大江千里 (歌人)
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大江 千里(おおえ の ちさと、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族・歌人。参議・大江音人の子。一説では従四位下・大江玉淵の子。官位は正五位下[1]・式部権大輔[2]。中古三十六歌仙の一人。
経歴
大学寮で学び、清和朝にて菅原是善らと『貞観格式』の撰集に参画している。醍醐朝にて中務少丞・兵部少丞・兵部大丞などを務める。この他、家集『句題和歌』の詞書から伊予権守や式部権大輔を歴任していたことが知られる。
宇多天皇の頃の歌合に参加、寛平9年(897年)宇多天皇の勅命により家集『句題和歌』(大江千里集)を撰集・献上している。『古今和歌集』の10首を始めとして、以降の勅撰和歌集に25首が入集している。歌は儒家風で『白氏文集』の詩句を和歌によって表現しようとしたところに特徴がある。一方で大学で学んだ儒者であるが、漢詩作品はほとんど残っていない。
代表歌
- 小倉百人一首
- 23番 月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど(『古今和歌集』秋上193)
官歴
- 元慶7年(883年) 11月11日:備中大掾[3]
- 寛平9年(897年) 4月25日:見散位従六位上[4]
- 延喜元年(901年) 3月15日:中務少丞[5]
- 延喜2年(902年) 2月23日:兵部少丞[5]
- 延喜3年(903年) 3月26日:兵部大丞[5]
- 時期不詳:伊予権守。式部権大輔[6]
系譜
脚注
典拠レコード: