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{{Infobox 作家
 
| name          = 藤沢 周平<br />(ふじさわ しゅうへい)
 
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| pseudonym    =
 
| birth_name    = 小菅 留治(こすげ とめじ)
 
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| birth_place  = {{JPN}} [[山形県]][[東田川郡]][[黄金村 (山形県)|黄金村]]<br/>(現・[[鶴岡市]])
 
| death_date    = {{死亡年月日と没年齢|1927|12|26|1997|1|26}}
 
| death_place  = {{JPN}} [[東京都]][[新宿区]][[戸山 (新宿区)|戸山]]
 
| resting_place = 八王子霊園
 
| occupation    = [[小説家]]
 
| language      = [[日本語]]
 
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| alma_mater    = [[山形師範学校]]
 
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| awards        = [[オール讀物新人賞]](1971年)<br />[[直木三十五賞]](1973年)<br/>[[吉川英治文学賞]](1986年)<br />[[芸術選奨]](1989年)<br />[[菊池寛賞]](1989年)<br />[[朝日賞]](1994年)<br />[[紫綬褒章]](1995年)
 
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<!--| footnotes    = -->
 
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'''藤沢 周平'''(ふじさわ しゅうへい、[[1927年]]([[昭和]]2年)[[12月26日]] - [[1997年]]([[平成]]9年)[[1月26日]])は、[[日本]]の[[小説家]]。[[山形県]][[鶴岡市]]出身。本名、'''小菅 留治'''(こすげ とめじ)。[[ABO式血液型|血液型]]はB型<ref>阿部達二『藤沢周平残日録』p.87</ref>。
 
  
[[江戸時代]]<ref>特に町人文化が熟した[[文化文政]]期を主に描いた。</ref>を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた[[時代小説]]作品を多く残した<ref>藤沢周平にとって小説はどう書いてもいいのではなく、人生の哀切を確かに読者に伝える事のできる小説をと願った。それを時代小説という形式で現した。その時代小説は、剣客や藩士の登場する'''武家もの'''と、町人や渡世人を主人公とする'''市井もの'''との二系列に書き分けられている。(藤沢周平著 『藤沢周平全集 別巻』 文藝春秋 2002年 17ページ)</ref>。とくに、架空の[[]]「'''[[海坂藩]]'''(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。
+
'''藤沢 周平'''(ふじさわ しゅうへい、[[1927年]]([[昭和]]2年)[[12月26日]] - [[1997年]][[平成]]9年)[[1月26日]]
  
長女[[遠藤展子]]は、[[随筆家|エッセイスト]]。[[2010年]][[4月29日]]、出身地の鶴岡市に「[[鶴岡市立藤沢周平記念館]]」が開館した。
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小説家。山形師範学校在学中から同人誌に寄稿を始めた。中学校に赴任するが,肺結核のため休職。療養中に俳誌『海坂』に投句。その後,業界紙の編集をするかたわら精力的な執筆活動を続け,1971年『溟 (くら) い海』で『オール讀物』新人賞を受賞。 73年『暗殺の年輪』で直木賞を受賞。いずれも死や運命をめぐる深く暗い情念が作品の根底を流れるといえる。連作短編集『用心棒日月抄』,長編小説『一茶』 (1978) ,『回天の門』 (79) ,『闇の傀儡師』 (80) などからはさまざまな境遇に生きる人間に向けた穏やかな視線が加わり,読者層も広がった。さらに『海鳴り』 (84) ,『蝉しぐれ』 (88) ,『三屋清左衛門残日録』 (89) では,青春時代から老境にいたる人間像を通し普遍的な人生のありさまを描き多くの共感を呼んだ。 86年『白き瓶-小説・長塚節』で吉川英治文学賞,89年一連の執筆活動に対し菊池寛賞,90年『市塵』で芸術選奨文部大臣賞,さらに 90年には「時代小説の完成」に対して朝日賞をそれぞれ受賞した。病の床で書き上げた『漆の実のみのる国』が遺作となった。
  
== 来歴・人物 ==
+
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=== 生い立ち ===
 
[[山形県]][[東田川郡]][[黄金村 (山形県)|黄金村]]大字高坂字楯ノ下(現在の[[鶴岡市]]高坂)に生まれる。父小菅繁蔵と母たきゑの第四子(兄弟は順に繁美、このゑ、久治、留治、てつ子、繁治)。実家は[[農家]]で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。郷里[[庄内地方|庄内]]と並んで農は、作家藤沢周平を考えるうえで欠くことのできない要素である。
 
 
 
[[1934年]](昭和9年)、青龍寺[[尋常小学校|尋常高等小学校]]入学(在学中に黄金村[[国民学校]]に改称。現在の[[鶴岡市立黄金小学校]])。小学校時代からあらゆる小説、雑誌の類を濫読し、登下校の最中にも書物を手放さなかった。また、6年生の頃には時代物の小説を書いた<ref>『歴史読本』編集部編『藤沢周平を読む』 新人物往来社、2010年 298ページ</ref>。[[1938年]](昭和13年)、11歳の時ひどい吃音に悩まされる<ref>[[笹沢信]]著 『藤沢周平伝』 白水社 2013年 423ページ</ref>。[[1942年]](昭和17年)、15歳の時、黄金村国民学校高等科を卒業し、山形県立鶴岡中学校(現在の[[山形県立鶴岡南高等学校|鶴岡南高校]])夜間部入学。昼間は印刷会社や村役場書記補として働いた。
 
 
 
[[1945年]](昭和20年)、18歳、「8月15日の終戦のラジオ放送を、わたしは役場の控え室で聞いた。……喜びもかなしみもなく、私はだだっぴろい空虚感に包まれていた。しばらくして、これからどうなるのだろうと思ったが、それに答えるひとは誰もいないこともわかっていた。」(第七巻月報)<ref>藤沢周平著 『藤沢周平全集 第23巻』 文藝春秋 1994年 578ページ</ref>
 
 
 
[[1946年]]に[[旧制中学校|中学校]]を卒業後、[[山形師範学校]]<ref>当時の師範学校は入学金も授業料も要らなかった。予科から入っていれば、給費二千円近くもらえた。しかし、小菅は本科から入った。下宿代は出さねばならなかったから、親にはかなりな負担を賭けている。奨学金を貰った。</ref>(現在の[[山形大学]])に進む<ref>留治にとって兄久治が復員してきたことも進学を決心させた</ref>。一級上に[[無着成恭]]<ref>藤沢周平著 『藤沢周平全集 第23巻』 文藝春秋 1994年 577-578ページ</ref>がいた。入学後はもっぱら文芸に親しみ、校内の[[同人雑誌]]『砕氷船』に参加した(このときの同人は[[蒲生芳郎]]、小松康裕、土田茂範、那須五郎、丹波秀和、松阪俊雄、小菅留治の7人、最初は自筆原稿の回覧、ポーの評伝を発表)。この時期の思いでは自伝『半生の記』に詳しく記されており、また小説作品にしばしば登場する剣術道場同門の友情などにも形を変えて描かれている。小菅は、二年生の夏と三年生の冬の二回肺炎になりかけた。二回目の時には意識不明の状態に陥っている。
 
 
 
=== 教員時代 ===
 
[[1949年]]、山形師範学校を卒業後、山形県[[西田川郡]][[湯田川村]]立湯田川中学校(鶴岡市湯田川、現在は[[鶴岡市立鶴岡第四中学校]]へ統合)へ赴任し<ref>{{cite web|url=http://yamagata-np.jp/feature/kiyokawahachirou/kj_2010122100787.php |title=「元気・まちネット」踏査同行記(4) 湯田川温泉 |publisher=[[山形新聞]] |date=2009-10-01 |accessdate=2011-03-26 }}</ref>、国語と社会を担当。[[1951年]]、『砕氷船』の後継誌である『プレリュウド』に参加した。優秀な教師として将来を嘱望され、教え子たちからも「体格がよく、スポーツマンで、色白で二枚目の素敵な先生」と慕われた。当時、この地方では師範学校卒の教師はエリートであり、順調な人生を歩み始めた。しかし、この年3月の集団検診で当時不治の病とされた[[肺結核]]が発見され、休職を余儀なくされる<ref>教師時代の事項は専ら徳永文一『業界紙時代の藤沢周平』(文春文庫『甘味辛味』所収)に基づく。</ref>。
 
 
 
1952年2月、[[東京都]][[北多摩郡]]東村山町(現在の[[東村山市]])の篠田病院に入院し、保生園病院において右肺上葉切除の大手術を受けた。予後は順調で、篠田病院内の[[句会]]に参加し、静岡県の俳誌『海坂』([[百合山羽公]]、[[相生垣瓜人]]主宰)に投稿をおこなうようになる。'''北邨'''という[[俳号]]を用いた。またこの時期に大いに読書に励み、ことに海外小説に親しみ、作家生活の素地を完成させた。
 
 
 
=== 記者時代 ===
 
[[1957年]]、退院準備に入るものの思わしい就職先が見つからず、郷里で教員生活を送ることを断念。歴史研究家の[[大井篤]]の妹・晴の勧めにより[[練馬区]]貫井町に下宿して[[業界紙|業界新聞]]に勤めはじめるも、倒産などが相次ぎ数紙を転々とする。<ref>後に徳永文一が調査したところでも、藤沢がこの時期どこに勤めていたのかは判然としないという。徳永文一『業界紙時代の藤沢周平』(文春文庫『甘味辛味』所収)。</ref>[[1959年]]、三浦悦子と結婚。8歳年下の同郷者であった。[[1960年]]に株式会社日本食品経済社に入社、『日本食品加工新聞』の記者となる。以後作家生活に専念するまで同社に勤務、記者としての仕事は、本人の性にあっており、精力的に取材執筆を行う。のちに同紙編集長に昇進し、ハム・ソーセージ業界について健筆を振るい、業界の健全化に尽力した。コラム「甘味辛味」をほとんど一人で執筆。<ref>「甘味辛味」は藤沢没後、文春文庫から遺稿集として出版された。「ほとんど一人」は徳永文一『業界紙時代の藤沢周平』による(文春文庫『甘味辛味』所収)。</ref>取材先の一つで[[日本ハム]]創業者で当時社長の[[大社義規]]とは信頼関係を結んだ<ref>「藤沢周平のすべて」での同僚金田明夫の回想と、阿部達二「発掘! 新聞記者 藤沢周平のエッセイ」、『オール読物』(2012年2月号、文藝春秋)による。</ref>。そのかたわら文学への情熱やみがたく、勤務のかたわらこつこつと小説を書きつづけていた。当時はもっぱら[[純文学]]を志していたらしい([[1963年]]には、[[読売新聞]]短編小説賞に『赤い夕日』が選外佳作となった)。
 
 
 
[[1963年]]、長女・展子が生まれ、[[清瀬市]]上清戸で間借り生活を始めるも、同年10月に妻・悦子が急性の癌により<ref>徳永及び『藤沢周平の説いた我慢』2013年1月20日読売新聞15面</ref>急死(28歳)。このことに強い衝撃を受け、同市内で引っ越しをしつつ、やり場のない虚無感をなだめるために[[時代小説]]の筆を執るようになる。主に大衆的な「倶楽部雑誌」に短編を発表(『藤沢周平 未刊行初期短編』に収録)。藤沢作品の初期に特徴的な、救いのない暗い雰囲気とヒロインの悲劇には、妻の死がつよく影響を与えていると思われる。翌年以降、毎年のように[[オール讀物新人賞]]に投稿を始める。[[1965年]]から'''藤沢周平'''の[[ペンネーム]]を使いはじめた。「藤沢」は悦子の実家のある地名(鶴岡市藤沢)から、「周」の字は悦子の親族の名から採られている<ref>阿部達二『藤沢周平残日録』、p.85</ref>。
 
 
 
=== 作家デビュー ===
 
妻の没後は、郷里から呼び寄せた母、長女との三人暮らしとなり、目の悪い母を看病しつつ育児を行い、編集長の激務の傍ら5年独身で過ごす。再婚話は中々まとまらなかった。<ref>徳永『業界紙時代の藤沢周平』より</ref>[[1969年]]、高澤和子と再婚。長女とあわせて三人家族となり、疲労困憊していた家事から解放され、週末は小説執筆に専念できるようになった。[[1970年]]に[[東久留米市]]に引っ越しをし、翌年[[1971年]]、ついに 『溟い海』が第38回オール讀物新人賞を受賞。[[直木賞]]候補となり、翌年『暗殺の年輪』で第69回直木賞。記者仲間や大社らに祝われ、編集長の傍ら新進の時代小説作家として認められるようになる。この年最初の作品集『暗殺の年輪』を[[文藝春秋]]より刊行し、翌[[1974年]]には日本食品経済社を退社して、本格的な作家生活に入る。
 
 
 
この頃の自分の心境を、藤沢はこう述べている。
 
{{Quote|
 
「三十代のおしまいごろから四十代のはじめにかけて、私はかなりしつこい鬱屈をかかえて暮らしていた。鬱屈といっても仕事や世の中に対する不満といったものではなく、まったく私的なものだったが、私はそれを通して世の中に絶望し、またそういう自分自身にも愛想をつかしていた。(中略)(そういう鬱屈の解消方法が)私の場合は小説を書く作業につながった。「溟い海」は、そんなぐあいで出来上がった小説である。」
 
|(「溟い海」の背景)
 
}}
 
{{Quote|
 
「私自身当時の小説を読み返すと、少少苦痛を感じるほどに暗い仕上がりのものが多い。男女の愛は別離で終わるし、武士が死んで物語が終わるというふうだった。ハッピーエンドが書けなかった。」
 
|(転機の作物)
 
}}
 
 
 
初期には自ら述べるように暗く重い作風であり、地味な作家であったが、[[1976年]]刊行の『竹光始末』、同年連載の『用心棒日月抄』のあたりから作風が変り、綿密な描写と美しい抒情性のうえにユーモアの彩りが濃厚となってきた。藤沢は、これについて
 
「『用心棒日月抄』あたりから[[ユーモア]]の要素が入り込んできた。北国風のユーモアが目覚めたということだったかも知れない」(転機の作物、要約)と述べている。
 
 
 
=== 円熟の作家として ===
 
1980年代前半、町人もので数多くの秀品をものする(『時雨みち』『霜の朝』『龍を見た男』などの短篇集に所収)一方で、[[大衆小説]]の本道ともいうべき娯楽色の強いシリーズもの(短篇連作)を次々と生みだす。刊行年によって挙げると、[[1980年]]に町人ものの『橋ものがたり』、捕物帳の『霧の果て-神谷玄次郎捕物控』、獄医立花登ものの第一作となる『春秋の檻-獄医立花登手控え』、『用心棒日月抄』の第二部『孤剣』、翌[[1981年]]にはユーモア色を生かした『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』と立花登ものの第二作『風雪の檻』、[[1982年]]には同じく『愛憎の檻』、[[1983年]]には『用心棒日月抄』の系統を生かした『よろずや平四郎活人剣』、立花登第三作『人間の檻』、『用心棒日月抄』の第三作『刺客』などがある。
 
 
 
[[1984年]]以降になると、こうしたシリーズもののほかに綿密な構成による長篇が登場し、物語性のつよい傑作が相次いで発表・刊行されるようになる。すでに[[1980年]]に唯一の伝奇小説『闇の傀儡師』、[[1982年]]に江戸の[[ハードボイルド]]を狙ったといわれる彫師伊之助ものの第二作『漆黒の霧の中で-彫師伊之助捕物覚え』が上梓されているが、[[1984年]]には江戸を舞台にした恋愛小説『海鳴り』、[[1985年]]には武家青春小説とお家騒動ものの系譜の集大成ともいえる『風の果て』と伊之助もの第三作『ささやく河』が刊行され、いずれも高い人気を得た。
 
 
 
[[1992年]]6月に、[[文藝春秋]]で『藤沢周平全集』<ref>[[向井敏]]『海坂藩の侍たち』は、大半は「全集」解説集。</ref>を刊行開始した(全23巻、1994年4月完結)<ref>没後の2002年に、24巻「漆の実のみのる国 ほか短編」、25巻「書簡・句集 ほか」、別巻「作品解説 ほか」が、2012年には、26巻「初期短篇十五篇、エッセイ、選評集」が刊行された。</ref>。
 
 
 
=== 晩年 ===
 
[[1995年]]頃より、若いころの結核手術の際の輸血に際し罹患した[[肝炎]]により、[[1996年]]には入退院をくりかえす。1996年7月に帰宅した際、『文藝春秋』への連載が4月号より中断していた「漆の実のみのる国」結末部の6枚を執筆した。
 
 
 
[[1997年]][[1月26日]]、[[肝不全]]のため[[国立国際医療センター]]で逝去した({{没年齢|1927|12|26|1997|1|26}})<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)285頁</ref>。戒名は藤澤院周徳留信居士、墓所は都営[[八王子霊園]]。
 
 
 
没後、山形県県民栄誉賞と鶴岡市特別顕彰(鶴岡市名誉市民顕彰と同等)が贈られた。鶴岡藤沢周平文学愛好会が、毎年「寒梅忌」を開催している(祥月命日の前後)<ref>{{cite news |title=藤沢さんの魅力再発見 鶴岡・没後20年「寒梅忌」、パネル展も|author= |agency=|publisher=山形新聞|date=2017-01-30 |url=http://yamagata-np.jp/news/201701/30/kj_2017013000741.php|accessdate=2017-2-4}}</ref><ref>{{cite news |title=<藤沢周平>没後20年 魅力語り尽くせず|author= |agency=|publisher=河北新報|date=2017-01-30 |url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201701/20170130_53029.html|accessdate=2017-2-4}}</ref>。
 
 
 
== 受賞歴と選考委員歴 ==
 
=== 受賞歴 ===
 
*[[1971年]](昭和46年)「溟い海」で、第38回「オール讀物」新人賞受賞。
 
*[[1973年]](昭和48年)「暗殺の年輪」で、第69回直木賞受賞。
 
*[[1986年]](昭和61年)「白き瓶」で、第20回[[吉川英治文学賞]]受賞。
 
*[[1989年]](平成元年)「[[市塵]]」で、第40回[[芸術選奨文部大臣賞]]受賞。
 
*[[1989年]](平成元年) 作家生活全体の功績に対して、第37回菊池寛賞受賞。
 
*[[1994年]](平成6年)[[朝日賞]]受賞。第10回東京都文化賞受賞。
 
*[[1995年]](平成7年)[[紫綬褒章]]受章。
 
*[[1997年]](平成9年)鶴岡市特別顕彰、山形県県民栄誉賞受賞。
 
 
 
=== 選考委員 ===
 
*[[1976年]]からはオール讀物新人賞選考委員。
 
*[[1985年]]から直木賞選考委員。
 
*[[1988年]]、[[山本周五郎賞]]選考委員。
 
 
 
== エピソード ==
 
*[[織田信長]]の先進性を認めながらも、小説の下調べのため史料を調べている時に残虐な振る舞いの多さに気づき、以降信長を嫌うようになった、とエッセイ『信長ぎらい』で述べている。別のエッセイによれば、この小説は[[明智光秀]]を描いた小説『逆軍の旗』のことであったという。また、この信長観については「全集」解説を担当している[[向井敏]]が、[[司馬遼太郎]]との差異として取り上げている。
 
 
 
*趣味は[[囲碁]]。日本棋院から初段を認められる腕前であり、職場(新聞社)の昼休みに打つ他、作家専業になってからも近所の碁会所に通ったり、作家仲間と打つなどしていた。碁に負けると[[林海峰]]の『定石の急所』を帰宅後ひそかに読んでいたという。本人は「直木賞をとってもアマ四段の職場の同僚に負けており、なかなか腕が上がらない」と述べている。また、しばしばエッセイで囲碁について触れている。
 
 
 
*郷里である[[山形県]][[鶴岡市]]に憧憬があり、作品に反映されている。とくに[[庄内交通]][[庄内交通湯野浜線|湯野浜線]]電車([[1975年]]廃止)が馴染みがあったこともあり、書斎には同線が廃止になった際に作られたレールの文鎮があり、愛用していた<ref>1994年3月2日、朝日新聞「藤沢周平の世界」</ref>。また、1975年に発刊された『消えゆく山形の私鉄電車』(久保田久雄、東北出版企画)にも、湯野浜線電車廃止についてコメントを寄せている。
 
 
 
*自伝随想集である『周平独言』内では、「ある政党」を応援していると記してあるが、同項で文学と政治では分野が異なると述べ、選挙応援などの政治活動は自分には似合わないことのような気がするとも記している。
 
 
 
== 著書 ==
 
=== シリーズ作品 ===
 
* [[用心棒日月抄]]シリーズ
 
** 用心棒日月抄 新潮社 1978 のち文庫
 
** 孤剣 用心棒日月抄 新潮社 1980 のち文庫
 
** 刺客 用心棒日月抄 新潮社 1983 のち文庫
 
** 凶刃 用心捧日月抄 新潮社 1991 のち文庫
 
* 彫師伊之助捕物覚え
 
** 消えた女 立風書房 1979 のち新潮文庫
 
** 漆黒の霧の中で 新潮社 1982 のち文庫
 
** ささやく河 新潮社 1985 のち文庫
 
* [[立花登・青春手控え|獄医立花登手控え]]シリーズ
 
** 春秋の檻 獄医立花登手控え1 講談社 1980 のち文庫、文春文庫
 
** 風雪の檻 獄医立花登手控え2 講談社 1981 のち文庫、文春文庫
 
** 愛憎の檻 獄医立花登手控え3 講談社 1982 のち文庫、文春文庫
 
**人間の檻 獄医立花登手控え4 講談社 1983 のち文庫、文春文庫
 
* [[隠し剣]]シリーズ
 
** 隠し剣孤影抄 文藝春秋 1981 のち文庫
 
** 隠し剣秋風抄 文藝春秋 1981 のち文庫
 
 
 
=== 作品 ===
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
* 暗殺の年輪 文藝春秋 1973 のち文庫
 
* 又蔵の火 文藝春秋 1974 のち文庫
 
* 闇の梯子 文藝春秋 1974 のち文庫
 
* 檻車墨河を渡る 文藝春秋 1975
 
** 改題 「雲奔る 小説・[[雲井龍雄]]」 文春文庫、のち中公文庫
 
* 竹光始末 立風書房 1976 のち新潮文庫
 
* 時雨のあと 立風書房 1976 のち新潮文庫
 
* [[義民が駆ける]] [[中央公論新社|中央公論社]] 1976 のち文庫、[[講談社文庫]]
 
* 冤罪 青樹社 1976 のち新潮文庫
 
* 暁のひかり 光風社書店 1976 のち文春文庫
 
* 逆軍の旗 青樹社 1976 のち文春文庫
 
* 喜多川歌麿女絵草紙 青樹社 1977 のち[[文春文庫]]
 
* 闇の穴 立風書房 1977 のち新潮文庫
 
* 闇の歯車 講談社 1977 のち文庫、[[中公文庫]]
 
* 長門守の陰謀 立風書房 1978 のち文春文庫
 
* 春秋山伏記 家の光協会 1978 のち新潮文庫、[[角川文庫]]
 
* [[一茶 (小説)|一茶]] 文藝春秋 1978 のち文庫
 
* 神隠し 青樹社 1979 のち新潮文庫
 
* 雪明かり 講談社文庫 1979
 
* 回天の門 文藝春秋 1979 のち文庫
 
* 驟り雨 青樹社 1980 のち新潮文庫
 
* 橋ものがたり 実業之日本社 1980 のち新潮文庫
 
* [[神谷玄次郎捕物控|出合茶屋 神谷玄次郎捕物控]] [[双葉社]] 1980
 
** 改題 「霧の果て」文春文庫 1985
 
* 闇の傀儡師 文藝春秋 1980 のち文庫
 
* 夜の橋 中央公論社 1981 のち文庫、文春文庫
 
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
* 時雨みち 青樹社 1981 のち新潮文庫
 
* 霜の朝 青樹社 1981 のち新潮文庫
 
* 密謀 毎日新聞社 1982 のち新潮文庫
 
* [[よろずや平四郎活人剣]] 文藝春秋 1983 のち文庫
 
* 龍を見た男 青樹社 1983 のち新潮文庫
 
* 海鳴り 文藝春秋 1984 のち文庫
 
* 白き瓶-小説・[[長塚節]] 文藝春秋 1985 のち文庫
 
* [[花のあと]] 青樹社 1985 のち文春文庫
 
* [[風の果て]] 朝日新聞社 1985 のち文春文庫
 
* 決闘の辻 藤沢版新剣客伝 講談社 1985 のち文庫
 
* 潮田伝五郎置文 東京文芸社 1985 新版1989 のち光風社出版
 
* 本所しぐれ町物語 新潮社 1987 のち文庫
 
* [[蝉しぐれ]] 文藝春秋 1988 のち文庫
 
* [[たそがれ清兵衛]] 新潮社 1988 のち文庫
 
* [[市塵]] 講談社〈日本歴史文学館〉 1988 新版1989 のち文庫
 
* 麦屋町昼下がり 文藝春秋 1989 のち文庫
 
* [[三屋清左衛門残日録]] 文藝春秋 1989 のち文庫
 
* 玄鳥 文藝春秋 1991 のち文庫
 
* 天保悪党伝 角川書店 1992 のち文庫、新潮文庫
 
* [[秘太刀 馬の骨|秘太刀馬の骨]] 文藝春秋 1992 のち文庫
 
* 夜消える 文春文庫 1994、文藝春秋 1995
 
* 日暮れ竹河岸 文藝春秋 1996 のち文庫
 
* [[漆の実のみのる国]] 文藝春秋 1997 のち文庫
 
* 早春 その他 文藝春秋 1998 のち文庫
 
* 静かな木 新潮社 1998 のち文庫
 
* 未刊行初期短篇 文藝春秋 2006 のち文庫<ref>改題「無用の隠密 未刊行初期短篇」 文春文庫 2009。1編追加し全15篇</ref>
 
</div>{{clear}}
 
 
 
==== 随想集 ====
 
* 周平独言 中央公論社 1981 のち文庫、文春文庫。初のエッセイ集
 
* 小説の周辺 潮出版社 1986 のち文春文庫
 
* 半生の記 文藝春秋 1994 のち文庫。自叙伝
 
* ふるさとへ廻る六部は 新潮文庫 1995、新潮社 1998
 
* 帰省 未刊行エッセイ集 文藝春秋 2008 のち文庫
 
* 乳のごとき故郷 文藝春秋 2010
 
* 甘味辛味 <small>業界紙時代の藤沢周平</small> 文春文庫<ref>業界記者だった時期の精選コラム70篇。併せて徳永文一による当時の同僚・仲間を取材した評伝を収録。</ref> 2012
 
* 江戸おんな絵姿十二景 文藝春秋 2016
 
 
 
===作品集 その他===
 
* 藤沢周平短篇傑作選 全4巻 文藝春秋 1981
 
* '''藤沢周平全集''' 文藝春秋。※第1〜23巻 1992-94、第24・25巻・別巻 2002、第26巻 2012
 
* 藤沢周平珠玉選 全9巻 青樹社 1993-94
 
* 藤沢周平句集 文藝春秋 1999 のち文庫
 
* 海坂藩大全(上・下) 文藝春秋 2007
 
 
 
== 著作の他メディア展開 ==
 
=== 映画 ===
 
*[[たそがれ清兵衛]]([[2002年]] 配給:[[松竹]] 監督:[[山田洋次]] 出演:[[真田広之]]、[[宮沢りえ]])
 
*[[隠し剣 鬼の爪]]([[2004年]] 配給:松竹 監督:山田洋次 出演:[[永瀬正敏]]、[[松たか子]])
 
*[[蝉しぐれ]]([[2005年]] 配給:[[東宝]] 監督:[[黒土三男]] 出演:[[市川染五郎 (7代目)|市川染五郎]]、[[木村佳乃]])
 
*[[武士の一分]]([[2006年]] 配給:松竹 監督:山田洋次 主演:[[木村拓哉]]、[[檀れい]])
 
*[[山桜 (映画)|山桜]]([[2008年]] 配給:[[東京テアトル]] 監督:[[篠原哲雄]] 主演:[[田中麗奈]]、[[東山紀之]])
 
*[[花のあと]]([[2010年]] 配給:[[東映]] 監督:[[中西健二]] 主演:[[北川景子]])
 
*[[必死剣 鳥刺し]](2010年 配給:東映 監督:[[平山秀幸]] 主演:[[豊川悦司]])
 
*[[小川の辺]]([[2011年]] 配給:東映 監督:篠原哲雄、主演:東山紀之、[[菊地凛子]])
 
*[[一茶 (小説)#映画|一茶]]([[2017年]]公開予定 監督:[[吉村芳之]]、主演:[[リリー・フランキー]])<ref>{{cite news|url=http://natalie.mu/eiga/news/205205|title=リリー・フランキーが小林一茶役で主演、藤沢周平による伝記小説を映画化|newspaper=映画ナタリー|date=2016-10-13|accessdate=2016-10-13}}</ref>
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
*小ぬか雨([[1980年]] [[TBSテレビ|TBS]]系 出演:[[吉永小百合]]、[[三浦友和]])
 
*[[悪党狩り]](1980年 [[テレビ東京]]系 出演:[[尾上菊五郎 (7代目)|尾上菊五郎]]、[[鶴田浩二]])
 
*愛の旅路([[1981年]] [[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]] 出演:[[大原麗子]]、[[夏八木勲]])
 
*思い違い(1981年 TBS系 出演:[[竹脇無我]])
 
*江戸の用心棒(原作:[[用心棒日月抄]] 1981年 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系 出演:[[古谷一行]]、[[夏八木勲]])
 
*[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|宿命剣鬼走り]](1981年 フジテレビ系 出演:[[萬屋錦之介]])
 
*[[立花登・青春手控え#テレビドラマ(1982年)|立花登 青春手控え]]([[1982年]] [[日本放送協会|NHK]] 出演:[[中井貴一]]、[[篠田三郎]])
 
*[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|彫師伊之助捕物覚え 消えた女]](1982年 フジテレビ系 出演:[[中村梅之助 (4代目)|中村梅之助]]、[[野川由美子]])
 
*[[水曜グランドロマン]]・[[用心棒日月抄]]([[1989年]] [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系 出演:[[杉良太郎]]、[[竜雷太]]) 
 
*[[神谷玄次郎捕物控]](原作:霧の果て-神谷玄次郎捕物控- 1990年 フジテレビ系 出演:古谷一行、[[藤真利子]])
 
*[[腕におぼえあり]](原作:用心棒日月抄 [[1992年]]、[[1993年]] NHK 出演:[[村上弘明]]、[[渡辺徹 (俳優)|渡辺徹]])
 
*[[清左衛門残日録]](原作:[[三屋清左衛門残日録]] 1993年、[[1995年]] NHK 出演:[[仲代達矢]]、[[南果歩]]、[[かたせ梨乃]]、[[財津一郎]])
 
*[[命捧げ候 夢追い坂の決闘]] (原作:穴熊、帰郷 [[1996年]] [[NHK正月時代劇]] 出演:[[緒形拳]]、[[南野陽子]]、[[浅野忠信]])
 
*[[風光る剣 八嶽党秘聞]](原作:闇の傀儡師 [[1997年]] [[NHK正月時代劇]] 出演:[[中井貴一]]、[[高岡早紀]])
 
*[[藤沢周平の用心棒日月抄]](原作:用心棒日月抄 1997年 [[テレビ朝日]]系 出演:[[小林稔侍]]、[[寺尾聰]])
 
*[[よろずや平四郎活人剣#NHK 『新・腕におぼえあり〜よろずや平四郎活人剣〜』|新・腕におぼえあり]](原作:よろずや平四郎活人剣 [[1998年]] NHK 出演:[[高嶋政伸]]、[[村田雄浩]])
 
*[[藤沢周平の人情しぐれ町]](原作:本所しぐれ町物語 [[2000年]] NHK 語り:[[小林桂樹]]、出演:[[萩原健一]]、[[石田ひかり]])
 
*[[蝉しぐれ]]([[2002年]] NHK 出演:[[内野聖陽]]、[[水野真紀]])
 
*[[秘太刀 馬の骨]]([[2005年]] NHK 出演:内野聖陽、[[段田安則]])
 
*[[よろずや平四郎活人剣]]([[2007年]] テレビ東京 出演:[[中村俊介]])
 
*[[風の果て]](2007年 NHK 出演:[[佐藤浩市]])
 
*[[花の誇り]]([[2008年]] NHK 出演:[[瀬戸朝香]]、[[酒井美紀]])
 
*[[神谷玄次郎捕物控]]([[2014年]]、[[2015年]] [[NHK BSプレミアム]] 出演:[[高橋光臣]]、[[中越典子]])
 
*[[藤沢周平 新ドラマシリーズ]]
 
**[[果し合い]](2015年 [[時代劇専門チャンネル]]・[[BSスカパー!]] 出演:[[仲代達矢]])
 
**[[遅いしあわせ]](2015年 時代劇専門チャンネル 出演:[[檀れい]]、[[加藤雅也]]、[[柄本佑]])
 
**[[冬の日 (テレビドラマ)|冬の日]](2015年 時代劇専門チャンネル 出演:[[中村梅雀]]、[[高岡早紀]])
 
*[[三屋清左衛門残日録#テレビドラマ|三屋清左衛門残日録]] / 三屋清左衛門残日録 完結篇([[2016年]]・[[2017年]] [[BSフジ]]・時代劇専門チャンネル 出演:[[北大路欣也]]、[[伊東四朗]])
 
*[[立花登・青春手控え#テレビドラマ(2016年)|立花登青春手控え]] / 立花登青春手控え2(2016年・2017年 NHK BSプレミアム 出演:[[溝端淳平]]、[[平祐奈]])
 
*藤沢周平 新ドラマシリーズ 第二弾「橋ものがたり」(2017年 BSスカパー!)
 
**[[小さな橋で]](出演:[[松雪泰子]]、[[江口洋介]])
 
**[[吹く風は秋]](出演:[[橋爪功]]、[[臼田あさ美]])
 
**[[小ぬか雨]](出演:[[北乃きい]]、[[永山絢斗]])
 
 
 
=== 舞台 ===
 
*若き日の唄は忘れじ-「蝉しぐれ」より([[1994年]] [[宝塚歌劇団]])
 
*腕におぼえあり ([[2000年]]、[[明治座]] 出演:[[村上弘明]])
 
*きょうの雨あしたの風 ([[2002年]]、[[劇団俳優座]] 脚本:吉永仁郎)<br> [驟り雨]より「うしろ姿」、[時雨みち]より「おばさん」、[竹光始末]より「冬の終わりに」<br> 3作品を一つの劇にした。(劇団[[俳優座]]で、2002年秋に東京での初演以降も全国各地で上演している)
 
*春秋山伏記([[2003年]] - [[2004年]] [[わらび座]]) 
 
*三屋清左衛門残日録〜夕映えの人〜 ([[2004年]] [[劇団俳優座]])
 
*蝉しぐれ ([[2007年]] [[大阪松竹座]])
 
*蝉しぐれ ([[2008年]] [[明治座]])
 
*海鳴り ([[2008年]] [[劇団民藝]])
 
*思案橋 ([[2011年]] [[劇団民藝]])「小ぬか雨」(『橋ものがたり』所収)、「夜の雷雨」(『神隠し』所収)、「亭主の仲間」(『時雨みち』所収)すべて新潮文庫刊
 
 
 
=== 朗読(ラジオほか) ===
 
*[[藤沢周平傑作選|朗読・藤沢周平傑作選]] - ([[ニッポン放送]]ほか、[[2009年]]4月より1年間放送され、好評につき放送延長された、案内:[[児玉清]])
 
*『新潮CD [[山田洋次]]が選ぶ 藤沢周平傑作選』-(新潮社、2004年10-11月に10作品を刊行、朗読:[[倍賞千恵子]]・[[奈良岡朋子]]・[[中村梅雀]]ほか) 
 
*『[[森繁久彌]]のNHK[[日曜名作座]] 藤沢周平傑作選』 - (小学館、2010年5月、CD14枚に長編4作+短編集11作を所収) 
 
 
 
== 関連文献 ==
 
=== 作家本人の身辺を主とするもの ===
 
* [[遠藤展子]]『藤沢周平 父の周辺』(文藝春秋、2006年、文春文庫、2010年) ISBN 4-16-777338-4
 
* 遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』 ([[新潮社]]、2007年、[[新潮文庫]]、2009年) ISBN 4-10-128681-7
 
** 遠藤展子<ref>夫遠藤崇寿と共に『わたしの藤沢周平』([[宝島社]]、2009年1月/文春文庫、2012年10月)の監修を行っている。本書は、没後10年を記念した番組『わたしの藤沢周平』(NHK衛星放送BS2)の書籍化で、著名人30数名のファンが、好きな作品を選び想いを語っている。</ref> 『父と娘の「橋ものがたり」』(連作短篇集『橋ものがたり 新版』の巻末エッセイ、[[実業之日本社]]、2007年)、ISBN 4-408-53505-2
 
**『藤沢周平 遺された手帳』(文藝春秋、2017年)、ISBN 4-16-390761-0
 
* 小菅繁治『兄 藤沢周平』([[毎日新聞社]]、2001年)
 
* 粕谷昭二『藤沢周平の礎 小菅留治』(東北出版企画、2008年)、ISBN 4-88761-046-7、故郷の関係者による人間像
 
 
 
=== 作家論・作品論を主とするもの ===
 
* [[向井敏]] 『海坂藩の侍たち 藤沢周平と時代小説』(文藝春秋、1994年、文春文庫、1998年)
 
* [[蒲生芳郎]] 『藤沢周平 「海坂藩」の原郷』([[小学館文庫]]、2002年)、 ISBN 4-09-402796-3
 
* [[高橋敏夫]] 『藤沢周平 <small>負を生きる物語</small>』([[集英社新書]]、2002年)、 ISBN 4-08-720125-2
 
* 高橋敏夫 『藤沢周平という生き方』([[PHP新書]]、2007年)、ISBN 4-569-65994-2 、上記の続編<ref>他に、『藤沢周平の言葉』(角川SSC新書、2009年)、[[佐高信]]との対談『藤沢周平と[[山本周五郎]]』(毎日新聞社、2004年/[[光文社]]知恵の森文庫、2012年)がある。</ref>
 
* [[松本健一]] 『藤沢周平が愛した静謐な日本』(朝日新聞出版、2007年10月、朝日文庫、2010年11月)、ISBN 4-02-264571-7
 
* [[別冊宝島]]編集部編 『藤沢周平の本 <small>全65冊完全案内</small>』(宝島社文庫、2005年)、ISBN 4-7966-4868-2
 
* 『藤沢周平のツボ』(朝日文庫、2007年12月)、ISBN 4-02-264425-7<br> [[関川夏央]]、[[杉本章子]]、[[立松和平]]、[[重松清]]、[[山本一力]]ほか全22名による作品案内。
 
 
 
=== 要素の複合したもの ===
 
* 文藝春秋編 『藤沢周平のすべて』(文春文庫<ref>『文藝春秋臨時増刊 藤沢周平のすべて』(同、1997年10月)の再編版</ref>、2001年2月)、ISBN 4-16-721775-9 
 
* 文藝春秋編 『藤沢周平の世界』(文春文庫<ref>『文藝春秋臨時増刊 藤沢周平の世界』(同、1994年6月)の再編版</ref>、1997年4月)、ISBN 4-16-721763-5 
 
* [[阿部達二]] 『藤沢周平残日録』([[文春新書]]、2004年)、ISBN 4-16-660359-0
 
* [[オール読物]]責任編集 『藤沢周平のこころ <small>没後二十年 文春[[ムック (出版)|ムック]]</small>』(文藝春秋、2016年12月)<ref>ムック本は、他に『「蝉しぐれ」と藤沢周平の世界』(文藝春秋、2005年)、『藤沢周平と〈海坂藩〉を旅する』(徳間書店、2012年)がある。</ref>、ISBN 4-16-008603-9
 
* 『別冊太陽 藤沢周平 <small>人間の哀歓と過ぎし世のぬくもりを描いた小説家</small>』([[平凡社]]、2006年10月) ISBN 4-582-94501-5
 
* [[山形新聞社]]編 『藤沢周平と庄内 <small>海坂藩を訪ねる旅</small>』(ダイヤモンド社、1997年)
 
**改題 『藤沢周平が愛した風景 <small>庄内・海坂藩を訪ねる旅</small>』([[祥伝社]]黄金文庫、2000年) ISBN 4-396-31231-8
 
* 山形新聞社編 『<small>続</small> 藤沢周平と庄内 <small>海坂藩の人と風</small>』(ダイヤモンド社、1999年)
 
* 山形新聞社編 『<small>没後十年</small> 藤沢周平読本』(荒蝦夷(仙台市)、2008年)、※「[[山形新聞]]」連載企画を書籍化<br> [[高橋義夫]]、[[中村明]]、[[蒲生芳郎]]、[[井上史雄]]、[[井上ひさし]]、[[佐伯一麦]]、[[佐藤賢一]]、[[杉村隆]]、[[酒井賀世]]、[[奥島孝康]]、[[仲川秀樹]]、[[中村敦夫]]等が寄稿。
 
* [[笹沢信]] 『藤沢周平伝』(白水社、2013年9月)、※著者は山形新聞社記者で、郷里・[[庄内地方|庄内]]からの視点を軸に描いた評伝。
 
* 「[[歴史読本]]」編集部編 『藤沢周平を読む』<ref>旧版は『別冊歴史読本 藤沢周平読本』 新人物往来社、1998年</ref>([[新人物往来社]]、2010年9月)、ISBN 4-404-03912-3
 
* 『藤沢周平全集 別巻 人とその世界』<ref>上記『藤沢周平のすべて』と『藤沢周平の世界』、および文庫判の作品解説。</ref>(文藝春秋、2002年)、ISBN 4-16-364460-1
 
* 『藤沢周平事典』(志村有弘編、[[勉誠出版]]、2007年)、ISBN 4-585-06059-6
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[阿部達二|阿部達児]]「藤沢周平 完全年譜」。文藝春秋編『藤沢周平のすべて』(文春文庫、2001年)の巻末に収録
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[庄内藩]]-[[庄内地方]]にあった大名[[藩]]([[海坂藩]]の[[モチーフ (物語)|モチーフ]]とされる)
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujisawa_shuhei_memorial_museum/index.html 鶴岡市立藤沢周平記念館]
 
* [http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/fujisawa/ 海坂かわら版(荘内日報社)]
 
* [http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/index.html た-さんの部屋2-藤沢周平作品データベース]
 
* [http://loungecafe2004.com/novels/japan-ha/shuhei-fujisawa/ 海坂の果て]
 
* [http://www.semishigure.jp/ 映画『蝉しぐれ』公式サイト]
 
 
 
{{直木賞|第69回}}
 
{{吉川英治文学賞|第20回}}
 
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[[Category:藤沢周平|*]]
 
[[Category:藤沢周平|*]]

2019/5/7/ (火) 17:00時点における最新版

藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年昭和2年)12月26日 - 1997年平成9年)1月26日

小説家。山形師範学校在学中から同人誌に寄稿を始めた。中学校に赴任するが,肺結核のため休職。療養中に俳誌『海坂』に投句。その後,業界紙の編集をするかたわら精力的な執筆活動を続け,1971年『溟 (くら) い海』で『オール讀物』新人賞を受賞。 73年『暗殺の年輪』で直木賞を受賞。いずれも死や運命をめぐる深く暗い情念が作品の根底を流れるといえる。連作短編集『用心棒日月抄』,長編小説『一茶』 (1978) ,『回天の門』 (79) ,『闇の傀儡師』 (80) などからはさまざまな境遇に生きる人間に向けた穏やかな視線が加わり,読者層も広がった。さらに『海鳴り』 (84) ,『蝉しぐれ』 (88) ,『三屋清左衛門残日録』 (89) では,青春時代から老境にいたる人間像を通し普遍的な人生のありさまを描き多くの共感を呼んだ。 86年『白き瓶-小説・長塚節』で吉川英治文学賞,89年一連の執筆活動に対し菊池寛賞,90年『市塵』で芸術選奨文部大臣賞,さらに 90年には「時代小説の完成」に対して朝日賞をそれぞれ受賞した。病の床で書き上げた『漆の実のみのる国』が遺作となった。



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