KPMG
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KPMGは、オランダを本部とする世界154か国にわたるグローバルネットワークに、200,000人のスタッフを擁するプロフェッショナル・サービスファーム(知的専門家集団)[1]。
概要
プライスウォーターハウスクーパース、アーンスト・アンド・ヤング、デロイト トウシュ トーマツと並び、世界4大会計事務所 (Big 4)の一角を占める。
2017年時点のKPMG会員会社の合計収入は264億米ドルであった。KPMGには、監査、税務およびアドバイザリーサービス(M&Aなど、企業による大型取引の判断や過程をサポートする)の3つのサービスがある。2010年のリーグテーブルではBig4系の財務アドバイザリーファーム中で最大の取引金額を誇り、業界での知名度・評価も高い。
Universumが調査した「世界で最も魅力的な企業」ランキングでは2010年、2011年、2012年と3年連続で2位に選ばれた。
日本においては、国際会計事務所としてはじめて日本進出を果たし、現在では有限責任あずさ監査法人ならびにKPMG税理士法人がメンバーファーム(加入監査法人)となっている。
名称
KPMGという名は略称ではなく、KPMGへと合併した会計事務所を創業したり在籍したりした4人のパートナーの名の頭文字から取られている。“クリンヴェルド、ピート、マーウィック&ゲルデラー”の意。
- K
- P
- M
- G
- ラインハルト・ゲルデラー博士(Dr. Reinhard Goerdeler)のG。長年、会計事務所ドイッチェ・トロイハンド・ゲゼルシャフト(DTG)の会長を務め、後にKMG会長・KPMG会長となった。KPMGの合併の基礎を作った人物として社名に残されている。
沿革
- 1870年 ウィリアム・バークレイ・ピートがロンドンに事務所設立。
- 1877年 トムソン・マクリントック(Thomson McLintock)がグラスゴーに設立される。後にアメリカのメイン・ラフレンツと合併しマクリントック・メイン・ラフレンツ(McLintock Main Lafrentz)になる。
- 1890年 ドイツ初の監査事務所、ドイッチェ=アメリカニッヒ=トロイハンド=ゲゼルシャフト(Deutsch-Amerikanische-Treuhand-Gesellschaft)が設立される。1892年にはドイッチェ・トレウハンド=ゲゼルシャフト(Deutsche Treuhand-Gesellschaft、DTG)となる。
- 1897年 マーウィック・ミッチェル&カンパニーがニューヨークで設立。
- 1911年 ウィリアム・バークレイ・ピート&カンパニーとマーウィック・ミッチェル&カンパニーが大西洋を越えた合併を行う。これが後にアメリカの大手ファーム、ピート・マーウィック・インターナショナル(Peat Marwick International、PMI)となる。
- 1917年 アムステルダムにクリンヴェルド・クラーエンホフ&カンパニー(Klynveld Kraayenhof & Co.、KKC)設立。欧州と南アフリカに強いファームとなる。
- 1979年 オランダのKKCはドイツのDTG、英国とアメリカのマクリントック・メイン・ラフレンツと合併し、欧州を拠点とする大手ファームKMG(クリンヴェルド・メイン・ゲルデラー、Klynveld Main Goerdeler)となる。
- 1987年 欧州のKMGと米国のPMIは合併、現在のKPMGが成立した。大手ファーム同士の最初の大型合併となり、以後大手ファーム同士の合併が加速する。
- 1997年 プライス・ウォーターハウスとクーパース&ライブランドが合併を発表した影響で、KPMGもアーンスト・アンド・ヤングとの合併を発表。世界最大のファームができるはずだったが、競争法に抵触するなどの制約のため取り止めに。
- 2000年 アメリカのコンサルティング部門をKPMGコンサルティングとして分社化。翌2001年にはナスダックに上場し株式公開により分離した。KPMGコンサルティングは2002年にベリングポイント(BearingPoint, Inc.)と名を変えた。
- 2003年 法務部門をクリーガル(Klegal)として分社化。
出身者
- ネイト・シルバー - アメリカ合衆国の統計学者
- 吉原寛章 - 元KPMGインターナショナル 副会長、Permira シニア・アドバイザー
- 木村剛 - 元日本振興銀行社長
- 白石洋一 - 衆議院議員
- 渡辺章博 - GCA創設者、代表取締役社長
脚注
- ↑ デービッド・マイスター『プロフェッショナル・サービス・ファーム』による定義