源経信
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源 経信(みなもと の つねのぶ)は、平安時代後期の公家・歌人。宇多源氏、権中納言・源道方の六男。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信。
経歴
三河権守・ 刑部少輔・左馬頭・少納言などを経て、康平3年(1062年)右中弁に任ぜられ、以後蔵人頭などを経て、治暦3年(1067年)参議として公卿に列す。
治暦4年(1068年)兼伊予権守、治暦5年(1069年)従三位・東宮権大夫、延久2年(1070年)兼大蔵卿、延久3年(1071年)正三位、延久4年(1072年)左大弁、延久5年(1073年)兼播磨権守、延久6年(1074年)皇后宮権大夫・兼勘解由長官、承保2年(1075年)権中納言、承保4年(1077年)正二位、承暦5年(1081年)兼民部卿、永保3年(1083年)69歳で権大納言に進み、兼皇后宮大夫。寛治5年(1091年)大納言、寛治8年(1094年)大宰権帥に任命され、翌嘉保2年(1095年)現地に下向し、承徳元年(1097年)大宰府で没している。82歳。
人物
詩歌・管絃に秀で、有職故実にも通じ、その多芸多才は藤原公任に比較された。長久2年(1041年)の「祐子内親王家名所歌合」をはじめとして、多くの歌合に参加している。当代一の歌人とされたが、経信をさしおいて藤原通俊が撰集した『後拾遺和歌集』に対して『後拾遺問答』・『難後拾遺』を著してこれを批判した。
『後拾遺和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に87首が入集[1]。家集に『経宣集』、日記に『帥記』がある。
系譜
脚注
関連項目
典拠レコード: