アメリカ合衆国長老教会

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ファイル:PCUSA Tokyo Mission in 1880s.jpg
1880年代半ばの、アメリカ合衆国長老教会東京ミッションのメンバーの家族の集合写真

アメリカ合衆国長老教会 (The Presbyterian Church in the United States of America,PCUSA, )は、アメリカ合衆国にかつてあった長老派教会の教派である。アメリカ合衆国の独立後の1789年に形成され、1958年まで存在していた。

歴史

PCUSAの最初の大会は、1789年フィラデルフィアで開かれた。そして聖書に従属する基準としてウェストミンスター信仰告白ウェストミンスター大教理問答ウェストミンスター小教理問答を採用した。ウェストミンスター信仰告白は合衆国に合わせて若干修正された。

第二次大覚醒リバイバルの時にカンバーランド長老教会がPCUSAから分離した。

1836年に、ニュー・スクール(リバイバル(信仰復興)賛成派、穏健カルヴィニズム)とオールド・スクール(伝統的礼拝スタイル、厳格カルヴィニズム)に分裂した。1869年に再合同した。

1861年に米国南部の州の長老教会は、奴隷問題のためPCUSAから離れ合衆国長老教会(Presbyterian Church in the United States、略PCUS)を形成した。南部でPCUSAにとどまった教会は、しばしば軽蔑的に「北部の教会」と呼ばれた。

1906年にカンバーランド長老教会の多くがPCUSAと再合同した。その際に、ウェストミンスター信仰告白はジョン・ウェスレー派のアルミニウス主義の影響を受けて修正された。

PCUSAは1922年から1936年に聖書の霊感と権威、信仰告白、禁酒運動をめぐって、キリスト教根本主義福音主義)と、近代主義者(自由主義神学)との重大な論争(メイチェン論争)を経験した。この論争によってPCUSAから分離した保守派が正統長老教会を形成した。これはPCUSAにおける最初の保守派のシスマになった。

1958年に、北米長老教会と合併し、1983年さらに現在のUSA長老教会(Presbyterian Church (U.S.A.))が形成された。

海外伝道局

ニュー・スクールとオールド・スクールの分裂の翌年、1837年に、それまでのようにアメリカン・ボードに参加する形で宣教師を派遣することをやめてオールド・スクールで独自に海外伝道局(米国長老海外伝道局)を設置した。その時の最初の宣教師の一人がジェームス・カーティス・ヘボンである。

1854年に徳川幕府と米国政府の間に日米和親条約が締結されると、最初に清国在住の宣教師デヴィー・ボサン・マッカーティーに日本へ宣教師として渡航するように命じた。しかし、一般人の日本渡航は許されず、失敗した。

1858年7月29日に日米修好通商条約が締結された。その第8条によりキリスト教宣教師の来日が可能になった。そこで、海外伝道局では、自ら志願したヘボンと清国在住のジョン・リビングストン・ネビアスを日本宣教師に任命した。[1]

日本派遣宣教師

脚注

  1. 中島耕二2003年、15-16頁

参考文献

  • 小野静雄 「プロテスタント開教と最初の教会」『日本プロテスタント教会史(上)明治・大正篇』 聖恵授産所、1986-02-10。ISBN 4-88077-020-5。
  • 中島耕二 「米国長老教会宣教師」『長老・改革教会来日宣教師辞典』 新教出版〈日本キリスト教史双書〉、2003-03-25。ISBN 4-400-22740-5。
  • 高橋昌郎 「居留地のキリスト教」『明治のキリスト教』 吉川弘文館、2003-02-10。ISBN 4-642-03752-7。
  • 中村敏 「プロテスタント教会による日本宣教(戦前)」『日本キリスト教宣教史』 いのちのことば社、2009-05-10。ISBN 978-4-264-02743-0。

外部リンク