伯方塩業
伯方塩業株式会社(はかたえんぎょう、英語:Hakata Salt Co., Ltd.)は、「伯方の塩」(はかたのしお)を製造・販売している、愛媛県松山市に本社を置く企業である。
概要
1971年(昭和46年)4月16日に塩業近代化臨時措置法が成立[1]。従来の製塩法であった流下式塩田製塩は全廃され、翌1972年(昭和47年)からは日本国内では全面的にイオン交換膜による工業的な製塩に切り替えられることになった[1]。
こうした化学的な製塩法への切り替えに疑問を持つ人々が集まり、伯方島にあった流化式塩田の存続を目指す運動が行われ、約5万人の署名を集めて国会や関係省庁などに陳情活動などを展開した[2]。
そうした運動を受けて、1973年(昭和48年)6月に日本専売公社から自由販売塩としての製造・販売が認められることになり[2]、同年8月13日に創業した[3]。
伯方の塩はメキシコ産またはオーストラリア産の輸入した天日塩田塩を、瀬戸内海の海水で溶かした後再結晶化して生成する方法を採用し、瀬戸内海のにがり成分を含む塩に仕上げている[4]。
2010年(平成22年)に、大三島工場の隣接地に流下式枝条架併用塩田を復活させた[5]。従業員が塩田による製塩を体験して技術を伝承し、そのよさを製品に生かしていくことが目的であるとしている。これを生かして2016年(平成28年)4月に「されど塩 藻塩」を発売。塩田で瀬戸内海の海水を濃縮した鹹水にホンダワラを浸し、釜で煮詰めて製造している[6]。
年表
- 1973年(昭和48年)8月13日 - 創業[3]。
- 1996年(平成8年)12月17日 - 明浜工場完成[7]。
- 2000年(平成12年)5月 - 大三島工場完成[8]。
- 2013年(平成25年)1月7日 - 松山市大手町に本社を移転[9]。
- 2019年3月 - 大三島工場敷地内に第二工場を稼働させ、明浜工場を閉鎖予定[10]。
事業所
- 松山本社 - 愛媛県松山市大手町2-3-4
- 伯方本社・伯方工場 - 愛媛県今治市伯方町
- 明浜工場 - 愛媛県西予市明浜町。1996年(平成8年)12月17日完成[7]、2019年3月閉鎖予定。
- 大三島工場 - 愛媛県今治市大三島町。2000年(平成12年)5月完成[8]。
CMとそのパロディ
CMソングとして「は!か!た!の、塩!」のフレーズが親しまれている。 歌を担当しているのは演歌歌手の高城靖雄で、彼の持ち歌である「男龍」(作詞:荒木とよひさ、作曲:岡千秋。1997年9月18日に高城のシングル「倖せまわり道」のカップリングとして発売され、後にシングルタイトル曲としても発売されている[11])の一節の歌詞を替えたものであり、またこのCMソングの替え歌がなだぎ武など多数の芸人にギャグとして用いられている[12]。
CMには過去に神田川俊郎が出演していた。
ラジオCMでは氷川きよし節のカウキャッチャー(放送しない時期もあり)にて放送。
関連項目
脚注
- ↑ 1.0 1.1 “伯方塩業、「伯方の塩(粗塩)」を30周年で限定増量”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年5月9日)
- ↑ 2.0 2.1 “第6回ファベックス2003:伯方塩業、消費者運動から生まれた自然塩”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年2月5日)
- ↑ 3.0 3.1 “伯方塩業=20%増量商品を販売 40周年キャンペも実施”. 生協流通新聞 (アド・バンクセンター). (2013年4月20日)
- ↑ “塩特集:主要メーカー動向=伯方塩業”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年8月8日)
- ↑ http://www.hakatanoshio.co.jp/shintyaku/detail.php?rec=102
- ↑ “自然豊かな瀬戸内海の原料100%「されど塩 藻塩」発売”. 伯方塩業ホームページ. (2016年4月12日)
- ↑ 7.0 7.1 “伯方塩業、明浜工場が竣工・披露”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年12月27日)
- ↑ 8.0 8.1 “伯方塩業「大三島工場」完成”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年5月24日)
- ↑ “伯方塩業=本社・社屋 完成で移転”. 生協流通新聞 (アド・バンクセンター). (2013年1月5日)
- ↑ “生産体制再編19年3月めど 伯方塩業が明浜工場閉鎖へ、大三島を増設”. 愛媛新聞. (2017年2月5日)
- ↑ ディスコグラフィー、高城靖雄公式サイト。(2015/2/26閲覧)
- ↑ CM『伯方の塩』の元歌は演歌だった。本人が『いいとも』で生歌披露。