「葉隠」の版間の差分
(→参考文献) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/11/ (土) 16:29時点における最新版
『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
概要
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。
文中、鍋島藩祖である鍋島直茂を武士の理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏を併記しており、鍋島氏が龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。
当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義は山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君・浅野長矩の切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評している。
この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。
明治中期以降アメリカ合衆国で出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。
また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまう気概と覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。
浮世から何里あらうか山桜 常朝白雲やただ今花に尋ね合ひ 陣基
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、ただとある目的のためには死を厭わないとすることを武士道精神と解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。
しかしながら、そのような解釈は全くの見当違いである。葉隠の真意は、自己を中心とした利害に基づく判断からの行動は、結局のところ誤った行動となってしまう。そのため、本当に最良の行動ができる心境とは、自己を捨てたところ、すなわち自身が死んだ身であるという心境からの判断であり、そのような心境から得られる判断が、自分も含めた全体にとって最良の結果を生むというところにある。
葉隠の記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナーの指南書や礼法マニュアルに近い記述も多い。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。
戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術のマニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。
戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学の三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学の隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠の入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。
書名の由来
本来「葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公を大義とするという説。さらに、西行の山家集の葉隠の和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。
脚注
刊本
- 岩波文庫 上中下。和辻哲郎・古川哲史校訂(初版1940年)
- 上 ISBN 4003300815
- 中 ISBN 4003300823
- 下 ISBN 4003300831
- 徳間書店「現代人の古典シリーズ」 全2巻。神子侃編訳
- 葉隠 ISBN 4192421445
- 続 葉隠 ISBN 4192424886
- 中公クラシックス 全2巻(現代語訳)。奈良本辰也・駒敏郎訳。解説菅野覚明
- I ISBN 4121600908
- II ISBN 4121600916
- 教育社新書 上中下(原本現代語訳)。松永義弘訳
- 上 ISBN 4315401382
- 中 ISBN 4315401390
- 下 ISBN 4315401404
- 講談社学術文庫 全3巻(「新校訂 全訳注 葉隠」)、菅野覚明(代表)・栗原剛・木澤景・菅原令子訳注・校訂、2017年9月 - 刊行中。
- 上 ISBN 406292448X
- 中 未刊
- 下 未刊
- ちくま学芸文庫 全3巻(「定本 葉隠 訳注」)、佐藤正英校訂・吉田真樹監訳、2017年10月 - 12月。
- 上 ISBN 4480098216
- 中 ISBN 4480098224
- 下 ISBN 4480098232
参考文献
- 井沢元彦『葉隠三百年の陰謀』(徳間書店、1991年) ISBN 4-19-124469-8
- 黒鉄ヒロシ『葉隠 マンガ日本の古典 (26)』(中央公論社、1995年/中公文庫、2001年)ISBN 4122038340
- 小池喜明『葉隠 武士と「奉公」』(講談社学術文庫、1999年) ISBN 4061593862
- 『「葉隠」の叡智 誤一度もなき者は危く候』(講談社現代新書、1993年)
- ジョージ秋山『武士道とは死ぬことと見つけたり』(幻冬舎文庫、2005年)
- 奈良本辰也『葉隠 武士道の神髄』(徳間文庫、新版2006年)ISBN 4198923639
- 西部邁「『葉隠』における死のすすめと生のすすめ」、『国民の道徳』(産経新聞出版、2000年)所収、585-588頁、ISBN 9784594029371
- 三島由紀夫『葉隠入門』(新潮文庫、1983年、改版2010年)、ISBN 4101050333。初刊は光文社カッパブックス、1967年
- 山本博文『「葉隠」の武士道 誤解された「死狂い」の思想』(PHP新書、2001年) ISBN 4-569-61940-1
- 『葉隠 まんがで読破』(イースト・プレス、2009年) ISBN 978-4-7816-0125-0
関連項目
外部リンク
- 葉隠とその教え | さがの歴史・文化お宝帳
- 葉隠原文Web - 葉隠の原文と現代語訳
- 葉隠 - Yahoo!百科事典
- 「いま、なぜ武士道なのか」青木照夫(青木養蜂園代表)
- 佐賀大学電子図書館(解説やリンクは、小城藩寄りで一方的に記述編集されており、中立性は疑わしい)
- 葉隠流柔術 - バーチャファイターに登場する「影丸」のバックボーン