田内千鶴子
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田内 千鶴子(たうち ちづこ、1912年(大正元年)10月31日[1] - 1968年(昭和43年)10月31日)は、韓国で孤児救済のために生涯をかけたクリスチャン。「木浦の母」「韓国孤児の母」と呼ばれる。
生涯
高知県高知市若松で生まれる[1]。1938年、日本統治時代の朝鮮の全羅南道木浦市で尹致浩と結婚する(以降は尹鶴子(ユン・ハクチャ)と名乗った[2])。夫と共に、孤児救済のために共生園で働く。朝鮮戦争で夫が行方不明になった後も孤児救済のために尽くし、3000人の孤児を守り育てた。1965年韓国文化勲章国民賞を受賞する。1968年に木浦市で死去した。木浦市では市民葬を行い、3万人が出席した。現在共生園は長男の田内基が園長をしている。
田内の生涯は『愛の黙示録』という題名で、日韓合作で映画化された。2012年には、生誕100周年の記念行事が田内の故郷・高知市で開催された[1]。
2015年3月には日韓国交正常化50周年を記念してサントリーホール大ホールにて白建宇のピアノリサイタルが行われた。リサイタルには田内の息子も参加した。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “〝木浦の母〟の精神永遠に 田内さん生誕100年行事開幕”. 高知新聞 (2012年11月9日). 2012年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012閲覧.
- ↑ “「悪巧みする連中は撲滅を」 安倍首相特使の発言が物議”. 朝鮮日報. (2017年6月11日) . 2017閲覧.
参考文献
- 『クリスチャン情報ブック2006』 クリスチャン新聞・編、いのちのことば社ジャーナル出版事業部、2005-09。ISBN 978-4-264-02411-8。
外部リンク
典拠レコード: