細川興栄
提供: miniwiki
細川 興栄 | |
---|---|
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
生誕 | 万治元年(1658年) |
死没 | 元文2年7月19日(1737年8月15日) |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 常陸谷田部藩主 |
氏族 | 細川氏 |
細川 興栄(ほそかわ おきなが)は、常陸谷田部藩の第4代藩主。
万治元年(1658年)、第3代藩主・細川興隆の長男として生まれる。元禄2年(1689年)閏1月14日、父の隠居により家督を継ぐ。宝永6年(1709年)3月、従五位下・長門守に叙位・任官する。
短慮な上に粗暴で、殺生を好んだとされており、藩政では重税を強いて領民を苦しめ、家臣に対しても些細なことで厳罰に処するなど、悪政を行なったといわれる。享保13年(1728年)11月23日、家督を婿養子の細川興誠の長男・興虎に譲って隠居し、軸雲と号した。元文2年(1737年)7月19日に死去した。享年80。