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|自治体名=瀬谷区
 
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|画像の説明 = 徳善寺
 
 
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|隣接自治体・行政区=''横浜市''([[旭区 (横浜市)|旭区]]、[[緑区 (横浜市)|緑区]]、[[泉区 (横浜市)|泉区]])<br />[[大和市]]<br />[[東京都]][[町田市]]
 
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|木=[[ケヤキ]]
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|花=[[アジサイ]]
 
|シンボル名=区の鳥<br />区のマスコット<br />キャラクター
 
|鳥など=[[オナガ]]<br />[[コノハズク]]ファミリー<br />'''せやまる一家'''
 
 
|郵便番号=246-0021
 
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|所在地=瀬谷区二ツ橋町190番地<br /><small>{{ウィキ座標度分秒|35|27|57.7|N|139|29|55.6|E|region:JP-14_type:adm3rd|display=inline,title}}</small><br />
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[[ファイル:Yokohama City Seya Ward Office.jpg|none|220px|瀬谷区総合庁舎]]瀬谷区総合庁舎
 
[[ファイル:yokohamaseyaku.jpg|none|220px|旧総合庁舎]]旧総合庁舎
 
 
|外部リンク=[http://www.city.yokohama.lg.jp/seya/ 瀬谷区の公式サイト]
 
|外部リンク=[http://www.city.yokohama.lg.jp/seya/ 瀬谷区の公式サイト]
 
|位置画像=[[ファイル:地図-神奈川県横浜市瀬谷区-2006.png|250px|横浜市瀬谷区位置図]]{{行政区位置図|14|114}}
 
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|特記事項=
 
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'''瀬谷区'''(せやく)は、[[横浜市]]を構成する18[[行政区]]のうちの一つであり、横浜市18行政区の最西端に位置する。
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'''瀬谷区'''(せやく)
  
== 地理 ==
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[[神奈川県]]中部,[[横浜市]]西部の区。[[多摩丘陵]]にあり,西境を[[境川]]が流れる。
=== 地勢 ===
 
* 最高地 北町 [[海抜]]93.6[[メートル|m]]
 
* 最低地 阿久和南三丁目 海抜36.7m
 
  
=== 位置 ===
+
1969年戸塚区北部が分離して区制。横浜や湘南地方向けの野菜,庭木の栽培地であったが,昭和初期に相模鉄道が開通し,漸次住宅地となった。
[[相模野台地]]・[[相模平野]]に位置し、[[相模鉄道|相鉄線]]を挟んで北部は平地が広がり、南部は川沿いに段丘状になっている。
 
<br>区域は[[大和市]]との境界である[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]に沿って南北に細長く5つの川が流れている。<br>北部は[[東京都]][[町田市]]、[[緑区 (横浜市)|緑区]]、南部は[[泉区 (横浜市)|泉区]]、東部は[[旭区 (横浜市)|旭区]]に接している。
 
[[東京都区部|東京都心]]から約40km〜45[[キロメートル|km]]、[[横浜市役所|横浜市中心部]]から約15km〜20km程。
 
  
=== 気象 ===
+
1960年代から住宅団地が急増。内陸工業地域としても発展。北部にアメリカ軍の上瀬谷通信基地がある。
[[気象庁]]横浜地方気象台の情報や注意報・警報は[[横浜市|横浜]]・[[川崎市|川崎]]である。横浜市内ながら内陸部に位置しているため、冬には[[氷点下]]も出す地域で、気候は夏暑く、冬寒い。
 
* 横浜中心部が雨でも、瀬谷区は雪になっていることがある。
 
* 横浜中心部が気温5℃の時、既に瀬谷区では2℃位になっていることも多く、明け方は氷点下になっていることもよくある。
 
 
 
=== 河川 ===
 
大和市との境に[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]が流れている。
 
* 台風や大雨の場合、床下浸水等の被害がしばしば起きる。特に[[1991年]](平成3年)の台風の時は鹿島橋を架け替えるほどであった。現在の環状4号線の開通する前には、跨線橋のある辺りで雨水幹線の工事をしていた。
 
他に大門川、相沢川、和泉川、[[阿久和川]]がある。和泉川と阿久和川は源流が区内にある。
 
 
 
=== 自然環境 ===
 
[[2004年]]度の区内の緑被率は35.9%で、横浜市平均の31.0%を上回っており、横浜市内ながら自然環境が豊かな街であり、東部の二ツ橋町や東野には瀬谷市民の森、南部の宮沢や阿久和には宮沢ふれあい樹林、東山ふれあい樹林など樹林が多く点在する。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 先土器 ===
 
* 旧石器時代の遺跡が本郷・林の両遺跡で確認された。遺跡は以下の2か所である。
 
** 本郷遺跡-本郷二丁目[[尖頭器]]・[[石核]]等十数点出土。石碑がある。
 
** 林遺跡は-[[下瀬谷]]、下瀬谷中学校が建設されるにあたって発掘作業が行われた。
 
 
 
=== 縄文時代 ===
 
* 区内では50箇所を超える縄文時代の遺跡が確認されている。主な遺跡は以下の通り。
 
** 阿久和の大久保原縄文遺跡は昭和52年から53年にかけて調査が行われた。縄文後期の住居跡7軒や、[[釣手土器]]、石斧、[[石皿]]等が出土している。
 
** 阿久和南4丁目の蟹沢遺跡では、阿久和団地造成にあたって発掘作業が行われ、縄文中期の竪穴住居7軒や貯蔵穴が検出されている。
 
** 阿久和西2丁目の宮越遺跡(阿久和西の[[セブン-イレブン]]付近)では、住居跡257軒、土壙411基等が検出され、縄文中期の大規模な環状集落であることが判明した。
 
** 阿久和の小金が分譲される時(昭和40年代)にも発掘調査が行われ、茅山式土器が出土している。小金第一公園付近や長屋門東側にある鉄塔付近からも縄文時代早期・中期の遺跡が検出されている。
 
** 他にも五貫目町の[[マークスプリングス]]の敷地や二ツ橋の県立三ツ境養護学校敷地周辺からも住居跡等が検出されている。
 
 
 
=== 弥生時代 ===
 
区内の9箇所で遺跡が確認されている。
 
 
 
=== 古墳時代 ===
 
* 古墳時代の遺跡は区内で25箇所確認されている。
 
* 八幡上古墳跡…若宮八幡宮にあったとされる。[[円墳]]。直刀と勾玉が出土したと言う。
 
* 別太羅塚古墳(べったらつかこふん)…上瀬谷通信隊の基地内にあったというが、基地が造られる際、米軍のブルドーザーで破壊されたと言う。
 
* 長天寺古墳跡…長天寺の北側には[[古墳]]跡があり、装飾品等の出土品(人骨3体、直刀、金環、琥珀玉)は[[東京国立博物館]]に収められている。
 
* その他…南台3丁目に石塚山古墳、また瀬谷中学校北側にもあったと言うが、詳細は不明。東野にも相沢川沿いに遺跡がある。
 
 
 
=== 奈良・平安時代 ===
 
1978年(昭和53年)、瀬谷西高校の建設工事で奈良時代と思われる横穴墓が検出され、人骨が出土した。同時に盗掘のあとも見つかっている。正門から校舎に向かう道路の下部付近である。
 
 
 
=== 鎌倉時代 ===
 
* 南北を縦断する[[鎌倉街道]](かまくら道)の上道は、当時の主要な街道の一つであり、[[源頼朝]]、[[日蓮]]、[[新田義貞]]などが通った跡が残されている。
 
** 源頼朝は、[[石橋山の戦い]]に敗れ[[安房国|安房]]に逃れた後、態勢を建て直し鎌倉攻めをする前夜に、相沢の諏訪社で宿泊・夜陣を張ったという言い伝えがある。
 
** 日蓮は晩年、鎌倉を出発し中原街道を通り[[池上 (大田区)|池上]]に向かう途中、妙光寺に立ち寄った。
 
** 新田義貞は、世野ヶ原(現在の瀬谷)で、20万を越える勢力の陣揃えをして鎌倉攻めの準備をした。
 
* 阿久和は[[鶴岡八幡宮]]の[[荘園]]だったという記録が残されている。八幡宮の財政が一時期悪化されたときに地頭色部氏売却されたが、徳政令によって返還された。
 
 
 
=== 室町・戦国時代 ===
 
* [[応永]]23年(1416年)に起きた[[上杉禅秀の乱]]では、上杉・[[足利持仲]]と江戸・豊島の両軍が[[世谷原の戦い]]で戦った。主な戦場は鎌倉台(楽老峰)・中丸山で、破れた上杉軍は、[[鎌倉道]]を敗走していった。
 
* [[宝徳]]の頃(1450年頃)、[[上杉定正]]の家臣、[[山田伊賀守経光|山田経光]](? - [[文明 (日本)|文明]]2年(1470))が瀬谷・大和を治めていた(『新編相模国風土記稿』巻之六十四)。居住は瀬谷の中屋敷で大和の[[深見城]]を本拠にしていた。現在でも区内に中屋敷、馬場屋敷、牢場坂等の居館址に由来する地名が残されている。境川に架かる上瀬谷橋は、架け替えられる前は山田橋という名前であった。牢場坂では牢屋が置かれた場所とも馬事訓練が行われていたともいわれている。
 
* [[享禄]]2年(1529年)[[上杉朝興]]と[[後北条氏]]との間で合戦が起き、後北条氏側が勝利した。この時[[北条氏康]]は[[初陣]]を上げている。この時も中丸山・基ヶ峰(細谷戸東方の丘陵)が主戦場になっている。
 
* 後北条氏の時代、瀬谷は[[御馬廻衆]](旗本)の久米玄蕃之助、阿久和は[[小机衆]]増田駿河守満栄の[[知行]]であった。また「皇国地誌」によれば、瀬谷は、[[永禄]]年間は[[北条氏政]]の家臣で久米の[[小姓]]であった松波内蔵の采地であったことが記録されている。本郷に居を構えていた伝わっている。
 
** 久米玄蕃の所領は、現在の[[埼玉県]][[坂戸市]]森戸であったことが「小田原衆所領役帳」に残されており、他に相模国西郡別堀、そして瀬谷を合わせて101貫67文を領していた。
 
** 増田駿河守満栄は現在の[[川崎市]][[高津区]]の一部を含め141貫を領していた。阿久和の中村に屋敷があったと伝えられている。
 
* 相模風土記によると、後北条氏に対し瀬谷の村民は軍備調達への租税に税銭不納運動を起こしたことが記載されている。
 
* [[甲斐国|甲斐]][[武田氏]]が滅亡した時武田家ゆかりの者の一部が瀬谷に土着したと言われ、区内の善昌寺は支族岩崎丹後守が一族を弔うために開基したと伝えられている。ちなみに[[三菱財閥|三菱]]の創始者[[岩崎弥太郎]]も岩崎家の流れを汲んでいるとされている。岩崎家はその後長田家支配の上瀬谷地域の名主となる。
 
 
 
=== 江戸時代 ===
 
* [[天正]]6年([[1578年]])[[中原街道]]沿いの瀬谷(現在の北新、宗川寺あたり)に[[問屋場]]が設けられる。[[天正]]18年([[1590年]])、石川弥治右ヱ門重久に経営が委嘱された。二ツ橋には、荷物等の受け渡しを行う[[継立場]]が設けられた。
 
* [[徳川家康]]は[[東海道]]よりも中原街道を利用することが多く、「駿府記」によると天正18年(1590年)の[[江戸]]入府の際にも利用している。また遺言により、[[駿府]]から日光に分骨されるときにも利用された。
 
** 二ツ橋で「しみじみと 清き流れの清水川 かけ渡したる 二ツ橋かな」と詠み、現在では二ツ橋に石碑が設置されている。
 
** [[三ツ境駅]]北部にある楽老峰という名前は、[[徳川家康]]が訪れた際に命名したと言われている(当時は美屋古山と呼ばれていた)。家康が[[駿河国|駿河]]に行く途中ここで休憩をし、住民が差し出した茶湯を飲んだという。記念碑が楽老峰南公園にある。
 
** 徳川家康が瀬谷を通過した際、瀬谷の絶景を「瀬谷八景」と命名した。二ツ橋の三叉路(現在の二ツ上橋交差点付近)、中丸山北条氏康古戦場、上瀬谷の城山([[大和市]]の[[深見城]]と考えられる)、五〆目(現在の五貫目町)、竹谷戸(現在の竹村町)の鎌倉道、山田橋(現在の上瀬谷橋)、別太郎塚の狩場(上瀬谷通信隊の中にあり破壊されている)、伊賀守の中屋敷。
 
** 宮沢村でも、家康が鷹狩りをしたという言い伝えがある。
 
* 瀬谷村に[[知行地]]を持つ[[旗本]]は、後藤氏、長田氏、本多氏。阿久和村は、[[阿久和安藤氏|安藤氏]]。宮沢村は、石川氏が治めていた。二ツ橋は[[天領]]であった。
 
** 二ツ橋は、天正年間に瀬谷郷にあった芝地を露木甚左衛門らによって開墾され、[[藤沢宿]]の支配下に置かれた。二ツ橋の千駄野(現区役所周辺)からは[[藤沢宿]]にある藤沢御殿に萱を納めていた。しかし年貢は年々増加し村人たちが正しい検知を実施することを要求し、[[享保]]10年([[1725年]])検知が行われ、幕府の直轄領[[韮山代官所]]支配の[[天領]]に移行され、日野氏、大貫氏を経て江川家が代官を務めた(二ツ橋に宿場があったのも一因)。[[正徳 (日本)|正徳]]4年([[1714年]])、日野小左ヱ門正晴は屋敷を中原街道と相鉄線が交差するところに、代官陣所を現在の二ッ上橋の交差点の辺りに置いた。[[文政]]7年([[1824年]])にも、不作でも減免しない領主に対して、農民が代官に窮状を訴えている記録がある。[[江川英龍]]が二ツ橋に巡視に来た際には、露木源兵衛宅に宿泊したという記録がある。
 
** 宮沢は、[[石川重政]]が徳川家康関東入国により[[天正]]20年([[1592年]])に賜った土地で、重政は、[[戸塚区]]上矢部に屋敷を置き、[[寒川町]]大蔵、[[海老名市]]望地、[[大和市]]下草柳に計687石を賜っている。[[寛永]]年間(1625年 - 1635年)に上矢部の3軒の住民が、宮沢の荒地を[[開墾]]して[[集落]]を作ったのが始まりとされている。
 
*** 石川家は有力旗本として、重政の子重次は[[普請奉行]]、以下代々、[[小姓組]]や御[[書院番]]等を務めた。
 
** 中瀬谷は、[[後藤忠直]]が[[慶長]]5年(1600年)に知行地として与えられたもので300石あった。忠直は、島津氏の庶流長徳軒の孫で、長徳軒([[島津運久]]の子で別名忠貞)は[[享禄]]年間[[薩摩国|薩摩]]を出奔後、[[北条氏綱]]に招かれ相模に居住した。忠直は、北条滅亡後、徳川家康に見いだされ、旗本となった。代々[[御書院番]]などを務める。二代後の久利の時、島津に改姓。[[天保]]15年([[1844年]])、[[江戸城]]で大火があり、瀬谷で植樹していた椰の木を伐採して中原街道で送り、江戸城復興に一役買ったと伝えられている。現在では南台に石碑ができ、近くに「梛の木石碑前」というバス停もある。久利三代後の久武のとき後藤姓に戻る。宗川寺に墓地が残っている。
 
*** 幕末の資料「視聴草」によると、[[後藤忠正]](島津)の長女である大橋局は、[[徳川秀忠]]夫人[[崇源院|お江]]与の方に仕えていたが、秀忠の寵愛を一時期受けてしまい身ごもってしまったので、家康は後藤光次(庄三郎)の妾として下げ渡された。
 
** 上瀬谷は[[平良兼]]の流れをくむ長田氏領で、妙光寺に墓地が残されている。長田氏は、家康・秀忠の[[鷹匠]]を務めていた。[[瀬谷駅]]近くに鷹見塚が残されている。長田氏の先祖の一人長田左衛門尉親致は[[源義朝]]を討ち取っている。
 
** 相沢は代官采配の村であったが、[[本多氏|本多一族の康重]]の家系を組む旗本の本多紀品が采地として[[明和]]4年([[1767年]])に賜った。[[火付盗賊改]]に任命された時であった。紀品は[[鬼平犯科帳]]にも登場する。石高は2,000石で、江戸屋敷は[[番町]](現[[千代田区]])にあった。御[[目付]]衆を務めた。
 
*** 相沢の名主は、永野家が務め代々藤兵衛を名乗っていた。地元には「頭巾かぶりの藤兵衛さん」という民話が残されている。
 
** 阿久和は、徳川家康の関東入国にあたり、安藤治(次)右衛門に分配された。初代定次は[[伏見城の戦い]]で戦死、二代目治(次)右衛門正次は阿久和の[[熊野神社 (横浜市瀬谷区)|熊野神社]]から[[大坂の役]]に出陣し、夏の陣で戦死した。三代目[[安藤正珍]](まさよし)は、[[鍵屋の辻の決闘]]の[[仇討]]で[[荒木又右衛門]]に殺害された[[河合又五郎]]を匿ったとされている。菩提寺は泉区にある阿久和山観音寺、お墓山に安藤家の墓地がある。詳しくは、[[阿久和安藤氏]]を参照。
 
*** 名主は相原家が務め、北井家は[[御用商人]]であった。
 
* 瀬谷村、阿久和村、宮沢村は中原街道や[[東海道]][[戸塚宿]]の[[助郷]]が割り当てられていた。
 
* 瀬谷村はお鷹場があったため、将軍お鷹狩りのお達しがあれば、農繁期でも鷹狩り人夫に努めなければならなかった。
 
* 区内には、川口、守屋、平本、芝本、露木、北井、相沢、相原、籾山等の姓が多い。江戸時代は、[[名主]]・[[組頭]]・百姓代等を務めていたためである。守屋家は、相州東郡38か村の惣名主を務めた。
 
* 幕末になるとこの地域でも剣術が流行り、阿久和では北井家や相原家、下瀬谷では守屋平助が[[天然理心流]]の道場を開いていた。
 
* [[慶応]]3年([[1867年]])、[[京都守護職]]の任にあった[[会津藩]]主[[松平容保]]が京都からの帰還の際に、瀬谷村は人夫役として36人が割り当てられた。
 
 
 
=== 明治時代 - 現在 ===
 
[[明治]]期は[[養蚕]]が盛んで、区内には桑畑が多くあった。上瀬谷の野鳥館、中屋敷の石井製糸場。本郷の川口製糸場(後の本郷館)、北村の小沢製糸場。新道の守屋製糸場、下瀬谷の仙田製糸場などがあった。多くは昭和初期までに廃業している。区内最大の製糸工場は、1960年(昭和35年)頃まで営業していた本郷館であった。阿久和には北井製糸(相州改良社)、大岡家の大剛館が長屋門公園前にあった。現在では製糸場跡地の看板が立っていて、当時は江戸阿久和とも呼ばれていた。阿久和の長屋門の前でも製糸工場が営まれ、長屋門で養蚕が行われていた。必要になる水は、現在長屋門公園になっている地下に横穴が掘られそこから水を引いていた。現在では鉄の柵で囲われている。
 
* 明治元年([[1868年]])瀬谷村・宮沢村・阿久和村は[[神奈川府]]に、二ツ橋村は[[韮山代官所]]の支配下にあったため[[韮山県]]に編入された。その後同年[[12月 (旧暦)|12月]]に神奈川県に編入した。
 
* [[1873年]](明治6年)「地租御改正反対運動」が起こり、[[1887年]](明治20年)に東京上等裁判所で村民が勝訴する。運動を支えた川口儀右ヱ門と平本平右ヱ門を讚えた義民の碑が徳善寺に残っている。
 
: この頃、瀬谷学舎、二つ橋学舎、若宮学舎、新道学舎、阿久和学舎(現在の小学校にあたる)ができたといわれている。
 
* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] 市町村制施行により瀬谷村、宮沢村、二ツ橋村から[[鎌倉郡]][[瀬谷村 (神奈川県)|瀬谷村]]が誕生する。初代村長に守屋平助、助役は露木要之助。が選出される。長天寺に役場が置かれる。
 
* [[1907年]](明治40年)[[5月]]、瀬谷銀行が中屋敷に設立された。[[資本金]]は50万円で小島政五郎が頭取となった。この頃区内で盛んになっていた[[養蚕業]]に、製糸業者の[[融資]]が瀬谷銀行を通して行われた。支店は[[厚木市|厚木]]・[[町田市|町田]]・[[橋本 (相模原市)|橋本]]・[[中山駅 (神奈川県)|中山]]・[[浅間町 (横浜市)|浅間町]]にあった。昭和10年[[鎌倉銀行]]に債権債務の譲渡を行い、銀行としての業務を終了した。
 
* [[1912年]]([[大正]]元年) 国鉄程ヶ谷駅から旭区を通り、今井・又口・三ツ境を経由し二ツ橋を終点とする[[駅馬車]]が開通した。片道60銭。しかし資金が成り立たないため、廃止になったと言う。
 
* [[1916年]](大正5年) 瀬谷村役場が長天寺客殿より二ツ橋の新庁舎に移転した。
 
* [[1921年]](大正10年) 楽老峰で[[武相]]地方[[陸軍]]特別大演習が行われた。
 
* [[1923年]](大正12年) [[関東大震災]]により瀬谷村で死者1名、行方不明1名、全壊戸数53戸が被害を受ける。
 
* [[1926年]](大正15年/[[昭和]]元年) [[神中鉄道]]が二俣川 - 厚木間で営業開始。[[三ツ境駅]]、[[二ツ橋駅]]、[[瀬谷駅]]に停車場を設置。初代社長は小島政五郎が務めた。
 
* [[1939年]](昭和14年)4月1日 第6次横浜市拡張計画により瀬谷村と中川村が[[横浜市]]に編入、[[戸塚区]]の一部となる。
 
: 戦時中は区内のいくつかの土地が軍に強制収容され、軍用地になった。上瀬谷(横須賀海軍資材集結所・第二海軍航空廠補給工場・横須賀海軍軍需部火薬庫)、本郷(海軍施設部家屋)、南台(兵器工場=大日本兵器(現[[コマツNTC]])第五製作所、航空鉄砲弾を主として製造)等である。[[東京都立墨田川高等学校|東京府立第七中学校]]などから学徒が動員されたという記録がある。瀬谷は[[疎開]]先にもなり、横浜中心部から学童が疎開をし、1944年(昭和19年)、1945年(昭和20年)には一時的に人口が増えた。戦後、上瀬谷はそのまま米軍に接収され([[上瀬谷通信施設]])、南台は米軍の通信基地にされようとしていたが住民の反対運動で回避、土地は相鉄、三菱を介し横浜市に売却され市営のアパートになった。また本郷には川口航空機、瀬谷6丁目付近には皆川酸素工場など、区内各地に軍需工場があった。
 
* [[1945年]](昭和20年)1月 瀬谷駅構内に小型機の爆弾が投下される。貨車一両が延焼。
 
:4月3日午後10時頃 米軍の重爆撃機一機が本郷原の上空に飛来、爆弾28個を投下。その他、焼夷爆弾による家屋の焼失が相沢、二ツ橋、橋戸でもあり、中でも中村ではほとんどが灰と化したと伝わっている。
 
* [[1957年]](昭和32年)10月20日 厚木基地(綾瀬市、大和市)を発着した[[イングリッシュ・エレクトリック_キャンベラ#B-57_キャンベラ|B-57]]爆撃機が瀬谷町7830付近の山林に墜落し1名が死亡、[[1961年]](昭和36年)11月27日にも本郷1丁目54付近に[[F8U]]ジェット機が墜落した事故が起きている。
 
* [[1962年]](昭和37年)5月 阿久和町の一部が三ツ境になる。
 
* [[1969年]](昭和44年)[[10月1日]] 戸塚区から旧瀬谷村全域と阿久和町(旧阿久和村北部)が分立し、瀬谷区が誕生する。
 
* [[1980年]](昭和55年) 瀬谷町・[[旭区 (横浜市)|旭区]]上川井町・[[緑区 (横浜市)|緑区]]長津田町の一部より卸本町が新設され、現在の区域となる。
 
* [[1986年]](昭和61年)10月 [[三ツ境駅]]新駅舎竣工。
 
* [[2000年]]([[平成]]12年)12月11日 [[環状4号線 (横浜市)|環状4号線]]瀬谷四丁目交差点から日向山地域まで開通。
 
* [[2002年]](平成14年)1月 区内北新の[[中原街道]]で[[三菱自動車]]製トラックのハブ破損によるタイヤ離脱で母子死傷事故発生。([[三菱リコール隠し]])
 
* [[2004年]](平成16年)3月28日 [[瀬谷駅]]新駅舎竣工。
 
* [[2012年]](平成24年)2月 新庁舎竣工。
 
 
 
=== 地名の由来 ===
 
* 「せや」の地名は、一説に'''狭谷'''(せや)で、「'''狭'''い川瀬の小'''谷'''がある土地」に由来すると言われている。
 
** [[1969年]][[10月1日]]の[[戸塚区|旧戸塚区域]]との分区の際は、公募による候補区名では「西浜」(にしはま)('''西'''部の横'''浜'''から)が「瀬谷」と並んで多かったが、「親しみやすい」ということもあり、現在の'''瀬谷区'''という地名になった経緯がある。[http://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/47ps/47_idx.htm ]
 
 
 
== 町名 ==
 
瀬谷区内では、[[住居表示に関する法律]]に基づく[[住居表示]]は実施されておらず、すべて町名と地番を整理する方法(町名地番整理)により、住所整理が実施されている(ただし、卸本町においては、旧町の地番が引き続き使用されている)。町区域設定前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部である。
 
<!-- 町名の順序は、横浜市統計書等公的資料の順序による。 -->
 
{{hidden begin
 
|title = 瀬谷区役所管内(59町丁)
 
|titlestyle = text-align:center;
 
|border    = solid
 
}}
 
{|class="wikitable" style="width:100%; font-size:small"
 
|-
 
!style="width:12%; border-bottom:1px solid"|町名
 
!style="width:12%; border-bottom:1px solid"|町名の読み
 
!style="width:12%; border-bottom:1px solid"|町区域設定年月日
 
!style="width:12%; border-bottom:1px solid"|住居表示実施年月日
 
!style="width:26%; border-bottom:1px solid"|町区域設定前の町名等
 
!style="width:26%; border-bottom:1px solid"|住居表示実施前の町名等
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''瀬谷町'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|せやちょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1939年4月1日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[瀬谷 (横浜市)|瀬谷一丁目]]'''
 
|rowspan="6" style="border-bottom:1px solid"|せや
 
|1984年11月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[瀬谷 (横浜市)|瀬谷二丁目]]'''
 
|1984年11月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[瀬谷 (横浜市)|瀬谷三丁目]]'''
 
|1984年11月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[瀬谷 (横浜市)|瀬谷四丁目]]'''
 
|1984年8月6日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[瀬谷 (横浜市)|瀬谷五丁目]]'''
 
|1984年8月6日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[瀬谷 (横浜市)|瀬谷六丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1984年8月6日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[宮沢 (横浜市)|宮沢一丁目]]'''
 
|rowspan="4" style="border-bottom:1px solid"|みやざわ
 
|1999年8月2日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|宮沢町
 
|
 
|-
 
|'''[[宮沢 (横浜市)|宮沢二丁目]]'''
 
|1999年8月2日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|宮沢町
 
|
 
|-
 
|'''[[宮沢 (横浜市)|宮沢三丁目]]'''
 
|2000年8月7日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|宮沢町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[宮沢 (横浜市)|宮沢四丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|2000年8月7日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|宮沢町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[二ツ橋町 (横浜市)|二ツ橋町]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|ふたつばしちょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1939年4月1日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[三ツ境]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|みつきょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1962年5月1日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|阿久和町字大原・字運上野・字鎌取・字東原
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''北町'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|きたまち
 
|style="border-bottom:1px solid"|1974年8月12日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[五貫目町]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|ごかんめちょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1974年8月12日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[目黒町]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|めぐろちょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1974年8月12日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''上瀬谷町'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|かみせやちょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1977年3月28日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''竹村町'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|たけむらちょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1977年3月28日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''中屋敷一丁目'''
 
|rowspan="3" style="border-bottom:1px solid"|なかやしき
 
|1977年3月28日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''中屋敷二丁目'''
 
|1977年3月28日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''中屋敷三丁目'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1986年11月6日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''本郷一丁目'''
 
|rowspan="4" style="border-bottom:1px solid"|ほんごう
 
|1978年7月17日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''本郷二丁目'''
 
|1978年7月17日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''本郷三丁目'''
 
|1978年7月17日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''本郷四丁目'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1986年11月6日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''東野'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|あずまの
 
|style="border-bottom:1px solid"|1978年12月20日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町字田向・字東野・字廣町・字横谷戸、二ツ橋町字広町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[南瀬谷|南瀬谷一丁目]]'''
 
|rowspan="2" style="border-bottom:1px solid"|みなみせや
 
|1979年8月20日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[南瀬谷|南瀬谷二丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1979年8月20日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[卸本町 (横浜市)|卸本町]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|おろしほんちょう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1980年3月31日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町<u>字上長谷</u>・<u>字上長谷向</u>・<u>字土橋</u>・<u>字長谷向</u>、旭区上川井町字堀谷、緑区長津田町字滝沢
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[南台 (横浜市)|南台一丁目]]'''
 
|rowspan="2" style="border-bottom:1px solid"|みなみだい
 
|1981年4月13日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町、宮沢町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[南台 (横浜市)|南台二丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1981年4月13日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町、宮沢町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[下瀬谷|下瀬谷一丁目]]'''
 
|rowspan="3" style="border-bottom:1px solid"|しもせや
 
|1981年11月9日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[下瀬谷|下瀬谷二丁目]]'''
 
|1981年11月9日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[下瀬谷|下瀬谷三丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1981年11月9日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''橋戸一丁目'''
 
|rowspan="3" style="border-bottom:1px solid"|はしど
 
|1982年10月25日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''橋戸二丁目'''
 
|1982年10月25日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''橋戸三丁目'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1982年10月25日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''北新'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|きたしん
 
|style="border-bottom:1px solid"|1982年10月25日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[相沢 (横浜市)|相沢一丁目]]'''
 
|rowspan="7" style="border-bottom:1px solid"|あいざわ
 
|1985年11月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[相沢 (横浜市)|相沢二丁目]]'''
 
|1985年11月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[相沢 (横浜市)|相沢三丁目]]'''
 
|1985年11月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[相沢 (横浜市)|相沢四丁目]]'''
 
|1985年11月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[相沢 (横浜市)|相沢五丁目]]'''
 
|1986年11月6日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|'''[[相沢 (横浜市)|相沢六丁目]]'''
 
|1986年11月6日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|瀬谷町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[相沢 (横浜市)|相沢七丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1986年11月6日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''中央'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|ちゅうおう
 
|style="border-bottom:1px solid"|1985年11月5日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''東野台'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|あずまのだい
 
|style="border-bottom:1px solid"|1987年10月26日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|瀬谷町字東野・<u>字横谷戸</u>、二ツ橋町字広町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和東一丁目]]'''
 
|rowspan="4" style="border-bottom:1px solid"|あくわひがし
 
|1993年8月9日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和東二丁目]]'''
 
|1993年8月9日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和東三丁目]]'''
 
|1994年8月8日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[阿久和|阿久和東四丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1994年8月8日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|阿久和町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和西一丁目]]'''
 
|rowspan="4" style="border-bottom:1px solid"|あくわにし
 
|1995年8月7日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和西二丁目]]'''
 
|1995年8月7日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和西三丁目]]'''
 
|1996年8月5日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|style="border-bottom:1px solid"|'''[[阿久和|阿久和西四丁目]]'''
 
|style="border-bottom:1px solid"|1996年8月5日
 
|style="border-bottom:1px solid"|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|style="border-bottom:1px solid"|阿久和町
 
|style="border-bottom:1px solid"|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和南一丁目]]'''
 
|rowspan="4"|あくわみなみ
 
|1997年8月4日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和南二丁目]]'''
 
|1997年8月4日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和南三丁目]]'''
 
|1998年8月3日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|'''[[阿久和|阿久和南四丁目]]'''
 
|1998年8月3日
 
|未実施<ref group="†" name="*" />
 
|阿久和町
 
|
 
|-
 
|}
 
<references group="†">
 
<ref group="†" name="*">町名地番整理実施区域。</ref>
 
</references>
 
{{hidden end}}
 
 
 
== 行政 ==
 
* 区 長 :森 秀毅(2016年4月 - )
 
* 区庁舎:2012年1月に新庁舎が竣工し、2月より供用されている。二ツ橋公園跡地に区役所及び消防署が移転され、隣接する公会堂は建て直された(2010年11月〜供用)。
 
* 瀬谷駅区民窓口サービスセンター…瀬谷駅にあり、区役所に行かなくてもサービスを受けることができた。[[住民票]]の写し、[[印鑑登録]]証明書、[[戸籍謄本]]・抄本(瀬谷区以外でも横浜市内のいずれかの区に本籍がある人ならば請求できる)、戸籍の附票の写し(市内に本籍のある人)、住民票記載事項証明書等。平成29年3月31日をもって閉所している。
 
 
 
=== 横浜市における瀬谷区の位置づけ===
 
* [[高秀秀信]]市長の時代に策定された「[http://www.city.yokohama.jp/cplan/2010-j-1.html ゆめはま2010プラン]」において、[[瀬谷駅]]周辺地区は地域拠点に位置づけられ、瀬谷駅周辺の南北一体となった発展が望まれている。現状は北地区の再開発が完了したが、南地区の再開発が遅延している。また、当時は瀬谷区を横浜市の西の玄関とするという計画であった。
 
 
 
=== 警察・消防 ===
 
'''警察'''
 
* [[瀬谷警察署]]
 
 
 
'''消防'''
 
* 瀬谷消防署
 
** 中瀬谷出張所
 
** 下瀬谷出張所
 
** 阿久和出張所
 
* [http://www.city.yokohama.jp/me/anzen/shouboudan/05_21.html 瀬谷消防団]
 
** 瀬谷消防団は、区内を四つの分団、14の班に分けて活動している、団員は224名、常時団員の募集をしている。
 
 
 
== 経済 ==
 
=== 商業施設 ===
 
商業施設は駅周辺と[[ロードサイド店舗]]などと多岐に渡る。
 
* 三ツ境駅周辺
 
** [[相鉄ローゼン]](旧:相高ストア第一号店)の入る[[三ツ境ライフ]]、1963年(昭和38年)11月開店。
 
** [[ダイエー]](合併以前は[[忠実屋]])
 
* 瀬谷駅周辺
 
** 北口 : [[マルエツ]]、[[HACドラッグ]]
 
** 南口 : ワンピース
 
* 区内東部
 
** [[OKストア]](二ツ橋)
 
** [[OKストア]](西友隣、阿久和)
 
** [[西友]](阿久和店、2000年12月12日開店<ref name="nissyoku-2000-12-27-4E">“オープン情報=西友”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2000年12月27日)</ref>)
 
** [[クリエイトエス・ディー]](西友内、阿久和)
 
* 区内西部
 
** [[ロピア]]、[[富士シティオ|Fuji]]([[横浜市道環状4号線|環状4号]]沿い)
 
** クリエイトエス・ディー(瀬谷駅南口、下瀬谷、南台)
 
[[ファイル:SEIYU Akuwa 001.JPG|250px]]
 
* 西友阿久和店
 
 
 
=== 金融機関 ===
 
==== 営業中の金融機関 ====
 
* 三ツ境駅周辺
 
** [[みずほ銀行]]、[[三井住友銀行]]、[[りそな銀行]]、[[横浜銀行]]、[[横浜信用金庫]]
 
 
 
* 瀬谷駅周辺
 
** 横浜銀行、[[きらぼし銀行]]、[[神奈川銀行]]、横浜信用金庫、[[城南信用金庫]]
 
 
 
==== 瀬谷銀行 ====
 
[[1907年]](明治40年)、瀬谷に設立。[[1935年]](昭和10年)、鎌倉銀行に営業譲渡。鎌倉銀行は[[1941年]]に[[横浜銀行|横浜興信銀行]](現:横浜銀行)に営業譲渡。2012年現在、横浜銀行中山支店が瀬谷銀行から継承して営業している店舗である。<ref>{{Cite web |date=2011-05 |url=http://www.boy.co.jp/boy/company/pdf/h90th_08.pdf |title=創立90周年記念誌 地域とともに141年 横浜銀行の歩み |format=PDF |publisher=横浜銀行 |accessdate=2012-12-30}}</ref>。
 
 
 
=== 工業団地 ===
 
かつて区北部には[[日本国有鉄道|国鉄]]所有の土地があり、その跡地を中心にして[[工業団地]]が造成された。[[東名高速道路|東名高速]][[横浜町田インターチェンジ]]や[[国道16号]]、[[国道246号]]に近いことから、横浜総合卸センター(卸本町)や横浜インナーパーク(北町)などの工場団地が集中している。生活協同組合連合会や[[生活協同組合コープかながわ|COOP]]、[[富士シティオ]]、[[花王]]、[[セコム]]の物流センター、[[イトーヨーカドー]]の物流拠点、[[読売新聞]]・[[日本経済新聞]]・[[東京新聞]]の印刷工場、[[佐川急便]]、[[日本通運]]、[[ヤマト運輸]]などの流通拠点がある。また[[セコム]]、[[清水建設]]、[[太平洋セメント]]グループの[[テイヒュー]](旧帝国ヒューム管)横浜本社・工場、[[オリックス (企業)|オリックス]]、などが工場や事務所を置いている。
 
 
 
=== 農業 ===
 
区内には開発されていない土地もあり農業も盛んである。上瀬谷の農業専用地区は、横浜市内にある農業専用地区の中でも一番広く、920,000 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]]ある。
 
 
 
北部を中心に[[ウド]]栽培が行われ、その産地は[[環状4号線 (横浜市)|海軍道路]]周辺に集中する。これは、既に撤廃されている上瀬谷通信隊の周辺における建築物の高さ制限、同地に旧[[大日本帝国海軍|帝国海軍]]による弾薬庫の遺構が多数残されていたことなどの理由によって、農作物として半地下で栽培できるウドが選ばれたためである。
 
 
 
下瀬谷地区では、露地野菜やハウス栽培が中心。阿久和・南瀬谷地区を中心に[[芝]]の栽培が盛んである。阿久和・宮沢地区では、[[酪農]]、肉牛、養鶏の農家がある。また各地に直売所がある。
 
 
 
=== 瀬谷区に本社を有する主な企業 ===
 
* [[テイヒュー]] [[太平洋セメント]]グループ。旧東証2部。本社・工場:[[目黒町]]
 
=== 瀬谷区に工場を有する主な企業 ===
 
* [[日本アビオニクス]](旧社名:日本アビオトロニクス) - 東証2部(6946) [[日本電気|NECグループ]]。[[本郷 (横浜市)|本郷]]に横浜製作所がある。
 
* [[セコム]] - 目黒町にFSセンターを有する。
 
 
 
=== 瀬谷区における株式公開をしたことのある企業 ===
 
* 瀬谷区にかつて本店または本社(工場)機能があった上場企業
 
** 住鉱テック(旧社名:東洋端子) - 非上場。会社更生法の適用をうけ再生。
 
** [[マインマート]](旧社名:大門) - 非上場。本社を横浜市中区に移転。日本アジアホールディングス傘下。
 
** 住友金属鉱山株式会社
 
 
 
== 機関・施設 ==
 
=== 主な病院 ===
 
<!--/* 主な病院 */ 生活便利帳にしない-->
 
* 三ツ境病院(三ツ境) 内科、循環器科、消化器科、整形外科、リハビリテーション科、皮膚科、耳鼻咽喉科
 
* 横浜桐峰会病院(瀬谷) 内科、外科、胃腸科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、肛門科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科
 
* 堀病院(二ツ橋町) 産科、小児科、婦人科
 
* 横浜甦生病院(瀬谷) 内科、小児科、外科、耳鼻咽喉科、消化器科、循環器科、整形外科
 
* 横浜相原病院(阿久和南) 精神科、内科、神経科、心療内科
 
* 瀬谷区休日急患診療所(橋戸) 内科・小児科
 
 
 
=== 文化施設 ===
 
'''公会堂'''
 
* 瀬谷公会堂(二ツ橋町)
 
'''[[図書館]]'''
 
* 瀬谷図書館(本郷)…蔵書約10万冊。
 
'''地区センター'''
 
* 瀬谷地区センター(瀬谷)
 
* 阿久和地区センター(阿久和南)
 
* 中屋敷地区センター(中屋敷)
 
'''[[コミュニティ・スクール]]'''
 
* 下瀬谷小学校
 
* 南瀬谷小学校
 
* 東野中学校
 
* 原中学校
 
 
 
=== 博物館・美術館・資料館===
 
* 横浜旧軍無線通信資料館(南台)…見学は事前予約が必要。
 
* 瀬谷郷土資料館…以前は瀬谷小学校内にあったが、現在は存在しない。展示品等は三ツ境の長屋門公園に移設された。
 
 
 
=== 文化財 ===
 
竹村町の妙光寺[[梵鐘]](ぼんしょう)は[[鎌倉時代]]の作と言われ県の[[重要文化財]]に指定されている。
 
 
 
=== スポーツ施設 ===
 
'''[[野球場]]'''
 
* 瀬谷本郷公園(本郷)…両翼97m、センター120m。内野土、外野天然芝、照明施設あり。
 
* 上瀬谷球場(上瀬谷)
 
'''[[サッカー]]・[[フットサル]]'''
 
* コロナフットボールクラブ横浜瀬谷(中屋敷)…瀬谷西高校の近く。フットサルができる。有料。
 
* 瀬谷本郷公園(本郷)…[[2005年]](平成17年)度にサッカーのできる球技場が整備される予定である。
 
'''[[プール]]・[[水泳]]'''
 
* 宮沢町第二公園プール(宮沢)…夏季営業。25mプールと幼児プール。
 
'''[[乗馬]]'''
 
* アシェンダ乗馬学校(阿久和西)…所属選手の[[北井裕子]]が[[北京オリンピック]][[馬場]][[馬術]]団体に出場することになった。
 
'''[[体育館]]'''
 
* 瀬谷スポーツセンター([[南台 (横浜市)|南台]])
 
* 瀬谷地区センター(瀬谷)<!-- 地区センターと老人福祉センターを総称して瀬谷センターと称する -->
 
* 阿久和地区センター(阿久和南)
 
* 中屋敷地区センター(中屋敷)
 
'''[[テニス]]'''
 
* 瀬谷本郷公園テニスコート(本郷)
 
* 瀬谷グリーンテニスクラブ(橋戸)…ビジターの利用可。
 
'''[[ゴルフ]]'''
 
* 一里山ゴルフセンター (瀬谷)
 
'''[[スポーツクラブ]]'''
 
* コナミスポーツクラブ(三ツ境・2007年3月オープン。三ツ境パーフェクトボールが2005年に閉鎖された跡地)
 
'''[[サイクリング]]'''
 
* 藤沢大和自転車道…境川を挟んで大和市側になるが[[藤沢市]][[江ノ島]]まで続くサイクリングロードがある。途中途切れる箇所もあるので注意が必要。[[神奈川県道451号藤沢大和自転車道線]]。
 
'''その他'''
 
* 区内多くの小中高校の体育館や校庭が休日・夜間に一般開放されている。
 
* 夏休みに限り、一部の小中学校のプールが一般開放されている。
 
* [[剣道]]や[[柔道]]も盛んであり、区内の中学校の部活動における剣道は、全国大会に出場した経験もある。
 
 
 
== 地域 ==
 
=== 健康 ===
 
* 平均年齢 43.54歳(2010年1月1日) ※横浜市平均は43.12歳
 
* 15歳未満の年少人口 14.6%(2010年)
 
* 65歳以上の老年人口 22.0%(2010年)
 
 
 
=== 住宅地 ===
 
'''建築協定のある住宅地'''
 
* 瀬谷向陽台住宅地
 
* 横浜インナーパーク
 
'''団地'''
 
* [[都市再生機構|UR]]アーバンドエル瀬谷
 
* 市営住宅 上瀬谷
 
* 市営住宅 橋戸ハイツ
 
* 市営住宅 橋戸原ハイツ
 
* 市営住宅 南台ハイツ
 
* 市営住宅 楽老ハイツ
 
* 市営住宅 三ツ境ハイツ(山本理顕設計工房)
 
* 市営住宅 三ツ境南
 
* 市営住宅 瀬谷南
 
* 市営住宅 阿久和向原
 
* 県営細谷戸団地
 
* 県営瀬谷団地(瀬谷町5812外)
 
* 県営相沢原団地(瀬谷二丁目)
 
* 県営橋戸原団地(橋戸二丁目)
 
* 県営阿久和団地(阿久和南四丁目)
 
* 県営ハイム宮の腰(阿久和東四丁目)
 
* 県営ヒルズ本郷原(本郷二丁目)
 
 
 
=== 防災拠点 ===
 
[[防災拠点|地域防災拠点]]は、学区の小中学校が割り当てられている。広域避難場所は、ほぼ相鉄線を境に北部は米軍上瀬谷通信施設一帯、南部は下瀬谷入口一帯耕地が指定されている。また水害に対する備として、区では境川の[[ハザードマップ]]作りを進めている。
 
 
 
== 教育 ==
 
=== 高等学校 ===
 
'''公立'''
 
* [[神奈川県立瀬谷高等学校]]
 
* [[神奈川県立瀬谷西高等学校]]
 
 
 
=== 中高併設校 ===
 
'''私立'''
 
* [[横浜隼人中学校・高等学校]]
 
 
 
=== 中学校 ===
 
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* 横浜市立下瀬谷中学校
 
* 横浜市立原中学校
 
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* [[横浜市立南瀬谷中学校]]
 
* 横浜市立東野中学校
 
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* [[横浜市立瀬谷中学校]]
 
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=== 小学校 ===
 
小学校を卒業した生徒の公立中学校進学率は、90.8%(2004年度)で横浜市内で一番高い。
 
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* 横浜市立瀬谷小学校
 
* 横浜市立大門小学校
 
* 横浜市立上瀬谷小学校
 
* 横浜市立相沢小学校
 
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* 横浜市立二つ橋小学校
 
* [[横浜市立三ツ境小学校]]
 
* 横浜市立阿久和小学校
 
* 横浜市立原小学校
 
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* [[横浜市立南瀬谷小学校]]
 
* 横浜市立瀬谷第二小学校
 
* 横浜市立瀬谷さくら小学校
 
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=== 特別支援学校 ===
 
* 横浜市立二つ橋高等特別支援学校
 
* 神奈川県立瀬谷養護学校
 
* 神奈川県立三ツ境養護学校
 
 
 
== 交通 ==
 
=== 鉄道 ===
 
瀬谷区内に駅を有する鉄道は[[相模鉄道]]本線のみである。
 
* [[相鉄本線]]
 
** ([[大和駅 (神奈川県)|大和駅]]) - [[瀬谷駅]] - 三ツ境駅 - ([[希望ヶ丘駅]])
 
: [[二ツ橋駅]] 1960年廃止。
 
*区東部の阿久和、宮沢は、[[相鉄いずみ野線]][[いずみ野駅]]が最寄りになる地域もあり。
 
*区南西部に位置する下瀬谷、北新、南瀬谷は[[小田急]][[小田急江ノ島線|江ノ島線]][[桜ヶ丘駅]]が最寄りの地域もある。
 
*区の北に位置する上瀬谷、北町、目黒町、五貫目町は、[[東急田園都市線]][[南町田駅]]が最寄りになる。
 
<!-- * [[東海道新幹線]]
 
: 区南部の阿久和南、南瀬谷を通過している。 -->
 
 
 
=== 路線バス===
 
* [[神奈川中央交通|神奈川中央交通・神奈川中央交通東]]
 
* [[相鉄バス]]
 
==== 廃止された路線バス====
 
* [[横浜市営バス]] 116系統、5系統(卸センター循環)
 
* [[相鉄バス]]
 
** 瀬谷駅〜下瀬谷
 
** 東原〜三ツ境駅〜運上野
 
** 下瀬谷〜瀬谷駅〜細谷戸第三
 
** 二俣川〜本厚木間の路線(瀬谷・三ツ境を経由)1996年5月6日廃止
 
* [[神奈中バス]]
 
** 原町田〜瀬谷駅
 
** 戸塚駅東口〜瀬谷駅
 
 
 
=== 道路 ===
 
区内における都市計画道路の進捗率は30%台で市の中でも一番低い。市では環状4号線の開通を手始めに、[[神奈川県道40号横浜厚木線]](厚木街道)、[[神奈川県道401号瀬谷柏尾線]]、中原街道([[神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線]])の[[大和市]]側、旧[[国道16号]]などの整理事業を[http://www.city.yokohama.jp/me/douro/plan/minaoshi/kouyoko/18kouyoko_seya.pdf 計画・推進]している。
 
 
 
区内最初の交通信号…海軍道路と旧国道16号の交差点。
 
* 高速道路
 
** [[東名高速道路]](北部を通過)
 
<!--**[[横浜環状道路]]…区内を通過する計画がある-->
 
* 一般国道
 
** [[国道16号]](八王子街道、[[大和バイパス]])
 
** [[国道246号]]
 
* 県道
 
** [[神奈川県道40号横浜厚木線]](厚木街道)
 
** [[神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線]]([[中原街道]])
 
** [[神奈川県道56号目黒町町田線]](旧国道16号)
 
** [[神奈川県道401号瀬谷柏尾線]]
 
** [[神奈川県道402号阿久和鎌倉線]]
 
* 市道(都市計画道路)
 
** [[環状4号線 (横浜市)|環状4号線]]
 
** [[鴨居上飯田線|市道鴨居上飯田線]]
 
* 市道(その他)
 
** 市道東希望が丘第224号線
 
**: 横浜厚木線〜旭グリーンハイム間:[[延長 (日本の道路)|延長]]380m、[[2008年]](平成20年)度 - [[2009年]](平成21年)度工事実施予定
 
**: 旭グリーンハイム〜三ツ境住宅間:延長260m、整備済み
 
**: 三ツ境住宅〜せや活動ホーム太陽間:延長120m、2008年(平成20年)[[3月31日]]完成
 
** 野境道路(戸塚道)
 
**: 三ツ境の厚木街道から国道16号までの道のり。
 
**: 三ツ境駅付近より[[聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院]]付近までは[[旭区 (横浜市)|旭区]]との区境にあたり、かつては[[相模国|相模]]・[[武蔵国|武蔵]]の[[相武]]国境でもあった{{refnest|group="注"|[[江戸時代]]より野境道(のざかいみち)と呼ばれ利用されてきたかつての国境道<ref name="seya-buso">[http://www.city.yokohama.lg.jp/seya/midokoro/sanpomichi/corse02/corse02-02.html 武相国境・緑の森コース:武相国境 (野境道路)](横浜市瀬谷区公式ウェブサイト)</ref>は、西部病院付近の「瀬谷高校入口」交差点で現在の野境道路から離れて西側に進み、[[横浜市の市民の森#瀬谷区|瀬谷市民の森]]北東端の間道を通って旧[[上瀬谷通信施設]]方面に抜けていた(現在の旭区との区境もほぼ同じ経路を辿る)。}}。<!--阿久和に松並木が4本残されている。-->
 
** ほしのや道…[[坂東三十三箇所]]の[[巡礼]]街道が、区内を通っている。泉区から入り。宮沢六道辻〜下瀬谷〜橋戸を通って、大和駅に出るコースである。橋戸の左馬神社に「右ほしのや道」と刻まれている道標を兼ねた庚申塔([[安永]]8年)が建っている。
 
 
 
== 名所 ==
 
* 鷹見塚…江戸幕府開幕の頃におかれ、5代将軍[[徳川綱吉]]の時に一時廃れたが、8代将軍[[徳川吉宗]]の代に復活した鷹狩りを行う際の指揮台として用いた物見塚。区内には2箇所設置された。現在では瀬谷四丁目の環状4号線沿いに1箇所残るのみである。
 
* 白鳳庵…個人の私邸に、30種約3,000株の[[アジサイ|あじさい]]が植えられており、開花時期に合わせて一般開放されている。入り口の門は、横浜税関、神奈川県庁の正門を経て、現在の場所に移築された由緒のある門である。
 
* 乳出神の碑…東野第一公園にある。碑によると、この周辺にわき出ている清水を持ち帰って飲むと、母乳の出が良くなったという言い伝えがあるという。昭和42年頃までは乳出神を祭った泉があったが、近年の造成工事によって清水は断たれた。昭和初期の神中鉄道発行の観光地図にも記載されている。
 
 
 
=== 桜の名所 ===
 
* [[環状4号線 (横浜市)|海軍道路]]([[上杉禅秀の乱]]の古戦場)
 
** 米軍[[上瀬谷通信施設]]基地の敷地内を通る、瀬谷駅近辺から国道16号まで2850mの直線道路。[[サクラ|桜]]並木となっているため、[[花見]]の時期には多くの人が訪れ大渋滞することで有名。桜の植樹は、瀬谷中学校側は昭和50〜51年頃に、旧国道16号側は昭和57〜58年頃、瀬谷中学校の生徒を中心にした区民の手により行われた。現在、環状4号の一部として指定を受け拡幅工事が行われているが、上瀬谷通信隊の返還が内定したことにより、敷地内での施工開始が速まる可能性が出てきたため、桜の扱いについての動向が注目されている。
 
** 毎年1月下旬、区民マラソンが開催されるなど、現在では[[マラソン]]をする人も見受けられる。
 
* 野境道路…三ツ境駅前から聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院前に通じる道路。
 
* 相沢川ウォーク…相鉄バス「梛の木石碑前」バス停から南に1kmほどの歩道。南台こどものもり公園に隣接している。
 
 
 
=== 主な公園 ===
 
区内には約90箇所の[[公園]]がある。また2005年(平成17年)度より、一部の公園でによる管理や運営も行われている。
 
* [[長屋門公園]]…[[長屋門]](大岡家、明治17年の建築)と住宅(安西家住宅、江戸期中期、泉区より移築、区内に現存する最古の建築物)は市の文化財の指定をうけている。自然観察林、雑木広場は、個人の敷地を市が借り上げている。昭和50年代頃までは[[ホタル|蛍]]が自然生息していたが、近年の公園整備工事のために絶滅。[[三ツ境駅]]から[[プロムナード]]が延びている。[[希望ヶ丘駅]]からも近い。過去、園内で[[結婚式]]を挙げたカップルもいる。市内の古民家を巡るスタンプラリーの中継点の一つ。記録映画『[[ムカシが来た]]』に移築・復元作業が収められている。阿久和川の源流の一つ。
 
* 瀬谷市民の森…18.7ha.
 
:* [[ディスクゴルフ]]のコースが清水ヶ丘広場にあり、一般の市民も利用できる。
 
:* 和泉川の源流。
 
* 瀬谷北口公園<!--…いつも子供でにぎわう。-->
 
* 瀬谷本郷公園…野球場(照明あり)、テニスコート。サッカーのできる球技場も整備中。
 
* 瀬谷中央公園…こども[[ログハウス]]"まるたのしろ"、乳児から利用できる。
 
* 瀬谷貉窪(むじなくぼ)公園
 
* 阿久和大久保原公園
 
* 南台こどものもり公園
 
* 三ツ境第五公園
 
 
 
=== 水辺の整備 ===
 
区内を流れる河川沿いに、[[親水公園]]や[[プロムナード]]を整備している。区は、[[都市計画]]において「自然環境づくりの方針」を第一に掲げている。
 
* 阿久和川…長屋門公園に「せせらぎの水辺」。
 
* 和泉川…厚木街道沿いの「二ツ橋の水辺」から「東山の水辺」「関ヶ原の水辺」「宮沢遊水地)までの約2.8kmが整備されている。宮沢には音がなるしかけのある「赤関おとなり橋」が架かっている。東山の水辺と関ヶ原の水辺は、2005年の[[土木学会]]デザイン賞で最優秀賞を受賞している。瀬谷貉窪公園から和泉川に湧水をつなげる「寺ノ脇の水辺」、泉区に隣接している地域に「宮沢遊水地」がある。
 
* 相沢川…「相沢川ウォーク」
 
* 大門川…瀬谷中央公園沿いに「大門川せせらぎ緑道」。
 
* [[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]…中屋敷の中島橋や北新の下瀬谷第一公園付近に親水拠点があり、川岸に下りることができる。
 
 
 
=== 主な寺社 ===
 
主な寺を巡る[[瀬谷八福神]]がある。主な寺は[[瀬谷八福神]]を参照。
 
 
 
'''所在地、祭礼日、その他'''
 
* 神明社…二ツ橋、9月9日。[[享保]]10年(1725年)[[伊勢神宮]]より[[神体]]を受け、[[榊]]を神木として祀っている。
 
* 神明社…本郷、4月1日
 
* 日枝社…本郷、9月22日、[[けやき]](樹齢300年以上、高さ40m、横浜市名木古木、かながわの名木100選)
 
* 八幡社…上瀬谷、9月18日、岩崎丹後守により建立。境内に八幡上古墳跡がある。東名高速道路の建設に伴い現在の位置に移った。
 
* 諏訪社…相沢、9月7日、源頼朝が鎌倉入りをした時に宿泊したと伝えられている。一間社流造、[[天保]]12年(1841年)に再建されたという棟札が残されている。
 
* [[サバ神社|左馬社]]…橋戸、9月10日(9月第二日曜)、「さば」または「さま」と読む。[[源義朝]]=佐馬頭を祀っている。近隣にある左馬神社をめぐる「厄除けの七サバ巡り」がある。また境内には[[天満]]様(学問の神様)や商売の神様も祀られている。例祭の時には[[神楽]]殿で橋戸囃子が奉納され、餅巻き等も行われる。[[神仏混交]]の名残があり、[[梵鐘]]がある。別名[[サバ神社]]。[[境内]]で子どものいたずらを叱った者には[[天罰]]が当たるという言い伝えがある。
 
* 神明社…宮沢、10月第一土曜日(9月第二日曜?)。境内社として、白姫神社と三峰神社がある。一間社流造、[[安政]]3年に再建されたという記録が残されている。
 
* [[熊野神社 (横浜市瀬谷区)|熊野神社]]
 
* 白姫神社…三ツ境、8月第一土日曜日。[[縁日]]や[[神輿]]、[[山車]]が繰り広げられる。明治41年阿久和に祭られ、阿久和養蚕組合の守り神となった。その後養蚕の衰えとともに一時衰退したが、昭和30年に三ツ境に移され、現在では養蚕の名残を残して衣の神様として祭られている。
 
** 上記神社の本務神社は、熊野神社が[[富岡八幡宮]]、宮沢神明社が青木神社、その他は[[杉山神社 (横浜市保土ケ谷区川島町)|杉山神社]]。
 
** コナミスポーツ付近に三ツ境神社、阿久和の谷戸に阿久和神明社があったが、現在では廃社になっている。
 
 
 
=== お囃子・音頭 ===
 
* 橋戸囃子…<!--横浜市指定無形民俗文化財。-->9月の佐馬神社の祭礼で奉納される。
 
* 阿久和囃子…<!--横浜市民族芸能無形文化財に指定。-->9月の熊野神社の祭礼で奉納される。
 
* 瀬谷音頭…瀬谷祭りや区内の一部の小学校の運動会で披露される。瀬谷小唄もある。
 
 
 
=== 瀬谷区をロケ地にした作品 ===
 
* 「[[スローなブギにしてくれ]]」‐海軍道路(瀬谷西高校付近)
 
* 「[[早春スケッチブック]]」‐瀬谷駅(八千代銀行)
 
* 「[[恋するトップレディ]]」‐瀬谷駅北口(八千代銀行前)
 
* 「[[アットホーム・ダッド]]」、「[[鬼嫁日記]]」‐マークスプリングス(五貫目町にある新興住宅地)
 
 
 
== 年間行事 ==
 
'''1月'''
 
* 消防[[出初め式]] - 1月上旬、瀬谷公会堂周辺
 
* 瀬谷区マラソン大会 - 1月下旬、海軍道路周辺。
 
* [[どんど焼き]] - 区内各所・いくつかの社寺。
 
'''4月'''
 
* 桜祭り - 4月上旬、海軍道路周辺・上瀬谷通信基地。
 
'''8月'''
 
* 三ツ境商店街夏祭り - 8月第一土日、三ツ境駅南口商店街。富士見通りでも行われる。神輿。2005年は[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]も行われた。
 
* 瀬谷谷米軍通信隊盆踊り - 8月15日前後。米軍の事情により中止されることもある。
 
* 瀬谷銀座祭り - 8月中旬、瀬谷駅南口商店街。駅から厚木街道まで屋台が建ち並ぶ。カラオケ大会等が催しされる。
 
'''10月'''
 
* 瀬谷フェスティバル - 10月最終日曜、上瀬谷通信隊はらっぱ。従来の「瀬谷祭り」から名称が変更された。
 
 
 
== 出身人物等 ==
 
=== 出身人物 ===
 
'''文化人'''
 
* 尾崎正善(徳善寺副住職、[[鶴見大学]]文化財学科教授)
 
'''芸能関係'''
 
* [[嶋田久作]](俳優)
 
* [[伊藤かずえ]](俳優)
 
* [[裕木奈江]](俳優)
 
'''スポーツ関係'''
 
* [[岩崎達郎]](プロ野球選手、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]])
 
* [[荒波翔]](プロ野球選手、[[横浜DeNAベイスターズ]])
 
* [[松本裕樹]](プロ野球選手、[[福岡ソフトバンクホークス]])
 
* [[栗原勇蔵]](プロサッカー選手、[[横浜F・マリノス]])
 
* [[美尾敦]](プロサッカー選手、[[FC岐阜]])
 
* [[松本憲]](プロサッカー選手、[[横浜スポーツ&カルチャークラブ]])
 
* [[葛西裕一]](元[[プロボクサー]])
 
* [[加藤覚]]([[専修大学]]陸上競技部監督)
 
* [[上尾野辺めぐみ]](サッカー選手)
 
* [[山崎珠美]]([[柔道家]])
 
 
 
=== ゆかりのある人 ===
 
* [[山口百恵]](歌手) - 幼少期を区内で過ごす。
 
* [[ダレノガレ明美]]([[タレント]]、[[モデル (職業)|モデル]]) - 幼少期より区内で育つ。
 
* 中村俊輔(プロサッカー選手、[[ジュビロ磐田]])- 出生地。
 
 
 
== その他 ==
 
* 瀬谷区の家系ラーメン : 環状4号線沿いを中心に[[家系ラーメン]]の店が点在している。
 
* [[銭湯]] : 細谷戸の銭湯が廃業し、一時期は三ツ境の桜湯だけになってしまった。最近では、北部の目黒町に[[スーパー銭湯]]「[[ゆめみ処ここち湯]]」が営業しており、[[2006年]](平成18年)[[12月30日]]より天然[[温泉]]を使用している。また、橋戸にはスーパー銭湯[[湯楽の里|湯楽(ゆら)の里]]が存在したが、2014年6月30日に閉店し、その跡地では現在[[くら寿司]]とブロンコビリーが営業している。
 
* 瀬谷区にまつわる地名・名所の入っているお菓子 : 瀬谷[[カスタードプディング|プリン]]。瀬谷[[最中]]。長屋門[[まんじゅう]]。瀬谷八福神([[餅]]菓子)。昔が来た(茶饅頭)。瀬谷餅。あじさい最中。瀬谷の里([[パイ]])。
 
* [[釣堀]] : 本郷2丁目に釣り堀がある。
 
* 埋蔵[[伝説]] : 阿久和に伝わる[[昔話]]に、阿久和の善光寺谷というところに一遍上人ゆかりのものやその他[[仏具]]・宝物が埋められているという。『鎌倉郡[[中川村 (神奈川県鎌倉郡)|中川村]]郷土誌』には「道下に古穴らしきものあり強く之(これ)を踏む時は地下に異様な音響を聞く」とある。また阿久和には小金山がある。
 
* 瀬谷区にまつわる歌
 
** 「横浜18区アンソロジー 瀬谷区のうた」 作詞・作曲:[[白井ヴィンセント]] 演奏:[[インビジブル・ファミリー]]
 
** 「みんなでつくろう 瀬谷のまち」 作詞・作曲・演奏:[[2007年]](平成19年)度 [[横浜市立三ツ境小学校]]5年4組
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
<!-- 実際に参考にした文献一覧 -->
 
* 『区勢統計要覧 瀬谷』 横浜市瀬谷区役所総務課、2007年。
 
* 「横浜瀬谷の歴史」編集委員会 / 編 『横浜瀬谷の歴史 瀬谷区制30周年記念出版』 横浜市瀬谷区役所地域振興課、2000年
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
<!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク -->
 
{{Commonscat|Seya-ku, Yokohama}}
 
 
* [[:Category:瀬谷区]]
 
* [[:Category:瀬谷区]]
 
* [[上瀬谷通信施設]]
 
* [[上瀬谷通信施設]]
* [[環状4号線 (横浜市)|環状4号線]](海軍道路)
 
 
* [[瀬谷八福神]]
 
* [[瀬谷八福神]]
  
947行目: 32行目:
 
* [http://www.city.yokohama.lg.jp/seya/ 瀬谷区公式サイト]
 
* [http://www.city.yokohama.lg.jp/seya/ 瀬谷区公式サイト]
  
{{神奈川県の自治体}}
+
{{テンプレート:20180815sk}}
{{Japan-area-stub}}
 
 
{{DEFAULTSORT:せやく}}
 
{{DEFAULTSORT:せやく}}
 
[[Category:横浜市の区]]
 
[[Category:横浜市の区]]
 
[[Category:瀬谷区|*]]
 
[[Category:瀬谷区|*]]

2018/8/27/ (月) 10:54時点における最新版

徳善寺本堂.jpg
せやく
瀬谷区
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
横浜市
団体コード 14114-3
面積 17.17km2
総人口 123,142
推計人口、2018年4月1日)
人口密度 7,172人/km2
隣接自治体
隣接行政区
横浜市旭区緑区泉区
大和市
東京都町田市
外部リンク 瀬谷区の公式サイト
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瀬谷区(せやく)

神奈川県中部,横浜市西部の区。多摩丘陵にあり,西境を境川が流れる。

1969年戸塚区北部が分離して区制。横浜や湘南地方向けの野菜,庭木の栽培地であったが,昭和初期に相模鉄道が開通し,漸次住宅地となった。

1960年代から住宅団地が急増。内陸工業地域としても発展。北部にアメリカ軍の上瀬谷通信基地がある。

関連項目

外部リンク



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