八田広子
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八田 広子(はった ひろこ、1946年4月9日 - )は、日本の政治家。元日本共産党参議院議員、日本共産党中央委員会委員[1]。八田 廣子、八田 ひろ子とも。
来歴
愛知県名古屋市出身。愛知県立瑞陵高等学校卒業。三井信託銀行(現三井住友信託銀行)勤務を経て、1975年、岡崎市議会議員選挙に出馬し、初当選。3期連続で当選。
1983年11月に岡崎市議を辞職。同年12月18日執行の第37回衆議院議員総選挙に旧愛知4区から出馬するが落選。1986年7月6日執行の第38回衆議院議員総選挙に旧愛知4区から出馬するが落選。
1987年の愛知県議会議員選挙の告示日の2週間前、岡崎市選挙区(定数4)の共産党現職の田中定雄が病にたおれる。後継として出馬し[2]、順位2位で初当選。しかし1991年の県議選、1995年の県議選では落選する。
1998年7月12日執行の第18回参議院議員通常選挙に、愛知県選挙区から日本共産党公認候補として立候補し、当選。
2004年7月11日執行の第20回参議院議員通常選挙、2007年7月29日執行の第21回参議院議員通常選挙に、愛知県選挙区から出馬するが落選。2009年8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙に、愛知12区から出馬するが落選。2011年2月6日執行の名古屋市長選に、無所属(日本共産党推薦)で立候補するが、現職の河村たかし(減税日本公認)に敗れ落選。
政策
- 減税は庶民減税が望ましい。「金持ち減税」はよくない、としている。
- 選択的夫婦別姓制度導入を支持[3]。2000年には、八田ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて内閣総理大臣(当時)の森喜朗に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[4]。
脚注
- ↑ 大会で選出された新中央委員会2004年1月18日「しんぶん赤旗」
- ↑ 『中日新聞』1987年4月5日付朝刊、県内版、12面。
- ↑ 『しんぶん赤旗』2004年5月16日
- ↑ 夫婦別姓選択性導入などを盛りこんだ民法改正案推進を求める申し入れ 2000年9月29日