ジョニー・ハイケンス
提供: miniwiki
2018/2/23/ (金) 19:15時点におけるja>Vysotskyによる版 (+ image)
ジョニー・ハイケンス(Jonny [Wim] Heykens, 1884年9月24日 フローニンゲン - 1945年6月28日 ヒルフェルスム)は、オランダの作曲家。
解説
ベルギーに留学し、ブリュッセル音楽院でウジェーヌ・イザイにヴァイオリンを学ぶ。その後、自ら楽団を設立し、指揮者としてヨーロッパ中で活躍した。
ハイケンスは第二次世界大戦の終結後までドイツで演奏家として活躍していたが、戦争末期にオランダに帰国後、連合軍にナチス・ドイツに対する協力的な姿勢を問われて収監され、獄中死している。
ハイケンスはナチスの忠実な支持者であった。新聞紙上などでアドルフ・ヒトラーを賞賛し、ユダヤ人や黒人に対する人種差別的な見解を表明していた。彼は、ヒルフェルスムの監獄に収監され、間もなくして死去した。以降、オランダにおいて、彼の名は重要な音楽家とは見なされることなく、忘れ去られた[1][2][3]。
作品
「ハイケンスのセレナーデ」(Ständchen, Op.21-1)の作曲者として知られる。ハイケンスはこの他にも多くの楽曲を作曲したが、戦争などでほとんどの作品は消失し、現在では「ハイケンスのセレナーデ」以外は全くと言ってよいほど知られていない。
日本において、この曲は1943年に日本放送協会のラジオ番組「前線へ送る夕(ぜんせんへおくるゆうべ)」のテーマ曲として採用されたことで一般に知られるようになり、戦後は旧日本国有鉄道(国鉄)の客車の車内放送用チャイムに第一主題の旋律の末尾部分が採用された。現在でもJR各社の客車やその譲渡車、JR北海道の特急列車、高速乗合バスJAMJAMライナーの新日本観光自動車運行便などに搭載・使用されている。