ランス (マルヌ県)
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Reims | |
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人口動態 | |
人口 |
181,648人 (2008年) |
人口密度 | 3859人/km2 |
住民の呼称 | Rémois |
地理 | |
座標 | 東経4度02分05秒北緯49.26278度 東経4.03472度 |
標高 |
平均:?m 最低:80m 最高:135 m |
面積 | 46,9km2 (4 690ha) |
ランス(Reims [ʁɛ̃s])はフランス北部グラン・テスト地域圏マルヌ県の郡及び市。人口約20万。かつてフランス国王の聖別戴冠式が行われたノートルダム大聖堂が所在する。「戴冠の都市(la cité des sacres)」または「王たちの都市(la cité des rois)」とも呼ばれる。シャンパン醸造の一大中心地。
歴史
ローマ支配以前のガリアでは、この地にはガリア人のレミ族(Remi、仏語:Rèmes)の中心的城市であるドゥロコルトルム(Durocortorum)があった。現在でもラテン語ではランスをドゥロコルトルムと呼ぶ。また現名のランス(Reims)は、レミ族(複数形Remis)の名が訛ったものと考えられている。
ローマ時代に遡る古い町で、3,4世紀の遺構であるマルス門(凱旋門)も残る。498年メロヴィング朝フランク王国のクロヴィス1世がこの地で聖別戴冠式を挙行した故事により、フランス王家の聖なる都市とされ、歴代国王の戴冠式が行われてきた。ノートルダム大聖堂は12世紀の建立である。1619年にはジャン=バティスト・コルベールがこの町で生まれている。町は第一次世界大戦で戦場となり、破壊されたことがある。1945年5月7日にドイツ代表ヨードル将軍が、連合国軍への降伏文書に署名を行った。1962年シャルル・ド・ゴールフランス大統領とコンラート・アデナウアー西ドイツ首相(いずれも当時)がこの地で会見し、歴史的な独仏和解が行われた。
史跡・名勝
- 以上の3ヶ所は「ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿」として、世界遺産リストに登録されている。
- マルス門
- ランス美術館
- シャンパン・カーヴ/メゾン[1] - サン=ニケーズ周辺のメゾンや、ランス地下に広がるカーヴには、世界遺産「シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ」に含まれるものがある。
- フジタ礼拝堂 - シャンパン醸造業のマム社メゾン敷地内[2]
教育
交通
- 電車
- パリから急行で1時間40分。平日で1日に10本ほどの便があるが、どこに行くにもパリを経由しなければならず、かなり不便である。2007年6月にはLGV東ヨーロッパ線が開通しパリまでの所要時間が約45分に短縮された。また市の南約5kmにシャンパーニュ=アルデンヌ-TGV駅が開業した。
- 道路 (ヨーロッパの主要な高速道路網の交差点となっている)
- パリ-ストラスブール高速道路(A4)
- アルデンヌ-ベルギー高速道路
- カレ-ディジョン-リオン高速道路
- 市内交通
- 市内の交通は現在は市バスのみ。路線数は24。2011年には路面電車が開通した。
関係者
ランス出身の人物
"「Category:マルヌ県ランス出身の人物」"
- ロベール・ピレス - サッカー選手
- ジャン・ボードリヤール - 思想家
- ロジェ・カイヨワ - 社会学者
- モーリス・アルブヴァクス - 社会学者
- アンリ・マルトー - ヴァイオリニスト
- ニコラ・ド・グリニー - 作曲家
- ジャン=バティスト・コルベール - 政治家
- ジャン・ダヴィッド・モルヴァン - 漫画原作者
居住その他ゆかりある人物
- ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト - フランス革命期の革命家。ランス大学に通った。
姉妹都市
- アーヘン、ドイツ
- カンタベリー、イギリス
- ザルツブルク、オーストリア
- フィレンツェ、イタリア
- アーリントン、ヴァージニア州、アメリカ合衆国
- [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Congo|border|25x20px|テンプレート:Country alias Congoの旗]] ブラザビル、コンゴ共和国
- クトナー・ホラ、チェコ
- 名古屋、愛知県、日本
関連項目
脚注
- ↑ Champagne:Visits of the cellars in Reims
- ↑ 晩年の藤田嗣治を追い、ランスへ - [フランス]All About
外部リンク
- 公式
- ランス公式サイト (フランス語)(英語)
- 観光
- ランス観光局 (フランス語)(英語)
- フランス観光開発機構 - ランス (日本語)
典拠レコード: