「唐津市」の版間の差分

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{{Otheruses|日本の佐賀県にある市|韓国の[[忠清南道]]にある市|唐津市 (忠清南道)}}
 
 
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{{日本の市
 
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|郵便番号 = 847-8511
 
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|所在地 = 唐津市西城内1番1号<br /><small>{{ウィキ座標度分秒|33|27|00.3|N|129|58|05.7|E|region:JP-41_type:adm3rd|display=inline,title}}</small><br/>[[ファイル:Karatsu_city_office.jpg|right|250px|center|唐津市役所(本庁)]]
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[[ファイル:Nijinomatsubara.jpg|thumb|240px|[[虹の松原]](国の[[特別名勝]])]]
 
[[File:Hamatama,_Japan_Sunset.jpg|thumb|240px|浜玉町の海岸([[玄海国定公園]])]]
 
'''唐津市'''(からつし)は、[[佐賀県]]の北西に位置し[[玄界灘]]に面する[[市]]。[[福岡都市圏]](福岡相対都市圏)を形成する[[都市]]の一部である。
 
  
== 概要 ==
+
'''唐津市'''(からつし)
旧[[東松浦郡]]。中心市街地は[[唐津藩]]の城下町が前身。唐津神社の秋季例大祭である[[唐津くんち]]や特別名勝の[[虹の松原]]、[[呼子朝市]]などで有名で、広大な面積に多数の観光資源を有する。
 
  
[[2005年]]に周辺の[[東松浦郡]][[呼子町]]、[[鎮西町]]、[[肥前町]]、[[相知町]]、[[厳木町]]、[[浜玉町]]、[[北波多村]]と合併(新設合併)して新たに唐津市となった。また、2006年に[[七山村]]を編入した。
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[[佐賀県]]北部に位置する市。[[玄界灘]]に浮かぶ[[小川島]][[加唐島]][[神集島]][[加部島]][[馬渡島]]などと,[[唐津湾]][[高島]]などを含む。[[東松浦半島]]の大部分を占め,南域を[[筑紫山地]]が囲む。1932年市制。1941年佐志町,1954年鏡村,久里村,鬼塚村,湊村の 4村,1958年切木村の一部をそれぞれ編入。2005年[[相知]]町,[[北波多]]村,[[厳木]]町,[[鎮西]]町,[[浜玉]]町,[[肥前]]町,[[呼子]]町の 6町 1村と合体。2006年[[七山]]村を編入。中心市街地の唐津は古来朝鮮半島への要津で,唐津の名は韓津にちなむ。慶長7(1602)年[[唐津藩]]主の寺沢広高が築城。舞鶴公園は旧本丸の跡。唐津港は唐津炭田の開発が進むにつれ石炭積出港として脚光を浴び,1889年特別輸出港に指定。初め[[松浦川]]の河口にあったが,1905年大型船舶の停泊に便利な西唐津に移転。1958年頃から石炭産業の不況に伴い唐津港を中心とする臨海工業地帯の建設が進められ,1967年九州電力佐賀火力発電所が操業を開始。醸造(味噌,醤油),工作機械,水産加工,土建材料などの工業が興った。なお桃山時代以来の伝統をもつ[[唐津焼]]の特産がある。市域には国の特別名勝の[[虹ノ松原]],特別史跡の[[名護屋城]]跡および陣跡をはじめ,眺望に優れる[[鏡山]],国の天然記念物である屋形石の[[七ツ釜]],国指定史跡の[[谷口古墳]][[菜畑遺跡]]など名所旧跡が多い。[[唐津くんち]]の曳山行事は国の重要無形民俗文化財に指定されており,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして[[国際連合教育科学文化機関]] UNESCOの[[世界無形遺産]]に登録された。島嶼部を含めた北部は[[玄海国定公園]]に,また一部で[[八幡岳県立自然公園]][[天山県立自然公園]][[脊振北山県立自然公園]]にそれぞれ属する。JR唐津線,筑肥線,国道202号線,203号線,207号線,204号線,323号線が通じる。面積 487.58km<sup>2</sup>。人口 12万2785(2015)。
 
 
経済圏である[[唐津都市圏]]は唐津市及び玄海町で約13万人強の人口を擁しており大部分を唐津市が占めるが、近隣の福岡都市圏、佐賀都市圏方面に通勤・通学する市民も多い(旧浜玉町域は福岡都市圏の5%通勤通学圏、旧厳木町域は佐賀都市圏の10%通勤通学圏である)。
 
 
 
== 地理 ==
 
=== 地形 ===
 
[[ファイル:100731 Central of Karatsu.jpg|thumb|center|800px|唐津城から松浦川河口部を望む。左奥が虹の松原]]
 
市域は[[松浦川]]・[[玉島川]]による平野部(唐津平野)と、'''上場'''(うわば)と呼ばれる丘陵性の玄武岩台地からなり、東は[[背振山地]]、西は[[伊万里湾]]、南は[[杵島山地]]、北は[[玄界灘]][[唐津湾]])に面し、唐津湾には松浦川が注ぐ。また北西部の海岸は[[リアス式海岸|リアス式]]で出入りに富み、その地理的特徴からこの地域は古代から大陸方面の海上交通の拠点となった。
 
 
 
[[地球]]上における唐津市の位置として特筆すべきことは、[[東経130度]]経線が、唐津市の区域のほぼ中心を貫いていることである。このため、[[西九州自動車道]]の[[唐津インターチェンジ]]の本線上に、東経130度が通過していることを示す標識が建てられている。
 
[[ファイル:2013-03-23 西九州自動車道唐津ICにおける東経130度線標識.JPG|thumb|250px|西九州自動車道唐津ICにおける東経130度線標識]]
 
 
 
西は松浦川河口部付近から東の[[浜崎駅]]付近まで広がる[[クロマツ]]の林は[[虹の松原]]と呼ばれ、景勝地ならびに唐津の象徴のひとつとして親しまれている。[[鏡山 (佐賀県)|鏡山]]の展望台からは虹の松原及び唐津市街が一望できる。東松浦半島から松浦川河口付近一帯は[[玄海国定公園]]に指定されている。
 
 
 
平野部では[[江戸時代]]初期に大規模な治水事業が行われ、ほぼ現在の地形となった。
 
 
 
[[佐賀市]]、[[多久市]]、[[伊万里市]]、[[福岡県]][[糸島市]]、[[長崎県]][[松浦市]]などと境界を接する。
 
 
 
* 山:[[鏡山 (佐賀県)|鏡山]]、三方山、[[作礼山 (佐賀県)|作礼山]]、椿山、[[十坊山]]、[[衣干山]]、城山、野高山、石高山、霧差山、岸岳、陣ノ山、日ノ高地山、[[天山 (佐賀県)|天山]]、女山、[[八幡岳 (佐賀県)|八幡岳]]
 
* 河川:[[松浦川]]、[[徳須恵川]]、[[厳木川]]、町田川、佐志川、半田川、[[玉島川]]
 
* 島嶼:[[高島 (佐賀県)|高島]]、[[鳥島 (佐賀県)|鳥島]][[神集島]][[加部島]]、[[小川島]]、[[加唐島]]、[[松島 (佐賀県)|松島]]、[[馬渡島]][[向島 (佐賀県)|向島]]
 
 
 
=== 気候 ===
 
<div style="font-size:smaller">
 
{{climate chart
 
|'''唐津市枝去木(2010年2月までの観測所設置位置)'''
 
|2.4|8.1|80
 
|2.5|8.5|81
 
|5.3|11.7|139
 
|9.3|16.7|141
 
|13.4|21|169
 
|19.4|26.5|304
 
|22|27.7|324
 
|22.6|28.9|214
 
|19.4|25.1|231
 
|13.9|20.5|89
 
|9|15.6|103
 
|4.4|10.7|56
 
|float=right
 
|source=[http://www.jma.go.jp/jma/index.html 気象庁]}}</div>
 
[[太平洋側気候]]であるが、冬季に日照時間が少なくなる九州型気候区である。沿岸部においては一年を通して昼夜の寒暖の差が少なく、[[猛暑日]][[真冬日]]は滅多にない。台風の直撃が少なく、年間の最大風速は8m - 12m程度で、多くは冬の[[玄界灘]]の強風や[[春一番]]によるものである。年平均気温15℃、年間降水量1992mm、年間日照時間1783.9、平均風速2.1m/s(平年値、[[1979年]]-[[2000年]]の統計)。
 
 
 
かつて、唐津市内の[[アメダス]]観測所としては枝去木と[[和多田]]があった。うち枝去木では、降水量・気温・風向・風速・日照時間の観測を行っていたが、観測所は標高110メートル地点にあり、観測データが唐津平野部の気象状態を表していたとは必ずしも言えなかったことに注意されたい。また、和多田は降水量のみの観測であった(標高5メートル)。[[2010年]](平成22年)[[2月]]より枝去木と和多田の両観測所は、平野部の唐津市二タ子(標高23メートル)に移設され、新たに唐津観測所として観測を開始した。
 
 
 
=== 地域 ===
 
{|class="wikitable" style="text-align:center"
 
! 地域 !! 面積/km{{sup|2}} !! 世帯<ref group="*" name="年">2012年5月1日現在の住民基本台帳人口+外国人登録人口</ref> !! 人口<ref group="*" name="年"/> !! 旧市町村
 
|-
 
! (旧唐津市)
 
| 127.49 || 31,904 || {{0}}78,850 || 唐津市
 
|-
 
! [[浜玉町]]
 
| {{0}}52.13 || {{0}}3,705 || {{0}}11,148 || 浜玉町
 
|-
 
! [[七山村|七山]]
 
| {{0}}62.89 || {{0|00}}670 || {{0|00}}2,361 || 七山村
 
|-
 
! [[北波多村|北波多]]
 
| {{0}}26.58 || {{0}}1,731 || {{0|00}}4,691 || 北波多村
 
|-
 
! [[相知町]]
 
| {{0}}65.08 || {{0}}2,994 || {{0|00}}8,447 || 相知町
 
|-
 
! [[厳木町]]
 
| {{0}}61.27 || {{0}}1,887 || {{0|00}}4,819 || 厳木町
 
|-
 
! [[肥前町]]
 
| {{0}}46.64 || {{0}}2,607 || {{0|00}}8,094 || 肥前町
 
|-
 
! [[呼子町]]
 
| {{0|00}}7.28 || {{0}}1,999 || {{0|00}}5,329 || 呼子町
 
|-
 
! [[鎮西町]]
 
| {{0}}37.89 || {{0}}2,189 || {{0|00}}6,356 || 鎮西町
 
|-
 
! 計
 
| 487.48 || 49,687 || 130,095
 
|}
 
{{reflist|group=*}}
 
町・大字は[[唐津市の地名]]を参照のこと。
 
 
 
=== 人口 ===
 
*人口集中地区(DIDs):9.3平方キロメートル、37,092人(平成17年国勢調査)
 
{{人口統計|code=41202|name=唐津市}}
 
約12.8万人で佐賀県内の市町村で2番目に人口が多い(第1位は[[佐賀市]]、第3位は[[鳥栖市]])。ピーク時の人口は[[唐津炭田]]隆盛期だった[[1955年]](昭和30年)の183,676人。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 略史 ===
 
現在の市域全体を範囲に曖昧さはあるにせよ包括的に指す地名は、[[松浦潟]]や[[松浦川]]に見られるごとく、もともと'''松浦'''(まつら)が一般的であった。唐津の名は元々17世紀初頭に松浦川河口付近に造成された城下町を指す限定的な名称に過ぎなかったが、[[1889年]](明治22年)町村制施行によって成立した東松浦郡唐津町を母体として周辺の町村の編入と対等合併を繰り返し現在の唐津市となったことで、現在では城下町部分のみならず市域全体をもって唐津と呼ぶことが一般的となっている。
 
 
 
[[唐津神社]]社務所に現存する史料によると、[[1449年]](文安6年)の寄進状に'''唐津大明神'''との記述があり、これが唐津の名が顕れる現存する最古の史料である。
 
 
 
==== 先史時代 ====
 
[[縄文時代]]晩期には水田稲作が行われていたことが確認されている([[菜畑遺跡]])。[[魏志倭人伝]]に記述のある[[末盧国]](まつろこく、まつらこく)は唐津市近辺に存在したとされている。[[古墳時代]]に松浦地方を支配した豪族らによって多数の墳墓が築造された。この代表が国内最古級の[[前方後円墳]]・[[久里双水古墳]]であり、市内には多数の古墳が残されている。
 
 
 
==== 古代から中世 ====
 
[[律令制]]では[[肥前国]][[松浦郡]]に含まれ、『[[肥前国風土記]]』によると「松浦郡、郷一拾一所、里廿六、馬伍(うまや)所、烽捌所」とある。また、現在の鏡山に当たる山は「襟振峰は郡の東にあり」と記されているから、[[国衙|郡衙]]は、[[鏡 (唐津市)|鏡]]地区にあったと推定される。松浦の語の由来は明らかでないが、神功皇后紀(『日本書紀』巻第九 気長足姫尊)摂政前記夏四月の条に「松浦県に至り、願い事をしてから釣り糸をたれると鮎が釣れた。珍しきものと言ったことを、その所の人が名付けて梅図邏(めづら)国という。今松浦というは訛りなりと」(大意)と説明している。また、末盧国の「まつら」がそのまま地名となったともいわれる。[[万葉集]]には[[鏡山 (佐賀県)|鏡山]]、[[玉島川]]、[[松浦川]]の情景が詠まれている。
 
 
 
[[平安時代]]からは肥前国府による統治となったが、[[国司政治]]が緩みだした平安期中頃には松浦地方各地の[[豪族]]が連合体としてこの地を支配し、[[松浦党]]と呼ばれた。現在の唐津市を含む[[東松浦郡]]・[[西松浦郡]]の地域は上松浦郡と呼ばれ、波多地区(唐津市北波多・伊万里市南波多)を拠点とする[[波多氏]]が最大の勢力だった。一族はそれぞれの所領の地名を名乗り、ほかに相知氏、佐志氏、呼子氏などがいた。また、拠点として波多氏の[[岸岳城]](鬼子岳城)や[[獅子城]]などの城が築かれた。
 
 
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[龍造寺氏]]の侵略を防ぐなどしていたが、[[豊臣秀吉]]が[[九州征伐]]を開始するとこれを出迎え従った。豊臣秀吉は[[1591年]]([[天正]]19年)朝鮮出兵([[文禄・慶長の役]])の拠点として名護屋地区に[[名護屋城]]を築城した。[[1593年]]([[文禄]]2年)には[[寺沢広高]]が[[唐津藩]]を与えられ、上松浦地方の統治を始めた。またこの年には秀吉の怒りをかった波多氏が滅ぼされたが、地元民の同情から岸岳末孫の祟りの話がいわれるようになった。
 
 
 
==== 江戸時代 ====
 
寺沢広高は波多氏の滅亡後、岸岳城の麓に仮城を造営し仮の居城とした。広高は[[1600年]]([[慶長]]5年)の[[関ヶ原の戦い]]では東軍方につき、[[肥後国]][[天草郡]]4万石を加増され12万3千石の[[外様大名]]となった。[[1602年]]([[慶長]]7年)より[[唐津城]]の本格的な築城を行い、[[1608年]]([[慶長]]8年)に城下町共々完成した。このとき東唐津側と地続きであった満島山を切り離し、波多川(現代における松浦川)がそこから唐津湾に注ぐよう流路を変更した。広高は[[松浦川]]の流路変更(治水事業)に見られるように土木事業に長けており、[[防風林]]として松原の保護育成を行った。これが[[日本三大一覧#海岸・海|日本三大松原]]として今日に残る虹の松原となっている。またこの頃は現在に至る[[唐津焼]]の技法が確立された時期でもあり、[[1615年]](元和元年)には[[中里太郎右衛門]]陶房などが[[唐津藩]]の御用窯に指定されている。
 
 
 
広高の子の[[寺沢堅高|堅高]]は唐津藩二代藩主となったが、天草領に構えていた[[富岡城]]が[[島原の乱]]の際に[[一揆]]側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収された。堅高は[[1647年]]([[正保]]4年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となり、寺沢氏が[[改易]]となると唐津藩領は一時[[天領]]となった。次に[[慶安]]元年([[1649年]])[[播磨国]][[明石城]]主[[大久保忠職]]が唐津藩主となった。[[1678年]]([[延宝]]6年)には大久保氏が[[下総国]][[佐倉城]]に転出し、代わって同地より[[松平乗久|大給松平乗久]]が入城。[[1691年]]([[元禄]]4年)[[松平氏|大給松平氏]]が[[志摩国]][[鳥羽城]]に転出し、同地より[[土井利益]]が入城。[[1762年]]([[宝暦]]12年)土井氏が下総国[[古河城]]に転出し、[[三河国]][[岡崎城]]より[[水野忠任]]が入城。[[1817年]]([[文化 (元号)|文化]]14年)に、後に[[天保の改革]]を行った四代目の[[水野忠邦]]が出世目的に[[遠江国]][[浜松城]]に転出を希望し、[[陸奥国]][[棚倉城]]より[[小笠原長昌]]が入城、以後は小笠原氏が統治した。[[譜代大名]]6家が入れ替わり、長期間による藩主家の一大支配時代が一度も到来しないまま、[[明治維新]]により唐津藩は姿を消した。
 
 
 
[[1819年]]([[文政]]2年)、[[伊勢神宮]]を参拝後の帰途に京都で見た[[祇園祭]]に感動した刀町の石崎嘉兵衛が帰郷後、仲間たちと獅子の頭を製作し、[[唐津神社]]に奉納した。この後、[[唐津神社]]秋季例大祭である唐津神祭が現在のような[[曳山]]を曳く祭に変化していくきっかけとなった。後に一時期は唐津山笠とも呼称したが、その後[[唐津くんち]]と呼ぶようになった。
 
 
 
==== 明治から戦前 ====
 
[[ファイル:Karatsu_kunchi_old.jpg|thumb|right|200px|大正期撮影とみられる唐津くんちの様子。右に唐津軌道の軌道がみられる]]
 
[[廃藩置県]]にともない唐津藩は唐津県となり、同時に唐津城は本丸が舞鶴公園となり、他の区画は民間払い下げとなり建物も破却された。その後伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県と変遷し[[1883年]](明治16年)に佐賀県が長崎県から分離独立し佐賀県の一部となった。また[[1889年]](明治22年)の町村制施行で[[東松浦郡]]唐津町などが発足。昭和初期までに[[満島村]]と[[唐津村]]を編入し[[1932年]](昭和7年)に市制施行、'''唐津市'''となった。
 
 
 
古くから海上交通の拠点であった唐津は、この後貿易の拠点として急速に発展していった。[[1882年]]([[明治]]15年)に当時満島にあった[[唐津港]]で[[唐津炭田]]の石炭輸出を開始。[[1889年]](明治22年)には特別輸出港に指定され、同時に[[長崎税関]]唐津出張所が設置された(3年後に税関支署に昇格、戦後降格し[[門司税関]]に移管)。さらに後述する鉄道の開通により、以後満島の貿易機能は順次西唐津・大島へ移転し現在に至る港湾地帯を形成した。貿易額は日を追う毎に増大していったが、[[第一次世界大戦]]の影響で外資関係が先細りとなり、[[1920年]]頃をピークに貿易額は減退し、昭和初期には石炭不況や第二次大戦の影響でさらに衰退していった。
 
 
 
明治末期から大正・昭和初期にかけて唐津の交通は大きく発達した。[[1898年]](明治31年)に唐津興業鉄道(後の[[唐津鉄道]]、現JR[[唐津線]])が開通したがこれに収まらず、翌々年の[[1900年]](明治33年)に満島馬車鉄道による馬車軌道が満島松原口(現[[東唐津駅]]) - 浜崎松原口(現[[浜崎駅]])間に開通しその後松浦橋を経由して中心部の大手口を越え西唐津果ては[[佐志町|佐志]]まで延伸された(その後石油発動機による運行となるが自動車への転換にともない廃止)。福岡方面への鉄道は[[1926年]](大正15年)に東唐津から博多まで全通、伊万里方面は[[1935年]](昭和10年)にようやく全通したが(ともに北九州鉄道による)、まもなく国有化された。北九州鉄道のバス事業は現在に至る[[昭和自動車]]に譲渡された。
 
 
 
==== 戦後から昭和末期 ====
 
奇しくも唐津は[[太平洋戦争]]で空襲を受けなかった。唐津市における戦後復興の象徴として[[1953年]](昭和28年)の'''[[舞鶴橋]]'''の完成が挙げられる。これをきっかけに東西臨海地域を接続する[[佐賀県道279号妙見満島線]]([[産業道路]])が整備された。また同年には[[唐津競艇場|唐津競艇]]が初開催した。[[1954年]](昭和29年)には[[鏡 (唐津市)|鏡村]]・[[久里村]]・[[鬼塚村]]・[[湊村 (佐賀県)|湊村]]を編入(人口約7万)。戦後の[[ベビーブーム]]と石炭積み出し港としての需要の高揚により、[[東松浦郡]]と唐津市を合わせた人口はこの頃最盛を迎え、[[1955年]](昭和30年)の国勢調査人口は約19万人弱であった。
 
 
 
[[ファイル:Karatsujo.jpg|thumb|right|200px|[[唐津城]]模擬天守]]
 
[[1955年]](昭和30年)、地元財界の有力者であった昭和自動車社長の[[金子道雄]]が市長に就任。財政再建のため、翌年には財政再建団体の指定を受けた。この指定は[[1965年]](昭和40年)に解除された。翌年、金子の計画により[[唐津城]]に模擬天守が完成。
 
 
 
また電力需要の増大にともない、[[1967年]](昭和42年)[[唐津港]]妙見埠頭附近の埋立地に[[九州電力]][[唐津発電所]]([[火力発電所]])1号機(15.6万kW)が運転を開始。[[1971年]](昭和46年)には2号機(37.5万kW)が、その2年後には3号機(50万kW)が運転を開始した。さらに、[[1975年]](昭和50年)には九州電力[[玄海原子力発電所]]1号機(55.9万kW)が運転を開始。その他既設の[[水力発電所]]なども含め唐津もとい東松浦地域は県内のみならず北部九州の電力供給の要となった。
 
 
 
[[1970年]](昭和45年)には唐津競艇場が広大な土地を有する原地区([[鏡 (唐津市の地名)|鏡]])に移転。また同年には唐津市文化会館(現唐津市民会館)が旧唐津神社境内に開館。[[1980年]](昭和55年)には唐津大手口バスセンターが市内大手口に開業。その翌年には複合スポーツ施設である[[体育の森公園]]が和多田大土井に開設された。
 
 
 
[[1982年]](昭和57年)には国鉄[[唐津線]]の連続立体交差化事業が完成。翌年には[[筑肥線]](筑肥東線)の電化開業、筑肥線(筑肥東線)と唐津線の短絡、[[福岡市地下鉄空港線]]との直通運転が一挙に行われた。
 
 
 
==== 平成 ====
 
[[1994年]](平成6年)に現唐津市域の市町村に[[玄海町]]を加えた10市町村で懇話会「唐津・東松浦合併懇話会」を設置。
 
 
 
==== 行政区域の変遷 ====
 
: ''旧唐津市以外の[[2005年]]([[平成]]17年)以降に合併した町村の変遷については「[[東松浦郡]]」を参照''
 
* [[1871年]]([[明治]]4年) - [[廃藩置県]]により[[唐津藩]]が廃止。代わりに[[唐津県]]が設置されるが、統廃合を繰り返して[[1883年]]に[[佐賀県]]となる。
 
* [[1889年]](明治22年)4月1日 - 町村制施行により、[[東松浦郡]]に22の町村が発足する。現唐津市に含まれるのは、入野村、[[打上村]]、相知村、大村、[[鬼塚村]]、[[鏡 (唐津市)|鏡村]]、唐津町、[[唐津村]]、[[北波多村]]、厳木村、[[久里村]]、佐志村、名護屋村、[[七山村]]、浜崎村、[[満島村]]、[[湊村 (佐賀県)|湊村]]、呼子村、[[切木村]]。
 
* [[1924年]]([[大正]]13年)[[1月1日]] - 唐津町が[[満島村]]を編入する。
 
[[ファイル:KaratsuShiKennai1954.png|thumb|旧・唐津市の県内位置(1954年)]]
 
* [[1931年]]([[昭和]]6年)[[2月1日]] - 唐津村を編入。翌年、唐津市として市制施行する。
 
* [[1932年]](昭和7年)[[1月1日]] - 市制施行して唐津市となる。
 
* [[1941年]](昭和16年)11月3日 - 佐志町を編入。
 
* [[1954年]](昭和29年)11月1日 - 鏡村・久里村・鬼塚村・湊村を編入。
 
* [[1955年]](昭和30年) - 北波多村の一部を編入。
 
* [[1958年]](昭和33年)1月1日 - 切木村大良地区を編入。
 
* [[2005年]]([[平成]]17年)[[1月1日]] - 唐津市と東松浦郡浜玉町・厳木町・相知町・北波多村・肥前町・鎮西町・呼子町が[[日本の市町村の廃置分合|合併]](新設合併)し、新たに唐津市となる。
 
* [[2006年]](平成18年)1月1日 - 七山村を編入。
 
 
 
== 行政 ==
 
[[ファイル:Karatsu city office Ouchi branch.jpg|right|thumb|230px|唐津市役所(相知支所)]]
 
=== 歴代市長 ===
 
;(旧)唐津市(1932年-2004年)歴代市長
 
 
 
{| class="wikitable"
 
!代
 
!氏名
 
!就任年月日
 
!退任年月日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |初代
 
|河村嘉一郎
 
|1932年2月18日
 
|1936年2月17日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |2代
 
|[[西山茂 (政治家)|西山茂]]
 
|1936年2月18日
 
|1939年1月7日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |3代
 
|萩谷勇之助
 
|1939年1月20日
 
|1939年4月5日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |4代
 
|岸川善太郎
 
|1939年7月29日
 
|1946年10月24日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |5代
 
|清水荘次郎
 
|1947年4月16日
 
|1955年4月30日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |6代
 
|金子道雄
 
|1955年5月1日
 
|1967年4月30日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |7代
 
|瀬戸尚
 
|1967年5月1日
 
|1983年4月30日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |8代
 
|野副豊
 
|1983年5月1日
 
|
 
|-
 
| style="text-align:right;" |9代
 
|福島善三郎
 
|1995年5月1日
 
|
 
|-
 
| style="text-align:right;" |10代
 
|坂井俊之
 
|2003年4月28日
 
|2004年12月31日
 
|}
 
 
 
;(現)唐津市(2005年-)歴代市長
 
{| class="wikitable"
 
!代
 
!氏名
 
!就任年月日
 
!退任年月日
 
|-
 
| style="text-align:right;" |初代
 
|[[坂井俊之]]
 
|[[2005年]][[2月6日]]
 
|[[2017年]][[2月5日]]
 
|-
 
| style="text-align:right;" |2代
 
|[[峰達郎]]
 
|[[2017年]][[2月6日]]
 
|
 
|}
 
 
 
'''2009年唐津市長選挙'''
 
{{選挙結果 (日本の首長)
 
|当日有権者数 = 105,221
 
|最終投票率 = 71.94
 
|前回比 = -5.1
 
|当選者名 = 坂井俊之
 
|当選者年齢 = 47
 
|当選者所属 = 無所属
 
|当選者新旧別 = 現
 
|当選者得票数 = 43,425
 
|当選者得票率 =
 
|当選者推薦・支持 =
 
|落選者名 = 麻生 茂幸
 
|落選者年齢 = 59
 
|落選者所属 = 無所属
 
|落選者新旧別 = 新
 
|落選者得票数 = 25,622
 
|落選者得票率 =
 
|落選者推薦・支持 =
 
|2落選者名 = 田中 路子
 
|2落選者年齢 = 61
 
|2落選者所属 = 無所属
 
|2落選者新旧別 = 新
 
|2落選者得票数 = 5,330
 
|2落選者得票率 =
 
|2落選者推薦・支持 =}}
 
 
 
=== 市議会 ===
 
* 議長:田中秀和
 
 
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
! 会派名
 
! 計
 
|-
 
!計!!30
 
|-
 
| style="text-align: center;"|志政会
 
!17
 
|-
 
| style="text-align: center;"|清風会
 
!5
 
|-
 
| style="text-align: center;"|[[公明党]]
 
!3
 
|-
 
| style="text-align: center;"|[[日本共産党]]唐津市議団
 
!2
 
|-
 
| style="text-align: center;"|展望会
 
!2
 
|-
 
| style="text-align: center;"|[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]
 
!1
 
|-
 
|- style="text-align: right;"
 
|(欠員)
 
| -
 
|}
 
 
 
=== 市役所所在地 ===
 
*[[本庁方式|本庁]](旧唐津市役所):佐賀県唐津市西城内1番1号
 
*浜玉支所(旧浜玉町役場):唐津市浜玉町浜崎1445番1
 
*七山支所(旧七山村役場):唐津市七山滝川1254番地
 
*北波多支所(旧北波多村役場):唐津市北波多徳須恵1097番地4
 
*相知支所(旧相知町役場):唐津市相知町相知2055番地1
 
*厳木支所(旧厳木町役場):唐津市厳木町厳木997番地
 
*肥前支所(旧肥前町役場):唐津市肥前町入野甲1703番地
 
*呼子支所(旧呼子町役場):唐津市呼子町呼子1995番地1
 
*鎮西支所(旧鎮西町役場):唐津市鎮西町名護屋1530番地
 
 
 
=== マスコットキャラクター ===
 
; [[唐ワンくん]]・舞ヅルくん
 
: 市の「唐津城築城400年記念事業」の一環として、同城のイメージキャラクターとして[[2008年]](平成20年)に制定された。同事業終了後の翌年以降も引き続き、唐津城のイメージキャラクターとして唐津のPRに使用されているほか、申請があり市が認めた場合は営利・非営利を問わず無償で使用できる措置をとっている<ref>[http://www.city.karatsu.lg.jp/benri_dtl.php?articleid=06468590012321032491027409698 唐津城築城400年記念事業] - 唐津市(2009年3月4日更新、2013年3月21日閲覧)</ref><ref>[http://www.city.karatsu.lg.jp/benri_dtl.php?articleid=05406690013146898561027409698 唐津城マスコットキャラクター「唐ワンくん」「舞ヅルくん」を商品などに活用できます] - 唐津市(2011年9月15日更新、2013年3月21日閲覧)</ref>。
 
 
 
===姉妹都市・提携都市===
 
====日本国内====
 
;姉妹都市
 
*{{Flagicon|熊本県}} [[苓北町]]([[熊本県]][[天草郡]])- [[1994年]][[10月29日]]姉妹都市提携 - 唐津藩の領地であったことから
 
;提携都市
 
*{{Flagicon|愛知県}}[[常滑市]]([[愛知県]])- [[1997年]][[3月27日]] 災害時相互応援協定締結
 
 
 
====海外====
 
;友好都市
 
* {{Flagicon|CHN}} [[揚州市]]([[中華人民共和国]][[江蘇省]])- [[1982年]][[2月22日]]友好都市提携
 
;姉妹都市
 
* {{Flagicon|KOR}} [[麗水市 (全羅南道)|麗水市]]([[大韓民国]][[全羅南道]])- 1982年[[3月5日]]姉妹都市提携
 
* {{Flagicon|KOR}} [[西帰浦市|西歸浦市]](大韓民国[[済州道]])- 1994年[[9月14日]]姉妹都市提携
 
 
 
=== 主な事業 ===
 
==== 中心市街地活性化事業 ====
 
[[ファイル:Oteguhi Bus terminal Karatsu Saga Japan.jpg|thumb|250px|大手口センタービル]]
 
;大手口センタービル(Otte)
 
:事業主体は地権者のうち3者([[まいづる百貨店]]・[[昭和自動車]]・合名会社大手会館)の出資で設立した[[大手口開発]]。市役所東隣にあった旧まいづる百貨店([[2002年]]閉鎖)と、隣接し通路で接続していた昭和自動車の旧バスターミナルビルなど併せて4ビルを解体して建設された。敷地面積2,400平方メートル、延べ床面積8,773平方メートル、鉄筋コンクリート造6階建。国と市・県が補助金を支出した。2010年12月に起工、2011年10月に完成。2012年現在では[[唐津大手口バスセンター]](1階)、唐津市民交流プラザ(3階)、唐津市役所大手口別館(5・6階)のほか、[[FMからつ]]の公開スタジオ、コンビニ・カフェ・書店などが入居している。
 
 
 
==== 土地区画整理事業 ====
 
;唐津駅南土地区画整理事業
 
:JR高架化に合わせて実施した[[1980年]]から唐津駅南口側地区の[[土地区画整理事業]]。駅前の30m幅都市計画道路(シンボルロード)の整備、駅前広場(4ha)の整備、町田大橋の架橋、河川改修、道路の拡幅、町田交差点から[[国道204号]](唐津バイパス)への接続道路の敷設などが行われた。[[1994年]]には[[唐津市近代図書館]]が事業地内に開館した。[[2010年]]度から清算業務に入る。
 
;新東唐津駅土地区画整理事業
 
:JR新線開業に伴い[[鏡 (唐津市の地名)|鏡]](後の松南町)に移転した東唐津駅の周辺地域で[[1979年]]度から土地区画整理事業を実施した。駅前公園の整備や道路の整備改良拡幅、新たな住宅用地の造成などを主な事業内容とする。[[1991年]]([[平成]]3年)には付近の虹の松原団地を含めた東唐津駅周辺を鏡から分割し松南町として新たに行政区を発足させ[[住居表示]]が施行された。[[佐賀県立唐津東中学校・高等学校]]が[[2007年]]に事業地内へ移転することが決定し、[[2009年]][[12月10日]]には換地処分を完了した。翌年[[1月21日]]に換地処分が公告され、その翌日新たに行政区として鏡新開が発足した。
 
 
 
=== 県政・県の出先機関 ===
 
唐津市・東松浦郡選挙区から選出される[[佐賀県議会]][[議員]]の定数は6議席である。
 
 
 
'''出先機関'''
 
* 唐津総合庁舎
 
** 唐津県税事務所
 
** 唐津土木事務所
 
** 唐津農林事務所
 
** 東松浦農業改良普及センター
 
 
 
=== 国政・国の出先機関 ===
 
*'''[[衆議院]]''' - 唐津市は、[[佐賀県第2区]](2013年までは[[佐賀県第3区]])。比例区では[[比例九州ブロック|九州ブロック]]に属する。詳細は、それぞれの選挙区を参照のこと。
 
 
 
*'''[[参議院]]''' - 唐津市は、[[佐賀県選挙区]](全県区、定数2議席)に属する。
 
 
 
'''出先機関'''
 
 
 
* [[厚生労働省]][[佐賀労働局]]
 
** [[公共職業安定所|ハローワーク唐津]] - 唐津市のほか、[[東松浦郡]]を管轄
 
** [[労働基準監督署|唐津労働基準監督署]] - 唐津市のほか、東松浦郡を管轄
 
* [[日本年金機構]]
 
** 唐津年金事務所 - 唐津市のほか、[[伊万里市]]・東松浦郡を管轄
 
* [[国税庁]][[福岡国税局]]
 
** 唐津税務署 - 唐津市のほか、東松浦郡を管轄
 
* [[法務省]]
 
** [[佐賀地方裁判所]]
 
*** 唐津支部 - 唐津市のほか、東松浦郡を管轄
 
** [[佐賀家庭裁判所]]
 
*** 唐津支部 - 唐津市のほか、東松浦郡を管轄
 
** [[法務局]][[福岡法務局]]
 
*** [[福岡法務局#佐賀地方法務局|佐賀地方法務局]]唐津支局 - 唐津市のほか、東松浦郡を管轄
 
* [[検察庁]]
 
** [[佐賀地方検察庁]]唐津支部唐津区検察庁 - 唐津市のほか、東松浦郡を管轄
 
* [[国土交通省]]
 
** [[九州運輸局]][[佐賀運輸支局]]
 
*** 唐津庁舎
 
** [[九州地方整備局]]
 
*** 唐津港湾事務所
 
** 佐賀国道事務所
 
*** 唐津維持出張所
 
** 武雄河川事務所
 
*** 松浦川出張所、厳木ダム管理所
 
* [[林野庁]][[九州森林管理局]]
 
** 佐賀森林管理署唐津森林事務所
 
* [[海上保安庁]][[第七管区海上保安本部]]
 
** 唐津海上保安部
 
* [[経済産業省]][[原子力安全・保安院]]
 
** 玄海原子力保安検査官事務所
 
* [[財務省 (日本)|財務省]][[税関]]
 
** [[門司税関]][[福岡空港]]税関支署
 
*** 唐津出張所
 
* [[防衛省]][[自衛隊]]佐賀地方協力本部唐津地域事務所
 
 
 
=== 警察 ===
 
* [[唐津警察署]]
 
** 派出所
 
*** 相知幹部派出所
 
*** 呼子幹部派出所
 
** 交番
 
*** 浜崎交番
 
*** 和多田交番
 
*** 中央交番
 
*** 西唐津交番
 
*** 鏡交番
 
** 駐在所
 
*** 大野警察官駐在所
 
*** 相知警察官駐在所
 
*** 平山警察官駐在所
 
*** 岩屋警察官駐在所
 
*** 厳木警察官駐在所
 
*** 中島警察官駐在所
 
*** 七山警察官駐在所
 
*** 佐志警察官駐在所
 
*** 川原橋警察官駐在所
 
*** 湊警察官駐在所
 
*** 徳須恵警察官駐在所
 
*** 値賀警察官駐在所
 
*** 有浦警察官駐在所
 
*** 入野警察官駐在所
 
*** 高串警察官駐在所
 
*** 切木警察官駐在所
 
*** 小川島警察官駐在所
 
*** 打上警察官駐在所
 
*** 名護屋警察官駐在所
 
*** 馬渡島警察官駐在所
 
 
 
=== 消防 ===
 
* 唐津市消防本部(唐津市消防署)
 
** 東部分署、南部分署、西部分署、北部分署、中部派出所
 
 
 
== 経済・産業 ==
 
;就業人口
 
* [[第一次産業]]:8,317人 13.4%(2005年)
 
* [[第二次産業]]:14,501人 23.4%(2005年)
 
* [[第三次産業]]:38,932人 62.8%(2005年)
 
 
 
=== 第1次産業 ===
 
[[果物|果樹]]・[[米]]・[[野菜]]・肉用牛などの生産が主である。[[鏡 (唐津市)|鏡]]や久里などの平野部には初代[[唐津藩]]主[[寺沢広高]]による河川改修事業の付随事業として開発された広大な[[水田]]が広がっており、現在も米の生産が主流だが、[[減反政策]]の影響で[[大豆]]などの豆類や大麦・小麦などの麦類の生産へシフトしてきている。浜玉地区には大規模な果樹園が広がり、[[ウンシュウミカン|ハウスみかん]]が特産である。
 
 
 
[[林業]]については、輸入材の影響や後継者不足により厳しい状況にあり、また[[水産業]]についても、[[唐津港]]水産基地の老朽化や人材不足により、唐津湾周辺での水揚げ量は年々減少しており、衰退の一途にある。
 
 
 
=== 第2次産業 ===
 
[[製造業]]と[[建設業]]が中心で、いずれも経営環境は厳しい。
 
 
 
主な工業集積地として、'''唐津鉄工団地'''(中原地区)、'''唐津石志工業団地'''(石志地区)、'''岸山工業団地'''(北波多岸山地区)が挙げられる。旧唐津町時代は栄町・船宮町のある外町埋立地が唐津の代表的な工業地帯であった。
 
 
 
=== 第3次産業 ===
 
[[ファイル:Aeon_Karatsu.jpg|right|thumb|250px|イオン唐津ショッピングセンター]]
 
 
 
[[商業]]及び[[観光業]]が中心であるが、商業は近年[[西九州自動車道]]・[[二丈浜玉道路]]の整備や[[筑肥線]]の電化による[[福岡都市圏]]へのアクセス向上が原因となって、県外へのショッピング依存度が高まっており、市内商業の衰退を招いている。また、観光業についても同様の理由で日帰り観光の割合が主という傾向を示し、[[2010年]]初頭には大規模な旅館であった'''城内閣'''が営業を停止した。
 
 
 
1990年代から郊外に大型商業施設が進出し、この影響で唐津中央商店街をはじめとする市内各地の商店街では店舗の閉鎖や撤退が続き、空洞化が問題となった。また、大名小路地区にある地元資本の[[まいづる百貨店]]も2002年に閉鎖。その後付近に新たな店舗を設置し、[[スーパーマーケット]]への完全な業態転換を図った(まいづる本店ショッピングプラザ)。
 
 
 
=== 唐津市に本社を置く企業 ===
 
[[ファイル:Maizuru_depart.jpg|right|thumb|250px|まいづる百貨店物流センター]]
 
<!--50音順-->
 
* [[石井食品|石井食品九州]]
 
* [[昭和自動車]]
 
* [[まいづる百貨店]]
 
* [[宮島醤油]]
 
 
 
=== 唐津市に事業所を置く企業 ===
 
<!--設置企業名の50音順-->
 
* [[石井食品|石井食品九州]]工場
 
* [[千寿製薬]]唐津工場
 
* [[東和コーポレーション]]佐賀工場<!--(厳木町)-->
 
* [[日東工業]]唐津工場
 
* [[丸大食品]]唐津工場
 
* [[宮島醤油]]本社工場・妙見工場
 
* [[リョーユーパン]]唐津工場
 
* [[ヨコオ (佐賀県)|ヨコオ]]厳木工場
 
* [[フリービット]] SiLK Hotlines(コールセンター) - 唐津市と協定を結び、[[2008年]]([[平成]]20年)[[4月]]に正式稼働<ref>[http://freebit.com/press/pr2008/20080401.html フリービット、IP技術を駆使したITコールセンター唐津「SiLK Hotlines」の本格稼働成功]</ref>。
 
 
 
==== 市外局番 ====
 
全域が'''0955'''である。
 
 
 
== 郵便番号 ==
 
*〒847-xxxx(旧唐津市、鎮西町、七山、肥前町、呼子町、)
 
*〒849-xxxx(相知町、北波多、厳木町、浜玉町、)
 
 
 
== 金融機関 ==
 
*[[佐賀銀行]](7支店)唐津支店、西唐津支店、和多田支店、呼子支店、肥前町支店、浜崎支店、相知支店
 
*[[佐賀共栄銀行]]唐津支店
 
*[[福岡銀行]]唐津支店
 
*[[西日本シティ銀行]]唐津支店
 
*[[親和銀行]]唐津支店
 
*[[唐津信用金庫]](本店+8支店)本店営業部、朝日町支店、西唐津支店、浜崎支店、相知支店、和多田支店、町田支店、山本支店、呼子支店、
 
*[[九州労働金庫]]唐津支店
 
*[[唐津農業協同組合|JAからつ]]([[JAバンク]])本所+15支所 - 本所、鏡山支所、山本支所、唐津支所、湊支所、北波多支所、Aコープ支所、唐津中央支所、浜崎支所、東部支所、七山支所、相知支所、厳木支所、切木支所、西部支所、うわば北支所
 
 
 
== マスメディア ==
 
=== 受信可能な放送局 ===
 
: ''※ケーブルテレビへの加入が前提である。''
 
* [[NHK佐賀放送局]] <[[NHK総合テレビジョン|総合]]1ch><[[NHK教育テレビジョン|教育]]2ch>
 
* [[サガテレビ]](STS、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列)<3ch>
 
* [[RKB毎日放送]](RKB、[[TBSテレビ|TBS]]系列)<4ch>
 
* [[福岡放送]](FBS、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列)<5ch>
 
* [[九州朝日放送]](KBC、[[テレビ朝日]]系列)<6ch>
 
* [[TVQ九州放送]](TVQ、[[テレビ東京]]系列)<7ch>
 
* [[テレビ西日本]](TNC、フジテレビ系列)<8ch>
 
 
 
=== ケーブルテレビ ===
 
唐津・東松浦地区のケーブルテレビ普及率は全世帯に対し92.4%となっている(調査時期は不明)<ref>[http://www.kiac.or.jp/library/pdf/houkoku_h16karatu.pdf]2014年7月閲覧。</ref>。ケーブルテレビに準ずる組織は以下の3局のほか、かつて、浜玉町の「ひれふりチャンネル」(1990年〜)や、相知町の「あいあいテレビ 」(1993年〜)などが存在していたが、[[地上デジタル放送]]への完全移行に伴う公共事業により全ての共同受信組合が廃止され、唐津市有線テレビジョンに統合された。
 
 
 
なお、唐津市有線テレビジョンに加入した住民は、[[唐津ケーブルテレビジョン]]か[[ネットフォー]]の独立チャンネルを受信することができる(地域によって受信可能なチャンネルは異なる)ほか、3局全てにおいて唐津市の行政放送を視聴することができる。
 
* [[唐津市有線テレビジョン]] - 市内最大のケーブルテレビ事業者となる。
 
* [[唐津ケーブルテレビジョン]]
 
* [[ネットフォー]]
 
 
 
=== 新聞社 ===
 
* [[唐津新聞社]]
 
: [[1946年]]に唐津新聞(夕刊)を創刊したが、[[2008年]][[1月1日]]に廃刊となった。かつて[[九州花火大会]]を主催するなど地域活動を積極的に行っていた<ref>ただし九州花火大会は九州花火大会は、唐津新聞の廃刊後も、[[2008年]]は唐津市観光協会、[[2009年]]は[[佐賀新聞社]]、唐津市、唐津観光協会の3者が主催して継続して開催されている。</ref>が、唐津新聞の廃刊で事業規模を大幅に縮小し、現在は新聞折り込み広告の企画・制作・発行が主な事業となっている。
 
 
 
=== コミュニティFM ===
 
* [[FMからつ]]
 
: [[2010年]](平成22年)[[4月]]に開局。県内初の[[コミュニティ放送局]]である。
 
 
 
=== フリーペーパー ===
 
* karatsunami
 
: 発行 月刊 部数5,000冊
 
 
 
* [[life style magazin ing (ライフスタイルマガジン イング)]]
 
: 発行 隔月(奇数月第1週)部数8,000冊 Webマガジン連動 クーポン付き
 
 
 
== 健康・福祉 ==
 
統計はすべて[[2010年]][[10月1日]]の[[国勢調査]]のもの。
 
* [[平均年齢]] : 46.41歳
 
** [[年少人口]]割合 : 14.68%
 
** [[生産年齢人口]]割合 : 59.42%
 
** [[老年人口]]割合 : 25.90%
 
 
 
=== 医療 ===
 
[[ファイル:Karatsu_hokenjo2.jpg|thumb|right|250px|唐津地域総合保健医療センター]]
 
市内の総合病院は、千代田町にある'''唐津地域総合保健医療センター'''を中心に各地に点在する。中核となる病院は唐津赤十字病院である。[[2005年]]([[平成]]17年)[[4月]]には市が新たに'''唐津市民病院きたはた'''を開設した。
 
*[[唐津地域総合保健医療センター]]
 
*[[唐津赤十字病院]]
 
*[[済生会唐津病院]]
 
*[[唐津市民病院きたはた]]
 
*[[唐津第一病院]]
 
*[[河畔病院]]
 
*[[進藤病院]]
 
 
 
== 教育 ==
 
[[ファイル:Karatsu_east_old.jpg|right|thumb|250px|唐津の教育の象徴とも言える唐津城直下の学舎。以前は唐津東高が使用していたが現在は早稲田佐賀中高の校舎となっている]]
 
=== 概観 ===
 
唐津市は佐賀県北部学区(唐津市・[[玄海町]]学区)に属している。北部学区は県内他学区と比して学力が低いといわれ、[[2007年]]([[平成]]19年)度の[[全国学力・学習状況調査]]では佐賀県の順位が37位だったうえ、唐津市は県内の市町で最下位という結果だったことから、翌年度から唐津市独自の学力テストを実施している('''唐津地区基礎学力テスト''')<ref>[http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=933824&newsMode=article 小中学生に独自の学力テスト 唐津市] 佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの 2009年6月13日閲覧</ref>。
 
 
 
[[2006年]](平成18年)に[[佐賀県立唐津東高等学校]]の併設中学校として[[佐賀県立唐津東中学校]](併設型中高一貫校)が開校したほか、[[2010年]](平成22年)には[[早稲田大学]]の系属校として[[早稲田佐賀中学校・高等学校]]が開校するなど、近年になって中高一貫校の開校が相次いでいる。
 
 
 
==== 市立学校再編 ====
 
[[ファイル:090912 Higashikaratsu ES.jpg|200px|thumb|統廃合が検討されている東唐津小学校]]
 
市教委は市立学校の統廃合を進めており、[[2009年]]の時点で42校ある小学校を34校に、23校ある中学校を18校にそれぞれ減らす方針を明らかにしている<ref>[http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1304717.article.html 小学42→34、中学23→18 唐津市が再編方針]/佐賀のニュース :佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの 2009年9月26日閲覧</ref>。
 
 
 
[[2013年]](平成25年)には、呼子中学校・名護屋中学校・打上中学校の3校を'''海青中学校'''(校地は旧[[佐賀県立唐津北高等学校|唐津北高]]跡地)として統合し、第四中学校・大良中学校・切木中学校を'''高峰中学校'''(校地は現第四中学校)として統合する。
 
 
 
そのほか、東唐津小学校の外町小学校への統合が市議会で検討されている<ref>[http://blog.goo.ne.jp/mayumiy_2005/e/f16f03085a631346620d92594deb5f47 学校教育リストラです - ★がんばってます!吉原まゆみ★] 2009年9月26日閲覧</ref>。
 
 
 
=== 市内の学校・教育機関 ===
 
==== 各種研究施設等 ====
 
* [[佐賀大学|佐賀大学海浜台地生物生産環境研究センター]]
 
* [[佐賀大学|佐賀大学合宿研究所]]
 
 
 
==== 国立学校 ====
 
* [[国立唐津海上技術学校]]
 
 
 
==== 高等学校 ====
 
; 県立
 
* [[佐賀県立唐津東高等学校]](旧制唐津中学、唐津一高)
 
* [[佐賀県立唐津西高等学校]](旧制唐津高女、唐津二高)
 
* [[佐賀県立唐津南高等学校]](唐津農高)
 
* [[佐賀県立唐津商業高等学校]]
 
* [[佐賀県立唐津工業高等学校]]
 
* [[佐賀県立厳木高等学校]]
 
; 私立
 
* [[早稲田佐賀高等学校]]
 
 
 
==== 中学校 ====
 
{{Main|佐賀県中学校一覧}}
 
; 県立
 
* [[佐賀県立唐津東中学校]]
 
; 私立
 
* [[早稲田佐賀中学校]]
 
上記2校はいずれも中高一貫教育を行う中学校である。
 
 
 
市内の中学校の名称は当初ナンバリングで統一されていたが、市町村合併に伴い市内の多くの中学校が地名をもとにした名称となり、第二中学校は西唐津中学校を分離後佐志中学校と改称し、第三中学校は高島中学校と改称した。
 
 
 
==== 小学校====
 
{{Main|佐賀県小学校一覧}}
 
一部を除く市内全体で児童の減少が進んでおり、分校の廃校が順次進められている。
 
 
 
==== 特別支援学校 ====
 
* [[佐賀県立唐津特別支援学校]]
 
 
 
==== 児童自立支援施設 ====
 
* [[佐賀県立虹の松原学園]]
 
: [[2007年]](平成19年)[[4月1日]]に[[唐津市立浜崎小学校]]及び[[唐津市立浜玉中学校]]の分校となった。
 
 
 
==== 自動車教習所 ====
 
* [[唐津自動車学校]]
 
* [[虹の松原自動車学校]]
 
 
 
== 交通 ==
 
=== 空港 ===
 
最寄り空港は[[佐賀空港]]および[[福岡空港]]。市内からの距離は両空港とも大差はないが、空港自体の利便性やアクセスの良さ(電化路線である[[筑肥線]]([[福岡市地下鉄空港線]]へ直通運転)や[[西九州自動車道]])などから、福岡空港を利用することが多い。
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
[[ファイル:Karatsu.jpg|right|thumb|250px|唐津駅]]
 
[[ファイル:Higashi-karatsu_eki_enkei.jpg|right|thumb|250px|東唐津駅]]
 
[[ファイル:Nishi-karatsu_rail_yard.jpg|right|thumb|250px|西唐津駅構内にある車両基地([[唐津鉄道事業部]])]]
 
2011年現在、唐津市内を通過する鉄道路線の速達列車は筑肥線(筑肥東線)に快速列車が平日4往復、土休日5往復があるのみで、各都市への移動は普通列車が主体となる。周辺各都市への所要時間は、唐津駅から佐賀駅までが[[唐津線]]普通列車で最速約1時間10分、唐津駅から天神駅までが[[筑肥線]]快速列車で最速約1時間、普通列車で約1時間20分となっている。
 
 
 
[[1983年]](昭和58年)まで、[[博多駅]]と[[長崎駅]]を筑肥線・[[松浦鉄道西九州線|松浦線]]・[[佐世保線]]・[[大村線]]経由で結ぶ急行列車『'''平戸'''』が設定されていたが、筑肥線の部分廃止により運行区間が[[唐津駅]]-長崎駅間に短縮され、[[1988年]](昭和63年)には[[松浦鉄道西九州線|松浦線]]が[[第三セクター]]の[[松浦鉄道]]に転換されたことにより当該列車は廃止され、唐津市内の線区から優等列車が消滅した。
 
 
 
* 中心駅:[[唐津駅]]
 
: 市の代表駅は唐津駅である。なお、かつては[[東唐津駅]]が実質的な市の代表駅であったが、高架化に伴い移転し、現在の主な利用者層は[[佐賀県立唐津東中学校・高等学校]]への通学者や病院への通院者などである。
 
 
 
==== 市内の路線・駅 ====
 
; [[九州旅客鉄道]](JR九州)
 
* {{Color|red|■}} [[筑肥線]](筑肥東線、([[姪浜駅]]([[福岡市]])) - [[浜崎駅]] - [[虹ノ松原駅]] - [[東唐津駅]] - [[和多田駅]] - '''[[唐津駅]]''')
 
: 快速列車及び普通列車が運行されている。運行頻度はラッシュ時毎時3-5本、日中は毎時2本程度である。一部の列車は、車両基地のある[[西唐津駅|西唐津]]を始発・終点としている。また、半数の列車(快速列車は全便)が[[福岡市地下鉄空港線]]([[福岡市交通局]])に直通する。残り半数の[[筑前前原駅|筑前前原]]で折り返す列車も、ほとんどが福岡空港線直通列車と接続している。唐津市内ではラッシュ時間帯以外は閑散としている。通勤・通学で主に利用される。
 
* {{Color|red|■}} [[筑肥線]](筑肥西線、'''[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]''' - [[肥前久保駅]] - [[西相知駅]] - [[佐里駅]] - ([[伊万里駅]]))
 
: 普通列車のみの運行で、ラッシュ時日中問わず毎時1本未満(およそ3時間に2本)の運行である。すべての列車が、唐津線の西唐津・唐津を始発・終点としている。沿線は閑散としていて、伊万里方面への利用客のほかは、唐津市内の利用はあまり多くない。
 
* {{Color|red|■}} [[唐津線]](([[佐賀駅]]) - [[厳木駅]] - [[岩屋駅 (佐賀県)|岩屋駅]] - [[相知駅]] - [[本牟田部駅]] - '''山本駅''' - [[鬼塚駅]] - '''唐津駅''' - [[西唐津駅]])
 
: 普通列車のみの運行で、ラッシュ時日中問わず毎時1~3本程度の運行である。西唐津と佐賀を結んでいる。沿線の高校生などが主に利用する。
 
 
 
==== 筑肥線の電化と新線開業 ====
 
かつて[[筑肥線]]は、[[松浦川]]の広い河口への架橋が建設当時に技術的に不可能であったため、[[虹ノ松原駅]]から現在の線路より北側(海側)の松浦橋近くに存在した旧・[[東唐津駅]]で[[スイッチバック]]をして、松浦川の右岸を遡りながら松浦川を渡り[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]]で[[唐津線]]と接続し[[伊万里駅|伊万里]]方面へと向かっていた。
 
 
 
当時から、唐津市の中心駅は中心街にある[[唐津駅]]とされていたが、当時の唐津駅は唐津線の中間駅に過ぎず、ターミナル駅の役割は列車本数・利用客とも最も多い筑肥線の旧・東唐津駅が担っていた。しかし、旧・東唐津駅は唐津市役所などのある中心街(松浦側左岸地区)から向かうには松浦川の橋を渡らねばならず、[[バス (交通機関)|バス]]を利用する等の手段が必要であったため、[[博多駅]]方面への鉄道利用は不便な状況が続いた。また、筑肥線と唐津線の接続は市街地から南に離れた山本駅に限られていたため、唐津市では中心駅の機能が唐津駅、旧・東唐津駅、山本駅の3駅に分散されていた。
 
 
 
これらの問題を解消し中心駅を唐津駅に一本化するため、[[1983年]](昭和58年)の筑肥線の[[鉄道の電化|電化]]とあわせて[[呼子線]]の一部区間(虹ノ松原駅-唐津駅間)を先行して新規開業するとともに虹ノ松原駅-旧・東唐津駅-山本駅間が廃止され、唐津駅-山本駅間を唐津線と筑肥線の二重戸籍区間とした。これにより旧・東唐津駅の代替として新線上に現在の東唐津駅が設置された。なお、廃止された旧・東唐津駅の跡地は[[大和ハウス工業]]に売却され、グループ会社の大和リゾートが運営・展開する[[DAIWA ROYAL HOTEL]]のHotel & Resorts SAGA-KARATSUとなっている。
 
 
 
呼子線の残事業区間(西唐津駅以西区間)は工事が中断され、再開されることなく[[未成線]]となっている。また、唐津駅-山本駅間は[[1987年]](昭和62年)の[[国鉄分割民営化]]と同時に再び唐津線のみの路線に戻り、筑肥線は分断された格好になった。
 
 
 
=== 港湾・海上航路 ===
 
市内には[[玄界灘]]や[[唐津湾]]に小さな島が点在し、それぞれの島民の生活の足として、多数の航路が運航されている。
 
 
 
; 港湾
 
* [[唐津港]]([[重要港湾]])
 
: 明治から昭和初期にかけて国内屈指の貿易港および石炭積み出し港として繁栄した。現在も唐津港周辺(妙見町、大島地区)には広大な土地が再開発から取り残されており、かつての繁栄を窺うことができる。
 
* [[呼子港]]
 
 
 
; 航路
 
* 唐津東港~[[壱岐]]([[印通寺港]])航路([[九州郵船]])
 
: 1日4往復の運航で、使用する船舶の愛称は'''エメラルドからつ'''。[[2007年]](平成19年)までは呼子港(旧[[呼子町]])から運航され、その名称も呼子・壱岐フェリーであった。
 
* 宝当桟橋(千代田町)-[[高島 (佐賀県)|高島]](唐津市漁業協同組合高島支所)
 
: 1日6往復の運航。[[宝当神社]]で全国的に有名になった高島と、唐津市中心部とを結ぶ。
 
* 湊~[[神集島]](唐津市漁業協同組合神集島支所・からつ丸)
 
: 1日9往復の運航。神集島と湊地区を結ぶ。
 
* 呼子-[[小川島]](川口汽船)
 
* 呼子-[[加唐島]](加唐島汽船)
 
* 呼子-[[松島 (佐賀県)|松島]](新栄)
 
* 呼子-名護屋-[[馬渡島]](郵正丸)
 
* 星賀(旧[[肥前町]])-[[向島 (佐賀県)|向島]](向島丸)
 
* 星賀からは、[[長崎県]][[松浦市]]の[[鷹島 (長崎県)|鷹島]](日比港)への航路もあったが、[[2009年]]4月18日、[[鷹島肥前大橋]]の開通にともない、廃止された。
 
 
 
=== バス ===
 
[[ファイル:Showa_bus04.jpg|thumb|right|200px|昭和自動車の一般路線バス(宝当桟橋にて)]]
 
[[ファイル:Showa Bus - Saga 200 ka 508.JPG|thumb|right|200px|昭和自動車の特急バス(からつ号)]]
 
市内で一般[[路線バス]]を運行している業者は[[昭和自動車]](昭和バス)のみである。市内の[[唐津大手口バスセンター]]を中心に、唐津市中心部と唐津市内各地・玄海町・伊万里市・多久市・佐賀市を結ぶ路線網が形成されている。市内循環バスも運行されており、松浦橋・東唐津・宝当桟橋を経由して唐津駅に至る'''東コース'''と、日赤病院前・西唐津駅・唐津港を経由して大手口に至る'''西コース'''がある。
 
 
 
また、昭和自動車タクシー事業部が運行する[[乗合タクシー]]がある。
 
 
 
[[高速バス|高速・特急バス]]は唐津市中心部と[[福岡市]]の[[天神 (福岡市)|天神]]・[[博多バスターミナル]]・[[福岡空港]]を結ぶ「[[からつ号]]」、唐津市域を経由して伊万里市と福岡市を結ぶ「[[いまり号]]」を昭和自動車が運行している。また、[[平戸市]]・[[松浦市]]経由で[[キャナルシティ博多]]を結ぶ路線を[[YOKARO]]が運行していており、旧浜玉町内に停車する。
 
 
 
=== 道路 ===
 
==== 高速道路 ====
 
[[福岡市|福岡]]方面へ向かう[[高速道路]]([[有料道路]]、[[自動車専用道路]])は[[佐賀市|佐賀]]方面へ向かうものに比べ整備が比較的進んでいる。[[西九州自動車道]]と[[二丈浜玉道路]]を[[経由]]して[[福岡高速|福岡都市高速]]と直結する福岡前原道路を経るのが一般に示されるルートだが、[[唐津インターチェンジ|唐津IC]]は市街地から離れているうえ現状暫定2車線(最高速度60km/h)での開通のため、[[国道202号]](唐津バイパス)を経由するドライバーが多い。
 
 
 
* [[西九州自動車道]] : [[浜玉インターチェンジ|浜玉IC]] - [[唐津インターチェンジ|唐津IC]] - [[唐津千々賀山田インターチェンジ|唐津千々賀山田IC]] - [[北波多インターチェンジ|北波多IC]]
 
* [[二丈浜玉道路]](かもめロード) : 渕上ランプ - 浜玉中前交差点
 
* [[佐賀唐津道路]](唐津相知道路 - [[厳木バイパス]] - [[厳木多久道路]](ひまわりロード)) : [[唐津インターチェンジ|唐津IC]] - 相知長部田IC - [[岩屋インターチェンジ|岩屋IC]] - [[浪瀬インターチェンジ|浪瀬IC]] - [[牧瀬インターチェンジ|牧瀬IC]]/[[道の駅厳木]]
 
*; 唐津IC - 相知長部田IC間は基本計画区間。
 
 
 
==== 一般国道 ====
 
* [[国道202号]]
 
* [[国道203号]]
 
* [[国道204号]]
 
* [[国道323号]]
 
* [[国道382号]]
 
 
 
==== 道の駅 ====
 
* [[道の駅厳木|厳木]]
 
* [[道の駅桃山天下市|桃山天下市]]
 
 
 
== 文化施設 ==
 
[[ファイル:100604 Kintosho.jpg|200px|thumb|唐津市近代図書館]]
 
* [[唐津市近代図書館]]
 
* [[唐津市相知図書館]]
 
* [[唐津市民会館]]
 
* [[古代の森会館]]
 
* [[名護屋城博物館]]
 
* [[末盧館]]
 
 
 
== スポーツ施設 ==
 
* [[唐津競艇場|ボートレースからつ]]
 
* [[体育の森公園]]内
 
** 唐津市文化体育館
 
** 唐津市陸上競技場
 
** 唐津市野球場
 
** 体育の森公園相撲場
 
* [[松浦河畔公園]]内
 
** 唐津市松浦河畔公園野球場
 
** 唐津市松浦河畔公園ラグビー・サッカー場
 
** 唐津市松浦河畔公園庭球場
 
* [[さが社会保健センター唐津]]
 
* [[唐津市神田野球場]]
 
* [[唐津市屋内プール]]
 
* [[唐津市庭球場]]
 
* [[肥前体育館]]
 
* [[鎮西スポーツセンター]]
 
 
 
== 特産品 ==
 
* [[いかしゅうまい]]
 
* [[唐津焼]] - 市内各所に工房や販売店がある。
 
* [[かんね餅]]
 
* [[魚ロッケ]]
 
* [[けえらん]]
 
* [[松露饅頭]]
 
* [[松原おこし]]
 
* [[松浦漬]]
 
* [[相知高菜]]
 
 
 
== 観光地 ==
 
[[ファイル:KaratsuCastle2.JPG|thumb|200px|[[唐津城]](2007年8月)]]
 
[[ファイル:OldKaratsuBank.JPG|thumb|200px|旧唐津銀行本店(2007年8月)]]
 
[[ファイル:Old Takatori Family Residence 03.jpg|thumb|200px|旧高取家住宅(2016年2月)]]
 
[[ファイル:Former Mitsubishi Goshi Karatsu Branch.jpg|thumb|200px|旧三菱合資会社唐津支店(2016年2月)]]
 
[[File:Yobuko_Asa-ichi_(Yobuko,_Karatsu,_Saga,_Japan).jpg|thumb|200px|呼子朝市(2009年8月)]]
 
[[画像:Nanatsukama 01.JPG|thumb|200px|七つ釜]]
 
唐津市は広大な面積を背景に多数の景勝地を有しているほか、古代から大陸の交易点であったことから、日本で初めて水耕稲作が行われた遺跡とされる'''[[菜畑遺跡]]'''をはじめ、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に拠点として東松浦半島先端部に築いた'''[[名護屋城]]'''など、多くの史跡も有している。
 
 
 
=== 名所・名勝 ===
 
* [[菜畑遺跡]](国の史跡)
 
* [[久里双水古墳]]
 
* [[名護屋城]]跡(国の特別史跡)
 
* [[岸岳城]]跡(佐賀県指定史跡)
 
* [[唐津城]]
 
* [[旧大島邸]]
 
* [[旧高取家住宅]]([[高取伊好]]邸)(国の[[重要文化財]])
 
* 旧[[三菱財閥|三菱]][[合資会社]]唐津支店(佐賀県指定重要文化財、現唐津市歴史民俗資料館)
 
* 旧[[唐津銀行]]本店(佐賀県指定重要文化財<ref>平成29年4月11日佐賀県公報より{{PDFlink|[http://www.pref.saga.lg.jp/kiji00354465/3_54465_46030_up_ld48043h.pdf 佐賀県教育委員会告示第1号]}}(リンクは佐賀県ホームページ)。</ref>)
 
* 唐津焼総合展示場
 
* [[虹の松原]](国の特別名勝、[[日本の道100選]]など)
 
* [[七つ釜]](国の天然記念物)
 
* [[鏡山 (佐賀県)|鏡山]]
 
* [[波戸岬]]
 
* [[いろは島]](所属は[[長崎県]][[松浦市]])
 
* [[観音の滝 (佐賀県)|観音の滝]]([[日本の滝百選]])
 
* [[見帰りの滝]]([[日本の滝百選]])
 
* [[蕨野の棚田]](重要文化的景観)
 
* [[樫原湿原]]
 
* [[立神岩]]
 
 
 
=== 社寺 ===
 
* [[鏡神社 (唐津市)|鏡神社]]
 
* [[医王寺 (唐津市)|医王寺]]
 
* [[恵日寺 (唐津市)|恵日寺]]
 
 
 
== その他 ==
 
* [[日本の渚百選]]:虹の松原、波戸岬海岸
 
* [[かおり風景100選]]:虹の松原潮のかおり
 
* [[日本の道100選]]:虹の松原([[佐賀県道347号虹の松原線]])
 
* [[日本の白砂青松100選]]:虹の松原
 
* [[日本百景]]:唐津[[唐津湾|松浦潟]]
 
* [[日本の音風景100選]]:唐津くんちの曳山囃子
 
* [[美しい日本の歴史的風土100選]]:城下町唐津の街並み、虹の松原、蕨野の棚田
 
* [[日本100名城]]:[[名護屋城]]
 
* [[島の宝100景]]:[[高島 (佐賀県)|高島]]、[[加唐島]]、[[松島 (佐賀県)]]
 
* [[美しい日本のむら景観百選]]:呼子町(加部島)
 
* [[未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選]]:[[小川島]]鯨見張所
 
* [[歴史の道百選]]:太閤道-唐津街道
 
* [[新・日本街路樹100景]]:虹の松原、東唐津久里線<ref>{{Cite book |和書 |author=浅井建爾 |edition= 初版|date=2001-11-10 |title=道と路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=4-534-03315-X |page=127|ref=harv}}</ref>。
 
* [[遊歩百選]]:相知町蕨野地区の棚田
 
* [[日本の棚田百選]]:[[蕨野の棚田|相知町蕨野]]、肥前町大浦
 
* [[農山漁村の郷土料理百選]]:呼子イカの活きづくり
 
* [[ふるさとおにぎり百選]]:七山のかに飯
 
* [[九州百名山]]:[[天山 (佐賀県)|天山]]、[[作礼山 (佐賀県)|作礼山]]
 
* 日本三大くんち:唐津くんち
 
* 日本三大朝市:[[呼子朝市]]
 
* 魅力ある地方都市ランキング50(BRUTUS第681号):第45位(佐賀県内の市町村で唯一のランクイン)
 
* [[からつバーガー]]:唐津に昔からあるハンバーガーショップで販売している[[ハンバーガー]]。[[虹の松原]]に店を構えており現在創業50周年である。
 
 
 
== 文化 ==
 
古くから大陸との交易拠点であった松浦地方では、多くの歴史的な出来事が起こり、多彩な文化が発達した。特に16世紀終盤に松浦川河口付近に成立した城下町・唐津では商業が発達し、唐津くんちに代表される豪著で活気溢れる豊かな町人文化が育まれた。
 
 
 
=== 祭事 ===
 
[[ファイル:Hikiyama.jpg|thumb|250px|唐津駅前に並んだ曳山]]
 
夏には[[祇園祭]]、秋には[[浮立]]や[[くんち]]が市内各地で行われる。祇園祭やくんちには[[山笠]]が出る地区が多い。[[囃子]]に[[竹紙]]を貼る笛を使うのは全国的には珍しいが、唐津市内では多くの地区が竹紙を貼る笛を使っている。
 
 
 
[[唐津くんち]]は唐津市中心部で行われる、期間中50万人以上の観光客が訪れる唐津市内最大の祭りであるが、近年になって服装や山車に乗って采配を振るのを真似た地域があるぐらいで、行事の様式などの周囲への伝播は意外にも少ない。
 
 
 
* [[呼子大綱引]](6月第1土曜・日曜)
 
* [[小友祇園山笠]](旧暦6月14・15日)
 
* [[浜崎祇園山笠]](7月第4土曜・日曜)
 
* [[広瀬浮立]](9月)(県の重要無形民俗文化財)
 
* [[相知くんち]](10月第3土曜・日曜)
 
* [[星賀八幡神社秋祭り]]([[星賀山笠]])(10月下旬)
 
* [[唐津くんち]]([[11月2日]]-[[11月4日]])(国の[[重要無形民俗文化財]])
 
* [[いろは祭り]](11月第2土曜・日曜)
 
 
 
=== 催事 ===
 
* 2月 - [[唐津ジュニア音楽祭]]([[公益財団法人]][[唐津市文化事業団]]主催)
 
* 12月 - [[唐津うまか博]][[からつ鍋まつり]]が同時開催される(唐津市[[商工会議所]]主催)
 
 
 
=== 娯楽 ===
 
市内には1990年代まで東宝大劇や中央大劇といった映画館が複数存在したが、現在は市内に一軒も存在せず、映画を見たい市民は[[佐賀市]]や[[福岡市]]方面へ足を伸ばすこととなる。
 
 
 
=== 方言 ===
 
方言としては'''[[唐津弁]]'''があり、唐津城下町に伝わる代表的民話『'''勘右衛話'''』(かんねばなし)にその特徴を見出すことができる。
 
 
 
ただ、[[高度経済成長期]]以降[[テレビ]]・[[ラジオ]]の普及で標準語の影響を受け、唐津弁がそのまま使用される機会は減ってきている。
 
 
 
=== 唐津市を舞台にした作品 ===
 
;テレビ
 
*[[信子とおばあちゃん]](1969年)[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]
 
*[[走れ!ケー100]](1973年)[[TBSテレビ|TBS]]
 
*[[はぐれ刑事純情派]] 新春スペシャル 東京~九州・唐津、玄界灘に消えた男と女 デパ地下グルメ完全犯罪を暴け!安浦刑事の国定忠治&石川五右衛門VS連続殺人トリックの巨悪!(2005年)[[テレビ朝日]]
 
*[[土曜ワイド劇場]] 終着駅の牛尾刑事VS事件記者冴子 悪の器(2012年)[[テレビ朝日]]
 
 
 
;映画
 
*にあんちゃん([[1959年]])[[日活]]
 
: [[安本末子]]による日記小説を原作とする映画
 
*[[男はつらいよ 寅次郎子守唄]](1974年)[[松竹]]
 
*[[トラック野郎・男一匹桃次郎]](1977年)[[東映]]
 
*神様のくれた赤ん坊(1979年)[[松竹]]
 
*[http://chi.iii.u-tokyo.ac.jp/film/ ブルーシンフォニー ジャック・マイヨールの愛した海 唐津](2008年)
 
*春よこい(2008年)[[東映]]
 
*[[花筐/HANAGATAMI]](2017年)
 
 
 
;アニメ
 
*[[RD 潜脳調査室]](2008年)
 
: 主要登場人物の一人である波留真理の出身地が唐津であると作中で言及されており、21世紀初頭の唐津市と思われる場所の描写がある<ref>『RD 潜脳調査室』第13話「もうひとつの海 ~intermission~」</ref>。
 
*[[ユーリ!!! on ICE]](2016年)
 
: 作内では「長谷津町」となっているが、風景や設定などは唐津がモデル。
 
 
 
; [[音楽]]
 
* [[呼子舟唄]]([[山口瑠美]])
 
* [[初恋の人は]]([[デューク・エイセス]]にほんのうたシリーズ「佐賀県」 作詞:[[永六輔]] 作曲:[[いずみたく]])
 
* [[相知音頭]]([[村田英雄]]) 相知地区では、毎年、盆踊りの時に歌われている。レコードが1000枚生産されている。
 
 
 
;小説
 
*[[渡された場面]]([[松本清張]])
 
: 特に作品前半は[[呼子町]]をモデルとして描かれている。3度テレビドラマ化され、唐津市内でロケが行われた。
 
*佐用姫伝説殺人事件([[内田康夫]])
 
 
 
== 出身有名人 ==
 
;政治・経済・産業
 
<!--五十音順-->
 
* [[井川幸広]]([[実業家]]、[[サガン鳥栖]]を運営するサガンドリームス代表取締役会長)
 
* [[岩本初恵]]([[経営者]]、株式会社愛しとーと代表取締役)
 
* [[岡崎万寿秀]]([[政治家]])
 
* [[奥村五百子]]([[女性運動]]家、幕末~明治期に活躍)
 
* [[熊本典道]](元[[裁判官]]、元[[弁護士]])
 
* [[曽禰達蔵]]([[建築家]])
 
* [[辰野金吾]](建築家)
 
* [[広津素子]](政治家)
 
* [[古川康]](政治家)
 
* [[保利茂]] (政治家、[[吉田茂]]内閣の[[官房長官]])
 
* [[村野籐吾]](建築家)
 
* [[水野忠邦]] (大老)
 
* [[山下雄平]](政治家)
 
* [[吉田嘉明]](実業家、[[DHC]]代表取締役会長)
 
 
 
;スポーツ
 
<!--五十音順-->
 
* [[荒海昇太]]([[相撲|大相撲力士]])
 
* [[池田隆英]]([[プロ野球選手]])
 
* [[緒方修]]([[プロ野球選手]])
 
* [[唐津海誠二]](大相撲力士)
 
* [[北方悠誠]](プロ野球選手)
 
* [[木塚忠助]](プロ野球選手)
 
* [[嘉村健士]]([[バドミントン]]選手、[[トナミ運輸]]所属)
 
* [[小玉佐知子]]([[バレーボール|バレーボール選手]])
 
* [[重由美子]]([[ヨット|ヨット選手]])
 
* [[千々岩利幸]](プロ[[バスケットボール選手]]、[[bjリーグ]]・[[ライジング福岡]]所属)
 
* [[藤井将雄]](プロ野球選手)
 
* [[峰竜太 (競艇選手)|峰竜太]]([[競艇選手]])
 
* [[宮崎敏郎]](プロ野球選手)
 
* [[宮崎祐樹]](プロ野球選手)
 
* [[安河内将]](高校野球・大学野球選手、競艇選手)
 
* [[山口和雄]](プロ野球選手)
 
* [[吉川輝昭]](プロ野球選手)
 
 
 
;文化・芸能
 
<!--五十音順-->
 
* [[青木光一]]([[歌手]])
 
* [[青木はるみ (歌手)|青木はるみ]](歌手)
 
* [[秋玲二]]([[漫画家]])、([[画家]])<ref>日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月)ISBN 9784816917608、P10-11</ref>
 
* [[板井典夫]]([[フードスタイリスト]])
 
* [[井手俊郎]](脚本家)
 
* [[ミサイルマン (お笑いコンビ)|岩部彰]](お笑い芸人・ミサイルマン)
 
* [[北方謙三]]([[著作家]])
 
* [[幸栄]](タレント)
 
* [[佐藤和哉 (篠笛奏者)|佐藤和哉]]([[篠笛]]奏者)
 
* [[田久保尚英]]([[テレビ西日本]][[アナウンサー]])
 
* [[田代まさし]](タレント・歌手、出生)
 
* [[テレニン晃子]](闘病記著者)
 
* [[中里重利]](陶芸家)
 
* [[中里隆]](陶芸家)
 
* [[中里太郎右衛門 (13代)|13代中里太郎右衛門]](陶芸家)
 
* [[中里無庵]](陶芸家)
 
* [[中島潔]](画家)
 
* [[中島淳一]](画家、劇団エーテル主宰)
 
* [[成田アキラ]] ([[漫画家]])<ref>同『漫画家人名事典』P279</ref>
 
* [[西尾芳彦]](作曲家、音楽プロデューサー)
 
* [[西方裕之]](歌手)
 
* [[西村純二]](アニメーション演出家、[[true tears]]など監督)
 
* [[樋口尚文]](映画評論家、CMクリエーター)
 
* [[村田英雄]](歌手)
 
* [[山下惣一]](著作家)
 
* [[やまだないと]] (漫画家)<ref>同『漫画家人名事典』P401</ref>
 
* [[鷲尾伶菜]]([[Flower (グループ)|Flower]]・[[E-girls]])
 
* [[がんばれ!Victory]](バンド) メンバー全員(あやき、れな、まゆこ、しのぶ、みなみ)が唐津市出身
 
* [[たんこぶちん]](バンド)  メンバー全員(MADOKA、YURI、NODOKA、CHIHARU、HONOKA)が唐津市出身
 
* [[カノエラナ]](歌手)
 
;軍人
 
* [[市丸利之助]] (海軍中将、[[硫黄島の戦い]]にて戦死)
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 参考文献 ==
 
{{Multimedia|唐津市の画像}}
 
* 石井忠夫『明治・大正の唐津』唐津商工会議所(1977年発行)
 
 
 
==関連文献==
 
*{{Cite book |和書 |author=古川政次郎|year=1934|title=裏町勘右衛 : 唐津地方民話|publisher=鈴島印刷所|page= |id={{NDLJP|1458155}}|quote= }}
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Karatsu, Saga}}
+
*[http://www.city.karatsu.lg.jp/ 唐津市ポータルサイト]
* {{official website}}
 
 
* [http://www.karatsu-kankou.jp/ 唐津観光協会]
 
* [http://www.karatsu-kankou.jp/ 唐津観光協会]
* [http://ing.jpn.com/ ライフスタイルマガジン イング(Webマガジン)]
 
* [http://www.nicovideo.jp/watch/1227236506 ニコニコ動画 国の重要文化的景観 蕨野の棚田]([[佐賀新聞]]社提供)
 
 
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2018/9/6/ (木) 00:52時点における最新版


唐津市(からつし)

佐賀県北部に位置する市。玄界灘に浮かぶ小川島加唐島神集島加部島馬渡島などと,唐津湾高島などを含む。東松浦半島の大部分を占め,南域を筑紫山地が囲む。1932年市制。1941年佐志町,1954年鏡村,久里村,鬼塚村,湊村の 4村,1958年切木村の一部をそれぞれ編入。2005年相知町,北波多村,厳木町,鎮西町,浜玉町,肥前町,呼子町の 6町 1村と合体。2006年七山村を編入。中心市街地の唐津は古来朝鮮半島への要津で,唐津の名は韓津にちなむ。慶長7(1602)年唐津藩主の寺沢広高が築城。舞鶴公園は旧本丸の跡。唐津港は唐津炭田の開発が進むにつれ石炭積出港として脚光を浴び,1889年特別輸出港に指定。初め松浦川の河口にあったが,1905年大型船舶の停泊に便利な西唐津に移転。1958年頃から石炭産業の不況に伴い唐津港を中心とする臨海工業地帯の建設が進められ,1967年九州電力佐賀火力発電所が操業を開始。醸造(味噌,醤油),工作機械,水産加工,土建材料などの工業が興った。なお桃山時代以来の伝統をもつ唐津焼の特産がある。市域には国の特別名勝の虹ノ松原,特別史跡の名護屋城跡および陣跡をはじめ,眺望に優れる鏡山,国の天然記念物である屋形石の七ツ釜,国指定史跡の谷口古墳菜畑遺跡など名所旧跡が多い。唐津くんちの曳山行事は国の重要無形民俗文化財に指定されており,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして国際連合教育科学文化機関 UNESCOの世界無形遺産に登録された。島嶼部を含めた北部は玄海国定公園に,また一部で八幡岳県立自然公園天山県立自然公園脊振北山県立自然公園にそれぞれ属する。JR唐津線,筑肥線,国道202号線,203号線,207号線,204号線,323号線が通じる。面積 487.58km2。人口 12万2785(2015)。

外部リンク



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