高句麗前期の都城と古墳
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英名 | Capital Cities and Tombs of the Ancient Koguryo Kingdom | ||
仏名 | Capitales et tombes de l’ancien royaume de Koguryo | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (2), (3), (4), (5) | ||
登録年 | 2004年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
高句麗前期の都城と古墳の位置 | |||
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朝鮮語名:古代高句麗王国の首都と墓群 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 고대 고구려 왕국의 수도와 무덤군 |
漢字: | 古代高句麗王國의 首都와 무덤群 |
発音: | コデ コグリョ ワングゲ スドワ ムドングン |
日本語読み: | こだいこうくりおうこくのしゅととぼぐん |
2000年式: MR式: |
Godae Goguryeo wanggukui sudowa mudeomgun Kotae Kokuryŏ wangkukŭi sutowa mutŏmkun |
中国語名:高句麗の王城と王陵及び貴族の墓 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 高句麗王城、王陵及貴族墓葬 |
簡体字: | 高句丽王城、王陵及贵族墓葬 |
拼音: | Gāojùlì wángcháng, wánglíngfānguìzúmùzàng |
高句麗前期の都城と古墳は中華人民共和国吉林省集安市を中心に分布する高句麗前期の遺跡である。2004年7月、ユネスコ世界遺産委員会蘇州会議で朝鮮民主主義人民共和国の平壌・南浦などに所在する高句麗後期の古墳群とともに世界遺産登録された。
高句麗は紀元前37年に五女山城(卒本城)を都として建国し、西暦3年丸都山城に遷都、その後平城の国内城に移り、427年平壌に再び遷都した。668年に唐・新羅連合軍によって滅ぼされている。
登録までの経緯
当初、2003年には登録される見込みであったが、当時の駐日中国大使の武大偉から登録の引き延ばしと同時登録を要請された画家の平山郁夫が中朝両国の仲介を行った[1]。その経緯で、両遺跡は2004年の同時登録という形になった。北朝鮮と中国の間に、高句麗地区の領土問題が存在することが改めて認知された。
都城遺跡
古墳
- 王墓 - 長寿王墓とされる将軍塚を始めとする14基
- 貴族墓 - 26基
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
脚注
- ↑ “世界遺産というパワーゲーム 「人類全体が守るべきもの」を決める裏には熾烈な駆け引きがある(3/3)”. 朝日新聞グローブ. . 2017閲覧.