鹿沼城
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鹿沼城 (栃木県) | |
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別名 | 坂田城、亀城[1] |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 壬生綱房[1] |
築城年 | 1532年(天文元年)[1] |
主な城主 | 壬生氏 |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
遺構 | 土塁、空堀 |
位置 | |
地図 |
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鹿沼城(かぬまじょう)は、下野国上都賀郡鹿沼(現在の栃木県鹿沼市今宮町・西鹿沼町)にあった日本の城である。
歴史・沿革
鹿沼城の起源は、1292年(正応5年)に二荒山神社に化灯籠を奉献した佐野氏の支族・鹿沼権三郎が、この城から西に500mほどの所にある坂田山に本拠を構えた事から始まる[1]。坂田山の城がいつ頃築城されたのかは不明。
その後の200年間は、鹿沼氏がどのように経過したのかは分かっていない[1]。
戦国時代に入ると、鹿沼氏は東隣の宇都宮氏から圧迫を受け、大永年間の頃、宇都宮忠綱に攻め滅ぼされる[1]。
鹿沼氏を滅ぼした宇都宮氏は、この周辺の支配を壬生綱重に任せる。壬生綱重は坂田山館を改築して居城としたが、1532年(天文元年)に嫡子の壬生綱房が御殿山を中心に城を築き鹿沼城とし[1]、以後は壬生氏の居城となる。
その後、関東で小田原北条氏が台頭してくると壬生義雄は宇都宮氏から離反し、北条氏に従属するようになる。
1590年(天正18年)、小田原征伐で壬生氏が北条方に加担し、義雄が戦後急死したため壬生氏は断絶。鹿沼城も廃城となった。
現在は、御殿山公園となっている[1]。