能勢電鉄妙見の森ケーブル
停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
妙見の森ケーブル(みょうけんのもりケーブル)は、兵庫県川西市の黒川駅からケーブル山上駅に至る能勢電鉄が運営するケーブルカーである。2013年3月16日に妙見ケーブルから改称した[1]。なお、正式名称は鋼索線であるが、国土交通省監修の『鉄道要覧』に路線名称は記載されていない。
能勢妙見堂のある妙見山への足である。山上へはさらにケーブル山上駅から5分ほど歩いたふれあい広場駅から出ている妙見の森リフトに乗り継ぐ。
1067mm軌間の多い日本のケーブルカーとしては珍しく標準軌を採用している[2]。車両は、1号車に「ほほえみ」、2号車に「ときめき」という愛称がついている。車両はナニワ工機製(アルナ工機を経て現在はアルナ車両)で、1960年の再開業時の車両である。
路線データ
- Myoken Cable 1 Hohoemi 201708.jpg
1号車「ほほえみ」(2017年8月)
- Kurokawa Station of Myoken Cable.jpg
2号車「ときめき」(2017年8月)
運行形態
通常は20分間隔、多客期は10分間隔の運行である。所要時間は5分。2006年12月から冬期は年始と能勢妙見堂の行事がある2月11日の祝日および「のせでんハイキング」の日を除き、週末も含めて運休するようになった。
歴史
1919年、東谷村、多田村、川西村(いずれも現在の川西市)の有志8名が妙見山の麓から山上までを結ぶ妙見鋼索鉄道を申請したが、能勢電気軌道(現在の能勢電鉄)も同様の計画を持っていたので、交渉の結果、能勢電軌が妙見鋼索鉄道の資本金の半分を出資することになった。1922年に鋼索線の免許状が下付され、1924年に鋼索線と能勢電軌妙見駅(妙見口駅)を連絡すべく電気鉄道線(軌間1435mm、距離1哩24鎖、建設費15万円)の免許を得た(1937年免許失効)[3]。1925年になり完成した鋼索線(ケーブルカー)は滝谷 - 中間間の下部線と中間 - 妙見山間の上部線からなり、年間約37万人の乗客を運んだが、戦時中に不要不急線として全線の撤去という憂き目に遭うことになる。ちなみに、このとき撤去された上部線の機材は、戦後1956年に開通した伊豆箱根鉄道の十国鋼索線に転用され、現在も1925年の製造当時のまま使用されている。
戦後、妙見線の乗客誘致策の一環として能勢電気軌道により下部線が復活され、現在の妙見の森ケーブルとなる(上部線は妙見の森リフトに代替)。しかし、阪急池田駅から山頂に直通する路線バスの存在や、能勢妙見堂への参拝客自体の減少により、妙見の森ケーブル・リフトの乗客は戦前の1/2 - 1/3程度に留まった。
- 1922年(大正11年)
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)
- 1937年(昭和12年)2月5日 - 鉄道免許失効(大阪府豊能郡吉川村-兵庫県川辺郡東谷村間、指定の期限まで工事施工の認可申請を為さざるため)[11]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 妙見鋼索鉄道 下部線・上部線を不要不急線として廃止。資材は供出[12]。
- 1945年(昭和20年)4月1日 - 妙見鋼索鉄道株式会社が解散[12]。
- 1949年(昭和24年) - ケーブルカー再建のため能勢妙見鋼索鉄道株式会社設立[13]。
- 1950年(昭和25年)5月18日 - 能勢妙見鋼索鉄道が下部線・上部線の敷設免許取得[14][15][13]。
- 1952年(昭和27年)4月 - 能勢妙見鋼索鉄道が下部線・上部線の敷設免許を能勢電気軌道(現在の能勢電鉄)に譲渡[15][13]。
- 1959年(昭和34年)6月16日 - 上部線の敷設免許失効[15]。リフトに変更するため。
- 1960年(昭和35年)4月22日 - 能勢電気軌道が黒川 - 山上間を再開業[14][13]。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 山上駅をケーブル山上駅に改称[16]。
- 2013年(平成25年)3月16日 - 「妙見ケーブル」から「妙見の森ケーブル」に改称[1]。
駅一覧
黒川駅が麓側、ケーブル山上駅が名前の通り山上側に位置する。戦前の下部線の撤去前には、黒川駅を滝谷駅、ケーブル山上駅を中間駅と称し、中間駅が下部線と上部線との乗り換え駅となっていた。かつての妙見山駅の位置には、同じ名前で妙見の森リフトの乗り場が設置されている。
- 鋼索線(旧下部線)
- 黒川駅 - ケーブル山上駅
- 上部線(廃止)
- 中間駅 - 妙見山駅
- Myoken Cable Kurokawa Station 201708.jpg
黒川駅
- Cable Sanjo Station of Myoken Cable.jpg
ケーブル山上駅
接続路線
輸送・収支実績
年度 | 旅客輸送人員(千人) | 一日1km平均通過人員(人) | 鉄道業営業収入(千円) | 鉄道業営業費(千円) |
---|---|---|---|---|
1979 | 148 | |||
1982 | 145 | 417 | ||
1983 | ||||
1984 | 131 | 381 | ||
1985 | ||||
1986 | 120 | 347 | ||
1987 | 110 | 318 | ||
1988 | 105 | 306 | ||
1989 | 115 | 333 | 22,432 | 95,196 |
1990 | 108 | 312 | 20,962 | 105,811 |
1991 | 117 | 343 | 22,956 | 118,801 |
1992 | 120 | 354 | 24,682 | 98,753 |
1993 | 136 | 393 | 28,318 | 109,800 |
1994 | 147 | 440 | 30,939 | 134,099 |
1995 | 131 | 373 | 33,524 | 97,494 |
1996 | 134 | 389 | 34,193 | 124,696 |
1997 | 129 | 374 | 32,698 | 111,811 |
1998 | 131 | 383 | 33,133 | 108,586 |
1999 | 129 | 449 | 32,735 | 68,332 |
2000 | 108 | 376 | 27,946 | 60,560 |
2001 | 131 | 458 | 34,445 | 63,814 |
2002 | 120 | 451 | 31,617 | 68,786 |
2003 | 102 | 364 | 26,970 | 55,352 |
2004 | 98 | 345 |
- 民鉄主要統計『年鑑世界の鉄道』1983年、朝日新聞社、『年鑑日本の鉄道』1985、1987、1989-2007年、鉄道ジャーナル社
年度 | 輸送人員(人) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1925 | 273,375 | 60,976 | 40,066 | 20,910 | 他事業649 | 償却金2,226 | 12,620 |
1926 | 391,803 | 88,015 | 49,810 | 38,205 | 土地建物賃貸業1,033 | 15,826 | |
1927 | 355,030 | 80,776 | 44,746 | 36,030 | 15,249 | ||
1928 | 318,501 | 89,956 | 49,863 | 40,093 | 土地業46償却金1,000 | 14,796 | |
1929 | 280,116 | 79,772 | 44,272 | 35,500 | 土地建物2,625 償却金500 |
9,950 | |
1930 | 251,728 | 70,113 | 42,329 | 27,784 | 土地建物業其他3,757 | 9,084 | |
1931 | 215,344 | 61,941 | 35,769 | 26,172 | 土地建物業2,137 雑損1,907 |
8,804 | |
1932 | 198,515 | 56,993 | 34,494 | 22,499 | 土地業6,084 償却金6,800 |
5,857 | |
1933 | 204,911 | 56,377 | 34,239 | 22,138 | 土地建物12,047 | 5,024 | |
1934 | 223,098 | 60,347 | 33,467 | 26,880 | 土地建物業4,746 償却金8,000 |
2,660 | |
1935 | 220,828 | 61,962 | 34,470 | 27,492 | 土地建物業112 | 償却金4,000 | 6,250 |
1936 | 236,450 | 66,817 | 38,639 | 28,178 | 土地建物業720 | 償却金2,000 | 5,358 |
1937 | 217,307 | 61,278 | 37,389 | 23,889 | 土地建物業其の他888 | 雑損4,150 | 5,378 |
1939 | 305,703 | ||||||
1941 | 377,335 | ||||||
1943 | 351,256 |
- 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版より
脚注
- ↑ 1.0 1.1 妙見山の各施設が生まれ変わります! (PDF) - 能勢電鉄ニュースリリース、2013年2月28日
- ↑ 2015年現在、旧・上部線の機材を転用して開業した伊豆箱根鉄道十国鋼索線が他の例として現存するのみである。
- ↑ 計画線の大部分は山間地であり建設には比較的多額の工費を要し、開業の初期においては収支相償し難きと申請書に記載されている「吉川村東谷村間延長線敷設免許ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・妙見鋼索鉄道・巻一・大正十一年~大正十五年』
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年2月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第42回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 川西市史編集専門委員会『川西市史』第三巻、兵庫県川西市、1980年、p.283
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年7月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ No.11「黒川妙見山間工事竣功期限延期ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・妙見鋼索鉄道・巻一・大正十一年~大正十五年』
- ↑ No.12「黒川妙見山間工事竣功期限延期ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・妙見鋼索鉄道・巻一・大正十一年~大正十五年』
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年8月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道免許失効」『官報』1937年2月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 12.0 12.1 川西市史編集専門委員会『川西市史』第三巻、兵庫県川西市、1980年、p.386
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 川西市史編集専門委員会『川西市史』第三巻、兵庫県川西市、1980年、p.568
- ↑ 14.0 14.1 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成十八年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.189
- ↑ 15.0 15.1 15.2 森口誠之『鉄道未成線を歩く〈私鉄編〉』、JTB、2001年、p.178
- ↑ 川西市史編集専門委員会『川西市史』第三巻、兵庫県川西市、1980年、p.571
参考文献
- 川西市史編集専門委員会『川西市史』第三巻、兵庫県川西市、1980年、pp.283,386, 568-569, 571
- 『能勢電鉄80年史』 能勢電鉄株式会社、1991年、p54, 55, 84
- 森口誠之『鉄道未成線を歩く〈私鉄編〉』JTB、2001年、p.178
- 『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・妙見鋼索鉄道・巻一・大正十一年~大正十五年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
関連項目
外部リンク
- 妙見の森ケーブル|路線図・駅情報 - 能勢電鉄