく「老婆」の意味である{{要出典|date=2018-06-24 |title=}}。</ref>。その他の語源説として、[[マレー語]]説、[[マオリ語]]説<ref>[http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei09.htm 幻の富士山神話]</ref>、[[ポリネシア諸語|原ポリネシア語]]説等がある。
 
 
 
{{独自研究範囲|明確に「'''富士山'''」と表記されるに至るにおいては[[駿河国]]に由来するとするものがあり|date=2018年6月23日 (土) 23:27 (UTC)|title=この部分の出典である富士吉田市歴史民俗博物館のPDFでは、富士山という「呼称」の由来が駿河国富士郡であるとの趣旨しか書かれておらず(p.1)、富士山という「表記」については記載がない。「呼称」と「表記」の違いが意識されてないのではないか。「至るにおいては」という表現も日本語としてくどいのでは。}}<ref name="fymuseum">{{PDFlink|[https://www.fy-museum.jp/div/fujisan-museum/pdf/marubi/marubi22.pdf MARUBI 富士吉田市歴史民俗博物館だより 22]}} - 富士吉田市歴史民俗博物館(2004年3月31日)</ref>、記録としては[[都良香]]の『富士山記』に「'''山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり'''」とある。
 
 
 
=== 富士山に因む命名 ===
 
富士山が日本を代表する名峰であることから、日本の各地に「富士」の付く地名が多数存在している。富士山麓では[[静岡県]]に[[富士市]]や[[富士宮市]]、[[富士郡]]、[[山梨県]]に[[富士吉田市]]や[[富士河口湖町]]、[[富士川町]]がある。他によくあるものとして富士山が見える場所を[[富士見]]と名づけたり(例:[[埼玉県]][[富士見市]])、富士山に似ている山(主に[[成層火山]])に「富士」の名を冠する例(信濃富士など)がある。日本国外に移住した日本人たちも、居住地付近の山を「○○富士」と呼ぶことがある。
 
{{main|富士見|富士街道}}
 
 
 
全国各地には、別称を含めて少なくとも321座を超える数の、富士と名の付く山があり、それらを'''郷土富士'''と呼ぶ。
 
{{main|郷土富士}}
 
 
 
地名以外にも「富士」を冠した名称は多く存在する。
 
{{main|フジ}}
 
 
 
また、異名として「芙蓉峰」「富嶽」とも言う。
 
{{main|芙蓉|富嶽 (曖昧さ回避)}}
 
 
 
== 地質学上の富士山 ==
 
[[ファイル:Mount Fuji 20170330 (Japanese).svg|thumb|富士山の構造図]]
 
[[ファイル:Mount Fuji Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|富士山周辺の地形図]]
 
[[地質学]]上の富士山は典型的な[[成層火山]]であり、この種の火山特有の美しい稜線を持つ。
 
現在の富士山の山体は、大きく分けて下記の4段階の火山活動によって形成されたものだと考えられている。
 
*先小御岳(せんこみたけ)火山
 
*小御岳(こみたけ)火山
 
*古富士(こふじ)火山
 
*新富士(しんふじ)火山
 
この中で先小御岳が最古であり、数十万年前の[[更新世]]にできた[[火山]]である。[[東京大学地震研究所]]が[[2004年]]4月に行った[[ボーリング]]調査によって、小御岳の下にさらに古い山体があることが判明した。[[安山岩]]を主体とするこの第4の山体は「先小御岳」と名付けられた<ref>[https://archive.is/ynYN 富士火山の活動の総合的研究と情報の高度化] - 東京大学 火山噴火予知研究推進センター (アーカイブ版)</ref>。
 
 
 
古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した[[火山灰]]が降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は[[宝永山#宝永火口|宝永火口]]の北側1&ndash;2kmのところにあったと考えられている。
 
 
 
[[2009年]]10月に、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]による富士山の観測で[[地殻変動]]が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのことである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士宮市-富士吉田市間で約2cm伸びた。これは[[マグマ]]が蓄積している(活火山である)表れとされている<ref>「地殻変動:噴火予知連、富士山で最大2センチ観測--96年来初」 毎日新聞、2009年10月6日</ref>。
 
 
 
[[プレート]]の観点からは、[[ユーラシアプレート]]外縁部で、[[北アメリカプレート]]又は[[オホーツクプレート]]と接する[[フォッサマグナ]](すぐ西に[[糸魚川静岡構造線]])に南から[[フィリピン海プレート]]が沈み込む位置であり(ほぼ、[[相模トラフ]]と[[駿河トラフ]]及び[[伊豆・小笠原・マリアナ島弧]]を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域({{仮リンク|三重会合点|en|triple junction}})となっている。富士山下で沈み込んでいるフィリピン海プレートのさらに下に[[太平洋プレート]]が沈み込んでおり、富士山の[[マグマ]]は、東日本にある[[火山弧|島弧火山]]と同様に太平洋プレートに由来するものである<ref>{{Cite web|url=http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/category/research/page/3/|title=レシーバ関数解析による富士山の地下構造について|accessdate=2017-06-15|publisher=[[東京大学地震研究所]]}}</ref><ref>[https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/fujisan/text/exp-1.html 富士火山地質図] -産総研地質調査総合センター、2017年3月閲覧</ref>。富士山の火山上の特徴は、日本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であること<ref name="静岡大学" />、日本の火山のほとんどが[[安山岩]][[マグマ]]を多く噴出しているのに対し<ref name="静岡大学" />、富士山は[[玄武岩]]マグマを多く噴出すること<ref name="静岡大学" />、側火山が非常に多いことがある<ref name="静岡大学">[http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/sbosai/fuji/wakaru/001.html 静岡大学火山防災センター] -、2017年3月閲覧</ref>。
 
 
 
; 富士山頂
 
[[ファイル:Mt fuji summit.jpg|thumb|山頂火口を上空より]]
 
[[ファイル:Hasshinpo of Mt.Fuji 40.jpg|thumb|山頂火口]]
 
: 山頂には[[火口]](お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。これを囲むように位置する8つの峰を[[八神峰]]と呼ぶ。火口の南西側に最高点の[[剣ヶ峰 (富士山)|剣ヶ峰]]があり[[三角点|二等三角点]](点名は、富士山。標高3775.{{Smaller|51}}m 2014年4月1日改算<ref name="kijun" />)、火口の北側には二等三角点(点名は、富士白山。標高3756.{{Smaller|23}}m 2014年4月1日改算)が設置されている。火口の構造は、[[国土地理院]]によると、最深部の標高が3538.7m、火口の深さは約237m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は130mとある<ref>[http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2002-0729.html 「富士山」の火山基本図を刊行] - 国土地理院(2002年7月29日)</ref>。
 
: 登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある[[富士山本宮浅間大社]]の私有地であるが、[[県境]]と市町村境界は未確定である。[[2014年]]1月の富士山世界文化遺産協議会後の記者会見でも[[静岡県知事]]の[[川勝平太]]と[[山梨県知事]]の[[横内正明]]は[[県境]]を定めないことを明言している<ref>{{Cite news|title=「富士山、県境定めず」山梨と静岡、両知事が明言|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2014-01-22|url=https://archive.is/aIXSt|accessdate=2014-06-06}}(アーカイブ版)</ref>。[[国土地理院]]がインターネット上で公開している[[地形図]]では2013年10月から地図上の地点を指定すると住所、緯度・経度、標高が表示される機能が加わったが、帰属未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が表示されるという設定になっているため、富士山頂(剣が峰)を指定すると静岡県富士宮市として表示されることが山梨県などから指摘され、これを受けて富士山頂の住所表示については非表示になるよう変更された<ref>{{Cite news|title=富士山頂は静岡県? 国土地理院ネット地図で住所表示|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2014-06-01|url=https://archive.is/vHrnM|accessdate=2014-06-06}}(アーカイブ版)</ref><ref>{{Cite news|title=富士山頂住所非表示に 地理院がHP“訂正”|newspaper=[[山梨日日新聞]]|date=2014-06-06|url=https://archive.is/L8itO|accessdate=2014-06-06}}(アーカイブ版)</ref>。
 
 
 
; 宝永山
 
[[ファイル:Mtfuji houeisan01.jpg|thumb|right|宝永山と宝永噴火口]]
 
: '''宝永山'''(ほうえいざん)は[[宝永]]4年([[1707年]])の[[宝永大噴火]]で誕生した側火山(寄生火山)である。富士山南東斜面に位置し標高は2,693 mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開いている。これらを間近で見ることができる登山コースも整備されている。
 
{{main|宝永山}}
 
 
 
=== 富士山と火山活動 ===
 
==== 富士山の噴火 ====
 
{{Main|富士山の噴火史}}
 
[[最終氷期]]が終了した約1万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、[[溶岩]]を大量に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,500&ndash;2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大規模な[[山体崩壊]](「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。
 
 
 
新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前&ndash;約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前&ndash;約3,200年前の1,300年間と考えられている。山頂部からの最後の爆発的噴火は2300年前で<ref name="gsj.2016">[http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2016/pr20160715/pr20160715.html 約50年ぶりに富士山の地質図を全面改定] 産業技術総合研究所 地質調査総合センター 2016/07/15</ref>、これ以降は山頂部からの噴火は無いが、長尾山や[[宝永山]]などの側火山からの噴火が散発的に発生している。
 
 
 
[[延暦]]19年 - 21年([[800年]] - [[802年]])に延暦噴火、[[貞観 (日本)|貞観]]6年([[864年]])に[[青木が原]]溶岩を噴出した[[貞観大噴火]]が起きた。最後に富士山が噴火したのは[[宝永]]4年([[1707年]])の[[宝永大噴火]]で、噴煙は[[成層圏]]まで到達し、[[江戸]]では約4cmの[[火山灰]]が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の山体に宝永山が形成された。その後も火山性の[[地震]]や噴気が観測されており、今後も噴火の可能性が残されている。
 
 
 
[[噴火]]の年代が考証できる最も古い記録は、『[[続日本紀]]』に記述されている、[[天応 (日本)|天応]]元年([[781年]])に富士山より降灰があったくだりである。平安時代初期に成立した『[[竹取物語]]』にも、富士山が作品成立の頃、活動期であったことを窺わせる記述がある。平安時代の歴史書『[[日本三代実録]]』には[[貞観大噴火]]の状況が迫力ある文体で記載され、平安時代中期の『[[更級日記]]』には、富士山の噴気や火映現象を表した描写がある。
 
 
 
[[宝永大噴火]]についての記録は、[[新井白石]]による『[[折たく柴の記|折りたく柴の記]]』をはじめとした文書、絵図等により多数残されている。<br />その後も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが、記述から見て短期間かつ小規模な活動で終わったものと推測される。
 
 
 
宝永大噴火以来300年にわたって噴火を起こしていないこともあり、1990年代まで小学校などでは富士山は[[休火山]]と教えられていた。しかし先述の通り富士山にはいまだ活発な活動が観測されており、また[[気象庁]]が休火山という区分を廃止したことも重なり、現在は活火山に区分されている。
 
 
 
[[2013年]]7月20日、[[産業技術総合研究所]]は、1999年から約15年分の踏査データや地質調査データをまとめ富士火山[[地質図]]第2版(Ver.1)として発表し<ref>[https://www.gsj.jp/researches/openfile/openfile2013/openfile0592.html 地質調査総合センター研究資料集 no. 592]</ref>、2016年には修正加筆が終了した<ref name=gsj.2016 />。同時に、溶岩が流れ出す規模の噴火は過去2000年間に少なくとも43回あったとしている。
 
 
 
==== 山体崩壊の発生 ====
 
地震および噴火活動にともなう[[山体崩壊]](岩屑''がんせつ''なだれ)が発生年代が不明確なものも含めて南西側に5回、北東側に3回、東側に4回の計12回起きたとされている<ref>[http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/tokyoshinbun121031.html 小山真人:富士山の山体崩壊] - 静岡大学防災総合センター 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室 ※東京新聞に掲載(2012年10月31日)</ref>。また、直下に存在が示唆されている活断層の活動によるマグニチュード7クラスの地震による崩壊も懸念されている。
 
;主な発生歴
 
* 約2900年前(御殿場泥流):東斜面で大規模(約18億立方メートル)な山体崩壊<ref>{{PDFlink|[http://www.kazan-g.sakura.ne.jp/J/koukai/04/3.pdf 宮地直道:富士山の大規模噴火と山体崩壊](第11回公開講座) - 日本火山学会}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/111117.pdf 小山真人:富士山の火山防災-現状と課題]}} - 静岡大学防災総合センター 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室 </ref>が発生し、泥流が[[御殿場]]周辺から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ流下、山体崩壊の発生原因は不明。
 
* 1331年の元弘地震 に伴い発生<ref>{{PDFlink|[http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou46/05_05.pdf 富士川断層連日監視と東海地震発生の予測]}} - 地震予知連絡会 会報 第46巻</ref>。
 
* 1891年[[濃尾地震]] に伴い発生<ref>[http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/fujid/1891.html 明治24年(1891)地震動による崩壊] - 静岡大学防災総合センター 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室</ref>。
 
 
 
==== 災害対策 ====
 
* [[火山噴火予知連絡会]]([[気象庁]]) - 富士山のみを限定するものではないが、日本の[[火山]]活動についての検討を実施する。状況に応じて見解を発表するが、噴火の日時を特定して発表することはない。定例会は年3回実施されるが、[[噴火]]時には随時開催される。[[2000年]][[10月]]に富士山の[[低周波地震]]が増加した際は、ワーキンググループが設置され、富士山に関する基礎データの収集・整理、監視体制の検討、火山情報発信の方法などが集中的に検討された。
 
* 富士山[[ハザードマップ]]検討委員会([[内閣府]]防災担当) - 噴火時の広域避難のために必要なハザードマップの作成が、検討委員会を通じて進められている。
 
* 富士直轄[[砂防]]事業([[国土交通省]]) - [[大沢崩れ]]を源にして発生する大規模な[[土石流]]から、下流の保全対象を守る砂防事業を実施中。
 
* 山梨県は[[2015年]][[6月11日]]、「富士山噴火時避難ルートマップ」を作成した<ref>{{PDFlink|[http://bosai.pref.yamanashi.jp/file/5578ec5b87066.pdf 山梨県公式HP-富士山噴火時避難パターン]}}{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。
 
* 「静岡市市長の田辺信宏は2016年1月22日の定例記者会見で、市消防航空隊が2013年、富士山で滑落した登山者を救助中にヘリコプターから落下させ、この登山者が死亡した事故を受け、再発防止策として、市消防局がヘリで救助できる山の高さに3200メートルと上限を設けたことを明らかにした。」<ref>[http://sp.yomiuri.co.jp/national/20160123-OYT1T50039.html ヘリ救助上限、3200メートルの山…静岡市長]{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。
 
 
 
==== 地殻変動の観測 ====
 
政府系機関([[防災科学技術研究所]]、気象庁、国土地理院、産業技術総合研究所)や自治体([http://www.mfri.pref.yamanashi.jp/ 山梨県富士山科学研究所])及び大学([[東京大学地震研究所]])などにより観測が行われている。
 
* 国土地理院:地磁気観測点<ref>[http://vldb.gsi.go.jp/sokuchi/geomag/menu_03/observatory_data.html 地磁気連続観測(観測所)] - 国土地理院</ref>が、鹿野山測地観測所、水沢測地観測所および江刺観測場に設置されている。また、山頂にはGPSの電子基準点。
 
* 気象庁観測所<ref>[http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/314_Fujisan/314_Obs_points.html 富士山 観測点配置図] - 気象庁</ref>:地震計(山頂、御殿場口8合目、吉田口6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊)、傾斜計(太郎坊)、空振計(太郎坊、上井出)、GSP(太郎坊)、望遠カメラ(萩原)
 
* 防災科学技術研究所<ref>[http://vivaweb2.bosai.go.jp/viva/v_datalist_fuji.html 火山活動連続観測網VIVA ver.2 富士山] - 防災科学技術研究所</ref>: 火山活動可視情報化システム(VIsualization system for Volcanic Activity)
 
 
 
==== 噴出物災害などへの対策 ====
 
* 国土交通省[[中部地方整備局]]富士砂防事務所が静岡県、山梨県と連携して[[火砕流]]、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・検討を実施。[[ハザードマップ]]を作成している<ref>[http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/bosai/hazardmap.htm 富士山火山ハザードマップ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120720080742/http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/bosai/hazardmap.htm|date=2012年7月20日}} - 富士宮市役所</ref>。しかし、[[山体崩壊]]を想定したハザードマップは2012年時点では未作成である。
 
 
 
=== 富士山と気象 ===
 
==== 気候 ====
 
山頂は最暖月の8月でも平均気温が6℃しかなく<ref>[http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=50&prec_ch=%90%C3%89%AA%8C%A7&block_no=47639&block_ch=%95x%8Em%8ER&year=&month=&day=&elm=normal&view= 気象統計情報・過去の気象データ検索・富士山の平年値(年・月ごとの値)] - [[気象庁]](2011年1月5日閲覧)</ref>、[[ケッペンの気候区分]]では最暖月平均気温が0℃以上10℃未満の[[ツンドラ気候]]に分類される。太平洋側の気候のため1月や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10を占める。観測史上最低気温は-38.0℃で、最高気温が-30℃未満の日も過去に数回観測されている。-30℃を上回ることがない1日というのは[[北海道]]でも例がない。<ref>[http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_s.php?prec_no=49&block_no=47639&year=&month=&day=&view= 気象統計情報・過去の気象データ検索・観測史上1〜10位の値( 年間を通じての値)、月最深積雪] - [[気象庁]](2013年10月14日閲覧)</ref>
 
{{Weather box|location = 富士山
 
|metric first = y
 
|single line = y
 
|Jan record high C = &minus;1.7
 
|Feb record high C = 0.0
 
|Mar record high C = 1.0
 
|Apr record high C = 4.7
 
|May record high C = 12.2
 
|Jun record high C = 12.3
 
|Jul record high C = 17.4
 
|Aug record high C = 17.8
 
|Sep record high C = 16.3
 
|Oct record high C = 10.4
 
|Nov record high C = 6.9
 
|Dec record high C = 3.6
 
|year record high C = 17.8
 
|Jan high C = &minus;15.4
 
|Feb high C = &minus;14.7
 
|Mar high C = &minus;10.9
 
|Apr high C = &minus;5.7
 
|May high C = &minus;0.8
 
|Jun high C = 3.6
 
|Jul high C = 7.5
 
|Aug high C = 9.3
 
|Sep high C = 6.1
 
|Oct high C = &minus;0.1
 
|Nov high C = &minus;6.4
 
|Dec high C = &minus;12.2
 
|year high C = &minus;3.4
 
|Jan mean C = &minus;18.4
 
|Feb mean C = &minus;17.8
 
|Mar mean C = &minus;14.2
 
|Apr mean C = &minus;8.7
 
|May mean C = &minus;3.4
 
|Jun mean C = 1.1
 
|Jul mean C = 4.9
 
|Aug mean C = 6.2
 
|Sep mean C = 3.2
 
|Oct mean C = &minus;2.8
 
|Nov mean C = &minus;9.2
 
|Dec mean C = &minus;15.1
 
|year mean C = &minus;6.2
 
|Jan low C = &minus;21.7
 
|Feb low C = &minus;21.5
 
|Mar low C = &minus;17.8
 
|Apr low C = &minus;12.1
 
|May low C = &minus;6.5
 
|Jun low C = &minus;1.6
 
|Jul low C = 2.4
 
|Aug low C = 3.6
 
|Sep low C = 0.4
 
|Oct low C = &minus;5.8
 
|Nov low C = &minus;12.2
 
|Dec low C = &minus;18.3
 
|year low C = &minus;9.3
 
|Jan record low C = &minus;37.3
 
|Feb record low C = &minus;38.0
 
|Mar record low C = &minus;33.9
 
|Apr record low C = &minus;27.8
 
|May record low C = &minus;18.9
 
|Jun record low C = &minus;13.1
 
|Jul record low C = &minus;6.9
 
|Aug record low C = &minus;4.3
 
|Sep record low C = &minus;10.8
 
|Oct record low C = &minus;19.5
 
|Nov record low C = &minus;28.1
 
|Dec record low C = &minus;33.0
 
|year record low C = &minus;38.0
 
|source 1 = 気象庁<ref>[http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=49&prec_ch=%8ER%97%9C%8C%A7&block_no=47639&block_ch=%95x%8Em%8ER&year=&month=&day=&elm=normal&view= 気象庁 | 平年値(年・月ごとの値)] - 気象庁(2011年8月10日閲覧)</ref><ref>[http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_s.php?prec_no=50&block_no=47639&year=&month=&day=&view= 観測史上1〜10位の値( 年間を通じての値)] - 気象庁(2013年7月2日閲覧)</ref> 平均気温 (1981年 - 2010年) 最高・最低気温記録 (1932年7月 - 2013年)
 
|date=July 2013
 
}}
 
<gallery widths="150" heights="105">
 
ファイル:Mount Fuji and Broccolini.jpg|[[春]] (<small>2000年4月6日</small>)<br />麓では雨でも山上では冠雪する
 
ファイル:Mount Fuji from Lake Yamanaka 1995-7-30.jpg|[[夏]] (<small>1995年7月30日</small>)<br />雪がすべて解けた山肌
 
ファイル:Autumn Fuji.jpg|[[秋]] (<small>2007年10月28日</small>)<br />上部で冠雪、山麓で[[紅葉]]
 
ファイル:Mount Fuji from Hotel Mt Fuji 1995-2-7.jpg|[[冬]] (<small>1995年2月7日</small>)<br />麓でも冠雪した厳冬期
 
</gallery>
 
{{seealso|富士登山#気候}}
 
 
 
==== 富士山での気象観測 ====
 
かつて[[気象庁]][[東京管区気象台]]が富士山頂剣ヶ峯に設置していた気象官署が富士山測候所である。現在は'''富士山特別地域気象観測所'''となっており、自動気象観測装置による気象観測を行っている。
 
{{main|富士山測候所}}
 
 
 
==== 気象現象 ====
 
* 山体に強風が吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体に降ることがある。[[2010年]]12月15日には、神奈川県の西部から南部にかけて黒い砂が積もり、その状況から富士山の砂が巻き上げられ、西風に乗り降り積もったと考えられると報道された<ref>「謎の黒砂、富士山から?」 朝日新聞(2010年xx月17日付、朝刊39頁)</ref>。
 
* 富士山の「初冠雪」は[[甲府地方気象台]]が観測・発表している。これとは別に、雲などに遮られず「誰もがきれいだと実感できる降雪」を判断基準とした「初雪化粧」を、富士山北麓にある山梨県[[富士吉田市]]の富士山課が独自に宣言している<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASKBV34DNKBVUZOB002.html 晴れて富士山「初雪化粧」]『朝日新聞』夕刊2017年10月26日</ref>。
 
* 富士山北麓の一部地域(現在の山梨県富士吉田市など)では、富士山の標高2600m付近に現れる農鳥(鳥の形に見える[[残雪]])の出現する時期によって、農作物の豊作・凶作を判断する言い伝えがある<ref>[http://www.fujisan-net.jp/data/article/1036.html 富士山の「農鳥」](富士山NET) - 山梨日日新聞社・YBS山梨放送</ref>。
 
* 富士山では[[山岳波]]が発生することもあり、航空機の墜落事故も起きている([[英国海外航空機空中分解事故]]など)。
 
 
 
=== 富士山麓の自然環境 ===
 
富士山麓の[[天然記念物]]として、「富士山原始林及び[[青木ヶ原樹海]]」([[天然記念物]]:[[1926年]]2月24日指定、2010年3月8日追加指定・名称変更)、「富士風穴」(天然記念物:[[1929年]]12月17日指定)などがある。
 
 
 
==== 伏流水 ====
 
[[ファイル:白糸の滝 - panoramio - くろふね.jpg|thumb|right|白糸の滝(静岡県)]]
 
富士山に降った雨や雪は、長い年月をかけ[[伏流水]]として[[地下水]]脈を流れ湧き出てくる。最も高い地点から湧き出す湧水として確認されている例は標高1670m(富士宮口二合目付近)とされ、その他山麓を帯状に分布している。富士山麓における湧水の総湧出量は[[1968年]]で1日あたり154万立方メートル以上だという。しかし、近年湧出量の減少が確認されている例がある<ref name="yuusui">{{Cite book|和書|author=日本大学文理学部地球システム科学教室|title=富士山の謎をさぐる―富士火山の地球科学と防災学|year=2008|publisher=築地書館|isbn=978-4-80671-318-0|pages=125,128頁}}</ref>。
 
{|class=wikitable style=font-size:smaller
 
!地域!!名称
 
|-
 
!南東麓
 
|[[柿田川]]([[日本三大一覧#川・滝|日本三大清流]])、[[楽寿園|小浜池]]
 
|-
 
!南麓
 
|吉原湧泉群
 
|-
 
!西麓
 
|[[湧玉池]]([[特別天然記念物]])、[[白糸の滝 (静岡県)|白糸の滝]](国指定の[[名勝]]及び[[天然記念物]])、猪之頭湧泉群
 
|-
 
!北麓
 
|[[忍野八海]](国指定の天然記念物)
 
|-
 
|}
 
 
 
また、一部で[[駿河湾]]や[[富士五湖]]の[[西湖 (富士五湖)|西湖]](水深25m付近)で湧出があるとされている<ref name="yuusui" />。
 
 
 
富士山を源とする伏流水を利用し、周辺地域で製紙業や医薬関連の製造業などの工業が活発に行われている。また、富士山の伏流水は[[バナジウム]]を豊富に含んでいるため、[[ミネラルウォーター]]として[[ペットボトル]]詰めされ、販売されている。
 
 
 
==== 溶岩洞窟 ====
 
[[ファイル:Lake Saiko Bat Cave Entrance.JPG|thumb|right|西湖コウモリ穴入口]]
 
富士山麓周辺には大小100以上の[[溶岩洞]]窟が形成されている。
 
 
 
その中でも総延長2139mの三ツ池穴(静岡県富士宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを誇る。また、山麓周辺で最大規模の溶岩洞窟として[[西湖コウモリ穴]](山梨県南都留郡富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指定されている。その他、[[鳴沢氷穴]](山梨県南都留郡鳴沢村)も国の天然記念物に指定されている。
 
 
 
==== 植生 ====
 
富士山は標高は高いが、日本の他の高山に比較すると[[高山植物]]などの植生に乏しい。これは富士山が最終氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返したために山の[[生態系]]が破壊され、また独立峰であるため、他の山系からの植物の進入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではいくらか高山植物が見られる。山の上部では[[タデ科]][[オンタデ属]]の[[オンタデ]](御蓼)、山腹では[[キク科]][[アザミ属]]の[[フジアザミ]](富士薊)が自生している<ref>『日本の高山植物(山渓カラー名鑑)』[[山と渓谷社]]、1988年、ISBN 4-635-09019-1、p107,502</ref>。中部山岳地帯の高山の森林限界の上には[[ハイマツ]]帯が広がっているのが通例であるが、富士山にはハイマツ帯は欠如し、その代替に[[カラマツ]]林が広がっている。
 
{{multiple image
 
| align  = center
 
| image1=Forest in Mt.Fuji 02.jpg
 
| width1 = 200
 
| caption1=三合目付近の森<br />(北西斜面、標高1800m)
 
| image2=Mt.Fuji from Okuniwa 01.jpg
 
| width2 = 200
 
| caption2=五合目付近のカラマツ林<br />(北西斜面 奥庭、標高2200m)
 
| image3=Aconogonon weyrichii var. alpinum 01.jpg
 
| width3 = 200
 
| caption3=八合目付近のオンタデ<br />(東斜面、標高3200m)
 
| image4=Hasshinpo of Mt.Fuji 29.jpg
 
| width4 = 200
 
| caption4 = 山頂部(標高3700m)の砂礫地帯<br />植生はほとんど見られない
 
}}{{clear}}
 
 
 
== 人間との関わりの歴史 ==
 
[[ファイル:富士山本宮浅間大社拝殿.JPG|thumb|right|富士山本宮浅間大社]]
 
=== 古代 ===
 
古代より富士山は山岳信仰の対象とされ、富士山を神体山として、また信仰の対象として考えることなどを指して富士信仰と言われるようになった。「神聖な場所」であるため、[[女人禁制|女性が登山する事は長らく禁止]]されていた。特に富士山の神霊として考えられている浅間大神と[[コノハナノサクヤビメ]]を主祭神とするのが[[浅間神社]]であり、[[摂末社]]が全国に点在する。浅間神社の総本宮が麓の[[富士宮市]]にある[[富士山本宮浅間大社]](浅間大社)であり、富士宮市街にある「本宮」と、富士山頂にある「奥宮」にて富士山の神を祭っている。こうした歴史から、富士山が[[世界遺産]]に登録されたのも、[[自然遺産 (世界遺産)|世界自然遺産]]ではなく世界文化遺産([[富士山-信仰の対象と芸術の源泉]])としてであった。
 
{{main|富士信仰}}
 
 
 
古代では富士山は駿河国のものであるとする考え方が普遍的であった。これらは「高く貴き駿河なる富士の高嶺を」(山部赤人『万葉集』)や「富士山は、駿河国に在り。」「富士山は駿河の国の山で(省略)まっ白な砂の山である」(都良香『富士山記』)、「駿河の国にあるなる山なむ」(『竹取物語』)など広く見られるものである。しかし「なまよみの甲斐の国うち寄する駿河の国とこちごちの」(「高橋虫麻呂」『万葉集』)のように駿河国・甲斐国両国を跨ぐ山であるという共有の目線で記された貴重な例もある。
 
 
 
それより後期の時代、[[イエズス会]]の[[ジョアン・ロドリゲス]]は自著『日本教会史』にて「富士山は駿河国に帰属している」としているため、帰属は駿河国という関係は継続されていたと考えられる。
 
 
 
登山口は末代上人が開いた登山道を起源とし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言われる[[富士山村山口登山道|村山口]]である。これにより[[富士修験]]が成立したとされる。次第に他の登山道も開削されてゆき、大宮・村山口、須山口、須走口が存在している。
 
 
 
[[神仏習合]]は富士山も例外ではなかった。山頂部は仏の世界と考えられるようになり、特別な意味を持つようになった<ref name="shinbutsu">{{PDFlink|[http://www.fujisan-3776.jp/documents/100702kengakujutusiryou.pdf 推薦書原案]}} - 富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。遺例としては[[正嘉]]3年([[1259年]])の紀年銘である木造坐像が古いとされ、これは大日堂(村山)の旧本尊であった。鎌倉時代の書物である『[[吾妻鏡]]』には神仏習合による「富士大菩薩」や「浅間大菩薩」という呼称が確認されている。富士山頂の8つの峯([[八神峰]])を「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し、[[文永]]年間([[1264年]] - [[1275年]])の『万葉集註釈』には「いただきに八葉の嶺あり」とある。その他多くの書物で「八葉」の記述が確認できる。
 
 
 
=== 江戸時代 ===
 
江戸時代になると、徳川家康による庇護の下、本殿などの造営や内院散銭取得における優先権を得たことを基に江戸幕府より八合目以上を寄進された経緯で、現在富士山の八合目より上の部分は登山道・富士山測候所を除き浅間大社の境内となっている。登山の大衆化と共に村山修験や富士講などの一派が形成され、富士信仰を発展させていった。富士講の隆盛が見られた18世紀後半以降、新興宗教として旧来の登山道では発展できなかったために吉田口を利用する道者が目立つようになっていたと考えられ、18世紀後半以降では、他の登山口の合計と同程度であったという<ref name="shinbutsu" />。
 
 
 
富士参詣の人々を「道(導)者」といい、例えば『[[妙法寺記]]』の明応9年([[1500年]])の記録に「此年六月富士'''導者'''参事無限、関東乱ニヨリ須走へ皆'''導者'''付也」とある。また、登山における案内者・先導者を「先達」といい、先達の名が見える道者帳(『公文富士氏文書』、文中に「永禄6年」とあり)などが確認されている。
 
 
 
=== 明治以後 ===
 
[[慶応]]4年([[1868年]])に[[神仏分離令]]が出されると、これら神仏習合の形態は大きく崩されることとなる。富士山中や村山における仏像の取り壊しなどが進んだ<ref name="tozan" />。[[富士山興法寺]]は分離され、大日堂は[[人穴]]浅間神社となり大棟梁[[権現]]社は廃されるなど改変が進んだ。[[北口本宮冨士浅間神社]]では仁王門や護摩堂などが取り壊されることとなった<ref name="shinbutsu" />。仏教的な名称なども改称され、「八葉」の呼び名も変更された。[[1883年]](明治16年)に御殿場口登山道が、[[1906年]](明治39年)に新大宮口が開削された。
 
 
 
富士山は平成23年(2011年)2月7日に国指定文化財である「史跡」に指定された。史跡としての富士山は複数の資産から構成され「史跡富士山」として包括されている。指定範囲は静岡県は富士宮市と裾野市と駿東郡小山町、山梨県は富士吉田市、南都留郡の富士河口湖町と鳴沢村である
 
<ref>{{PDFlink|[http://www.bunka.go.jp/oshirase_other/2010/pdf/shiseki_shitei_101119.pdf 史跡等の指定等について(文化庁、平成22年11月19日)]}}{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。このとき富士山八合目以上の山頂部や各社寺、登拝道(登山道)が指定された。その後富士山本宮浅間大社社有地の一部、人穴富士講遺跡、各登山道が追加指定された<ref>{{PDFlink|[http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/shiseki_shitei_111118.pdf 史跡等の指定等について(文化庁、平成23年11月18日)]}}{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。
 
 
 
=== 登山史 ===
 
富士登山の伝承においては伝説的な部分が多く入り混じっており、諸説存在する。
 
{| class="wikitable" style="font-size:85%; margin:10px 0px;"
 
|+富士山の登山史
 
|-style="line-height:1.25em;"
 
![[和暦]]
 
![[西暦]]
 
!内容
 
!補足
 
|-
 
|[[推古天皇]]6年
 
|[[598年]]
 
|[[平安時代]]の[[甲斐の黒駒]]伝承には、[[聖徳太子]]が神馬に乗り富士山の上を越えたとする記述がある。
 
|諸国から献上された数百頭の中から白い[[甲斐国|甲斐]]の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、同年9月に太子が試乗すると、馬は天高く飛び上がり東国へ赴き、富士山を越えて[[信濃国]]まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。
 
|-
 
|[[天智天皇]]2年
 
|[[663年]]
 
|[[役小角]]が、流刑された[[伊豆大島]]から毎晩密かに逃げ出し、富士山へ登ったという伝説が残る。
 
|役小角は「富士山開山の祖」ともいわれる。この役小角の登山はマルセル・クルツの『世界登頂年代記』に掲載されており、記録は改訂されたものの「世界初の登山」という記述がされていた。
 
|-
 
|[[貞観 (日本)|貞観]]17年
 
|[[875年]]
 
|[[平安時代]]の学者である[[都良香]]が『富士山記』の中で山頂火口のさまを記す。
 
|山頂には常に沸き立つ[[火口湖]]があり、そのほとりに[[虎]]の姿に似た岩があるなど、実際に見た者でなければ知りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した者に取材したと考えられる。なおこの約10年前には山頂噴火ではないが有史最大の[[貞観大噴火]]があった。
 
|-
 
|[[久安]]5年
 
|[[1149年]]
 
|『本朝世紀』には末代上人が数百回の登山を繰り返したとある。
 
|回数は一致するものかは不明であるが、登山を多く行った人物として知られる。
 
|-
 
|
 
|
 
|[[江戸時代]]に入ると[[富士講]]が盛んになり、多くの参拝者が富士登山(富士詣)をした。
 
|特に江戸後期には[[講社]]が多数存在し、富士詣は地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っていた。最盛期には吉田口だけで百軒近くの[[宿坊]]([[山小屋]])があった。
 
|-
 
|[[文政]]11年
 
|[[1828年]]
 
|気圧計による高度測定の試み
 
|[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]の弟子である[[二宮敬作]]が登頂し、[[気圧]]の変化により高度測定を行った。[[伊能忠敬]]の測量では2603m - 3732m<ref>季刊 伊能忠敬研究 第9号(1996年秋季号)</ref>とされていたが、この測定では3794.5mと算出されている<ref>[http://www5.epsondevice.com/ja/information/technical_info/qmems/story1_4.html 富士山を測れ 伊能忠敬VSシーボルト](微の極致 QMEMSストーリー 第4回) - エプソン水晶デバイス。2010年1月。</ref>。
 
|-
 
|[[天保]]3年
 
|[[1832年]]
 
|[[小谷三志#富士山登頂|高山たつ]]が女性として初登頂。
 
|[[女人禁制]]が敷かれていた時代である。
 
|-
 
|[[嘉永]]6年
 
|[[1852年]]
 
|[[松平宗秀]]([[本庄宗秀]])が近世大名として初登頂。
 
|富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主人が記した『袖日記』という古記録に、[[宮津藩]]主松平宗秀が富士登山を行った記録がある。『袖日記』の6番によると、宗秀は江戸と宮津を参勤交代で往復しているうちに富士山に登ろうと思い始めたが、参勤交代の道程は幕府に指定されたルートであり、これを逸脱したコースを通ったり、たとえ社寺参詣であっても寄り道したりすることは許されない。このため富士に登ることを幕府に願い出るも中々許可が出ず、3年を経て許可を得るも「馬返し」と呼ばれる地点までであった。(馬返しというのは一合目よりも下の場所であり、登山客はここで馬を下りて山に登るという所)
 
そこで宗秀は嘉永6年(1852)6月21日、幕府に内緒で登山を決意し、明け方から出発して山を登り始め、昼過ぎには頂上に着いたという。宗秀の富士山登頂は、近世大名が富士登山を行った唯一の記録となった。
 
|-
 
|[[万延]]元年
 
|[[1860年]]
 
|英国公使[[ラザフォード・オールコック|オールコック]]が外国人として初登頂。
 
|『[[古事類苑]]』にオールコックの登山についての記録([[富士重本]]<ref group="注釈">文書では「不士大宮不士本宮淺間大宮司不士亦八郞」とある。</ref>が寺社奉行所に提出した届出)があり、「英人富士山ヲ測量スルニ就キ、大宮司ヨリ届書寫…廿二日大雨にて、廿四日晝立、大宮小休、村山泊に相成り、廿五日快晴致し、不士山六合目へ泊り、廿六日快晴頂上いたし…」とある。オールコックは7月24日に大宮から村山に入り登山を行い、26日に登頂した<ref name="tozan">{{Cite book|和書|author=久保田淳|title=富士山 信仰と芸術の源|year=2009|publisher=小学館|isbn=978-4-09682-027-8|pages=}}</ref>。
 
|-
 
|[[明治]]4年
 
|[[1872年]]
 
|女人禁制が解かれる。
 
|[[明治時代]]になると信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、欧米の近代登山技術が取り入れられることになる。
 
|-
 
|明治25年
 
|[[1892年]]
 
|英国人の[[ウォルター・ウェストン]]が登頂。
 
|翌年にも登頂した。その後、本を出版して富士山などの日本の山々を世界に紹介した<ref>『日本アルプスの登山と探検』 ウォルター・ウェストン(著)、青木枝朗(訳) [[岩波文庫]]、1997年、ISBN 4003347412、P372</ref>。
 
|-
 
|明治28年
 
|[[1895年]]
 
|[[野中到 (気象学者)|野中到]]が冬季初登頂。
 
|2月16日に御殿場口から単独で登頂。同年10月から12月まで山頂で気象観測を行った<ref name="medemiru">山と溪谷社「目で見る日本登山史」およびその日本登山史年表、2005年、ISBN 4635178145</ref>。
 
|-
 
|[[大正]]12年
 
|[[1923年]]
 
|皇太子裕仁親王(後の[[昭和天皇]])の登山
 
|7月26日の事、須走に赴いてから8合目まで乗馬にて登山後、8合目以上は徒歩にて登山を行なった。奥宮を参拝し金剛棒に焼印などを行った後、御殿場口より下山された<ref>{{Cite book|和書|last=宮地|first=直一|editor=浅間神社|title=浅間神社の歴史|series=富士の研究, 2|publisher=古今書院|ncid=BN13895599|last2=広野|first2=三郎|date1929-03}}</ref>。
 
|-
 
|大正12年
 
|[[1923年]]
 
|[[秩父宮雍仁親王]]の登山
 
|8月20日の夜に御殿場口から登山し、翌朝頂上に到着。奥宮を参拝後、下山。
 
|-
 
|昭和2年
 
|[[1927年]]
 
|[[中村テル]]が冬季女性初登頂
 
|1月1日に御殿場口から登頂、男性2人と共に<ref name="medemiru" />。
 
|-
 
|[[昭和]]63年
 
|[[1988年]]
 
|[[浩宮徳仁親王]](当時)の登山。
 
|[[8月1日]]-[[8月2日|2日]]の登山で、須走口から八合目を往復した<ref>『歩いてみたい日本の名山』 西東社、2004年、ISBN 4-791-61227-2、p170</ref>。天候の悪化で登頂は断念される。
 
|-
 
|style="white-space:nowrap"|[[平成]]20年
 
|style="white-space:nowrap"|[[2008年]]
 
|皇太子徳仁親王が登頂。
 
|[[8月7日]]に富士宮口を出発後、御殿場口登山道に入り登頂<ref>「20年振りの悲願達成 皇太子さま、富士山にご登頂」 産経新聞(2008年8月8日)</ref>。
 
|-
 
|}
 
 
 
=== 富士山を巡る利権争い ===
 
==== 山役銭と内院散銭 ====
 
[[ファイル:Hokusai34 climbing-fuji.jpg|thumb|right|『冨嶽三十六景 諸人登山』]]
 
山麓の各地域には各登山道があり、特に村山口と大宮口、須走口、須山口が古来の登山道であり、その登山道を管理する地域の浅間大社が山役銭<ref group="注釈">入山料のような概念。</ref>を徴収していた。これらの地域は互いに山役銭などを巡り、争いを起こしている。特に内院散銭<ref group="注釈">内院は噴火口を指し、この噴火口に散銭する行為(お金を投げ入れる行為)が行われていた。そのお金を得る権利である。</ref>は相当額になるため、争いの火種になりやすかった。例えば須走村への配分だけでも1年で76[[両 (通貨単位)|両]]を越えたといい、一戸に約一両が配当される計算になるという<ref>『小山町史 第2巻』</ref>。内院散銭の権利は、[[大名]]などに与えられた権利を根拠に主に3地域によって争われた。「村山」と「須走」<ref group="注釈">現在の静岡県駿東郡[[小山町]]。</ref>と「大宮」である。村山においては、[[1533年]]([[天文 (元号)|天文]]2年)に村山三坊の「辻之坊」が[[今川氏輝]]により内院散銭の取得権を与えられている<ref>『旧辻坊葛山氏文書』、宛名は「富士山興法寺々務代辻坊」とある。</ref>。須走は[[1577年]](天正5年)に[[武田氏]]により薬師堂(現在の[[久須志神社 (富士山)|久須志神社]])の[[開帳]]日の内院散銭の取得権が与えられている<ref>『須走浅間神社所蔵文書』、「富士山内院之参(散)銭、(中略)洲走浅間之宮可致修造之由…」などとある</ref>。大宮は[[1609年]]([[慶長]]14年)に[[徳川家康]]が内院散銭を浅間大社に[[寄進]]し、内院散銭の取得の優位権を得ている<ref name="shinbutsu" />。浅間大社の大宮司が村山より登る際は山役銭を取られたので、村山を避け「須走」から登拝する慣例などもあった<ref>[http://www.fujisan-net.jp/data/article/93.html 富士信仰](富士山NET) - 山梨日日新聞社・YBS山梨放送</ref>。
 
 
 
新規に出来た登山道である現富士吉田口は、登山道を管理している「須走」に許可なく、浅間大社の大宮司[[富士信安]]など[[富士氏]]が自分たちに山役銭を支払えば、「須走」の登山道を利用するにも関わらず勝手に山がけ(登山道を作り山小屋を建てる)の許可を与えたことで論争となり、「河口」<ref group="注釈">現在の山梨県南都留郡富士河口湖町の河口御師などからなる地域。「川口」と表記される場合もある。</ref>と「吉田」は1810年に登山ルートや山役銭の徴収方法で論争を起こし、「大宮」と「吉田」では薬師堂における役銭の配分で争っている過去などがある<ref>{{Cite book|和書|author=青柳周一|title=富岳旅百景|year=2002|publisher=角川書店|isbn=|pages=233}}</ref>。
 
 
 
==== 元禄の争論 ====
 
[[元禄]]16年([[1703年]])に散銭や山小屋経営を巡り須走村が富士浅間神社本宮(浅間大社)を訴えた争論が'''元禄の争論'''である。須走村側は[[東口本宮冨士浅間神社]]の神主や御師らが、浅間大社の大宮司[[富士信安]]など[[富士氏]]<ref group="注釈">文書では富士帯刀(富士信安)とある。他案主・公文など。</ref>らを相手取り寺社奉行に訴え出た。訴えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽の小屋掛けを認めたことへの不服、2つ目は浅間大社側が造営した薬師堂の棟札に「富士本宮が入仏を勤める」という旨の記述があることを、須走の既得権を犯すものであるというもの、3つ目は内院の散銭取得における2番拾いは須走側が得るという慣例となっているとし、それを浅間大社が取得しているという訴えである。これに対し訴えられた浅間大社側は[[江戸]]に赴き、薬師嶽は須走村の地内ではないこと、薬師堂の入仏については浅間大社側が造営したものであるので権利は浅間大社にあること、散銭の2番拾いの慣例は根拠がないということを主張した。それらは第三者に委ねる内済という扱いとなり、その内済にて「他の者に小屋掛けさせないこと」「薬師堂の入仏は須走村が行うこと」「内院散銭は一番拾いを大宮と須走で6:4で分け、2番拾いは須走が得るものとする」という決定となり、以後これらは遵守された<ref>『小山町史 第2巻』『小山町史 第7巻』</ref>。
 
 
 
==== 安永の争論 ====
 
[[安永]]元年([[1772年]])に、須走村が山頂の支配権は同村の支配にあるとして浅間大社を相手として訴えた争論<ref group="注釈">[[小田原藩]]を通して幕府に伝えられ、寺社奉行の[[松平忠順]]に訴状が提出された</ref>が'''安永の争論'''である。またこれをみた浅間大社側の富士民済<ref group="注釈">富士大宮司。文書では富士中務とある。</ref>も反論を起こした。さらに吉田村と浅間大社とで支配地域を確定する争論もあったため、ここに大宮・新規参入である吉田と須走の争いの決着が望まれることとなり、勘定奉行なども関わる大論争となった。安永8年([[1779年]])に持ち越されることとなった。結論は徳川家康が[[富士山本宮浅間大社]]を信奉していたという幕府側の配慮があり、勘定奉行・町奉行・寺社奉行のいわゆる[[三奉行]]による裁許で、最終的に富士山の8合目より上は、[[富士山本宮浅間大社]]持ちとすることが決定された<ref group="注釈">他に薬師堂の開帳や内院散銭はこれまでと同様とするなどが決定された</ref>。
 
 
 
この2者の争論を起因とする裁判により、これまで曖昧であった山頂の支配権やその他権利の所在などが、江戸幕府により明確に定められることとなった。
 
 
 
== 富士山と眺望 ==
 
=== 特別名勝としての富士山 ===
 
富士山は昭和27年([[1952年]])10月7日に「名勝」に指定され、同年11月22日に「特別名勝」に指定された<ref>静岡県教育委員会文化課 山梨県教育庁学術文化財課編、『富士をめぐる しずおか・やまなし文化財ガイドブック』(2006年)に特別名勝の範囲が地図上に図示されている</ref>。山梨県側は富士吉田市・船津村(現・富士河口湖町)・鳴沢村・中野村(現・山中湖村)の範囲が指定された<ref>山梨県教育委員会、『山梨の文化財 : 国指定編』、1971年</ref><ref>[http://www.pref.yamanashi.jp/gakujutu/bunkazaihogo/meishoukaisetsu.html 山梨県HP(主な文化財(名勝))]{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。静岡県側は御中道に囲まれる地域全部および富士宮口登山道(富士宮市)と御殿場口登山道(御殿場市)を挟む標高1,500m以上の地域、またこれと重複しない一合目以上御中道に至る富士宮口登山道および須走口登山道(小山町)が範囲となっている<ref>静岡県教育委員会文化課、『特別名勝富士山保存管理計画』P4-6、2006年</ref>。
 
 
 
=== 富士山の眺望 ===
 
{{Commonscat|Views of Mount Fuji by point of view|各地点からの富士山の眺望}}
 
富士山への良好な眺望が得られる128景233地点を、[[国土交通省]]関東地方整備局が[[関東の富士見百景]]として、[[2005年]]([[平成]]17年)に選定した。また2017年には環境省および都県・市町村が中心となり、「富士山がある風景100選」が選定された。富士箱根伊豆国立公園指定80周年記念事業に伴うものである。
 
{{main|富士山がある風景100選}}
 
 
 
[[東京国際空港|羽田空港]]から西に向かう国内便などでは富士山の上空を通過する。その際、機長が富士山を案内するアナウンスをすることが多い。また、新年の[[ご来光]]を見るための[[遊覧飛行]]便も運行される。
 
 
 
富士山の眺望の最遠は2013年現在、[[和歌山県]][[那智勝浦町]]である。那智勝浦の色川富士見峠(妙法山とは別)は、富士山頂からの距離は322.9キロで、一番遠く最も西にあるとされる<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH29008_Q3A530C1AA2P00/ 富士山、関西から見えた 3年がかりで撮影成功 1]、[http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH29008_Q3A530C1AA2P00/?df=2 2頁]、[http://www.nikkei.com/news/image-article/?R_FLG=0&ad=DSXBZO5588370005062013000001&bf=0&dc=1&ng=DGXNASIH29008_Q3A530C1AA2P00&z=20130609 図画]日本経済新聞2013/6/9、日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2013年6月5日付</ref><ref>[http://www.spnt.jp/sns/articles/DGXNASFK2603K_02312M6Y000000/ 日経サプリ with TBS : 月夜の富士山、奈良で撮った 遠望の限界に挑む] 2014/1/3 6:30{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref><ref name="a0405">[http://www.asahi.com/eco/TKY201004040194.html 富士山、見える範囲広がった? 都心からの観測は増加 - 環境]asahi.com(朝日新聞社)2010年4月5日</ref><ref>[http://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/forms/info/info.aspx?info_id=9403 富士山が見える最遠の地] 和歌山県那智勝浦町観光産業課 </ref>。また、眺望の北限は[[2017年]][[1月16日]]に[[福島県]][[川俣町]]と[[飯舘村]]にまたがる[[花塚山]](標高919m)と[[日本地図センター]]により認定された(富士山からは308kmの距離にある)<ref>[http://www.minyu-net.com/news/news/FM20170117-141988.php 花塚山から「富士山」撮影成功 北限を9キロ更新『308キロ』] [[福島民友新聞]]、2017年1月17日閲覧。{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。南東方向に約271Km離れた[[八丈島]]の[[三原山]]からも眺望される<ref name=a0405/>。富士山の見える都道府県は、理論上可能とされていた[[京都府]]から2014年に撮影に成功した<ref>[http://yamao.lolipop.jp/fuji/kyoto/kakutei.htm ついに撮った! 京都からの富士山]</ref>ことにより、20都道府県となった<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140922/k10014792961000.html 富士山の山頂を京都から撮影]NHK News Web{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。
 
 
 
=== 様々な表情の富士山 ===
 
富士山の表情は、見る場所・角度・季節・時間によって様々に変化する。富士と名が付く、いくつかの姿がある。
 
{| class="wikitable"
 
!画像
 
!富士山の姿
 
!解説
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Fuji from yamankako village 2001-7-2.jpg|100px]]
 
|[[赤富士]]
 
|夏の朝、露出した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。<br />葛飾北斎をはじめとした画家が「赤富士」を描いた絵画を残した。
 
|-
 
|[[ファイル:Mount Fuji from yamankako village 2000-2-10.jpg|100px]]
 
|紅富士
 
|雪化粧した富士山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。<br />「[[登山用語一覧#ま行|モルゲンロート]]」([[ドイツ語]]Morgenrot)が用いられる場合がある。
 
|-
 
|[[ファイル:01 Fujisan from Yamanakako 2004-2-7.jpg|100px]]
 
|[[逆さ富士]]
 
|波立ちが少ない水面に映る逆さの富士山の光景。<br />[[五千円紙幣|D五千円券]]の裏の図案に、本栖湖の逆さ富士が使用された。
 
|-
 
|-style="white-space:nowrap"
 
|[[ファイル:Diamond Fuji (from Mount Ryu 2015-12-05 s3).JPG|100px|竜ヶ岳(山梨県)から望む日の出時のダイヤモンド富士(2015年12月5日撮影)]]
 
|[[ダイヤモンド富士]]
 
|太陽が昇った時又は沈む時、[[太陽]]が富士山の頂上と重なり、<br />富士山の頂上付近が[[ダイヤモンド]]のように光る現象。<br />富士山が見える西又は東の場所から、年に2回見ることができる<ref>[http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/kikaku/fuji100/highlight/diamond.htm ダイヤモンド富士のスポット](関東の富士見100景) - 国土交通省 関東地方整備局</ref>。
 
|-
 
|[[ファイル:Kagefuji frm kengamine.jpg|100px]]
 
|影富士
 
|朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映し出される風景。<br />富士山登山時に山の上部から、[[雲海]]の上に見られる場合がある。
 
|-
 
|[[ファイル:Fujiyama-kasagumo 01.JPG|100px]]
 
|[[傘雲|笠雲]]
 
|笠雲とレンズ雲を伴う。富士山の頂上に傘をかぶせた雲がある風景。<br />その際は、次第に麓では曇りまたは雨になることが多い。
 
|}
 
 
 
=== 「表富士」と「裏富士」 ===
 
[[ファイル:Back View of Fuji from Dream Mtn in Kai Province (Hiroshige, 1852).jpg|thumb|right|『不二三十六景 甲斐夢山裏富士』]]
 
現在も富士山の山小屋や登山道の道標として「表口」や「裏口」という表現がみられ、一般的に静岡県から見た富士山を表富士、山梨県からの姿を裏富士として認知されているが<ref>{{PDFlink|[https://www.fy-museum.jp/div/fujisan-museum/pdf/marubi/MARUBI21.pdf MARUBI 富士吉田市歴史民俗博物館だより 21]}} - 富士吉田市歴史民俗博物館(2003年10月30日)</ref>、これには歴史的背景がある。延宝8年([[1680年]])に作成された『八葉九尊図』では既に「するが口表」という表記がある。他に『甲斐国志』巻35ではこのような記述がある。
 
{{Quotation|登山路ハ北ハ吉田口、南ハ須走口・村山口・大宮口ノ四道ナリ、(中略)南面ヲ表トシ、北面ヲ裏トスレドモ、…|『[[甲斐国志]]』}}
 
他の資料にも共通した記述がみられ、このように南麓を表、北麓を裏とする考え方は一般的な認識であったと言える。これとは別に「裏富士」という言葉があり、葛飾北斎の『富嶽百景 裏不二』<ref group="注釈">甲府盆地西部からの眺めとされている</ref>『冨嶽三十六景 身延川裏不二』や歌川広重の『不二三十六景 甲斐夢山裏富士』など、作品名に採用されている例がみられる。
 
 
 
== 富士山の文化 ==
 
=== 学術研究 ===
 
活火山かつ日本最高峰で、広大な山麓を持つ富士山は、[[自然科学]]と[[人文科学]]の両面で研究対象となっている。火山防災や地質学、気象学、[[生態系]]といった自然科学では山梨県富士山科学研究所(富士吉田市)、人文科学を含む学際的研究では[[静岡県富士山世界遺産センター]](富士宮市)や[[富士学会]]といった専門の研究機関・団体もある。
 
 
 
地形の険しさや山頂近くの強風により、野外で実地踏査できるのは富士山の5-10%程度であり、植生が不明なエリアも多い。上空からの観測・撮影も、[[ドローン]]の上昇限界が2750m程度という制約がある<ref>【解剖 先端拠点】山梨県富士山科学研究所/噴火や植生・資源まで調査『[[日経産業新聞]]』2018年2月7日(先端技術面)。</ref>。
 
 
 
=== 美術における富士山 ===
 
[[ファイル:Fuji Mandara.jpg|thumb|right|三峰型富士の例<br />絹本着色富士曼荼羅図 [[狩野元信]](伝)<br />峰型富士の例(上図)と同じ構図の実写富士は、ギャラリーに掲載]]
 
富士山絵画は平安時代に[[歌枕]]として詠まれた諸国の名所を描く[[名所絵]]の成立とともにはじまり、現存する作例はないものの、記録からこの頃には富士を描いた名所絵屏風の画題として描かれていたと考えられている。現存する最古の富士図は[[法隆寺献納宝物]]である延久元年(1069年)の『[[聖徳太子絵伝]]』([[東京国立博物館]])で、これは[[甲斐の黒駒]]伝承に基づき黒駒に乗った[[聖徳太子]]が富士を駆け上る姿を描いたもので、富士は中国山水画風の山岳図として描かれている。
 
 
 
[[ファイル:Hon'ami Koetsu Fujisan 1.jpg|thumb|right|[[楽焼白片身変茶碗]] 銘不二山(国宝)]]
 
鎌倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立し、『[[伊勢物語]]絵巻』『[[曽我物語]]富士巻狩図』など物語文学の成立とともに舞台となる富士が描かれ、[[富士信仰]]の成立に伴い礼拝画としての『[[富士曼陀羅図]]』も描かれた。また絵地図などにおいては反弧状で緑色に着色された他の山に対して山頂が白く冠雪した状態で描かれ、特別な存在として認識されていた{{refnest|group="注釈"|近世の[[甲斐国絵図]]類においては甲斐国の姿を山々に抱かれた霊的な場として表現する傾向が見られるが、富士山は[[八ヶ岳]]や白根山([[北岳]])とともに冠雪した白い山として描かれる神格表現で描写され、特に富士山は三峰形や雲上の表現、登山道の省略など特に神格表現が際立っている点が指摘される<ref>{{Harv|髙橋修|2008}}。</ref>。}}。
 
 
 
[[室町時代]]の作とされる『絹本著色富士[[曼荼羅]]図』(富士山本宮浅間大社所蔵、[[重要文化財]])には三峰型の富士とその富士山に登る人々や、禊ぎの場であった浅間神社や湧玉池が描かれており、当時の様子を思わせるものである。
 
また、伝[[雪舟]]作『富士三保清見寺図』([[永青文庫]]所蔵)は、[[三保の松原]]と富士山を同一画面に収めた作品であり、[[静岡市]][[日本平]]からの眺望とされている<ref name="Yamashita">山下善也、島尾新、彬子女王、亀田和子(編)「富士三保清見寺図の図様伝播」『写しの力:創造と継承のマトリクス』 思文閣出版 2013 ISBN 9784784217113 pp.177-201.</ref>。雪舟型の富士山図は江戸時代を通じて写しの手本とされ、[[狩野派]]を中心に数多くの作品が派生している。
 
 
 
[[ファイル:Red Fuji southern wind clear morning.jpg|thumb|left|180px|[[凱風快晴]]、[[葛飾北斎]]作]]
 
江戸時代には明和4年(1767年)に[[河村岷雪]]が絵本『百富士』を出版し、[[富士図]]の連作というスタイルを提示した。[[浮世絵]]のジャンルとして[[名所絵]]が確立すると、河村岷雪の影響を受けた[[葛飾北斎]]は晩年に錦絵(木版多色摺)による富士図の連作版画『[[富嶽三十六景|冨嶽三十六景]]』(天保元年[[1831年]]頃)を出版した。多様な絵画技法を持つ北斎は大胆な構図や遠近法に加え舶来顔料を活かした藍摺や点描などの技法を駆使して中でも富士を描き、夏の赤富士を描いた『[[凱風快晴]]』や『山下白雨』、荒れ狂う大波と富士を描いた『[[神奈川沖浪裏]]』などが知られる。
 
 
 
また、[[歌川広重]]も北斎より後の1850年代に『[[不二三十六景]]』『[[冨士三十六景]]』を出版した。広重は甲斐国をはじめ諸国を旅して実地のスケッチを重ね作品に活かしている。『[[東海道五十三次]]』でも、富士山を題材にした絵が多く見られる。北斎、広重らはこれらの連作により、それまで富士見の好スポットと認識されていなかった地点や、甲斐国側からの裏富士を画題として開拓していった。[[工芸|工芸品]]としては[[本阿弥光悦]]が自ら制作した[[楽焼]]の[[茶碗]]に富士山の風情を見出し、「不二山」と銘打っている<ref>[[加藤唐九郎]]編『原色陶器大辞典』[[淡交社]]、1972年、ISBN 4473000907、p.843。</ref>。
 
 
 
[[ファイル:Japanese government small-face-value paper money 50 Sen (Fuji-Sakura) - front.jpg|thumb|right|[[小額政府紙幣|50銭政府紙幣]](1938年発行)<br />岡田紅陽が撮影した愛鷹山からの富士山がモデル。]]
 
富士は日本画をはじめ絵画作品や工芸、写真、デザインなどあらゆる美術のモチーフとして扱われている。日本画においては近代に殖産興業などを通じて富士が日本を象徴する意匠として位置づけられ美術をはじめ商業デザインなどに幅広く用いられ、絵画においては伝統を引き継ぎつつ近代的視点で描かれた富士山絵画が制作された。また、鉄道・道路網など交通機関の発達により数多くの文人・画家が避暑地や保養地としての富士山麓に滞在し富士を題材とした作品を製作しているが、富士を描いた風景画などを残している画家として[[富岡鉄斎]]、洋画においては[[和田英作]]などがいる。
 
 
 
富士山をモチーフとした美術品は当時のヨーロッパでも多く流通しており、このことから富士山もヨーロッパで広く知られていた。[[1893年]](明治26年)、日本を旅行していた[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の皇位継承者[[フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ|フランツ・フェルディナント大公]]は、日記に次のように書いている。
 
{{quotation|フジサン、フジノヤマ。いったい、この日本の象徴――ヨーロッパではふつうフジヤマと呼ばれる――を知らない者などいるのだろうか?ヨーロッパでもっとも好まれる日本工芸のデザインとして漆器、陶磁器、和紙、金属などに描かれているから、もう、わたしたちにはお馴染みだ<ref>{{Cite book|和書|author=[[フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ|フランツ・フェルディナント]]|translator=[[安藤勉]]|date=2005年|title=オーストリア皇太子の日本日記 明治26年夏の記録|series=[[講談社学術文庫]]|publisher=[[講談社]]|isbn=4-06-159725-6|page=154}}</ref>。|8月15日付}}
 
 
 
戦時下には国家により富士は国体の象徴として位置づけられ、富士は国家のシンボルとして様々に描かれた。戦後には国体のシンボルとしてのイメージから解放された「日本のシンボル」として、日本画家の[[横山大観]]や[[片岡球子]]らが富士を描いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的画題へのアンチテーゼとしてパロディや風刺、アイコンとして富士を描く傾向も見られる。
 
 
 
[[深田久弥]]は『[[日本百名山]]』の中で富士山を「小細工を弄しない大きな単純」と評し、「幼童でも富士の絵は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている」という。
 
 
 
日本画全般の題材として「富士見西行」があり、巨大な富士山を豆粒のような人物(僧、[[西行]]法師)が見上げるという構図で、[[水墨画]]や[[彫金]]でも描かれている。
 
[[ファイル:Lake Motosu04.jpg|thumb|right|千円札、旧五千円札のモデルとなった本栖湖からの富士山]]
 
近代では紙幣や切手のデザインにも用いられている。
 
 
 
* 富士山が紙幣のデザインに用いられる例は数多くある。古くは[[1913年]]発行の50銭政府紙幣があり、[[愛鷹山]]からの富士山でる。その後の[[1951年]]と[[1969年]]発行の旧五百円札は[[大月市]]の[[雁ヶ腹摺山]]からの富士山を元にしている。[[1984年]]発行の旧五千円札と2004年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの富士山である<ref>[http://www.fujisan-net.jp/data/article/1068.html 新千円札にも富士山の絵柄](富士山NET) - 山梨日日新聞社・YBS山梨放送</ref>。
 
* 富士山を描写した[[切手]]が[[郵便局]]から発売された<ref>{{cite book|和書|author=桜田隆範|title=切手と風景印でたどる百名山|date=2007|isbn=978-4-89806-276-0|page=73|publosher=ふくろう舎}}</ref>。
 
** 河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、山中湖([[1999年]](平成11年))
 
** 葛飾北斎(1999年(平成11年))
 
** [[オオマツヨイグサ]]・山梨県([[2005年]](平成17年))
 
 
 
=== 文学における富士山 ===
 
富士山は和歌の[[歌枕]]としてよく取り上げられる。また、『[[万葉集]]』の中には、富士山を詠んだ歌がいくつも収められている。
 
 
 
「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」 (3.318) は[[山部赤人]]による有名な[[短歌]](反歌)である。
 
 
 
また、この反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ…」(巻3・319・大意「(噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降る雪を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士山が火山活動を行っていたことがうかがえる。
 
 
 
『[[新古今和歌集]]』から。富士の煙が歌われている。
 
 
 
<blockquote>風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな [[西行]] (<nowiki>#</nowiki>1613)</blockquote>
 
 
 
都人にとって富士は遠く神秘的な山として認識され、古典文学では都良香『富士日記』が富士の様子や伝承を記録している。
 
 
 
『[[竹取物語]]』は物語後半で富士が舞台となり、時の[[帝|天皇]]がかぐや姫から贈られた不老不死の薬を、つきの岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山頂で燃やしたことになっている。それからその山は数多の士に因んでふじ山(富士山)と名付けられたとする命名説話を記している。なお、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」として言い伝えられている場所が現存している<ref>{{Cite web|url=http://www.city.fuji.shizuoka.jp/kankou_m/k_hime/take_kouen.htm|title=竹採公園|accessdate=2008-04-13|publisher=富士市|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080917114457/http://www.city.fuji.shizuoka.jp/kankou_m/k_hime/take_kouen.htm|archivedate=2008-09-17}}</ref>。
 
 
 
ほか、『[[源氏物語]]』や『[[伊勢物語]]』でも富士に言及される箇所があるものの、主要な舞台となるケースは少ない。富士は甲駿の国境に位置することが正確に認識されており、古代においては[[駿河国]]に帰属していたため古典文学においては駿河側の富士が題材となることが多いが、『[[堤中納言物語]]』では[[甲斐国|甲斐]]側の富士について触れられている。
 
 
 
また、「八面玲瓏」という言葉は富士山から生まれたといわれ、どの方角から見ても整った美しい形を表している<ref>{{Cite book|和書|author=[[山崎晴雄]], 久保純子|title=日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語|year=2017|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4-06-502000-5|page=157}}</ref>。
 
 
 
中世から近世には富士北麓地域に富士参詣者が往来し、江戸期には地域文芸として[[俳諧]]が盛んであった。近代には[[鉄道]]など交通機関の発達や富士裾野の[[観光地]]化の影響を受けて、多くの文人や[[民俗学者]]が[[避暑]]目的などで富士へ訪れるようになり、新田次郎や[[草野心平]]、[[堀口大學]]らが富士をテーマにした作品を書き、山岳文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。
 
 
 
富士山麓に滞在した作家は数多くおり、武田泰淳は富士山麓の精神病院を舞台とした小説『富士』を書いており、妻の武田百合子も泰淳の死後に富士山荘での生活の記録を『富士日記』として記している。[[津島佑子]]は山梨県嘱託の地質学者であった母方の石原家をモデルに、富士を望みつつ激動の時代を過ごした一族の物語である『[[火の山―山猿記]]』を記した。
 
 
 
また、北麓地域出身の文学者として[[自然主義文学]]者の[[中村星湖]]や戦後の[[在日朝鮮人文学]]者の[[李良枝]]がおり、それぞれ作品の中で富士を描いており、中村星湖は地域文芸の振興にも務めている。
 
 
 
[[太宰治]]が[[昭和]]14年([[1939年]])に執筆した[[小説]]『[[富嶽百景]]』の一節である「富士には月見草がよく似合ふ」はよく知られ、山梨県[[富士河口湖町]]の[[御坂峠]]にはその碑文が建っている。[[直木賞]]作家である[[新田次郎]]は富士山頂測候所に勤務していた経験をもとに、富士山の[[歩荷|強力]](ごうりき)の生き様を描いた直木賞受賞作『強力伝』や『[[富士山頂 (小説)|富士山頂]]』<ref>[[1970年]]に映画化、主演は[[石原裕次郎]]。</ref>をはじめ数々の富士にまつわる作品を執筆している。
 
 
 
[[高浜虚子]]は静岡県[[富士宮市]]の[[沼久保駅]]で降りた際、美しい富士山を見て歌を詠んだ。駅前にはその歌碑が建てられている。
 
<blockquote>「とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降りる子連れ花の姥」</blockquote>
 
 
 
== 富士山と地域振興 ==
 
富士山一帯の宗教施設や避暑、富士登山を目的とする観光客相手の観光業も活発に行われている。しかし、富士山麓には[[温泉郷|温泉地]]として成立する規模の湯量は湧出していない<ref>[http://nh.kanagawa-museum.jp/kenkyu/chouken/13/chouken13_061-076_mannen_s.pdf 萬年一剛:箱根カルデラ− 地質構造・成因・現在の火山活動における役割−] 神奈川県立博物館調査研究報告, 自然科学, 2008 , 13, 61-76(p.71)</ref>。
 
 
 
富士山の利用について、静岡県側が自然・文化の保護を重視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視している。山頂所有権問題、山小屋トイレ問題、マイカー規制問題<ref>[http://www.fujisan-net.jp/data/article/2.html 富士山有料道路マイカー通行規制](富士山NET) - 山梨日日新聞社・YBS山梨放送 ※静岡県側は当初からお盆前後に集中実施、山梨県側は当初は観光客の利便に配慮し分散実施とし、後に静岡県側と同様に集中実施とした。</ref>、世界遺産登録問題<ref>「世界遺産 富士山 暫定リスト入り」 産経新聞(山梨版、2007年6月28日付)</ref>等、過去から現在に至るまでの折々で双方の思惑の相違が表面化している。
 
 
 
=== 富士山と観光 ===
 
==== 富士登山 ====
 
'''富士登山には登山の知識や経験、装備が不可欠である<ref>[http://www.fujisan-climb.jp/basic/index.html 登山の前に必ず知っておくこと|富士登山オフィシャルサイト]</ref>'''。一般的には、毎年[[7月1日]]の山開きから[[9月]]上旬の山じまいまでの期間、登山が可能である。'''期間外は、万全な準備をしない者の登山は原則禁止されている<ref name="guideline">[http://www.fujisan-climb.jp/risk/guidelines.html 富士登山における安全確保のためのガイドライン|富士登山オフィシャルサイト]</ref>。''' とくに'''積雪期・残雪期の登山は自殺行為である<ref name=guideline/>。'''
 
{{main|富士登山}}
 
 
 
==== その他の観光 ====
 
その優美な姿から、富士山が見える場所は著名な観光地となっていることが多い。
 
* '''箱根''' - [[箱根]]は富士山が望めるうえに、東京から近く[[温泉]]や歴史・[[美術館]]や各種の乗り物が楽しめることもあり、年間を通じて内外の観光客が絶えない。また、夏は避暑地としても有名である。
 
* '''富士五湖''' - [[富士五湖]]は富士山周辺の観光地として著名であり、[[本栖湖]]の[[逆さ富士]]が[[日本銀行券]]に採用されている。
 
* '''白糸の滝''' - [[白糸の滝 (静岡県)|白糸の滝]]は上流に川は存在せず、富士山の雪解け水が溶岩断層から湧き出す非常に珍しい形成をしている滝である。また、[[音止めの滝]]と共に[[日本の滝百選]]に指定されている。
 
* '''朝霧高原''' - [[朝霧高原]]は富士山を綺麗に臨むスポットとして著名であり、その自然と広大な土地もあり過去に[[第13回世界ジャンボリー]]も開催されている。
 
* '''ダイヤモンド富士''' - [[ダイヤモンド富士]]などがはっきりと拝める[[田貫湖]]や[[山中湖]]といったスポットも有名で、特に写真撮影を目的として訪れる観光客もいる。
 
* '''ドライブ''' - [[富士山有料道路|富士スバルライン]]や[[表富士周遊道路|富士山スカイライン]]などを利用して、5合目までマイカーで上がることができる。シーズン中は[[マイカー規制]]の期間があり、冬期は閉鎖される。
 
 
 
=== 富士山の日(2月23日) ===
 
[[2月23日]]を「2:ふ・2:じ・3:さん」と語呂合わせで読み「富士山の日」として制定している自治体がある。
 
* [[2001年]](平成13年) 山梨県富士河口湖町(当時は河口湖町)にて条例を制定。
 
* [[2002年]](平成14年) 山梨県富士吉田市を中心に、山梨県の富士山麓10市町村、2恩賜林組合が了承。
 
* [[2009年]](平成21年)[[12月21日]] 静岡県議会にて条例を全会一致で可決。同年[[12月25日]]条例を制定。
 
 
 
静岡県、山梨県どちらも、富士山は普段の生活に溶け込み過ぎており、「あって当たり前」の空気のような存在である。そのため「富士山の日」に、各自治体や県内企業などがさまざまなイベント等を催し、参加する事など通じて、身近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルとしても名高い名峰として再認識する機会としている。また併せて富士山の世界遺産登録に向けた動きを地元から活発化したいとの期待も込められている。
 
 
 
静岡県教育委員会で、各市町村に対して[[2011年]](平成23年)より「富士山の日」を学校休業日とするよう要望した。休業日として組み込んだ自治体があるなか、麓である富士市教育委員会では「特定日を学校休業日とすることはなじまない」という理由で、2011年以降休業日としていない。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提供や、[[富士山こどもの国]]の無料開放、図書館や博物館などの社会教育施設にも富士山の日にちなんだ事業実施を要請している。
 
 
 
なお、富士山の日を最初に宣言したのは、パソコン通信「NIFTY-Serve」内の「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」で、1996年1月1日にネット上で発表した。
 
 
 
=== 富士山ナンバー ===
 
[[静岡運輸支局]]管内の4市2町と[[山梨運輸支局]]管内の1市2町4村を対象とした、いわゆる[[ご当地ナンバー]]として[[2008年]][[11月4日]]から'''富士山ナンバー'''の交付が開始された。管轄支局が二県にまたがるナンバープレートは珍しい<ref>{{Cite web|url=http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/09/090301_.html|title=富士山ナンバーの導入について|accessdate=2008-04-15|author=[[国土交通省]][[自動車交通局]]技術安全部管理課|date=2007-03-01}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080415k0000e040021000c.html|title=「富士山」ナンバー:11月4日から交付開始…国交省 - 毎日jp(毎日新聞)|accessdate=2008-04-15|author=[[毎日新聞]]|date=2008-04-15}}{{リンク切れ|date=2010年3月}}</ref>。
 
 
 
=== 富士山検定 ===
 
「富士山検定実行委員会」が主催する[[富士山検定]]が、富士商工会議所、富士吉田商工会議所、静岡新聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・山梨放送、NPO法人富士山検定協会の5者により行われている。
 
 
 
=== 地域間交流 ===
 
富士山頂の湧水を琵琶湖へ、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ交流が昭和三十二年以降静岡県富士宮市と[[滋賀県]][[近江八幡市]]の間で続けられている。これは「近江の土を掘り富士山を作りその穴が[[琵琶湖]]になった」という伝説からである。富士山頂の湧水を琵琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐことを「お水取り」という<ref>[http://www.sankei.com/west/news/140904/wst1409040126-n1.html 富士山の湧き水を琵琶湖に ダイダラボッチ伝説にちなみ「お水返し」] 産経WEST 2015年5月23日閲覧</ref><ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20131109000048 富士の湧き水、琵琶湖に 近江八幡で静岡の市民ら「お水返し」]京都新聞 2015年5月23日閲覧{{リンク切れ|date=2018-06-24}}</ref>。
 
 
 
2014年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との間で、富士山と[[玉山 (台湾)|玉山]]の友好山提携が締結されている<ref>[http://www.fujisan-kyokai.jp/teikei_gyokuzan.html 日本富士山協会]</ref>。標高3,952メートルの玉山は[[台湾]]の日本統治時代に'''新高山'''と呼ばれ、日本の最高峰であった。
 
 
 
== その他 ==
 
=== 他山の標高 ===
 
* [[玉山 (台湾)|玉山]]([[台湾]]) - 日本統治時代は'''新高山'''と呼ばれ、日本最高峰であった。標高3,952メートル。
 
* [[雪山 (台湾)|雪山]](台湾) - 日本統治時代は'''次高山'''と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3,886メートル。
 
* [[北岳]] - 日本で2番目に高い山。標高3,193メートル。
 
* [[日和山 (仙台市)]] - 日本で最も低い山。標高3メートル。
 
* [[エベレスト]] - 世界最高峰。標高8,844メートル。
 
 
 
=== 文字 ===
 
{{特殊文字|対象=節|説明=Unicode 6.0の絵文字}}
 
* [[通話表#和文通話表|和文通話表]]で、「[[ふ]]」を送る際に「富士山のフ」という。
 
* 文字コードの[[Unicode|Unicode6.0]]では、携帯電話などで使われていた[[絵文字]]も追加されたが、その中に「MOUNT FUJI」として富士山も含まれている(U+1F5FB、{{絵文字フォント|&#x1F5FB;}})<ref>{{cite web|url=http://www.unicode.org/charts/PDF/U1F300.pdf|title=Miscellaneous Symbols and Pictographs|accessdate=2012-02-04|format=PDF|publisher=[[ユニコードコンソーシアム]]|page=11}}</ref>。
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
 
{{CharCode|128507|1F5FB|-|MOUNT FUJI|font=絵文字フォント}}
 
|}
 
 
 
== ギャラリー ==
 
<!--Wikipediaは写真投稿サイトではありません。本当に必要な写真かどうか投稿前にご一考ください-->
 
<!--解説記事に、ふさわしい画像を -->
 
<gallery mode="packed" style="font-size:85%">
 
ファイル:Fujisan from kenashiyama 01 1994 11 27.jpg|西の[[毛無山 (山梨県・静岡県)|毛無山]]より、手前は[[朝霧高原]]
 
ファイル:Sattatouge mtfuji.jpg|南東の[[薩埵峠]]([[静岡市]])より[[駿河湾]]越し
 
ファイル:Mount Fuji from Mount Aino.jpg|北西の[[南アルプス]][[間ノ岳]]山頂部より
 
ファイル:Mt. Fuji from Hiroyama Park (Zushi).jpg|thumb|東方、[[三浦半島]]から、江の島と相模湾と富士山
 
ファイル:Mt fuji and mt ashitaka.jpg|南から。手前は[[愛鷹山]]
 
ファイル:MtFujiFromAircraft.jpg|北からの朝焼け
 
ファイル:20091228富士山.jpg|[[駿河湾]]南西より<!--三峰型富士と同じ構図の実写富士三保半島、三保の松原、富士川、富士山などの構図位置が一致する-->
 
ファイル:Skyscrapers of Shinjuku 2009 January (revised).jpg|東北東の[[東京都]]心より
 
ファイル:Mt fuji(R469 Yuno).jpg|南西から[[剣ヶ峰]]を中央に望む<ref group="注釈">富士宮市柚野(ゆの)地区より。</ref>
 
</gallery>
 
* [[:Category:富士山の画像]]
 
* [[commons:category:Mount Fuji|Commonsにアップロードされている富士山の画像]]
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group=注釈}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
{{Refbegin|2}}
 
* [[富士学会]]:監修『富士山の大図鑑』([[PHP研究所]] 2013年 ISBN 978-4-569-78333-8)
 
* [[富士学会]]:企画『富士山を知る事典』([[日外アソシーエーツ]] 2012年 ISBN 978-4-8169-2166-7)
 
* 上垣外憲一『富士山 - 聖と美の山』([[中央公論新社]] 2009年)
 
* 神崎宣武『江戸の旅文化』([[岩波新書]] 2004年 ISBN 4004308844)
 
* 山梨県立文学館『富士百景 その文学と美』([[山梨県立文学館]] 2001年)
 
*{{Cite book|和書|author=高埜利彦|title=近世の朝廷と宗教 |publisher=吉川弘文館 |date=2014 |isbn=978-4-642-03461-6 |ref=harv}}
 
*{{Cite journal|和書|author=髙橋修 |title=近世甲斐国絵図論序説-山梨県立博物館所蔵甲斐甲斐国絵図との対話- |journal=山梨県立博物館研究紀要 |volume2第2集 |date=2008 |pages=92-63,図巻頭1p |publisher=山梨県立博物館 |naid=40016760931 |ref=harv }}
 
{{Refend}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{colbegin}}
 
{{no col break|
 
; 自然
 
* [[日本百名山]] - [[新日本百名山]] - [[山梨百名山]] - 静岡百山
 
* [[山の一覧]] - [[日本の山一覧 (高さ順)]]・第1位 - [[日本の山一覧 (3000m峰)]]
 
* [[各都道府県の最高峰]](静岡県、山梨県)
 
* [[日本の特別名勝一覧]]
 
* [[郷土富士]]
 
* [[富士箱根伊豆国立公園]]
 
* [[富士川]]、[[芝川 (静岡県)|芝川]]、[[潤井川]]、[[相模川]]
 
* [[朝霧高原]]、[[青木ヶ原]](樹海)
 
* [[富士五湖]]
 
** [[本栖湖]]- [[精進湖]] - [[西湖 (富士五湖)|西湖]] - [[河口湖]] - [[山中湖]]
 
* 富士八海
 
** [[泉水湖]] - 山中湖 - [[明見湖]] - 河口湖 - 西湖 - 精進湖 - 本栖湖 - [[志比礼湖]]
 
* [[日本の地質百選]]
 
}}
 
{{no col break|
 
; 文化・行事関連
 
* [[富士登山]]
 
* [[富士五山]]
 
* [[富士山の噴火史]]
 
* [[古富士泥流]]
 
* [[富士登山駅伝]]
 
* [[富士講]]
 
* [[富士塚]]
 
* [[葛飾北斎と甲斐国]]
 
* [[能の演目(脇能物の異神物)|富士山 (能)]]
 
}}
 
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; 建造物・施設関連
 
* [[富士山本宮浅間大社]]
 
* [[浅間神社]]
 
* [[富士山レーダー]]
 
* [[富士山有料道路]](富士スバルライン)
 
* [[表富士周遊道路]](富士山スカイライン)
 
* [[富士山における鉄道構想]]
 
* [[山梨県立富士ビジターセンター]]・[[山梨県富士山世界遺産センター]]
 
; その他
 
* [[富士山大規模落石事故]]
 
}}
 
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== 外部リンク ==
 
{{Multimedia|富士山の画像}}
 
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|q=富士
 
|commonscat=Mount Fuji
 
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|voy=Mount Fuji
 
|d=Q39231
 
}}
 
* [http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/314_Fujisan/314_index.html 富士山] - 気象庁
 
* {{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/55_Fujisan.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 富士山]}} - 気象庁
 
* [http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/fujisan/index.html 世界遺産富士山] - 富士宮市
 
* [http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/bosai/bosai-top.html 富士山と防災] - [[国土交通省]]富士砂防事務所
 
* [http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/sbosai/fuji/wakaru/index.html 富士山を知ろう!] - [[静岡大学]]防災総合センター
 
* [http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/fujid/0index.html 富士山歴史噴火総解説] - 静岡大学小山研究室
 
* [http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/contents/library/fujisan_dl_top.html 富士山関係資料デジタルライブラリー] - 静岡県立中央図書館
 
* [http://volcano.si.edu/volcano.cfm?vn=283030 Fujisan] - Smithsonian Institution: Global Volcanism Program{{en icon}}
 
 
 
; 防災関連(ハザードマップ)
 
* [http://www.bousai.go.jp/kazan/fujisan-kyougikai/report/index.html 富士山火山防災協議会] [[内閣府]]
 
* [http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/citizen/llti2b0000001be1.html 富士宮市富士山ハザードマップ]{{リンク切れ|date=2018年6月23日 (土) 22:38 (UTC)}} 富士宮市
 
* [http://www.kazan-g.sakura.ne.jp/J/koukai/04/1.pdf 富士山のハザードマップ] 日本火山学会
 
* [http://www.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=1638 富士山火山防災協議会] 富士吉田市
 
 
 
{{富士山の地理}}
 
{{日本の山一覧 (3000m峰)}}
 
{{日本百名山}}
 
{{山梨百名山}}
 
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{{史跡富士山}}
 
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2018/12/30/ (日) 18:52時点における最新版

河口湖から見た富士山.山梨県富士河口湖町

富士山(ふじさん、英語: Mount Fuji

山梨県静岡県にまたがる典型的な成層火山活火山で,常時観測火山。日本の最高峰で標高 3776m。富士箱根伊豆国立公園の中心で特別名勝。現在の山体の基盤には小御岳火山と古富士火山があり,南部に富士山より開析の進んだ愛鷹山がある。山頂には直径約 700m,深さ 200mの火口がある。山麓には寄生火山富士五湖溶岩流,風穴,氷穴,白糸の滝など火山活動に起因する地形が多い。有史以来も噴火の回数は多く,貞観6(864)年の活動では寄生火山の一つ長尾山(1424m)から大量の溶岩を流出。青木ヶ原の一部,本栖湖精進湖西湖を形成。最後の活動は宝永4(1707)年南東側の中腹での噴火で,この際に宝永山(2702m)の火口が形成された(宝永富士山噴火)。以後,火山性活動はほとんど認められないが,東京大学地震研究所と防災科学技術研究所が観測を続けている。山頂に浅間神社奥宮がある。山岳信仰の対象としての富士登山は平安時代に始まり,江戸時代には富士講が普及して山麓には宿坊が発達した。日本を代表する国立公園の一つとして世界にも知られ,交通の便や宿泊,レクリエーション施設は完備している。登山口としては須走口,吉田口などがあるが,1964年河口湖から 5合目(小御岳)まで富士スバルラインが開通,続いて 1970年に御殿場,富士宮から富士スカイラインを経て新5合目までの表富士周遊道路が開通。富士山と周辺の湖,神社などは,2013年「富士山:信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産の文化遺産に登録された。



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