突厥

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突厥(とっけつ、とっくつ[1]拼音:Tūjué、古テュルク語10px10px10px10px【Türük】[2]10px10px10px10px【Türük】[3]トルコ語:Göktürk【ギョクテュルク】)

6世紀中頃から8世紀中頃まで,モンゴル,中央アジアを支配したチュルク族阿史那 (あしな) 氏の建てた遊牧国家。もとは柔然の支配下にあったが,阿史那氏に土門 (伊利可汗 ) が出るに及んで強大となり,鉄勒諸部を従え柔然から独立した (552) 。第3代の木杆可汗 (もくかんかがん) にいたり柔然を滅ぼし,契丹,キルギスを破り,また西方ではエフタルをも破った。突厥の国家は中央部を大カガンが支配するほか,多くの小カガンが分立していたが,583年西部を支配した西面可汗達頭 (たっとう) は大カガンから独立し,突厥は東西に分裂した。東突厥はしばらく強勢を誇ったが,その支配下にあった鉄勒諸部の反乱を受け,630年唐に帰付して一時消滅し,西突厥も7世紀の末に内紛で滅んだ。東突厥は7世紀末に阿史那骨咄禄 (あしなこっとつろく) が出て復興し,みずからイルテリシュ・カガンと称した。以後数代にわたってモンゴルを支配したが,内紛を生じ,744年鉄勒の一部ウイグルに滅ぼされた。




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  1. 宮崎市定は「とっくつ」と読むべきだと主張した。伝統的に「突厥」の「厥」はクツと読む。『大漢和辞典』は両音を載せる
  2. バイン・ツォクト碑文(トニュクク碑文)
  3. ホショ・ツァイダム碑文