「聖人」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「'''聖人'''(呉音:しょうにん、漢音:せいじん) 宗教的に最高の段階である聖なる境地に達した人。非日常的な聖なる価値…」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
'''聖人'''([[呉音]]:しょうにん、[[漢音]]:せいじん)とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・[[崇敬]]対象となる過去の人物をさすことが多い。
+
'''聖人'''([[呉音]]:しょうにん、[[漢音]]:せいじん)
  
== 概要 ==
+
宗教的に最高の段階である聖なる境地に達した人。非日常的な聖なる価値を体得し,不動の信仰体制を確立した人物ともいえる。宗教心理学者 W.ジェームズは,聖者の理想的な人格特徴 (聖者性) を分析し,4つの性格,すなわち禁欲主義,心の強さ,清らかさ,慈愛深さをあげている。カトリックでは中世以降,篤信者,徳行者,殉教者に「聖人」 Sanctusの称号を与える制度を定めた (今日では,福者 Beatusと聖人を区別している) 。プロテスタントには聖人という観念はないが,アングリカン・チャーチでは聖書中の主要人物を聖ペテロ,聖パウロなどと呼んでいる。荘子は,最高度の修養を積んだ人を聖人と称している。日本の仏教では,知徳を兼備したすぐれた宗教家を「しょうにん」と呼ぶ場合がある。
#[[儒教]]の聖人
 
#[[仏教]]の聖人
 
#[[キリスト教]]の聖人
 
#[[イスラム教]]、[[ユダヤ教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[サンテリア]]などの宗教の聖人
 
 
 
[[日本語]]では元来は儒教の聖人のことであり、次に仏教での聖人([[上人|上人<small>[しょうにん]</small>]]、[[聖|聖<small>[ひじり]</small>]])のことであった。生きている人にもすでにこの世を去った人にもあてはめられ、世界の多くの宗教で同じような概念があるとして、キリスト教では日本布教の際に"Sanctus"([[ラテン語]])・"Saint"([[英語]]・[[フランス語]])を「聖人」と翻訳した。そのような宗教の中で、「聖人」と呼ばれる人々は特定宗教の信徒にとり模範となり、その生涯が記録され、後世に語り継がれることが多い。
 
 
 
各宗教によってニュアンスにばらつきがあるが、現代の宗教で「聖人」という概念が存在するのは、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]、[[ユダヤ教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[サンテリア]]などが挙げられる。ただしこれらの宗教でも宗派・教派によって扱いが異なる場合があり、キリスト教[[プロテスタント]]の一部やイスラム教の[[ワッハーブ派]]などでは聖人崇敬は否定されている。また、聖人に対する崇敬を行う[[キリスト教諸教派の一覧|キリスト教教派]]では、教会によって公式に認定([[列聖]])されなければ聖人と認められない。
 
 
 
== 儒教 ==
 
[[ファイル:Confucius - Project Gutenberg eText 15250.jpg|thumb|right|180px|[[孔子]](E.T.C. Wernerの、[[1922年]]刊行の『中国の神話と遺産』に掲載された挿絵)]]
 
[[中国]]の[[儒教]]における聖人とは、偉大・崇高・高貴の三要素を兼ね備えている人物を指す。即ち、政治指導者としてだけではなく、[[道徳]]の体現者としても理想とされる人物である。高貴だが凡庸な人物、高貴だが下劣な人物、あるいは下賎だが崇高な人物は該当しない。対義語で、凡庸・下劣・下賎の三要素を兼ね備えている人物は「小人」という。
 
 
 
もっとも理想の聖人とされるのは、'''[[堯]]'''と'''[[舜]]'''、二人の聖天子である。続く「[[三代 (中国史)|三代]]」と言われる時代の統治者、すなわち[[夏 (三代)|夏]]王朝の創業者である'''[[禹]]'''、[[殷]]王朝の創業者である'''[[天乙|湯王]]'''、[[周]]王朝の創業者である'''[[武王 (周)|武王]]'''もまた聖人として位置づけられ、堯と舜をあわせて「'''堯舜三代'''」と呼ばれる。
 
 
 
また、周王朝の創業に力を尽くした'''[[周公旦]]'''、儒学の大成者である'''[[孔子]]'''もまた聖人として位置づけられている。[[孟子]]は聖人ではないが、それに次ぐ存在であるとして「'''亜聖'''」と呼ばれる。
 
 
 
[[北宋|宋代]]になると、[[士大夫]]たちは孔子・孟子を継ぐ聖人となることを目指すようになり、「聖人、学んで至るべし」というスローガンのもと、道徳的な自己修養を重ねて聖人に到る学問を模索した。[[明代]]の[[陽明学]]では「満街聖人」という街中の人が本来的に聖人であるとする主張をし、王や士大夫のみならず、庶民に到るすべての人が聖人となることができる可能性を見いだした。また、日本では[[近江国]]([[滋賀県]])出身の[[江戸時代]]初期の[[陽明学]]者[[中江藤樹]]は'''近江聖人'''と称えられている。
 
 
 
== 仏教 ==
 
[[日本]]の[[仏教]]宗派の一部の宗祖に対する敬称として、一般的な「[[上人|上人<small>(しょうにん)</small>]]」ではなく、「'''聖人'''<small>(しょうにん)</small>」という敬称を付する場合がある。
 
 
 
一般的に「聖人」という敬称で呼ばれる仏教者。
 
* [[法然]]([[浄土宗]])
 
* [[親鸞]]([[浄土真宗]])
 
* [[日蓮]]([[日蓮宗]])
 
* [[空海]]([[真言宗]])
 
* [[最澄]]([[天台宗]])
 
 
 
なお、[[浄土真宗]]では開祖の親鸞のみならずその師である法然に対しても「聖人」と呼称されたことがあるが、通例では親鸞に対してのみ「聖人」を用いる。
 
 
 
== キリスト教 ==
 
[[ファイル:Michelangelo_Caravaggio_060.jpg|180px|right|thumb|『[[アレクサンドリアのカタリナ]]』[[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ|カラヴァッジョ]]画。[[1598年]]頃]]
 
[[キリスト教]]においては、[[新約聖書]]に出る{{Lang-grc|ο Άγιος}}(ホ・ハギオス「聖なる人」の意 現代ギリシャ語ではオ・アギオス)またその[[複数形]]{{Lang-grc|οι Άγιοι}}(ホイ・ハギオイ 現代ギリシャ語ではイ・アギイ)に由来する。新約聖書では、「ホ・ハギオス」という言葉が、かれらの教会の歴史にとっての重要さにかかわらず、生者と死者の両方にあてはめられている。[[使徒]][[パウロ]]の手紙の多くは「すべての聖なるものたちに」、あるいは「年長者とともに」と宛てられている。たとえば『[[エフェソの信徒への手紙]]』は「エフェソの聖なる人々へ」で始まっている。
 
 
 
聖人への崇敬は教派によって扱いが異なり、[[正教会]]、[[東方諸教会]]、[[カトリック教会]]、[[聖公会]]、[[ルーテル教会]]などで聖人崇敬が行われている。[[キリスト教諸教派の一覧]]参照のこと。
 
 
 
ただし、対象は歴史的に若干の変動があり、またこれら聖人崇敬・聖人の概念を認める諸教派の中でも崇敬の方法・あり方には差異が存在する。一方、[[プロテスタント]]では聖公会、ルーテル教会を除いて聖人に対する崇敬を行わない教派が多い。[[改革派教会]]以降のプロテスタントと[[バプテスト]]系は、聖人崇敬を否定し、クリスチャンすべてを[[聖徒]]と呼ぶ。プロテスタントの中には、キリスト教初期の慣用表現から、「聖人」という語を単にこの世を去った信徒たちを指す言葉として用いるものもある。
 
 
 
正教会、東方諸教会、カトリック教会など、聖書と同様に聖伝(古代からの伝承)を現代に至るまで尊重する諸教派では、聖人への崇敬は伝統によってキリスト教信仰の一部をなしてきた。このような伝統にしたがって、聖人は人々の祈りを執り成し、神と人間の仲介としての役割を担うとされる<ref>日本カトリック司教協議会、第2バチカン公会議文書公式訳改訂特別委員会 『教会憲章』 カトリック中央協議会、2014年2月28日。68-70頁(50)。ISBN 978-4-87750-181-5。</ref>。また、聖人は昔の殉教者などに限らず、20世紀の現代聖人が多数いる:教皇聖[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]、[[マザー・テレサ]]、聖[[ホセマリア・エスクリバー]]、パドレ・ピオなど。
 
 
 
=== 崇敬と歴史 ===
 
[[ファイル:Mary of egypt2.jpg|thumb|180px|[[エジプトのマリア|エジプトの聖マリア]]の[[イコン]]。[[17世紀]]に[[ロシア]]で描かれたもの。中心に祈りを奉げるエジプトの聖マリアの姿が描かれ、周囲にその生涯についての伝承内容が左上から順に描かれている。]]
 
時として、「キリスト教は[[一神教]]といいながら、なぜ多神教のように聖人を崇拝するのか」という疑問が提示されることがあるが、聖人の概念を持つキリスト教では、'''崇敬・尊崇'''と'''崇拝'''は異なる意義付けをなされている。この観点からは、キリスト教徒は聖母マリアや諸聖人を崇拝しているわけではなく、聖人を敬うこと([[マリア崇敬]]・聖人崇敬)は拝むこと([[マリア崇拝]]・聖人崇拝)ではない。神への信仰と聖人への敬意はまったく別のものとして捉えられる。
 
 
 
[[正教会]]・[[東方諸教会]]・[[カトリック教会]]では、聖人の像や生涯を描画した聖画像([[イコン]])を作り、崇敬の対象とする。[[聖像破壊運動]]で古代の多くの聖像は失われたが、この運動が及ばなかった地域、とりわけそれ以前にカトリック教会やギリシャ系の正教会と分かれた東方諸教会の聖堂には、古いイコンが残っていることがある。このような古いイコンを収蔵する代表的な存在としては[[聖カタリナ修道院]]が挙げられる。
 
 
 
聖人の伝記([[聖人伝]])を読み書きすることも、聖人を崇敬する上で重要な役割を果たしている。これは古代から行われ、信仰上の模範を示すことで後世の信仰のあり方に大きな影響を与えたものも少なくない。たとえば[[アレクサンドリアのアタナシオス|アタナシオス]]による『[[アントニオス]]伝』は、修道者に大きな影響を与えた。聖人伝として著名なものに[[ヤコブス・デ・ウォラギネ|ヤコブス・デ・ヴォラギネ]]の『[[レゲンダ・アウレア|黄金伝説]]』がある。
 
 
 
聖人はつねに個人名で記念(記憶)されるとは限らない。[[七十門徒]]などはそのよい例で、七十人の内訳には幾つかの説があり、かならずしも確定していない。古代の殉教者などには、名前の伝わっていない聖人も数多い。聖書に出てくる例では、[[ヘロデ大王]]による[[ベツレヘム]]の[[幼児虐殺]]の死亡者は「聖嬰児」「幼子殉教者」として聖人であるが、彼らの個人名は伝わっていない。
 
 
 
=== 祝日・記憶日 ===
 
[[ファイル:Ilja Jefimowitsch Repin - Saint Nicholas of Myra saves three innocents from death.jpg|thumb|right|180px|『[[ミラのニコラオス|ミラの聖ニコライ]]、無実の三人を[[死刑]]から救う』<br />(画:[[イリヤ・レーピン]])]]
 
それぞれの教会において、一年間の中で聖人の祝日(記憶日・記念日)は特定の日付に固定されている。これをまとめたものをカトリック教会では[[聖人暦]](聖人カレンダー)と呼ぶ。正教会においては[[正教会暦]]と呼ぶ。多くはその聖人が死亡した日が記念日となるが、異なる場合もある。特に重要な聖人の場合は、複数回の記念日がある(例:[[ミラのニコラオス]])。古代より崇敬される聖人は、カトリック教会と[[東方教会]]で記念の日を同じくすることが多い(ただし後者のうち[[ユリウス暦]]を使用する教会では、[[グレゴリオ暦]]を使用する教会と日付のずれを生じている)が、一部の聖人は違った日に記念されることがある(例:[[エジプトのマリア]])。
 
 
 
聖人の祝日は、基本的にそれぞれの聖人に個々に決まっているが、幾人かの聖人は、他の聖人と共通の祝日をもっている。そのような例に[[ペトロ]]と[[パウロ]]([[聖使徒ペトル・パウェル祭]])、[[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]]と[[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトディオス]]、正教会における[[七十門徒]]などがある。多数の聖人をともに記憶する祭を正教会では「会衆祭」(かいしゅうさい)という。正教会では、[[正教会#十二大祭|十二大祭]]のいくつかの祭で、その翌日に関連する聖人の祭を行うが、これにも会衆祭と呼ばれるものがある。
 
 
 
=== 洗礼名・聖名・霊名 ===
 
聖人崇敬において重要な概念には[[守護聖人]]の考えがある。これは[[正教会]]・[[カトリック教会]]において存在する考え方で、個人のほか、特定の団体や地域に対してある聖人が特別な加護を与えているという概念である。
 
 
 
一般に、[[洗礼名]](正教会では「[[聖名]]」・カトリック教会では「[[霊名]]」とも)の概念を持つ教派の場合、洗礼を受ける者は聖人にちなんで洗礼名(聖名・霊名)を受ける。この名前の起源となる聖人が、個人の保護の聖人となる。
 
 
 
自分の洗礼名の聖人の祝日を、正教会では「聖名日」、カトリック教会では「[[霊名日|霊名の祝日]]」と呼んで祝う習慣がある。一部の地域では誕生日より盛大に祝うこともある。カトリック教会などの[[西方教会]]では、洗礼名のほかに[[堅信]]のときには堅信名を付ける習慣もあり、これは洗礼名と別の聖人を選ぶこともできる。また[[修道士]]は、ある聖人の名前にちなんで自らの修道名をつける。
 
 
 
=== 聖遺物・不朽体 ===
 
[[ファイル:Patriarchal Church of St. George - larnax, Instanbul.JPG|thumb|right|200px|[[聖ゲオルギオス大聖堂]]にある、[[不朽体]]が納められている[[大理石]]製の[[聖櫃]]。]]
 
{{See also|聖遺物|不朽体}}
 
古代のキリスト教では聖人として尊崇された者の多くが[[殉教者]]であったが、殉教者を尊び、その遺骸や遺物を集めて墓を立て、崇敬することがなされていた。殉教者の墓(マルティリウム)は[[聖堂]]・[[礼拝堂]]と並んで、信仰生活の中心となった。こうした崇敬は時に行き過ぎ、聖人の遺骸と称されるものが高額で取引されたり、ある崇敬が過度の熱狂におちいることがあった。[[アウグスティヌス]]など、こうした風潮に警鐘を鳴らし、聖人の遺骸を崇敬の対象にすることに反対を唱えたものもいた。
 
 
 
聖人の遺骸は、[[カトリック教会]]では[[聖遺物]]、[[正教会]]では[[不朽体]]と呼ばれる。遺体が腐敗せずに残ることを聖人である証明の一つとみなすことは伝統的な見方である。聖人の遺骸またその一部は古代から中世においては強い崇敬の対象となり、それに関連した奇跡が多く語られている。現在でも一部の教派では聖人の遺骸に接吻するなどして崇敬を表明することもある。正教会においては、聖人の遺骸に対する崇敬の表明は、[[聖像]](イコン)への崇敬の表明と同じ形式を取る。これはイコンと同様聖人の遺骸が、究極には神に由来する聖性が現実界に現れる窓とする考えに基いており、信者の見解によれば、ものそのものが崇拝ないし信仰の対象となっているわけではないとされる。
 
 
 
また伝統的に、教会の祭壇(正教会では[[宝座 (正教会)|宝座]])の下には聖人の遺骸または遺物(不朽体)を納めることが必要であるとされる。これは東方教会においては必ずしも必須の要件ではないが、しかしそのようにすることが望ましいと今でも考えられている。カトリック教会においてはかつては必須の要件であったが、現代ではこの要件は撤廃されている。
 
 
 
=== 聖人認定 ===
 
聖人に対する崇敬を行う教派では、教会によって公式に認定([[列聖]])されなければ聖人と認められない。一般に、聖人として認めるための調査は本人の死後に長い時間をかけて行われ、早くても死後数十年、場合によっては死後数百年に及ぶ審査を経てようやく認められる(例:[[ジャンヌ・ダルク]]が聖人として認められたのは本人の死から489年後であった)<ref>[[1226年]][[10月3日]]に死去した[[アッシジのフランチェスコ]]は、[[1228年]][[7月16日]]に死後わずか2年足らずで聖人として認定されたが、当時(13世紀前期)のカトリック教会における聖人の認定制度は現在と異なり、本人の存命中の業績によっては死後短期間で認定される場合もあった。</ref>。しかも[[カトリック教会]]の場合、列聖の前段階として、[[福者]]と認められなければならない([[列福]]されることが必要)。正教会の場合は、さらに急ぐのを避け、その人物に対する世間の反響が冷めるまでに十分な時間を割り当てる場合が多い。
 
 
 
=== 教派別の崇敬のあり方の違い ===
 
教派によって、どの聖人を聖人として崇敬するかに違いがある。ある教派で聖人として崇敬されていても、別の教派では聖人と捉えられていないといった事例は数多い。
 
 
 
また、崇敬のあり方にも違いがある。以上に述べた全教派に共通する聖人の一般論とは別に、こうした教派ごとの特徴を以下の節に記す。
 
 
 
==== 正教会 ====
 
{{Main|Category:正教会の聖人の称号}}
 
[[正教会]]の場合、聖人には必ず[[使徒]]、[[亜使徒]]、[[致命者]]、[[克肖者]]などの称号が付く。これはその聖人の信仰のありようを記憶するために教会が決めるもので、個人が恣意的に変更してよいものではない。ただし「主教」「大主教」等の称号には、地域差が反映されることがある。たとえば[[新致命者]][[神品致命者]][[アンドロニク・ニコリスキイ|聖アンドロニク]]([[ロシア革命]]で[[致命]])は、世界的には「ペルミの大主教」と呼ばれるが、日本においては初代[[京都]]主教という関係を重くみて「京都の主教」と称する。
 
 
 
正教会には、[[カトリック教会]]におけるような[[尊者]]・[[福者]]の概念は存在しない。従って[[列福]]といった手続きも存在しない。[[英語]]の"Venerable"は正教会では[[克肖者]]、カトリック教会では[[尊者]]と訳されて異なっている事にも見られるように、訳語にそれぞれの教会の聖人に対する扱いの差が反映されている。
 
 
 
==== カトリック教会 ====
 
[[ファイル:Fra Angelico portrait.jpg|150px|thumb|[[福者]][[フラ・アンジェリコ]]の[[肖像画]]]]
 
カトリック教会には列聖前の段階として、尊者・福者の段階がある<ref>[https://www.cbcj.catholic.jp/faq/saints/ 尊者・福者・聖人とは? カトリック中央協議会]</ref>。
 
{{列聖}}
 
 
 
[[第2バチカン公会議]]後の[[カトリック教会]]のあり方の見直しの中で、史実での存在が疑われる伝説的な聖人は聖人暦から外された。またキリストの降誕を準備する[[アドベント|待降節]]、復活を準備する[[四旬節]]からも、本来の精神を大切にするという意味で聖人の祝い日が移動された。
 
 
 
==== 聖公会 ====
 
{{節スタブ}}
 
[[聖公会]]([[イギリス国教会]])はローマ・カトリック教会から分離したためにプロテスタントに分類される事もあるが、信仰を理由にしてカトリック教会から分離したわけではなく、教義や精神は非常にカトリックに近いことから、聖人の崇敬を行っている。
 
 
 
==== プロテスタント ====
 
[[プロテスタント]]にとってすべてのクリスチャンは[[聖徒]]である。ただし、[[ルーテル教会]]と他のプロテスタントは異なっている。
 
 
 
===== ルーテル教会 =====
 
{{see also|聖名祝日}}
 
[[マルティン・ルター]]はローマ教会(カトリック教会)の習慣を残した。[[ルーテル教会]]はプロテスタント教派のなかでも、一部では聖人の概念をもち、信仰の模範としてとくに礼拝でとりあげ、洗礼名の根拠としたり、記念日を祝ったりするところがある。
 
 
 
===== 改革派教会等 =====
 
[[ジャン・カルヴァン]]は『[[キリスト教綱要]]』で聖人崇敬・崇拝を批判した。[[改革派教会]]以降のプロテスタント[[福音派]]、[[バプテスト]]系は聖人崇敬を崇拝と見なして拒否しており、ルーテル教会の習慣については、ローマ教会の残滓とみなされることがある<ref>『新聖書辞典』、 『夜明けか黄昏か』、『カトリックとは何ぞや』(いのちのことば社)、『聖書の教理』(羊群社)、『カトリックとプロテスタントの団結ですか?』(ICM出版 )、『[[キリスト教綱要]]』([[改革派教会]])、『[[ウェストミンスター信仰基準]]』([[新教出版社]])</ref>。
 
 
 
=== 崇敬の地域性 ===
 
聖人崇敬は現実の信仰生活のなかで行われるものであって、そこにはおのずと地方や時代の独自性が反映される。聖人のリストは世界で共通であるが、ある聖人とかかわりの深い地域では、その聖人はより重く崇敬される。そのような信仰生活の個別性は、個人や集団の[[守護聖人]]への信心に現れている。
 
 
 
例えば[[ラドネジのセルギイ|ラドネジの克肖者聖セルギイ]]の記憶日は[[ロシア正教会]]やその流れを汲む諸正教会では盛んに祝われるが、他の地域では聖セルギイの記憶日は最も重要な祭日であるとは認識されない。このような事情は[[ブルガリア正教会]]の著名な聖人である[[リラのイオアン|リラの克肖者イオアン]]などについても同様の事が言える。
 
 
 
=== 聖人にちなむ地名 ===
 
聖人の名をつけた地名は多い。聖人は各国語でサン(San、Saint)、セント(Saint)、サンタ(Santa)、サント(Santo)、サンクト(Sancto)等になるため、これらで始まる地名は概ね守護聖人の名が使われている。
 
 
 
例:[[サンフランシスコ]](聖[[アッシジのフランチェスコ|フランシスコ]])、[[セントルイス]](聖王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ]])、[[サンクトペテルブルク]]、[[セントピーターズバーグ (曖昧さ回避)|セントピーターズバーグ]](聖[[ペトロ]])、[[サンパウロ]](聖[[パウロ]])、[[サンティアゴ (曖昧さ回避)#地名|サンティアゴ]](聖[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]])、[[サンタモニカ]]([[聖モニカ]])、[[セントヘレナ島]]([[聖ヘレナ]])、[[サンマリノ]]共和国(聖マリヌス)、[[アイオス・ニコラオス]]([[奇蹟者]][[ミラのニコラオス|ニコラオス]])
 
 
 
== イスラム教 ==
 
宗派にもよるが、預言者ムハンマドの教友である[[サハーバ]]や[[十二イマーム派]]のイスラム教指導者である十二[[イマーム]](特に初期のイマームは[[スンニ派]]・[[シーア派]]双方で)などが聖人として扱われている。
 
イスラム教の教義においては[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]はただの人間であるが、同時にイスラム教をもたらした最も崇敬すべき聖人でもある。また、ムハンマド以前の預言者たちも聖人として扱われており、イスラム教においては[[イスラームにおけるイーサー|イエスキリスト]]も聖人の一人として扱われている。
 
イスラム社会には聖人が住んでいたモスクが多く現存しており、聖人崇敬を行う信者によって巡礼の対象となっている。
 
 
 
[[シーア派]]においては歴代のイマームへの崇敬は特に重要な意味を持っており、[[マシュハド]]などイマームの[[廟|墓廟]]のある都市は[[聖廟都市]]と呼ばれ重要な巡礼地になっている。十二イマーム派を国教とする[[イラン]]では歴代イマームの肖像画なども多く描かれているが、基本的にはポスターであり、キリスト教のイコンほどは特別な意味は持たない。
 
 
 
[[ワッハーブ派]]などの[[イスラム原理主義]]派では聖人崇敬を偶像崇拝であるとして禁止しており、ワッハーブ派を国教とする[[サウジアラビア]]やその前身の[[ワッハーブ王国]]では聖廟に対する破壊活動が行われている。また、原理主義を信奉する[[イスラム過激派]]も聖廟の破壊を目的とした[[テロ]]をしばしば起こしている。ワッハーブ派ではムハンマドの誕生日を祝うことも禁じられている。
 
 
 
[[アナトリア]]、[[バルカン半島]]などキリスト教とイスラム教と隣接する地域では「聖人は誰にとっても聖人」という言葉があり、両宗教に共通する聖人が存在する<ref>ティエリー・ザルコンヌ『スーフィー:イスラームの神秘主義者たち』 <知の再発見双書> 創元社 2011年、ISBN 9784422212128 pp.76-77.</ref>。たとえば[[スーフィー]]教団のひとつ、[[ベクタシュ教団]]の創設者[[ハジ・ベタクシュ]]は[[聖ハラランボス]]と同一視され、双方に崇敬されている。
 
 
 
=== 聖人として扱われることがある人物 ===
 
*[[アブー=バクル]] - [[預言者ムハンマド]]の最初期の教友([[サハーバ]])
 
*[[ビラール・ビン=ラバーフ]] - [[預言者ムハンマド]]が所有していた黒人奴隷
 
*[[マリク・イブン=アシュタル]] - イスラーム初期の武将
 
===十二イマーム派の歴代イマーム===
 
#[[アリー・イブン・アビー=ターリブ|アリー]]
 
#[[ハサン・イブン・アリー|ハサン]]
 
#[[フサイン・イブン・アリー (イマーム)|フサイン]] - [[ウマイヤ朝]]軍と[[カルバラー]]で戦い敗死。
 
#[[アリー・ザイヌルアービディーン]]
 
#[[ムハンマド・バーキル]]
 
#[[ジャアファル・サーディク]]
 
#[[ムーサー・カーズィム]]
 
#[[アリー・リダー]]
 
#[[ムハンマド・タキー|ムハンマド・ジャワード]]
 
#[[アリー・ハーディー]]
 
#[[ハサン・アスカリー]]
 
#[[ムハンマド・ムンタザル]](マフディー) - 隠れイマーム
 
 
 
==脚注==
 
<references />
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*『曙光 [[長司祭]][[牛丸康夫]]遺稿集』([[1995年]]、牛丸忍発行、及川信編集)
 
* 日本カトリック司教協議会、第2バチカン公会議文書公式訳改訂特別委員会 『教会憲章』 カトリック中央協議会、第2刷、2015年7月15日。126頁。ISBN 978-4-87750-181-5。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[キリスト教の聖人一覧]]
 
* [[守護聖人]]
 
* [[霊名日]]
 
* [[諸聖人の日]]
 
* [[教会暦]]
 
* [[聖人暦]]
 
* [[列聖]]
 
* [[列福]]
 
* [[聖 (曖昧さ回避)]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/oshie04.html 生神女マリヤ、聖人、聖師父] - [[日本正教会]]公式サイトのページ
 
*[http://www.orthodox-jp.com/nagoya/saints.htm 正教時報掲載その他 聖人伝一覧] - [http://www.orthodox-jp.com/nagoya/ 名古屋ハリストス正教会]のページ:過去の「正教時報」で取り上げられた聖人伝の一覧表
 
{{宗教|state=collapsed}}
 
{{Authority control}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:せいしん}}
 
{{DEFAULTSORT:せいしん}}
 
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
[[Category:聖人|!]]
 
[[Category:聖人|!]]
 
[[Category:キリスト教用語]]
 
[[Category:キリスト教用語]]

2018/10/18/ (木) 14:20時点における最新版

聖人呉音:しょうにん、漢音:せいじん)

宗教的に最高の段階である聖なる境地に達した人。非日常的な聖なる価値を体得し,不動の信仰体制を確立した人物ともいえる。宗教心理学者 W.ジェームズは,聖者の理想的な人格特徴 (聖者性) を分析し,4つの性格,すなわち禁欲主義,心の強さ,清らかさ,慈愛深さをあげている。カトリックでは中世以降,篤信者,徳行者,殉教者に「聖人」 Sanctusの称号を与える制度を定めた (今日では,福者 Beatusと聖人を区別している) 。プロテスタントには聖人という観念はないが,アングリカン・チャーチでは聖書中の主要人物を聖ペテロ,聖パウロなどと呼んでいる。荘子は,最高度の修養を積んだ人を聖人と称している。日本の仏教では,知徳を兼備したすぐれた宗教家を「しょうにん」と呼ぶ場合がある。




楽天市場検索: