藤堂高睦
提供: miniwiki
藤堂 高睦 | |
---|---|
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
生誕 | 寛文7年閏2月4日(1667年3月28日) |
死没 | 宝永5年10月9日(1708年11月20日) |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 伊勢国津藩主 |
氏族 | 藤堂氏 |
藤堂 高睦(とうどう たかちか)は、伊勢国津藩の第4代藩主。藤堂家宗家4代。
生涯
貞享2年(1685年)10月7日、先代藩主で兄の高久に嗣子がなかったため、その養嗣子となる。同年10月13日、将軍徳川綱吉にお目見えする。同年12月28日、従四位下大学頭に叙任した。元禄16年(1703年)6月10日、養父高久の死去により跡を継いだ。同年12月21日、侍従に任官する。
藩主を継いだ年、江戸では元禄地震により藩邸が崩壊し、さらに4年後には、東海地方などに甚大な被害をもたらした宝永地震・宝永大噴火が起こって藩内が大被害を受けるなど、治世は多難を極めた。そのため藩政改革を断行し、藩政の引き締めや奉行制度、家老制度、側用人制度の見直しを行なっている。
高睦には2男1女がいたが全て早世していたため、宝永5年(1708年)10月9日に高睦が42歳で死去した後は、支藩の久居藩から迎えた養嗣子の高敏が跡を継いだ。