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[没]慶応2 (1866).12.26. 江戸
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江戸時代後期の国学者。通称は次郎左衛門,のちに主水。号は薄斎。[[黒川真頼]]の養父。初め狂歌作者として活躍,3世浅草庵を継ぐ。のち和歌に転じ,[[本居宣長]]に私淑して[[国学]]に志し,宣長の説を奉じる。一方では[[狩谷<img title="" src="http://media.japan.eb.com/bolj2/letter/03/0305_16.gif" border="0">斎]]の門下に入り,言語の研究に励む。出典を明確にするなど緻密な考証を旨とし,考証学において顕著な功績を残した。主著『碩鼠漫筆』(1859),『音韻考証』(1862),『古物語類字抄』『金石銘文鈔』。
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江戸時代後期の国学者。通称は次郎左衛門,のちに主水。号は薄斎。[[黒川真頼]]の養父。初め狂歌作者として活躍,3世浅草庵を継ぐ。のち和歌に転じ,[[本居宣長]]に私淑して[[国学]]に志し,宣長の説を奉じる。一方では[[狩谷<img title="" src="http://media.japan.eb.com/bolj2/letter/03/0305_16.gif" border="0">斎]]の門下に入り,言語の研究に励む。出典を明確にするなど緻密な考証を旨とし,考証学において顕著な功績を残した。主著『碩鼠漫筆』(1859),『音韻考証』(1862),『古物語類字抄』『金石銘文鈔』。

2018/7/29/ (日) 16:27時点における最新版

[生]寛政11 (1799).江戸

[没]慶応2 (1866).12.26. 江戸


江戸時代後期の国学者。通称は次郎左衛門,のちに主水。号は薄斎。黒川真頼の養父。初め狂歌作者として活躍,3世浅草庵を継ぐ。のち和歌に転じ,本居宣長に私淑して国学に志し,宣長の説を奉じる。一方では[[狩谷<img title="" src="0305_16.gif" border="0">斎]]の門下に入り,言語の研究に励む。出典を明確にするなど緻密な考証を旨とし,考証学において顕著な功績を残した。主著『碩鼠漫筆』(1859),『音韻考証』(1862),『古物語類字抄』『金石銘文鈔』。