ジャン=アントワーヌ・ウードン
ジャン=アントワーヌ・ウードン(Jean-Antoine Houdon, 1741年3月20日 - 1828年7月15日)は、新古典主義のフランス人彫刻家。啓蒙時代の哲学者、発明家、政治家の彫像ならびに胸像で知られる。モデルとなった人物を挙げると、ドゥニ・ディドロ(1771年)、ベンジャミン・フランクリン(1778年 - 1809年)、ジャン=ジャック・ルソー(1778年)、ヴォルテール(1781年)、モリエール(1781年)、ジョージ・ワシントン(1785年 - 1788年)、トーマス・ジェファーソン(1789年)、ルイ16世(1790年)、ロバート・フルトン(1803年 - 1804年)、そしてナポレオン・ボナパルト(1806年)がいる。
生涯
ウードンはヴェルサイユに生まれた。1761年、ローマ賞を受賞し、ローマに行くが、古代ローマやルネサンス美術の影響はまったく受けなかった。ウードンはローマ滞在中に2つの特徴的かつ重要な作品を制作した。1つは堂々たる『エコルシェ』(1767年)で、その解剖学的な造型は、その時代以来、多くの美術家たちの手本とされた。もう1つはローマ、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ大聖堂の『聖ブルーノ(ケルンのブルーノ)』像である。ウードンはそれから10年イタリアで過ごした後、パリに戻った。
ウードンの作ったワシントン像は、ベンジャミン・フランクリンからわざわざ大西洋の向こうのアメリカ、マウント・バーノンに招かれた、その所産に作られたものだった。1785年、ワシントンはモデルとしてウードンの前に座り、湿った粘土で体の、石膏で顔(ライフ・マスク)の型を取られた。ワシントンの型からたくさんの像が作られ、その中には、バージニア州議会の依頼で作られ、現在リッチモンドのバージニア州議事堂にある立像も含まれる。ワシントンの胸像も、さまざまなバリエーションで多数作られた。将軍として軍服を着せられたものもあれば。筋骨隆々に見えるよう古典的様式に作られたもの、あるいは、トーガを着せてルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスにされたものもあった。ワシントン=キンキナトゥス像はバーモント州議事堂にある[1]。
1771年、ウードンは芸術アカデミーの会員となり、1778年には教授になった。また、ルイ16世の宮廷とつながりがあったことからブルジョワとわかって、フランス革命の間は人気を失ったものの、投獄だけは免れた。逆に執政政府およびフランス第一帝政期には人気を取り戻した。
ウードンはパリで死んで、モンパルナス墓地に埋葬された。
またウードンは、フリーメーソンの9姉妹ロッジのメンバーでもあった。
脚注
参考文献
- Poulet, Ann L. "Jean-Antoine Houdon: Sculptor of the Enlightenment." University of Chicago Press: 2003. ISBN 0-226-67647-1.