マックス・ビアッジ
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マックス・ビアッジ[1] ( Massimiliano "Max" Biaggi, 1971年6月26日 - ) は、イタリア・ローマ出身[2][3]の元オートバイレーサー。
ロードレース世界選手権250ccクラスではテンプレート:MGPからテンプレート:MGPまで4年連続でチャンピオンを獲得、最高峰500ccクラス・MotoGPクラスでは年間ランキング2位を3度記録した。テンプレート:SBKからはスーパーバイク世界選手権に活動の場を移し、テンプレート:SBKには同選手権でイタリア人初となるチャンピオンに輝く[4]。 2012年には同選手権で2度目の世界チャンピオンを獲得し、その後に引退を表明した。
ニックネームは「イル・コルサーロ(海賊)」、「ローマ皇帝」など。
Contents
経歴
125cc
ビアッジは子供のころサッカーのほうに興味を持っており、ASローマでプレイすることを夢見ていた[5]。しかし1989年、17歳の誕生日プレゼントにオートバイを与えられるとレース参戦を始め、翌1990年には125ccのイタリアスポーツプロダクション選手権のチャンピオンとなった。
250cc
テンプレート:MGP、ビアッジは250ccクラスにステップアップしてアプリリア・RSV250を駆り、ヨーロッパ選手権のチャンピオンとなった。またシーズン後半にはロードレース世界選手権250ccクラスに4戦スポット参戦し、2レースで入賞してシリーズランキング27位を記録した。
翌テンプレート:MGPシーズンには、テルコール・バレージ・アプリリアチームからピエールフランチェスコ・キリのチームメイトとしてロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦デビューを果たした。最終戦南アフリカGPで初優勝を果たし、シリーズ5位を記録した。
テンプレート:MGPにはアーヴ・カネモト率いるロスマンズ・カネモト・ホンダチームに移籍し、青木宣篤のチームメイトとしてホンダ・NSR250を駆った。ビアッジは第8戦ヨーロッパGPで1勝を挙げ、シリーズ4位に成績を伸ばした。
テンプレート:MGPより、ビアッジはアプリリアのワークス・チームであるチェスターフィールド・アプリリアチームに移籍。原田哲也、岡田忠之、ロリス・カピロッシ、ラルフ・ウォルドマンらライバルに競り勝ち、テンプレート:MGPまでの3年連続でチャンピオンに輝いた。
テンプレート:MGPはカネモト・ホンダチームに復帰。この年もビアッジはウォルドマン・原田との激しいチャンピオン争いを制しクラス4連覇を達成、アプリリアだけではなくホンダでもその強さを見せつけた。
500cc
そしてテンプレート:MGP、マールボロ・カネモト・ホンダチームからNSR500を駆って最高峰500ccクラスにデビューを果たしたビアッジは、開幕戦日本GPでいきなりポール・トゥ・ウィンを遂げた。同クラスデビューウィンはテンプレート:MGPのヤーノ・サーリネン以来の快挙となった。その後第10戦チェコGPで2勝目を挙げ、年間ランキングではこの年5連覇を達成したミック・ドゥーハンに次ぐ2位でルーキーイヤーを終えた。
テンプレート:MGPからはヤマハ・ワークスに移籍、YZR500にマシンを乗り換えた。1999年は年間1勝でシリーズ4位、テンプレート:MGPは2勝でシリーズ3位を記録した。そして500ccクラスの最終年度となったテンプレート:MGPには3勝を挙げ、ナストロ・アズーロ・ホンダチームのバレンティーノ・ロッシに次ぐシリーズ2位となった。
MotoGP
テンプレート:MGP、最高峰クラスは4ストローク990ccマシン主体のMotoGPクラスに改編となった。ビアッジは新たに開発されたYZR-M1を駆り、第10戦チェコGP、第14戦マレーシアGPとシーズン2勝、2年連続でロッシに次ぐシリーズ2位を記録した。
4年間在籍したヤマハワークスを去り、テンプレート:MGPにはホンダのサテライトチームであるキャメル・ホンダ・ポンスチームに移籍。ロッシと同じRC211Vを手に入れたビアッジだったが、ロッシとセテ・ジベルナウによるチャンピオン争いには加われず、2勝でシリーズ3位に終わった。
翌テンプレート:MGPはロッシがヤマハに移籍したが、ビアッジは第11戦ポルトガルGP、第12戦日本GPと2戦連続リタイヤを喫したことでチャンピオン争いから脱落し、この年もロッシ、ジベルナウに続くシリーズ3位(シーズン1勝)に終わった。
テンプレート:MGPにはワークスのレプソル・ホンダに移籍、ニッキー・ヘイデンのチームメイトを務めることになった。テクニカルディレクターにはかつての盟友アーヴ・カネモトが就く体制となり、ビアッジは有力なチャンピオン候補に挙げられた。しかし結局この年は1勝も挙げることは叶わず、表彰台もわずか4回の獲得に留まってシリーズランキング5位に沈んだ。
翌テンプレート:MGPシーズンに向けて、ワークスホンダのシートはルーキーのダニ・ペドロサに奪われたため、ビアッジはスポンサーのキャメルを後ろ盾にホンダサテライト、カワサキ、スズキと交渉をおこなった。さらに2006年1月にはミッドランドF1のテスト走行をおこなった[6]が、結局どのチームとも合意には至らず、1年間の休養を選択することとなった。
グランプリにフル参戦した13シーズンで、ビアッジは201戦連続出場を果たした[7]。これはバレンティーノ・ロッシがテンプレート:MGPからテンプレート:MGPにかけて達成した230戦に次ぐ歴代2位の記録である[8]。
スーパーバイク世界選手権
テンプレート:SBKシーズンに向けて、ビアッジはスーパーバイク世界選手権(SBK)におけるスズキのワークス・チームであるコロナ・アルスターと交渉をおこなったが、既にライダーとして決定しているトロイ・コーサー(テンプレート:SBKチャンピオン)、加賀山就臣の2人と同スペックの3台目のマシンを用意することが保証されなかったため、契約は見送られていた。そしてその1年後、ビアッジはコーサーと入れ替わる形でアルスター入りし、GSX-R1000を駆ってテンプレート:SBKシーズンを戦うこととなった。
ビアッジは開幕戦ロサイルのレース1でいきなり勝利を遂げた。SBKデビューウィンは史上5人目、GP500ccクラスとSBKの両方でデビューウィンを果たしたのは史上初のこととなった。その後第9戦ブルノで2勝目、第12戦バレルンガで3勝目を挙げ、ビアッジはジェームス・トスランド(ホンダ)、芳賀紀行(ヤマハ)に次ぐシリーズランキング3位でルーキーイヤーを終えた。
このシーズンの終わり、アルスターはメインスポンサーのコロナを失い、高給のビアッジを手放さざるを得なくなってしまった。テンプレート:SBKシーズン、ビアッジはステリルガルダ・ゴーイレブンチームに移籍し、プライベーター仕様のドゥカティ・1098RSを駆ることとなった[9]。勝利を挙げることは出来なかったものの7度表彰台に立ち、チームメイトのルーベン・チャウスとワークスドゥカティのミッシェル・ファブリツィオを上回る年間ランキング7位を記録した。
テンプレート:SBKは、8年ぶりに選手権に復帰したアプリリア・ワークスに移籍した。これはビアッジにとって250cc時代以来13年ぶりのアプリリア復帰となった。チームメイトはMotoGPから移ってきた中野真矢が務めた。ビアッジは第2戦ロサイルでレース1・2とも表彰台(3位)に立ち、第10戦ブルノではアプリリアにSBK復帰後初優勝をもたらした。この年のシリーズランキングでは4位を記録した。
テンプレート:MGPもチームに残留、ルーキーのレオン・キャミアをチームメイトに、メインスポンサーにアリタリアが就いたニューカラーのRSV4を駆ることとなった。第2戦ポルティマオ、第5戦地元モンツァとレース1・2ダブルウィンを遂げてポイントリーダーのレオン・ハスラムを猛追。3度目のダブルウィンとなった第7戦ソルトレークを終えて、ハスラムを逆転しランキングトップに立った[10]。その後も第8戦ミサノで4度目のダブルウィンを遂げるなどチャンピオンシップをリードし続け、第12戦イモラでタイトルが確定。ビアッジはイタリア人初のスーパーバイク世界チャンピオンに輝いた[11]。またこれはアプリリアにとっても初のSBK制覇となった。
2010年10月、ビアッジはアプリリアと2シーズンの契約更改をおこないスーパーバイク世界選手権に継続参戦[12]し、テンプレート:SBKは途中欠場もありシーズン3位に終わったが、テンプレート:SBKはトム・サイクスと最終戦レース2まで熾烈なポイント争いを繰り広げ、わずか0.5ポイント差で最高齢記録となる2度目のSBK制覇を果たし、その直後に引退を発表した。
人物
気難しい性格の持ち主であるビアッジは報道陣、チームスタッフや他のライダーたちと軋轢を生むことが多く、「ローマ皇帝」、「マッドマックス」等と称される[13][14][15][16]。他ライダーとの関係の中では同国人のバレンティーノ・ロッシとの対立が最も有名であり、2003年公開のMotoGPドキュメンタリー映画「ファスター」でもビアッジ vs ロッシの構図が大きく取り上げられている。
テンプレート:MGP、ビアッジはスーパーモデルのナオミ・キャンベルと付き合っているのではという噂が流れた。これをロッシがからかって、その後のレースで勝利した後に「クラウディア・シファー」と書かれた金髪のダッチワイフを背負ってウィニングランをおこなってみせた[17]。
テンプレート:MGPの開幕戦鈴鹿では、ホームストレートでビアッジがロッシを肘で押し出してコースアウトさせた。その後ロッシはビアッジをオーバーテイクすることに成功し、ビアッジに向けて中指を突き立ててみせた。第3戦ヘレスの決勝後には、ロッシがビアッジの顔を殴る騒動が起きた[18]。この様子は「ファスター」にも音声が収録されている。
2006年1月、ビアッジは上述のとおりミッドランドF1のテストを行ったが、その翌月にはロッシもフェラーリF1のテストを行った。両者ともウェットコンディションの中の走行となったが、ロッシがスピンを喫した一方、ビアッジは問題なくテストをこなした。ビアッジは「今回は自分が勝った」「ロッシにスピンしない方法を教えてやれる」等とプレスに語った[19]。
ビアッジは2002年のミス・イタリアであるエレオノーラ・ペドロンと長年連れ添っており、2009年9月には二人の間に長女が[20]、2010年12月には長男が誕生した[21]。
主なレース戦績
ロードレース世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
テンプレート:MGP | 250cc | アプリリア | JPN |
AUS |
USA |
SPA |
ITA |
GER |
AUT |
EUR Ret |
NED |
FRA 13 |
GBR Ret |
RSM 12 |
CZE |
VDM |
MAL |
27位 | 7 | ||
テンプレート:MGP | 250cc | アプリリア | JPN Ret |
AUS 8 |
MAL Ret |
SPA 10 |
ITA 3 |
EUR 3 |
GER 2 |
NED Ret |
HUN Ret |
FRA DNS |
GBR Ret |
BRA 2 |
RSA 1 |
5位 | 78 | ||||
テンプレート:MGP | 250cc | ホンダ | AUS 3 |
MAL 17 |
JPN Ret |
SPA 2 |
AUT 5 |
GER 4 |
NED Ret |
EUR 1 |
RSM 5 |
GBR 6 |
CZE 2 |
ITA Ret |
USA Ret |
FIM 3 |
4位 | 142 | |||
テンプレート:MGP | 250cc | アプリリア | AUS 1 |
MAL 1 |
JPN 4 |
SPA Ret |
AUT 2 |
GER 2 |
NED 1 |
ITA Ret |
FRA 3 |
GBR Ret |
CZE 1 |
USA 2 |
ARG 2 |
EUR 1 |
1位 | 234 | |||
テンプレート:MGP | 250cc | アプリリア | AUS 3 |
MAL 1 |
JPN 9 |
SPA 2 |
GER 1 |
ITA 1 |
NED 1 |
FRA 2 |
GBR 1 |
CZE 1 |
BRA 2 |
ARG 1 |
EUR 1 |
1位 | 283 | ||||
テンプレート:MGP | 250cc | アプリリア | MAL 1 |
INA 2 |
JPN 1 |
SPA 1 |
ITA 1 |
FRA 1 |
NED 3 |
GER 4 |
GBR 1 |
AUT Ret |
CZE 1 |
IMO Ret |
CAT 1 |
BRA Ret |
AUS 1 |
1位 | 274 | ||
テンプレート:MGP | 250cc | ホンダ | MAL 1 |
JPN 7 |
SPA 3 |
ITA 1 |
AUT 3 |
FRA 2 |
NED DSQ |
IMO 1 |
GER 4 |
BRA 5 |
GBR Ret |
CZE 1 |
CAT 2 |
INA 1 |
AUS 2 |
1位 | 250 | ||
テンプレート:MGP | 500cc | ホンダ | JPN 1 |
MAL 3 |
SPA 3 |
ITA 2 |
FRA 5 |
MAD 6 |
NED 2 |
GBR 6 |
GER 2 |
CZE 1 |
IMO 3 |
CAT DSQ |
AUS 8 |
ARG 5 |
2位 | 208 | |||
テンプレート:MGP | 500cc | ヤマハ | MAL Ret |
JPN 9 |
SPA 2 |
FRA Ret |
ITA 2 |
CAT Ret |
NED 5 |
GBR 4 |
GER Ret |
CZE 4 |
IMO 3 |
VAL 7 |
AUS 2 |
RSA 1 |
BRA 2 |
ARG 2 |
4位 | 194 | |
テンプレート:MGP | 500cc | ヤマハ | RSA Ret |
MAL 4 |
JPN Ret |
SPA Ret |
FRA Ret |
ITA 9 |
CAT 5 |
NED 4 |
GBR 9 |
GER 4 |
CZE 1 |
POR 4 |
VAL 3 |
BRA 5 |
PAC 3 |
AUS 1 |
3位 | 170 | |
テンプレート:MGP | 500cc | ヤマハ | JPN 3 |
RSA 8 |
SPA 11 |
FRA 1 |
ITA 3 |
CAT 2 |
NED 1 |
GBR 2 |
GER 1 |
CZE 10 |
POR 5 |
VAL 10 |
PAC Ret |
AUS 2 |
MAL Ret |
BRA 3 |
2位 | 219 | |
テンプレート:MGP | MotoGP | ヤマハ | JPN Ret |
RSA 9 |
SPA DSQ |
FRA 3 |
ITA 2 |
CAT 4 |
NED 4 |
GBR 2 |
GER 2 |
CZE 1 |
POR 6 |
BRA 2 |
PAC Ret |
MAL 1 |
AUS 6 |
VAL 3 |
2位 | 215 | |
テンプレート:MGP | MotoGP | ホンダ | JPN 2 |
RSA 3 |
SPA 2 |
FRA 5 |
ITA 3 |
CAT 14 |
NED 2 |
GBR 1 |
GER Ret |
CZE 5 |
POR 2 |
BRA 4 |
PAC 1 |
MAL 3 |
AUS 17 |
VAL 4 |
3位 | 228 | |
テンプレート:MGP | MotoGP | ホンダ | RSA 2 |
SPA 2 |
FRA 3 |
ITA 3 |
CAT 8 |
NED 4 |
BRA 2 |
GER 1 |
GBR 12 |
CZE 3 |
POR Ret |
JPN Ret |
QAT 6 |
MAL 2 |
AUS 7 |
VAL 2 |
3位 | 217 | |
テンプレート:MGP | MotoGP | ホンダ | SPA 7 |
POR 3 |
CHN 5 |
FRA 5 |
ITA 2 |
CAT 6 |
NED 6 |
USA 4 |
GBR Ret |
GER 4 |
CZE 3 |
JPN 2 |
MAL 6 |
QAT Ret |
AUS Ret |
TUR 12 |
VAL 6 |
5位 | 173 |
スーパーバイク世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
- ↑ 本名マッシミリアーノ・ビアッジ。
- ↑
- ↑ “Max Biaggi Biography”, Motorbike Sport, (5 January 2009) . 2010閲覧.
- ↑ http://www.worldsbk.com/en/news/latest-news/4444-max-the-first-italian-wsbk-champ.html
- ↑ http://www.motogp.com/en/riders/Max+Biaggi
- ↑ http://www.crash.net/f1/news/54513/1/biaggi_to_test_with_midland.html
- ↑ http://www.motogp.com/ja/node/488485
- ↑ http://www.motogp.com/ja/news/2010/rossi+under+knife+this+saturday
- ↑ “Biaggi Signs With Sterilgarda Ducai WSBK!”. SuperbikePlanet.com . 2007閲覧.
- ↑ Biaggi savours ‘perfect result’ on home soil
- ↑ http://www.worldsbk.com/en/news/latest-news/4444-max-the-first-italian-wsbk-champ.html
- ↑ http://www.crash.net/world+superbikes/news/164381/1/biaggi_aprilia_together_for_2011_and_2
- ↑ “Max Biaggi Bio”, MotorcycleUSA, (January 21, 2008) . 2010閲覧.
- ↑ Macauley, Ted (26 June 2001), “Motorcycling: Italian pair take rivalry to the Max”, Daily Mirror (London): 3 . 2010閲覧.
- ↑ Alonso, Ivan (31 October 20012004-10-31), “Rossi takes ninth victory of the season in Valencia”, Motorsport.com . 2010閲覧.
- ↑ Every, Rob (25 February 2007), “WSBK: Roman Emperor Max Biaggi has landed!”, Motorcycle Racing Online . 2010閲覧.
- ↑ http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/more_sport/article6726964.ece
- ↑ http://www.telegraph.co.uk/sport/motorsport/3007518/Motorcycling-I-saw-Rossi-hit-Biaggi-says-witness.html
- ↑ http://www.timesofmalta.com/articles/view/20060202/sport/rossi-shines-in-f1-test-with-ferrari
- ↑ http://www.twowheelsblog.com/post/2953/max-biaggi-becomes-a-father
- ↑ http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/World-Superbikes/2010/December/dec1610-biaggi-names-first-son-leon/
- ↑ “Portimao; 31 October, 1–2 November 2008: Superbike – Championship Standings”. Superbike World Championship. Infront Motor Sports (2008年11月2日). 2011年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010閲覧.
- ↑ “2009 Standings Riders – FIM Superbike World Championship”. Superbike World Championship. Infront Motor Sports. 2010年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010閲覧.
- ↑ “2010 Standings Riders – FIM Superbike World Championship”. Superbike World Championship. Infront Motor Sports. 2010年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010閲覧.