ウニクレディト
ウニクレディト (イタリア語: Unicredit S.p.A.) は、イタリア国籍のカトリック系メガバンク。オーストリア銀行などを子会社とする。ミラノ中心部に建つウニクレディト・タワーでグループ全体を管理している[1]。イタリア証券取引所・ワルシャワ証券取引所に上場している。2008年にウニクレーディト・イタリアーノ(UniCredito Italiano)から改称した。
沿革
1998年、ジェノヴァに拠点を置く「クレーディト・イタリアーノ」(イタリア信用銀行)と、ボローニャに拠点を置く「ローロ銀行1473」(Rolo Banca 1473)、トリノに拠点を置く「ウニクレーディト」とが合併して、「ウニクレーディト・イタリアーノ」が生まれた[2]。
1999年にはウニクレーディト・イタリアーノ・グループにトレントのトレント・ロヴェレート貯蓄銀行 (Cassa di Risparmio di Trento e Rovereto) と、トリエステのトリエステ貯蓄銀行 (Cassa di Risparmio di Trieste) が参加。
ベルルスコーニ政権下、2002年の7月から9月にかけて、「S3プロジェクト」として7つの銀行が合併。
2003年1月1日には、家庭や小規模企業を対象とした「ウニクレディト銀行」(Unicredit Banca)、富裕層を対象とした「ウニクレディト個人銀行」(Unicredit Private Banking)、企業を対象とした「ウニクレディト企業銀行」(Unicredit Banca d'Impresa) といった、省略した形式であるウニクレディト (Unicredit) という商標を付加した3つの新しい銀行を創設した。
さらに2003年には、既にグループに所属していたウンブリア銀行(旧ペルージャ貯蓄銀行)とカプリ貯蓄銀行が合併。
2005年には、ヒポ・フェラインスバンクAG(HVBグループ)に対し株式公開買い付けを行い買収。同行のルーツは、同順でバイエルン国王のルートヴィヒ1世と2世の勅許を得た、ヒポバンク(Bayerische Hypotheken- und Wechsel-Bank)とバイエルン連合銀行(Bayerische Vereinsbank)であった。
2007年にウニクレディトは、当時イタリア第4の銀行グループであったカピターリア(Capitalia S.p.A.)を吸収合併、この時に登記上の本拠地をジェノヴァからローマへ移転した。
2010年、子会社のローマ銀行(Banca di Roma)やシチリア・パレルモのシチリア銀行(Banco di Sicilia)を吸収合併した。
2010年代に入り、カザフスタンやラトビアで展開していた商業銀行事業から撤退、赤字経営に転落し、不良債権はヨーロッパの金融機関としては最大規模に膨張した[3]。従業員の削減が実施され、アメリカの投資会社を中心とする増資や不良債権の売却など、経営再建の途上にある[4]。
日本では、東京(大手町ファーストスクエア)に支店を持つ[5]。
グループ企業
オーストリアとその隣国。ドイツと、かつてはドイツに中央銀行を支配されたロシア。
- オーストリア銀行
- FinecoBank(イタリア)
- HypoVereinsbank(ドイツ)
- Bank Polska Kasa Opieki Spółka Akcyjna(ポーランド)
- UniCredit Bank Czech Republic and Slovakia
- UniCredit Bank Slovenia
- Zagrebačka banka(クロアチア)
- UniCredit Bank Serbia
- UniCredit Bank România
- УниКредит Булбанк(ブルガリア)
- UniCredit Bank Russia
脚注
- ↑ 近世、ミラノはイタリア政策の拠点であった。
- ↑ “Provvedimento N°24: Credito Italiano / Unicredito (PDF)” (イタリア語). イタリア銀行 (1998年11月2日). . 2017閲覧.
- ↑ “イタリア銀行部門の不良債権問題と対応策 (PDF)”. 野村資本市場研究所. . 2017閲覧.
- ↑ “欧州を揺るがすイタリア最大銀行の苦境”. ウォール・ストリート・ジャーナル (2016年9月12日). . 2017閲覧.
- ↑ “UniCredit Bank AG - Tokio Branch” (英語). ウニクレディト. . 2017閲覧.
外部リンク
- コーポレートサイト(英語)(イタリア語)
- 一般利用者向けサイト(イタリア語)