アラム人
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(英:Aramaeans)
セム系遊牧民族の一部族。前 14世紀頃メソポタミアからシリアにかけて広く分布した。記録にはアッシリアのティグラト=ピレゼル1世の碑文に現れたのが最初。前 1030年ベンハダド2世はメソポタミア南部のアラム人を率い,アモリ人,エドム人,北部メソポタミアのアラム人と同盟してイスラエルと戦い,ダビデに敗れたが,アラム人は前 10世紀の間にシリアにあった後ヒッタイトの諸都市の多くを占拠。しかし前 853年アッシリアのシャルマネゼル3世はアラム,フェニキア,イスラエル,ハマトの連合軍と戦い,前 838年中部ユーフラテスのアラムの地を奪取。ティグラト=ピレゼル3世は前 740年北シリアのアラム拠点アルパドを,前 734年にはサマリアを,前 732年にはダマスカスを落し,サルゴン2世が前 720年ハマトを制圧したことにより,西方におけるアラムの諸王国は滅亡した。チグリス川下流域のアラム人はなお独立を保ち,カルデアの将ナボポラッサルが前 626年バビロニア王となりメディア,スキタイと結んでアッシリアを滅ぼしたが,この頃からアラム人,カルデア人は混交した。アラム人は陸上のフェニキア人といわれ,商業にたけ,その言語,文化を普及させた。前8世紀アラム語はアッシリア帝国をはじめ,西アジアにおける通商の際の公用語となり,旧約聖書の一部にも書かれており,イエスも,異説はあるが,アラム語を話したとされている。