悲 (仏教)
提供: miniwiki
悲(ひ、巴: 梵: karuṇā [カルナー], 蔵: snying rje [ニンジェ], 英: compassion)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に苦しみをともにする同感(同情・共感)の心を持つこと[1]。また、それらの苦痛を取り除いてあげたいという心を持つこと[2][3]。「抜苦与楽」の「抜苦」に相当する[4]。 四無量心(四梵住)としてまとめられる4つ徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の2つ目。
慈愛の瞑想
上座部仏教(テーラワーダ仏教)圏では、ウィパッサナー瞑想の基礎として、慈愛の瞑想(mettā bhāvanā)と呼ばれる瞑想が行われる[5]。慈悲の瞑想とも翻訳されるように、そこには生きとし生けるものの苦しみが無くなることを願うという「悲」(karuṇā)の要素も混じっている[6]。
脚注
- ↑ 「四無量心」 - ブリタニカ国際大百科事典、Britannica Japan
- ↑ 「慈悲」 - 世界大百科事典 第2版、株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
- ↑ 「慈悲」 - 大辞林 第三版、三省堂
- ↑ 四無量心とは, 慈悲とは - 大辞林, 慈悲とは - 世界大百科事典
- ↑ ウ・ジョーティカ 『自由への旅』 魚川祐司訳、新潮社、2016年12月、pp.121-124。
- ↑ 慈悲の冥想 - 日本テーラワーダ仏教協会