エディン・ジェコ
{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} エディン・ジェコ(Edin Džeko、1986年3月17日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ・サラエヴォ県サラエヴォ出身のサッカー選手。民族はボシュニャク人(ムスリム人)。セリエA・ローマ所属。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表。ポジションはフォワード(FW)。
ドイツとイングランドの2つのリーグで計3度の優勝を経験。ヴォルフスブルク所属時代の2009-10シーズンにブンデスリーガで、ASローマ所属時代の2016-17シーズンにセリエAでそれぞれ得点王に輝いた。また欧州5大リーグのうち、3つのリーグで50得点を挙げた史上初の選手である[1][2]。
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の最多得点記録保持者でもあり、2014年9月からは代表の主将を務める[3]。
名前は「ゼコ」とも表記される。
Contents
クラブ経歴
地元クラブ、チェコ時代
父親のミドハト・ジェコもプロサッカー選手であった[4]。ボスニア紛争の時は一家で団地に避難し、音を立てられない地下室生活を強いられながら砲弾が止む僅かな時間にサッカーを楽しんでいた。5歳のときにFKジェリェズニチャルの下部組織に入団し[4]、2003-04シーズンにトップチームに昇格した。2005年にチェコ・リーグのFKテプリツェに移籍金2万5000ユーロで完全移籍し、ジェリェズニチャル時代に指導を受けたチェコ人監督イジー・プリーシェクが率いるFKウースティー・ナド・ラベムにすぐさまレンタル移籍した[5]。そこで15試合6得点と結果を残し、半年後にはFKテプリツェに復帰し、13得点を挙げて得点ランキング2位に入った。
VfLヴォルフスブルク
2007年6月26日、フェリックス・マガトが監督を務めるドイツのVfLヴォルフスブルクに400万ユーロ(約5億円)の移籍金で移籍した。2007-08シーズンは28試合出場で8得点と、まずまずの成績を残した。
2008-09シーズンはDFBポカールのFCオーバーノイラント戦でハットトリックを達成したが、リーグ戦では前半戦5得点にとどまった。しかし後半戦に大爆発し、最終的に26得点を決めて得点ランキング2位にはいった。2人合計54得点を叩き出したグラフィッチとのコンビはリーグ最強と謳われ、クラブ史上初のリーグ優勝に貢献した。この活躍から2009年夏の移籍市場ではイタリアのACミランが獲得に乗り出し、ジェコも移籍を希望したが、クラブはジェコの放出を拒否し、結局2013年まで契約を延長した。ジェコは幼いころからのミランのファンであり[5]、サラエヴォの彼の部屋には、お気に入りの選手であるアンドリー・シェフチェンコの背番号7のユニフォームが飾られていたという[6]。チームに残留した2009-10シーズンはチームとしては苦戦をしいられ連覇を逃すも、ジェコは22得点を決めブンデスリーガ得点王を獲得した。2009年末にはバロンドール候補30人にノミネートされた[7]。2010-11シーズンは移籍を希望していたもののチームに残留し、キャプテンを任される。クラブは低迷したが、ジェコは前半戦だけで10得点を挙げた。
マンチェスター・シティ
2011年1月7日、イングランドのマンチェスター・シティFCに移籍した。ヴォルフスブルクには移籍金3500万ユーロが支払われたが、これはプレミアリーグのクラブが支払った金額としては史上6番目であり、ブンデスリーガ所属選手に支払われた金額としては過去最高額となった[8][9]。背番号は10。 2011-12シーズンのプレミアリーグ最終節、クイーンズ・パーク・レンジャーズ戦では途中出場で後半ロスタイムに同点のヘディングシュートを決め、奇跡の優勝へとつなげた[10]。
2012-13シーズンは、セルヒオ・アグエロの負傷が目立つ中、チーム得点王となる14ゴールを記録した[11]。
2013-14シーズンは前年度を上回る16ゴールを挙げ、出場時間あたりの得点率では同僚のセルヒオ・アグエロ、ルイス・スアレス、ダニエル・スターリッジに次ぐ4位(5位はロビン・ファン・ペルシー)となり、2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した[12][13]。 マンチェスターシティでは大事な所で決める印象的なゴールが多く、このシーズンもシーズン終盤のクリスタル・パレス戦やエヴァートン戦、アストン・ビラ戦の決勝ゴールを決めるなど、重要な場面でゴールを決めた[14] 。
ASローマ
2015年8月、セリエAのASローマへのレンタル移籍が決定[15]。背番号は9番。
開幕戦のエラス・ヴェローナ戦でセリエAデビュー。2015年8月30日の第2節、ユヴェントス戦で移籍後初得点を挙げ、チームのシーズン初勝利に貢献した[16]。ローマでの1シーズン目はリーグ戦8ゴールに終わった。
2016-17シーズンはUEFAヨーロッパリーグのプルゼニ戦でハットトリックを達成[17]、2月のヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦のビジャレアル戦でもハットトリックを達成した[18]。ローマはヨーロッパリーグでベスト16で敗退したものの、ジェコは8得点を挙げジュリアーノと共に得点王となった。またセリエAでは37試合に出場し29得点を決め、ナポリのドリース・メルテンスを1得点差で抑え、セリエA得点王となった[19]。またリーグ戦、カップ戦など合計では合計39得点を記録した[20] 。
2018年3月3日のナポリ戦で2得点を挙げ、セリエA通算50得点を達成[1][2]。これでブンデスリーガ、プレミアリーグに続く50得点達成となり、ヨーロッパ5大リーグのうち3つのリーグで50得点を挙げた史上初の選手となった[1][2]。UEFAチャンピオンズリーグ、対FCバルセロナ、準々決勝では1stレグ、2ndレグ共にゴールを決め、2ndレグではPKも獲得し、1stレグに4-1で勝利していたバルセロナに対し、奇跡の逆転準決勝進出の立役者となった[21]。UEFAチャンピオンズリーグ準決勝のリヴァプールFC戦の1stレグの試合では5-0とされたなか、ラジャ・ナインゴランのロングパスをワントラップからシュートを決め、反撃の口火を切るゴールを決めた。2ndレグの試合でもチャンピオンズリーグで5試合連続となるゴールを決めたが、わずかにトータルスコアで7-6と及ばず準決勝で敗退した[22]。
2018-19年度セリエA開幕戦トリノ戦で後半44分に決勝ゴールを決め1-0での勝利の立役者となった。UEFAチャンピオンズリーグ第2節ブルゼニ戦ではハットトリックを達成し、チームを勝利に導いた[23]。
代表歴
2007年6月2日、 トルコ戦でボスニア・ヘルツェゴビナ代表デビュー、その試合で初得点を記録した[24]。
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、第2節から第6節まで5節連続で得点し、2008年9月10日のエストニア戦、2009年4月1日のベルギー戦で2得点を挙げるなど、予選を通して10得点を決める活躍を見せた[25]。スペインに次ぐ2位に入ってプレーオフに進出したが、プレーオフでポルトガルに敗れて2010 FIFAワールドカップ本大会出場はならなかった。
2012年9月7日の2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のリヒテンシュタイン戦で代表では初となるハットトリックを達成するなど、初のW杯出場に貢献した。
2014 FIFAワールドカップを戦う代表23人に選出された。 グループリーグ2戦目のナイジェリア戦では、先制ゴールを奪ったかに見えたが判定はオフサイド。しかしこれは明らかな誤審であり、 試合後ジェコは「僕らは家に帰る。だから悲しいよ。でも、この主審も家に帰るべきだ。彼は結果を変えた。彼が試合を変えた。だから僕らは負けた。先制されてから反撃しようとしたね。でも、キャプテン(エミル・スパヒッチ)にファウルが遭ったのは明らかだった。僕のゴールもオフサイドじゃなかったよ。僕らは最後まで戦った。でも、今日は運がなかったんだ」と語った[26]。
「今日は僕らが試合に勝つべきだった。ナイジェリアも良いプレーをしたし、チャンスを作ったけどね。だけど、主審は恥ずべきだった」と審判を批判した。この試合の敗戦でグループリーグ敗退が決まってしまったボスニア・ヘルツェゴビナだったが、3戦目のイラン戦では、先制ゴールとなるミドルシュートで自身ワールドカップ初ゴールを決め、悲願の初勝利を記録して大会を去って行った[27] 。
2017年3月28日ボスニア人プレーヤーとして初の国際試合50ゴールを達成した[28]
人物・評価
- プレミアリーグでマンチェスター・シティFCのライバルクラブ、チェルシーFCのジョゼ・モウリーニョは、ジェコについて「俺が選ぶ年間最優秀選手は、ジェコだよ。アイツはただのゴールゲッターではない。アシストし、プレーする。振る舞いもそうだし、彼はフェアだ。ダイブをしない。相手へのカードを出させようとはしない。そして、シーズンの大事な時期にチームが必要としたときに、彼は違いをつくったと思う」と語り、ポストプレーヤーとしての資質とジェコの人間性を評価した[29]。
個人成績
クラブ
テンプレート:Football player statistics 1 テンプレート:Football player statistics 2 |- |2003–04||rowspan="2"|ジェリェズニチャル||rowspan="2"|プレミア||20||4||0||0||colspan="2"|-||0||0||20||4 |- |2004–05|||20||1||0||0||colspan="2"|-||0||0||20||1 |- テンプレート:Football player statistics 2 |- |2005–06||rowspan="1"|ウスティ・ナド・ラベム||rowspan="1"|2部||15||6||0||0||colspan="2"|-||0||0||15||6 |- |2005–06||rowspan="2"|テプリツェ||rowspan="2"|1部||13||3||0||0||colspan="2"|-||0||0||13||3 |- |2006–07||30||13||0||0||colspan="2"|-||0||0||30||13 テンプレート:Football player statistics 2 |- |2007–08||rowspan="4"|ヴォルフスブルク||rowspan="4"|ブンデス||28||8||5||1||colspan="2"|-||0||0||33||9 |- |2008–09||32||26||2||6||colspan="2"|-||8||4||42||36 |- |2009–10||34||22||2||2||colspan="2"|-||9||5||45||29 |- |2010–11||17||10||1||1||colspan="2"|-||0||0||18||11 テンプレート:Football player statistics 2 |- |2010–11||rowspan="5"|マンチェスター・シティ||rowspan="5"|プレミア||15||2||2||2||0||0||4||2||21||6 |- |2011–12||30||14||0||0||4||3||8||1||42||18 |- |2012–13||31||14||5||0||1||0||6||1||43||15 |- |2013–14||31||16||5||2||5||6||7||2||48||26 |- |2014–15||22||4||1||0||2||2||6||0||32||6 |- テンプレート:Football player statistics 4 |- |2015–16||rowspan="4"|ローマ||rowspan="4"|セリエA||31||8||1||0||colspan="2"|–||7||2||39||10 |- |2016–17||37||29||3||2||colspan="2"|–||8||8||48||39 |- |2017–18||36||16||1||0||colspan="2"|–||12||8||49||24 |- |2018–19||||||||||colspan="2"|–|||||||| |- テンプレート:Football player statistics 340||5||0||0||colspan="2"|-||0||0||40||5 テンプレート:Football player statistics 458||22||0||0||colspan="2"|-||0||0||58||22 テンプレート:Football player statistics 4111||66||10||10||colspan="2"|-||17||9||138||85 テンプレート:Football player statistics 4129||50||13||4||12||11||31||6||186||71 テンプレート:Football player statistics 4104||53||6||2||colspan="2"|-||29||18||139||73 テンプレート:Football player statistics 5438||194||43||20||63||33||15||12||579||259 テンプレート:Football player statistics end
代表
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2007 | 7 | 1 |
2008 | 6 | 5 |
2009 | 10 | 8 |
2010 | 8 | 3 |
2011 | 10 | 3 |
2012 | 9 | 6 |
2013 | 9 | 7 |
2014 | 10 | 5 |
2015 | 7 | 7 |
2016 | 7 | 4 |
2017 | 4 | 3 |
通算 | 87 | 52 |
代表での得点
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2007年6月2日 | サラエボ、アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場 | トルコ | 2–2 | 3–2 | UEFA EURO 2008予選 |
2 | 2008年9月10日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:ESTf | 5–0 | 7–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
3 | 6–0 | |||||
4 | 2008年10月11日 | イスタンブール、イニョニュ・スタジアム | トルコ | 0–1 | 2–1 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
5 | 2008年10月15日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:ARMf | 2–0 | 4–1 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
6 | 2008年11月20日 | マリボル、リュドスキ・ヴルト | テンプレート:SLOf | 1–3 | 3–4 | 親善試合 |
7 | 2009年3月28日 | ヘンク、クリスタル・アレナ | ベルギー | 0–1 | 2–4 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
8 | 2009年4月1日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | ベルギー | 1–0 | 2–1 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
9 | 2–0 | |||||
10 | 2009年6月6日 | カンヌ、スタッド・ピエール・ド・クーベルタン | テンプレート:OMNf | 1–0 | 2–1 | 親善試合 |
11 | 2009年8月12日 | サラエボ、アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場 | テンプレート:IRNf | 1–0 | 2–3 | 親善試合 |
12 | 2–0 | |||||
13 | 2009年10月10日 | タリン、ア・ル・コック・アレーナ | テンプレート:ESTf | 0–1 | 0–2 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
14 | 2009年10月14日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | スペイン | 1–5 | 2–5 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
15 | 2010年6月3日 | フランクフルト、ヴァルトシュタディオン | ドイツ | 0–1 | 3–1 | 親善試合 |
16 | 2010年9月3日 | ルクセンブルク、スタッド・ジョジー・バルテル | テンプレート:LUXf | 0–3 | 0–3 | UEFA EURO 2012予選 |
17 | 2010年11月17日 | ブラチスラヴァ、シュタディオン・パシエンキー | テンプレート:SVKf | 1–3 | 2–3 | 親善試合 |
18 | 2011年3月26日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:ROMf | 2–1 | 2–1 | UEFA EURO 2012予選 |
19 | 2011年10月7日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:LUXf | 1–0 | 5–0 | UEFA EURO 2012予選 |
20 | 2011年10月11日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | フランス | 0–1 | 1–1 | UEFA EURO 2012予選 |
21 | 2012年6月1日 | シカゴ、ソルジャー・フィールド | メキシコ | 1–1 | 2–1 | 親善試合 |
22 | 2012年9月7日 | ファドゥーツ、ラインパーク・シュタディオン | テンプレート:LIEf | 0–5 | 1–8 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
23 | 1–6 | |||||
24 | 1–7 | |||||
25 | 2012年9月11日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:LVAf | 4–1 | 4–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
26 | 2012年10月16日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:LTUf | 3–0 | 3–0 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
27 | 2013年3月22日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:GREf | 1–0 | 3–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
28 | 3–0 | |||||
29 | 2013年6月7日 | リガ、スコント・スタディオン | テンプレート:LVAf | 0–5 | 0–5 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
30 | 2013年8月14日 | サラエボ、アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場 | アメリカ合衆国 | 1–0 | 3–4 | 親善試合 |
31 | 3–4 | |||||
32 | 2013年10月11日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:LIEf | 1–0 | 4–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
33 | 4–1 | |||||
34 | 2014年5月30日 | セントルイス、エドワード・ジョーンズ・ドーム | テンプレート:CIVf | 1–0 | 2–1 | 親善試合 |
35 | 2–0 | |||||
36 | 2014年6月25日 | サルヴァドール、アレーナ・フォンチ・ノヴァ | テンプレート:IRNf | 1–0 | 3–1 | 2014 FIFAワールドカップ |
37 | 2014年9月4日 | トゥズラ、スタディオン・トゥシャニ | テンプレート:LIEf | 3–0 | 3–0 | 親善試合 |
38 | 2014年10月13日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | ベルギー | 1–0 | 1–1 | UEFA EURO 2016予選 |
39 | 2015年3月28日 | アンドラ・ラ・ベリャ、エスタディ・ナシオナル | テンプレート:ANDf | 0–1 | 0–8 | UEFA EURO 2016予選 |
40 | 0–2 | |||||
41 | 0–3 | |||||
42 | 2015年6月12日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:ISRf | 2–1 | 3–1 | UEFA EURO 2016予選 |
43 | 2015年9月3日 | ブリュッセル、ボードゥアン国王競技場 | ベルギー | 0–1 | 1–3 | UEFA EURO 2016予選 |
44 | 2015年9月6日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:ANDf | 2–0 | 3–0 | UEFA EURO 2016予選 |
45 | 2015年11月13日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | アイルランド | 1–1 | 1–1 | UEFA EURO 2016予選プレーオフ |
46 | 2016年3月29日 | チューリッヒ、レッツィグルンド・シュタディオン | テンプレート:SUIf | 0–1 | 0–2 | 親善試合 |
47 | 2016年9月6日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:ESTf | 2–0 | 5–0 | 2018 FIFAワールドカップ予選 |
48 | 2016年10月10日 | ゼニツァ、ビリノ・ポリェ | テンプレート:CYPf | 1–0 | 2–0 | 2018 FIFAワールドカップ予選 |
49 | 2–0 | |||||
50 | 2017年3月28日 | エルバサン、エルバサン・アリーナ | テンプレート:ALBf | 0–1 | 1–2 | 親善試合 |
51 | 2017年9月3日 | ファロ、エスタディオ・アルガルヴェ | テンプレート:GIBf | 0–1 | 0–4 | 2018 FIFAワールドカップ予選 |
52 | 0–4 |
タイトル
クラブ
- VfLヴォルフスブルク
- マンチェスター・シティ
- プレミアリーグ : 2011-12 , 2013-14
- FAカップ 2010-11
- フットボールリーグカップ 2013-14
- FAコミュニティ・シールド 2012
個人
- ブンデスリーガ年間最優秀選手 : 2008-09
- ボスニア・ヘルツェゴビナ年間最優秀選手 : 2009, 2010, 2011-12
- ブンデスリーガ得点王 : 2009-10
- セリエA得点王 : 2016-17
- UEFAヨーロッパリーグ得点王 : 2016-17
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “ローマ・ジェコ2発 英独伊それぞれ50点以上は初”. 日刊スポーツ (2018年3月4日). . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 “コがナポリ戦で偉大な記録樹立! 欧州主要3リーグで初の通算50ゴール達成!”. 超WORLDサッカー! (2018年3月4日). . 2018閲覧.
- ↑ ボスニア新主将のジェコ、ユーロ本戦出場に意欲goalcom. 2014年
- ↑ 4.0 4.1 「東欧の新たなスターが背負うもの」『ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、2011年4月7日号、96頁
- ↑ 5.0 5.1 「ミランが惚れた男」『ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、2009年8月6日号
- ↑ “Džeko: Shevchenkov dres ima posebno mjesto u mojoj sobi” (Bosnian). sportin.ba (2011年1月7日). . 2011閲覧.
- ↑ 2009年バロンドール候補30人発表livedoorスポーツ、2009年10月19日
- ↑ “Shine on you, crazy diamond”. sarajevo-x.com (2011年1月15日). . 2011閲覧.
- ↑ “Džeko nadmašio Gomeza”. sportsport.ba (2011年1月9日). . 2011閲覧.
- ↑ McNulty, Phil (2012年5月13日). “Manchester City 3–2 QPR”. BBC Sport. . 15 May 2012閲覧.
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ [3]
- ↑ “City move to brink of title glory”. ESPNFC (2014年5月7日). . 7 May 2014閲覧.
- ↑ “ジェコのローマ加入が正式決定「全試合で全力を尽くすと約束する」”. SOCCER KING. (2015年8月13日) . 2015閲覧.
- ↑ “ユーヴェ史上初の開幕連敗…ローマがボスニアコンビの活躍で決戦制す”. SOCCER KING. (2015年8月31日) . 2015閲覧.
- ↑ “Internazionale crash out after Ben Sahar winner for Hapoel Be’er Sheva”. The Guardian. Press Association (Guardian Media Group). (2016年11月24日) . 17 February 2017閲覧.
- ↑ “Europa League: Edin Dzeko hits hat-trick as Roma thrash Villarreal 4-0”. BBC Sport (British Broadcasting Corporation). (2017年2月16日) . 17 February 2017閲覧.
- ↑ “ローマ ジェコがセリエA得点王”. 日刊スポーツ. (2017年5月28日) . May 28 2017閲覧.
- ↑ “Pogledajte svih 39 golova Edina Džeke” (Bosnian). . aprile 27 2018閲覧.
- ↑ “Roma srušila Barcelonu za polufinale Lige prvaka: Džeko najzaslužniji za senzaciju” (Croatian). index.hr (2018年4月10日). . 11 April 2018閲覧.
- ↑ “Liverpool lose to Roma, but advance to Champions League final on aggregate amid controversial referee decisions”. cbssports.com (2018年5月3日). . 3 May 2018閲覧.
- ↑ “ジェコが圧巻ハットトリック! ローマ、大量5得点でプルゼニに完勝”. . 2018-10-7閲覧.
- ↑ Jody Houton and Ann Gripper (2009年6月6日). “Edin Dzeko profile: 10 things you need to know about the Arsenal target”. mirrorfootball.co.uk. . 2010閲覧.
- ↑ “2010 World Cup Qualifying Statistics”. FIFA.com . 2009閲覧.
- ↑ ボスニア・ゼコ、明らかな誤審を批判「主審も家に帰るべき」 サンスポ
- ↑ “Bos-Herce 3–1 Iran”. BBC. (2014年6月25日) . 27 June 2014閲覧.
- ↑ “Džeko zabio 50 golova protiv 26 reprezentacija” (Bosnian). reprezentacija.ba (2017年3月28日). . 8 May 2017閲覧.
- ↑ モウリーニョ、L・スアレスの最優秀選手に不満
- ↑ Magath: Was läuft da mit Dzekos Cousin? bild.de 2009年6月3日
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
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テンプレート:サッカー・ブンデスリーガ得点王 (ドイツ) テンプレート:UEFAヨーロッパリーグ得点王 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表 - 出場大会 |
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テンプレート:2014 FIFAワールドカップボスニア・ヘルツェゴビナ代表 |