佐藤記念美術館
佐藤記念美術館(さとうきねんびじゅつかん、SATO MEMORIAL ART MUSEUM TOYAMA)は、富山県富山市の富山城址公園内にある公立美術館。現在は、富山市が所有し、同じく城址公園内にある富山市郷土博物館との2館一体運営を行っている[1]。全国美術館会議、富山県博物館協会会員。
歴史
地元財界の有力者であった佐藤家(佐藤助九郎の子孫にあたり佐藤工業などの経営にあたっていた)などによって財団法人佐藤美術館が設立され、1961年(昭和36年)9月に、富山城址内に佐藤美術館が開館した[1]。開館に際し、もともと佐藤家の住居の一部であった総桧造りの書院座敷や茶室2席が寄贈され、美術館の一部として移築された[1]。1963年(昭和38年)には館名・法人名を富山美術館と改称した[1]。1991年(平成3年)から1993年(平成5年)にかけて展示室2など新館の増築が行われ展示室面積が約2倍となり[2]、1998年(平成10年)には館名・法人名を富山佐藤美術館と改称した[1]。収蔵品の大部分は佐藤家から寄贈されたもので、茶道具類、古陶磁、日本画、墨蹟など千点以上に及ぶ[3]。また、岸駒、岸岱父子の作品や史料も収集し関連する企画展が行われたこともある[4]。
財団体制で運営されていた当時、この美術館には年間3000万円ほどの維持費が必要であったが、収入の柱は財団に管理が委ねられた佐藤工業株100万株の配当であった。ところが、1990年代以降の不況の中で寄付金が減り、さらに佐藤工業が無配に転じたことから、運営の維持が困難となった[5]。財団法人富山佐藤美術館は2001年(平成13年)12月に解散し、建物や収蔵品も含め美術館ごと富山市に寄贈されて美術館は一時休館となったが、2002年(平成14年)4月5日から館名を佐藤記念美術館と改めて再び開館した[1][6]。
施設
建物: 鉄筋コンクリート・一部鉄骨鉄筋コンクリート造、地上2階建て、建築面積: 967.046m2、延床面積: 1,301.01m2
1階
- 受付
- ロビー (102.8m2)
- 展示室 1 (121.5m2)
- 展示室 2 (98.4m2)
- 講堂(93.0m2)
- 茶室「助庵(じょあん)」(96.5m2)
- 昭和20年代前半に砺波市内の佐藤助九郎の生家に建てられた茶席。その後当美術館建設にともない移築。
- 事務室、学芸室 など
2階
- 展示コーナー (62.6m2)
- 和室(書院) 15畳・12.5畳
- 茶室「柳汀庵(りゅうていあん)」(92.1m2)
- 茶庭 - 茶室「柳汀庵」の正面にある日本庭園。
アクセス
- 国際会議場前停留場下車 徒歩約3分
富山地方鉄道バス
市内周遊ぐるっとBUS南回りルート(毎日6便) 城址公園バス亭下車 徒歩約3分
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 “佐藤記念美術館の概要”. 富山市. . 2012閲覧.
- ↑ 『富山美術館が完工 16日から記念展』北日本新聞 1993年9月10日朝刊29面
- ↑ 上地克明 (2004年10月25日). “教育経済委員会視察”. 上地克明. . 2012閲覧.
- ↑ “富山佐藤美術館 館内に茶室(ミュージアム巡り)”. 朝日新聞(朝刊・富山面): p. 26. (2000年4月5日):“越中ゆかりの画人「岸駒」の作品並ぶ 佐藤記念美術館”. 朝日新聞(朝刊・富山面): p. 34. (2008年10月23日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ↑ “佐藤美術館寄付へ 不況に勝てず財団、秋解散の意向”. 朝日新聞(朝刊・富山面): p. 35. (2001年5月9日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ↑ “「佐藤美術館」再スタート 佐藤工業破たんで経営困難→富山市営に移管”. 読売新聞(東京朝刊・富山2面): p. 29. (2002年4月6日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
関連項目
参考文献
外部リンク
- 富山市郷土博物館・佐藤記念美術館 - 富山市
- 全国美術館会議
- 富山県博物館協会
- [1] - artscape
- [2] - インターネットミュージアム