「加治木町」の版間の差分

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[[File:Txu-oclc-6560392.jpg|thumb|290px|[[1946年]]頃の加治木町の地図]]
 
'''加治木町'''(かじきちょう)は、鹿児島県(離島以外の地域)の中部にあった[[町]]である。[[姶良郡]]に属していた。2010年3月23日付けで同じ姶良郡の[[蒲生町 (鹿児島県)|蒲生町]]・[[姶良町]]と合併して[[姶良市]]となった。
 
  
== 地理 ==
+
'''加治木町'''(かじきちょう)
鹿児島県中部に位置し、南側を[[鹿児島湾]]に面している。海に近い南部は、西側から[[別府川 (鹿児島県)|別府川]]・[[網掛川]]・日木山川が流れて鹿児島湾に注いでおり、これらの河川の形成した[[沖積平野]]が一体となって[[姶良平野]]を形成している。この平野部は隣接する姶良町南部ともつながっている。この南部平野地帯に中心市街地が形成されており、[[鹿児島市]]からの交通の便がよいことなどから[[ベッドタウン]]として発展している。北部は[[十三塚原]]と呼ばれる[[シラス (地質)|シラス]]で形成された台地が広がっており、霧島市との境界に掛けて畑作地帯となっている。
 
  
=== 隣接していた市町村 ===
+
鹿児島県(離島以外の地域)の中部にあった[[]]である。[[姶良郡]]に属していた。2010年3月23日付けで同じ姶良郡の[[蒲生町 (鹿児島県)|蒲生町]]・[[姶良町]]と合併して[[姶良市]]となった。
* [[霧島市]]
 
* 姶良郡[[姶良町]]
 
  
== 歴史 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}
{{Wikisource|市町の廃置分合 (平成21年総務省告示第518号)|加治木町・姶良町・蒲生町を廃し、姶良市を置く件}}
 
加治木という地名は、船の[[舵]]を置いておいたら、そこから芽が出て木が生えたという「柁の木伝説」に由来する。ここから「柁木」「柁城」と呼ばれるようになり、やがて「加治木」になったとされている。加治木町仮屋町にはこの伝説の木に由来するとされる[[クスノキ]]があり、その向かいには[[姶良市立柁城小学校|柁城小学校]](だじょうしょうがっこう)がある。町の木もクスノキである。
 
 
 
[[平安時代]]頃からこの地域を支配していたのは、[[大蔵氏]]の一族とされる[[加治木氏]]であった。当初は日木山付近を拠点とし、後に[[加治木城]]を築いて本拠地としている。私領の形成過程で大隅正八幡宮([[鹿児島神宮]])への寄進を経ており、中世には正八幡宮領であった。
 
 
 
南北朝から戦国期になると、このあたりは争乱の場となり、[[蒲生町 (鹿児島県)|蒲生]]に本拠を置く[[蒲生氏]]、[[帖佐町|帖佐]]に本拠を置く[[平山氏]]などとともに、互いに同盟したり対立したりしながら、[[島津氏]]との勢力争いを繰り広げていた。1496年(明応5年)に、前年の[[平山城 (大隅国)|平山城]]を巡る攻防の結果として[[島津忠昌]]が加治木の加治木久平を平定して、加治木氏による加治木支配が終焉した。しかし島津氏による加治木支配は安定せず、地頭に配した[[伊地知重貞]]も1527年(大永7年)5月に島津氏に背いた。島津氏はこれを討伐したが、その後に溝辺郷から[[肝付兼演]]が隙を突いて加治木を支配するようになった。1549年(天文18年)に[[伊集院忠朗]]に命じて加治木攻撃が行われ、肝付氏は島津氏に降伏してその配下となった。以後、4代68年にわたって島津氏配下の肝付氏による加治木統治が行われた。
 
 
 
[[豊臣秀吉]]による[[九州征伐]]の結果、一時的に加治木は秀吉の[[蔵入地]]とされ、[[石田三成]]がその代官とされた。これによって1595年(文禄4年)10月26日に肝付氏は[[喜入町|喜入]]へ移った。しかし、[[文禄・慶長の役]]の出兵の功績として、1599年(慶長4年)1月9日に蔵入地が返還され、加治木は再び島津氏の領地となった。また朝鮮半島から[[島津義弘]]が連れ帰った職人により、現代に伝わる龍門司焼の窯が開かれた。島津義弘は、現在の[[鹿児島県立加治木高等学校|加治木高校]]の位置に加治木館を築いて住んだ。[[加治木くも合戦]]の発祥にも義弘が関わったとの伝承がある。
 
 
 
江戸時代には、1625年(寛永2年)7月15日に、[[島津忠恒|島津家久]]の第3子、[[島津忠朗]]が加治木に入り、島津氏の一族中でもっとも家格の高い一門家である[[加治木島津家]]の初代となった。以後、加治木は幕末まで加治木島津家の私領であった。江戸期には高井田・日木山・小山田・段土・木田・西別府の6つの村で加治木郷が構成されていたが、高井田は後に木田に統合されている。加治木は[[薩摩街道]]の大口筋と高岡筋が分岐する交通の要所で、姶良郡方面から鹿児島へ向かう人荷の多くが加治木から船を利用していたことから、その拠点として大きく繁栄し、姶良郡の中心都市であった。
 
 
 
明治になると、一時的に[[都城県]]に属したり、鹿児島県の第一支庁がおかれたり、さらには[[西南戦争]]で焼失した鹿児島県庁の臨時庁舎が置かれたりした。1889年(明治22年)4月1日[[町村制]]施行により、姶良郡反土村・日木山村・小山田村・木田村・西別府村が合併し'''加治木村'''が発足した。1901年(明治34年)には村内を通る鉄道が開業し、[[加治木駅]]が設置されたが、これにより陸海の交通の接続点としての加治木の賑わいは一時的に衰えることになった。しかし養蚕と製糸など新しい時代の産業の育成も行われた。1912年(明治45年)6月1日には、鹿児島県で最初の町制を施行して'''加治木町'''となった。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]に際しては[[空襲]]を受けて大きな被害を出した。1945年(昭和20年)4月26日の第1回空襲では約16.5 [[ヘクタール]]を焼失し、死者17人を出した。さらに同年8月11日には第2回空襲があり、約65 ヘクタールを焼失し死者26人を出した。これにより加治木市街地は広い面積に渡って焼失し、官公庁もほとんどが焼失した。大戦後は焼け跡を整理して、現在に見られるような街区が形成されることになった。また、[[加治木港]]で外地からの[[引揚者]]の受け入れが行われている。
 
 
 
大戦後は[[行政改革]]のために行政区域の再編が行われ、まず1947年(昭和22年)8月1日に溝辺村崎森の長谷集落を大字日木山に編入した。また加治木町内に存在する[[山田村 (鹿児島県)|山田村]]の[[飛地]]であった辺川を、1952年(昭和27年)10月10日に編入した。この時同時に溝辺村崎森の迫集落も小山田に編入している。
 
 
 
2010年(平成22年)3月23日付で、蒲生町・姶良町と合併して[[姶良市]]が発足した。
 
 
 
{{See also|姶良市#歴史}}
 
 
 
== 行政 ==
 
=== 歴代町村長 ===
 
'''1889年(明治22年)町村制施行'''
 
* 石神 安光(1889年(明治22年)5月 - 1893年(明治26年)5月、初代)
 
* 池 直一(1893年(明治26年)5月 - 1903年(明治36年)2月、2代)
 
* 本田 克(1903年(明治36年)2月 - 1904年(明治37年)2月、3代)
 
* 上村 与八(1904年(明治37年)2月 - 1912年(明治45年)5月、4代)
 
 
 
'''1912年(明治45年)6月1日町制施行'''
 
* 石神 安光(1912年(明治45年)6月 - 1913年(大正2年)9月、初代)
 
* 池 直一(1913年(大正2年)9月 - 1915年(大正4年)5月5日、2代) - 鹿児島へ出張の際に、加治木駅で暴漢に襲われて頚部を刺され即死した。
 
* 牧 清澄(1915年(大正4年)5月 - 1918年(大正7年)2月、3代)
 
* 曾木 豊二(1918年(大正7年)2月 - 1924年(大正13年)5月、4代)
 
* 小宮 敬次(事務引き継ぎ)
 
* 法元 定一郎(1924年(大正13年)5月 - 1925年(大正14年)10月24日、5代)
 
* 日高 彦一(1925年(大正14年)10月25日 - 1945年(昭和20年)10月24日、6代)
 
* 曾木 豊二(1945年(昭和20年)11月2日 - 1947年(昭和22年)2月14日、7代、再任)
 
* 伊藤 賢二(1947年(昭和22年)4月5日 - 1947年(昭和22年)4月23日、8代、1期)
 
* 曾木 隆輝(1947年(昭和22年)5月9日 - 1954年(昭和29年)12月、9・10代、2期)
 
* 緒方 明男(1954年(昭和29年)12月 - 1958年(昭和33年)12月、11代、1期)
 
* 曾木 隆輝(1958年(昭和33年)12月 - 1974年(昭和49年)12月、12 - 15代、再任で4期、通算すると6期)
 
* 東 國雄(1974年(昭和49年)12月 - 1986年(昭和61年)12月、16 - 18代、3期)
 
* 宇都宮 明人(1986年(昭和61年)12月 - 1998年(平成10年)12月、19 - 21代、3期)
 
* 川野 威朗(1998年(平成10年)12月 - 2006年(平成18年)12月、22・23代、2期)
 
* [[笹山義弘|笹山 義弘]](2006年(平成18年)12月 - 2010年(平成22年)3月22日、24代、1期目、最終代)
 
 
 
=== 県の行政機関 ===
 
* 鹿児島県姶良・伊佐地域振興局(保健福祉環境部を除く)
 
* 鹿児島県姶良家畜保健衛生所
 
 
 
=== 国の機関 ===
 
* 加治木税務署
 
* 加治木労働基準監督署
 
* [[日本年金機構]] 加治木年金事務所
 
* [[国土交通省]] 鹿児島国道工事事務所 加治木維持出張所
 
* [[鹿児島地方検察庁]] 加治木支部
 
* [[鹿児島地方裁判所]] 加治木支部
 
* [[鹿児島家庭裁判所]] 加治木支部
 
* [[鹿児島簡易裁判所#鹿児島県内の簡易裁判所|加治木簡易裁判所]]
 
 
 
=== 警察 ===
 
* 加治木警察署
 
** 加治木中央交番
 
姶良市発足時に改称し、[[姶良警察署]]となっている。
 
 
 
=== 消防 ===
 
蒲生町・姶良町と合同で姶良郡西部消防組合を結成して、その消防本部が木田に所在していた。姶良市発足に伴い、姶良市消防本部となっている。
 
 
 
== 産業 ==
 
[[農業]]は[[水田稲作]]がほとんどで、他に[[野菜]]の栽培などを行っている。伝統的な[[薩摩焼]]である龍門司焼の生産が小山田地区で行われている。加治木町の役場周辺に商店街が立地しているが、国道10号周辺に新興の大型店舗が進出してきている。
 
 
 
== 地域 ==
 
=== 教育 ===
 
==== 短期大学 ====
 
* [[正心女子短期大学]]:[[1986年]]度に廃止。
 
 
 
==== 高等学校 ====
 
* [[鹿児島県立加治木高等学校]]
 
* [[鹿児島県立加治木工業高等学校]]
 
* [[龍桜高校(旧加治木女子高等学校)]]
 
 
 
==== 中学校 ====
 
* [[姶良市立加治木中学校|加治木町立加治木中学校]]
 
 
 
==== 小学校 ====
 
* [[姶良市立柁城小学校|加治木町立柁城小学校]]
 
* 加治木町立錦江小学校
 
* 加治木町立竜門小学校
 
* 加治木町立永原小学校
 
* 加治木町立加治木小学校
 
 
 
==== 特別支援学校 ====
 
* 鹿児島県立加治木養護学校
 
 
 
=== 人口 ===
 
[[File:demography46441.svg|512px|left]]
 
{{-}}
 
過去の人口は以下の通り(出典は[[国勢調査 (日本)|国勢調査]])
 
{| class="wikitable"
 
!年!!人口
 
|-
 
|1980年||22,524人
 
|-
 
|1985年||23,264人
 
|-
 
|1990年||23,834人
 
|-
 
|1995年||23,577人
 
|-
 
|2000年||23,332人
 
|-
 
|2005年||22,908人
 
|}
 
 
 
== 交通 ==
 
* 最寄り空港は[[鹿児島空港]]。
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
* [[九州旅客鉄道]](JR九州)
 
** [[日豊本線]]
 
*** [[加治木駅]] - [[錦江駅]]
 
中心駅は加治木駅。
 
 
 
=== バス路線 ===
 
==== 一般路線バス ====
 
* [[鹿児島交通]]
 
* [[南国交通]]
 
* [[いわさきバスネットワーク]]
 
 
 
=== 道路 ===
 
==== 高速道路 ====
 
* [[九州自動車道]]・[[東九州自動車道]]([[隼人道路]])
 
** [[加治木ジャンクション]]
 
** [[加治木インターチェンジ]]
 
 
 
==== 一般国道 ====
 
* [[国道10号]]
 
 
 
==== 主要地方道 ====
 
* [[鹿児島県道42号川内加治木線]]
 
* [[鹿児島県道51号宮之城加治木線]]
 
* [[鹿児島県道55号栗野加治木線]]
 
* [[鹿児島県道56号隼人加治木線]]
 
 
 
=== 港湾 ===
 
* [[加治木港]](定期旅客航路はなし)
 
 
 
== 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==
 
* さえずりの森
 
* 陶夢(とむ)ランド
 
* [[龍門滝]]([[日本の滝百選]])
 
* [[椋鳩十]]文学記念館
 
* [[加治木くも合戦]]([[コガネグモ]]同士を戦わせる):6月
 
* 夏祭り大会:8月
 
 
 
== 出身有名人 ==
 
* [[鶴ヶ嶺昭男]]([[大相撲]][[関脇]])
 
* [[笹峯愛]]
 
* [[寺尾常史]]([[大相撲]][[関脇]])
 
* [[スマイリー園田]]([[MBCタレント]])
 
* [[神田橋條治]]([[精神科医]])
 
 
 
== 加治木町が登場した小説 ==
 
* [[山崎豊子]] 『[[二つの祖国]]』 新潮文庫 のち新潮社版全集
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book | 和書 | editor=加治木郷土誌編さん委員会 | title=加治木郷土誌 | edition=平成4年改定版 | year=1991 | month=11 | publisher=加治木町 | language=日本語}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[加治木饅頭]]
 
* [[鹿児島県の廃止市町村一覧]]
 
 
 
{{Japan-area-stub}}
 
 
{{DEFAULTSORT:かしきちよう}}
 
{{DEFAULTSORT:かしきちよう}}
 
[[Category:姶良市域の廃止市町村]]
 
[[Category:姶良市域の廃止市町村]]
 
[[Category:姶良郡]]
 
[[Category:姶良郡]]

2018/10/15/ (月) 23:44時点における版

かじきちょう
加治木町
廃止日 2010年3月23日
廃止理由 新設合併
加治木町姶良町蒲生町姶良市
現在の自治体 姶良市
廃止時点のデータ
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
姶良郡
団体コード 46441-4
面積 47.51km2
総人口 22,431
(推計人口、2010年2月1日)
隣接自治体 霧島市姶良町
外部リンク 加治木町
座標 東経130度39分43秒北緯31.73806度 東経130.66194度31.73806; 130.66194

加治木町位置図

― 市 / ― 町・村

 表示 

加治木町(かじきちょう)

鹿児島県(離島以外の地域)の中部にあったである。姶良郡に属していた。2010年3月23日付けで同じ姶良郡の蒲生町姶良町と合併して姶良市となった。



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