ヘンリー・マシューズ (初代ランダッフ子爵)
初代ランダッフ子爵ヘンリー・マシューズ[1](英: Henry Matthews, 1st Viscount Llandaff, PC, QC, 1826年1月13日 - 1913年4月3日)は、イギリスの政治家、貴族。
保守党所属の政治家であり、第2次ソールズベリー侯爵内閣において内務大臣(在職1886年 - 1892年)を務めた。1895年にランダッフ子爵に叙せられるが、子供がなかったため、爵位を継承させられなかった。
経歴
1826年1月13日にイギリス領セイロン(現スリランカ)の陪審判事ヘンリー・マシューズとその妻エマの長男としてセイロン島で生まれる[2][3]。
1844年にパリ大学を卒業し、ついで1849年にロンドン大学を卒業した。1850年にはリンカーン法曹院で学び、法廷弁護士資格を取得[2]。1864年から1869年にかけては紋章院総裁の秘書官を務める[2]。1868年には勅選弁護士となる[2]。
1868年から1874年にかけてダンガーバン選挙区から選出されて保守党所属の庶民院議員を務める[2]。1886年から1895年にかけては東バーミンガム選挙区から選出されて庶民院議員を務める[2]。
1886年8月から1892年8月にかけて第2次ソールズベリー侯爵内閣の内務大臣を務める[4]。就任早々マシューズは警察の信頼回復のための人心一新を企図して陸軍少将サー・チャールズ・ウォーレンを首都警察警視総監に据えた。しかしウォーレンは1887年にハイド・パークで起こった失業者による「仕事かパン」デモを近衛連隊を動員して弾圧したため、民心はますます警察から遠いた[5]。
1888年に発生した切り裂きジャック事件をめぐっては警視総監ウォーレンと副警視総監・犯罪捜査部長ジェームズ・モンローの対立が深まったため、マシューズは11月にもウォーレンの辞表を受理してモンローを後任の警視総監としている[6]。また同月「共犯者ないし実行犯以外の者で、犯人につながる情報、証拠をもたらした従犯者は、女王陛下の御慈悲により内務大臣は特赦することを認める」とする特赦状を発したが、結局犯人は見つからなかった[6]。
内務大臣退任後の1895年8月5日に連合王国貴族爵位「ヘレフォード・カウンティにおけるヘレフォードのランダッフ子爵(Viscount Llandaff of Hereford in the County of Hereford)」に叙せられ[2][7]、貴族院議員に列する[8]。
1913年4月3日に死去。子供はなく、彼の死とともにランダフ子爵位は消滅した[2]。
栄典
爵位
その他
脚注
注釈
出典
- ↑ ワイントラウブ(1993)下 p.309-310
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 Lundy, Darryl. “Henry Matthews, 1st and lst Viscount Llandaff” (英語). thepeerage.com. . 2014閲覧.
- ↑ Lundy, Darryl. “Henry Matthews” (英語). thepeerage.com. . 2014閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「秦(2001)509
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ ウィルソン(1990) p.74-75
- ↑ 6.0 6.1 ウィルソン(1990) p.86
- ↑ 7.0 7.1 The London Gazette: no. 26650. p. 4431. 1895年8月6日。
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「HANSARD
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ The London Gazette: no. 25614. p. 3779. 1886年8月6日。
参考文献
- コリン・ウィルソン, ロビン・オーデル 『切り裂きジャック 世紀末ロンドンの殺人鬼は誰だったのか?』 仁賀克雄訳、徳間書店、1990年。ISBN 978-4193542233。
- スタンリー・ワイントラウブ 『ヴィクトリア女王〈下〉』 平岡緑訳、中央公論新社、2007年。ISBN 978-4120022432。
- 『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』 秦郁彦編、東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。
外部リンク
公職 | ||
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先代: ヒュー・チルダース |
内務大臣 1886年 - 1892年 |
次代: ハーバート・ヘンリー・アスキス |
無効なパラメータ | ||
先代: チャールズ・ロバート・バリー |
ダンガーバン選挙区選出庶民院議員 1868年 - 1874年 |
次代: ジョン・オキーフ |
先代: ウィリアム・トマス・グスターヴ・クック |
東バーミンガム選挙区選出庶民院議員 1886年 - 1895年 |
次代: サー・ジョン・ベンジャミン・ストーン |
イギリスの爵位 | ||
新設 | 初代ランダッフ子爵 1895年 - 1913年 |
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