セム

提供: miniwiki
2018/8/19/ (日) 18:05時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

セムは、旧約聖書創世記の第6章から11章にかけての「ノアの方舟」のエピソードに出てくる人物で、ノアの3人の息子のうちの一人。他の2人はハムヤペテ

(この兄弟の年齢順は諸説あり、一般的にヘブライ語の聖書では「ハムが末子[1]」「セムがヤペテの兄[2]」という記述から「セム>ヤペテ>ハム」の年齢順としているが、七十人訳聖書では本文の「セム、ハム、ヤペテ」は下から数えていると判断されているらしく「末子→より若い」「ヤペテの兄→ヤペテの弟」という記述にされている[3]。)

大洪水後、ノアが酔いつぶれて全裸で寝てしまった時にヤペテとともに気遣って上着をかけて隠してやり、これによってノアにヤペテとともに感謝されて祝福を受けたとされる[4]

また、大洪水の後他の兄弟とともに子孫を各地に広げた人物とされており、『創世記』第10章の系譜によると大洪水後にセムにはエラム、アシュル、アルパクシャド、ルド、アラム​という息子が生まれ[5]、それぞれが以下の民族の始祖とされた。

(後の地名との対応は『ユダヤ古代誌』第I巻vi章の解説より[6]

これらのうちアラムとアルパクシャドの息子はさらに植民を広げたとされ、アラムの息子たちはさらに以下の様に分かれた。

次にアルパクシャドの息子たちの系譜は長くなるので一部中略(詳しくは「アルパクシャド」を参照)、アルパクシャドから8代目の子孫がアブラハムで、彼や甥のロトはカルデアで生まれたが、中東に移住してイスラエルエドムナバテアミデヤンなどのアラビア半島[7]の民族(以上アブラハム系)・モアブアンモン(以上ロト系)といった民族の祖先となったとされ、その後『創世記』によればセムは600歳で死んだことになっている[8]

後の研究でヘブライ語アラム語アラビア語エチオピアの諸言語は比較言語学的に親縁関係にあることが明らかになり、アウグスト・シュレーツァーによってこのセムの子孫たちの神話にちなみセム語と名づけられた[9]

イエメンの首都サナアを建設したと伝えられる[10]

脚注

  1. 『創世記』第9章24節
  2. 『創世記』第10章21節
  3. 『七十人訳ギリシア語聖書 モーセ五書』秦剛平訳、講談社、2017年、ISBN 978-4-06-292465-8、P785注30・P789注78。
    なお、後述のヨセフスもこちらの版を参考文献にしている(『ユダヤ古代誌』第I巻vi章4節)のでセムを「三番目の息子」としている。
  4. 『創世記』第9章
  5. 七十人訳聖書『創世記』第10章22節と11章12-13節にはセムの息子とアルパクシャドとシェラの間に、それぞれヘブライ語版にはない「カイナン」という人物が登場するが、七十人訳聖書を参考にしているヨセフスも一切彼について触れていないので誤植と判断した。
  6. フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌1』株式会社筑摩書房、1999年、ISBN 4-480-08531-9、P65-67。
  7. アブラハムと後妻ケトラの孫になるエフェルのみ、リビアに移住して「アフリカ」の語源になったとヨセフスは記述している。
  8. 創世記(口語訳)#11:10,11
  9. 江村裕文 (2014) (PDF). 「アフロアジア」について. 法政大学国際文化学部. p. 35. http://hdl.handle.net/10114/9348. 
  10. 佐藤寛 『イエメン―もうひとつのアラビア』 アジア経済研究所、1994年。ISBN 978-4258050895。

参考文献

関連項目

テンプレート:アダムからダビデ