石頭希遷
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石頭希遷 | |
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700年 - 790年 | |
尊称 | 無際大師(むさいだいし) |
生地 | 端州高要県 |
没地 | 南嶽衡山南台寺 |
宗派 | 石頭宗 |
寺院 | 南嶽衡山南台寺 |
師 | 青原行思 |
弟子 | 薬山惟儼、天皇道悟、丹霞天然 |
著作 | 参同契 |
石頭希遷(せきとう きせん, 拼音 Shítóu Xīqiān,ベトナム語 Thạch Đầu Hi Thiên, 700年 - 790年)は、中国唐代の禅僧。慧能の弟子である青原行思の弟子であり、その一派を石頭宗と呼んでいる。
略歴
端州高要県の人で、姓は陳。初めは六祖慧能に師事していたが、その遷化にあい、吉州の青原行思のもとへ移り、法嗣となった。
その後、南嶽衡山の石上に庵を編んだため、「石頭」と称されるようになった。門弟子は多かったが、当初、さほど目立った存在ではなかったようである。圭峰宗密は、牛頭宗の一派と見誤っている。
門下には、薬山惟儼や天皇道悟、丹霞天然らの著名な禅匠が見られ、馬祖道一の洪州宗と勢力を競うまでになった。ただ、天皇道悟や丹霞天然は、石頭だけではなく、馬祖のもとでも修禅に励んでおり、逆に馬祖の弟子となる五洩霊黙が石頭のもとに居たように、両派の門下の往来が頻繁であったことを窺うことができる。
曹洞宗大本山總持寺には石頭のものとされるミイラが安置されている(非公開)。
関連項目
師:青原行思 | 禅宗(石頭宗) | 弟子:薬山惟儼、丹霞天然 |