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|略名 = 台湾
 
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|注記=<br />注:このリストは中華民国政府が[[実効支配]]している地域([[台湾地区]])のみのデータである。中華民国の名目的な全領域については、[[中華民国#地理]]の欄を参照のこと。
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{{Chinese|t=中華民國|s=中华民国|p=Zhōnghuá Mínguó|w=Chung-hua Min-kuo|bpmf=ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊ ㄍㄨㄛˊ|poj=Tiong-hôa Bîn-kok|buc=Dṳ̆ng-huà Mìng-guók|h=dung<sup>24</sup> fa<sup>11</sup> min<sup>11</sup> gued<sup>2</sup>|e=Republic of China}}
 
'''中華民国'''(ちゅうかみんこく)は、[[東アジア]]に位置する[[共和制|民主共和制国家]]である。
 
 
[[アジア]]で2番目の[[共和国]]<ref>アジア初の共和国は[[フィリピン第一共和国]]であると見なす場合。ただし、当時のフィリピンは[[スペイン]]の[[植民地]]支配から[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の植民地支配下への移行期間にあり、アメリカの支配下から脱し切れていなかったため異論がある</ref>として[[1912年]]に[[中国大陸]]で成立し、[[国共内戦]]により中国大陸で[[中華人民共和国]]が建国された[[1949年]]以降は[[台湾|台湾島]]と周辺の島嶼群など([[台湾地区|自由地区]])のみを[[実効支配]]する[[海洋国家]]となった。自由地区は、[[日本]]や[[フィリピン]]、[[中華人民共和国]]などと[[領海]]を接する。
 
 
[[議会制民主主義]]・[[資本主義]]体制国であり、[[1971年]]までは[[国際連合安全保障理事会常任理事国]]として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし[[アルバニア決議|国連の代表権問題]]や[[一つの中国]]政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に[[国家の承認|国家として承認]]している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である'''[[台湾]]'''(たいわん)と表記されるのが一般的である。
 
 
== 概要 ==
 
[[ファイル:Sun chiang 1923.jpg|thumb|200px|upright|[[蒋介石]](左)と[[孫文]](右)(1923年)]]
 
[[1912年]][[1月1日]]に、[[革命家]]の[[孫文]]を[[中華民国大総統|臨時大総統]](臨時大統領)として、[[中国大陸]]を中心とする[[中国]]を代表する国家として「[[中華民国臨時政府]]」が成立した。
 
 
同年[[2月12日]]には、[[清|清朝]]の[[皇帝]]である[[愛新覚羅溥儀]]が退位することによって、その後[[袁世凱]]が大総統([[大統領]])に就任した。その後、袁世凱と対立した[[孫文]]は[[1919年]]に[[中国国民党]]を創建し、[[1921年]]には後の[[国民政府]]の基となる革命政府を[[広州市|広州]]に樹立したものの、[[1925年]]に死去した。
 
[[ファイル:Chiang Kai-shek and Soong May-ling in 1955.jpg|thumb|200px|left|[[蒋介石]]と妻の[[宋美齢]]]]
 
[[1924年]]には[[中国共産党]]との間で[[第一次国共合作]]を行ったが、[[1927年]][[南京事件 (1927年)|南京事件]]が起こったことで同年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった[[蒋介石]]の指揮下で[[上海市|上海]]や[[武漢市|武漢]]などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる[[上海クーデター]]を起こした。その後国民政府は蒋介石の[[蒋介石政権|南京国民政府]]と、これに反対する[[汪兆銘]]らの「[[武漢国民政府]]」に分裂するが、間もなく両者は合流、北方軍閥の[[張作霖]]が[[日本軍]]によって[[張作霖爆殺事件|爆殺]]された後、張作霖の息子の[[張学良]]が蒋介石の傘下に入る。
 
 
その後、[[満洲事変]]を契機に[[大日本帝国]](日本)の後援により、[[愛新覚羅溥儀]]を執政として[[中国東北部|東北部]]に[[満州国|満洲国]]が設立され、さらに[[1937年]]に起きた[[盧溝橋事件]]を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った(なお[[宣戦布告]]はどちらからも為されていない)。これに対抗して[[日本軍]]は、国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府([[汪兆銘政権]])を樹立する。その後、[[1941年]]12月に日本と[[イギリス]]・[[アメリカ合衆国]]などとの間で戦争が始まり、英米と友好関係にある中華民国は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の主要国として[[枢軸国]]と対峙した。
 
 
[[1945年]][[9月2日]]の[[降伏文書]]調印により、中華民国は[[第二次世界大戦]]での勝利が決定した。そして、主要戦勝国の1国として[[国際連合]]の設立メンバーとなり、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]からの委託に基づき、1945年[[10月15日]]に[[台湾]]に進駐した。1945年10月25日に台北で日本側の[[安藤利吉]][[台湾総督府|台湾総督]]・第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は[[台湾光復|光復式典]]を行って台湾の実効支配を開始した。日本が台湾などを中華民国へ割譲することは[[1943年]][[12月1日]]の[[カイロ宣言]]に謳われているが(ただし、この宣言に有効性はないとする説もある)、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾島地域は依然として日本の領土であった。台湾光復後の[[1947年]][[2月28日]]に[[二・二八事件]]が発生した。
 
 
しかし[[アメリカ合衆国]]政府が支援する中国国民党と、[[ソビエト連邦]]政府が支援する中国共産党との間の[[国共内戦|内戦]]において、[[ヨーロッパ]]におけるソビエト連邦との間の[[冷戦]]や[[朝鮮半島]]での緊張に気を取られたアメリカ政府による支援が減ったことなどにより、[[1949年]]初めには中華民国の実効支配地域が縮小し、1949年[[10月1日]]には中国共産党が[[中華人民共和国]]を樹立した。
 
 
この1949年の[[12月7日]]、[[蒋介石]]総統率いる中国国民党政府が、首都を中国共産党に実効支配された南京から、臨時首都として台湾島の[[台北市|台北]]に移転したことにより、台湾島地域および金馬地区などのみを実効支配する国家として、[[1950年]]までに再編成された([[台湾国民政府]])。同時に[[動員戡乱時期臨時条款]]が制定され[[戒厳]]体制が発布された([[党国体制]])。
 
 
日本は、[[1951年]]の[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]および[[1952年]]の[[日本国と中華民国との間の平和条約|日華平和条約]]において、台湾島地域に対する[[権原]]を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は「未確定である」という見方([[台湾地位未定論]])がある。
 
 
[[冷戦]]下の[[1971年]]に、[[中ソ対立]]の文脈の中で、アメリカ合衆国をはじめとする[[西側諸国]]と、ソビエト連邦をはじめとする[[東側諸国]]との間で政治的駆け引きが行われた結果、[[国際連合]]における「中国代表権」が、[[アルバニア決議|国際連合総会決議2758]]によって[[中華人民共和国]]に移され、中華民国は国連とその関連機関から脱退した。さらに、[[1972年]]にアメリカの[[リチャード・ニクソン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]が[[北京市|北京]]を訪問し、中華人民共和国を[[国家の承認|承認]]する意向を見せると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調し、日本は[[モンゴル人民共和国]]・中華人民共和国を承認し中華民国と断交。その後[[1979年]]にアメリカが最終的に中華人民共和国を「[[中国]]の代表権を有する正統政府」として承認した。
 
 
[[美麗島事件]]をきっかけに、[[1987年]]に蒋介石の息子で総統職を世襲した[[蒋経国]]が戒厳を解除。続いて[[李登輝]]政権下の[[1996年]]に、国民党[[一党独裁]]([[党国体制]])による[[寡頭制|寡頭]]共和制は終わり、[[複数政党制]]と[[大統領制]]を主体とした[[民主主義|民主]]共和制に変わった([[総統民選期の中華民国]])。その[[経済]]や[[貿易]]規模も大きいことなどから、日本やアメリカ、[[イギリス]]や[[フランス]]などをはじめとする主要国とは[[国交]]こそないものの、形式上[[非政府組織]]の窓口機関を通じて[[外交]]業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。[[世界貿易機関]] (WTO) のように、[[主権]]国家ではなく、[[領域 (国家)|領域]]を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。
 
 
21世紀初頭では、大統領制の[[議会制民主主義]]を主体とした民主共和制国家として、[[台湾海峡]]を挟んで中国大陸と接している台湾島・[[澎湖諸島]](台湾省・台湾地区)および[[福建省]]沿岸の[[金門島]]・[[馬祖島]](金馬地区)、[[南シナ海]]の[[東沙諸島]]および[[南沙諸島]]の[[太平島]]を実効支配している。
 
 
アメリカは、[[第二次世界大戦]]勃発以来、中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が[[軍事]]的脅威にさらされた([[台湾海峡危機]])場合は、[[台湾関係法]]に基づき、適切な行動を取ることとなっている。実際に、[[1996年]]に行われた[[中華民国総統選挙|総統選挙]]に伴い、中華人民共和国の[[中国人民解放軍|人民解放軍(中国共産党軍)]]が、選挙への恫喝として[[軍事演習]]を強行し、[[基隆]]沖海域に[[ミサイル]]を撃ち込むなどの威嚇行為「[[第三次台湾海峡危機]]」が起きた際には、[[アメリカ軍]]はこれに対して台湾海峡に[[空母打撃群]]を派遣し、同国の[[ウォーレン・クリストファー]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]は「アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく」と中華人民共和国に対して警告した。
 
 
[[2008年]]3月に行われた[[2008年中華民国総統選挙|総統選挙]]の際も、台湾近海に空母2隻を派遣した。その総統選挙で当選した[[馬英九]]は、[[2010年]]に大陸との間で[[両岸経済協力枠組協議]]という[[自由貿易協定]]を締結、事実上の経済同盟を発足させるなど、2010年代からは中台関係は回復する方向に進んでいる。[[2014年]][[3月18日]]から[[4月10日]]にかけて、中華人民共和国とのサービス貿易協定の署名を阻むために、学生と市民の一部は、日本の国会に当たる立法院を占拠した。この時点は「[[ヒマワリ運動]](太陽花運動)」という、中華民国の社会運動への端緒にも当たる。
 
 
== 国名 ==
 
[[中国語]]([[北京語]]、[[繁体字|正体字]]表記)での正式名称は、'''中華民國'''({{ピン音|Zhōnghuá Mínguó}}、[[ウェード式]]:Chung-hua Min-kuo、[[注音符号]]:ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊㄍㄨㄛˊ)であり、国内では中華民國のことを'''中華'''と表記することもある。公式の英語表記は、{{lang-en|Republic of China}}(リパブリック・オブ・チャイナ)で、略称は {{en|'''R.O.C.'''}} である。
 
 
「[[中華]]」は、世界の中心にある、もっとも華やかな[[文明]]という意味であり、元々は[[黄河文明]]発祥の地とされる[[河南省]]のあたりを指した言葉であった。ちなみに中華の華はもともと世界の中心の[[夏 (三代)|夏]](古代の王朝)という意味の中夏だった<ref>[[NHKスペシャル]]「中国文明の謎」第1集「中華の源流・幻の王朝を追う」(2012年10月14日放送)の中で、「[[夏 (三代)]]」王朝の夏が「華」に変化したという内容がある。</ref>。
 
 
=== 国名表記をめぐる諸問題 ===
 
中華民国という国名は、中華民国政府が「[[一つの中国]]({{en|China}})を代表する主権国家」であるという認識に基づいている。そのために、[[1971年]]に[[国際連合]]の[[アルバニア決議]]で、[[中華人民共和国]]が「全[[中国]]を代表する主権国家」として承認されてからは、[[国際連合機関]]では「中華民国」 ({{en|Republic of China}}) と称するケースがなくなり、[[近代オリンピック|オリンピック]]([[サラエボオリンピック|1984年冬季大会]]以後)などの[[スポーツ]]大会や国際機関においては、{{en|Chinese Taipei}}('''[[チャイニーズタイペイ]]、中華台北''')という名称が使用されている。これは、国際連合ならびに同加盟国の多くが、中華民国政府を「全中国を代表する主権国家」として承認しない一方で、台湾地域を実効支配する中華民国政府との非公式関係を維持していることによる。なお[[世界貿易機関]] (WTO) に関しては、{{en|Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu}}('''台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域'''、略称:'''[[台澎金馬]]'''、{{en|TPKM}})という名称で加盟しており、{{en|Chinese Taipei}} と伴に、中華民国を指す名称として使用されている。
 
 
一方、中華民国という国名や {{en|Chinese Taipei}} という名称について、20世紀末以降は台湾地域を中心として反発が生じるようになり、李登輝元総統(任期:1988年 - 2000年)をはじめとする[[泛緑連盟|泛緑]]派の人たちが、中華民国という国号を「{{lang|zh-hant|台灣}}」({{lang|zh-hant|臺灣}})という名称に変更しようという[[台湾正名運動]]を興している。これに対し「中国の[[政党]]」を自任する[[中国国民党]]を始めとした[[泛藍連盟|泛藍]]派の人たちは国号変更に反対しており、この件に関する国論は二分されている。それと同時に、中華民国の民衆の国に対する意識も[[1990年代]]から変化し始めていると喧伝される。
 
 
このような背景もあり、中華民国政府は2003年9月以後、[[中華民国旅券]]に、'''中華民国'''の正式名称とともに {{en|'''TAIWAN'''}} を付記して発行するようになった。[[2004年]][[9月7日]]に[[外交部 (中華民国)]]の[[スポークスマン]]は「国交のない国に対しては「台湾」を強調することを最優先課題にし、将来的には国交を持つ国との間でも条約文書などで '''Taiwan''' を使用し、中華人民共和国との混同を避けるようにしたい」と話し、「9月7日の時点で[[行政院]]は、自国の略称として第一に '''R.O.C.''' 、第二に '''Taiwan''' 、第三に '''Taiwan, R.O.C.''' 、第四に '''R.O.C. (Taiwan) ''' 、第五に '''TPKM'''(台湾 Taiwan, 澎湖 Penghu, 金門 Kinmen, 馬祖 Matsu)を使用しているが、陳水扁総統の指示があれば使用順位を入れ替えて '''Taiwan''' を第一とする」とも話した。
 
 
=== 日本における国名表記 ===
 
[[日本語]]表記は'''中華民国'''。[[マスメディア]]では「中華民国」ではなく「'''台湾'''」という表記・呼称を使用し、他の[[国家]]と併せて数える際は「地域」として中華民国(台湾)を国家に数えないこととしている<ref>時事通信社『最新用字用語ブック』第6版 624ページ</ref><ref>共同通信社『記者ハンドブック』第12版714ページ</ref><ref>『朝日新聞の用語の手引』2010年 571ページ</ref>。
 
 
中華民国を「'''華'''」、「台湾」を「'''台'''」と略称する例もある。スポーツ関連では上記の通り「'''チャイニーズタイペイ'''」を使用することもある。これは主催する団体がチーム名としてこの表記を採用しているためである。旅行業界など経済・文化一般の呼称は大抵「台湾」表記を使用する。
 
 
[[日本国政府]]は、1972年以降中華民国を国家として承認していないが、[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]において、台湾島一帯の領有権放棄後の帰属については言明していない。[[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]でも、日本国政府は中華人民共和国の立場を「十分に理解し尊重する」と表明したが、中華民国および台湾島一帯の地位については明確にしていない。<!-- そのためマスコミでも中華民国や青天白日満地紅旗を他国と同様には扱わないなどの「配慮」を行う一方で、[[雑誌]]や[[新聞]]、[[ニュース]]や[[ドキュメンタリー]]番組から[[クイズ]]番組、[[バラエティ]]番組に至るまで、基本的に「中国の一部」という表現は行っていない。 -->
 
 
== 国旗 ==
 
[[File:Flag of the Republic of China.JPG|thumb|left|180px|掲揚される青天白日満地紅旗。]]
 
{{main|中華民国の国旗}}
 
[[国旗]]は青天白日満地紅旗と呼ばれ、平等を表す白、自由を表す青、そして[[革命]]に献身した人々の血と友愛を象徴する深紅があしらわれている。
 
 
ただし、中華民国を[[国家承認]]している国が少ないため、台湾域外の公的な場で掲揚される機会は少ない。[[オリンピック]]等の国際的なスポーツ大会へ「[[チャイニーズ・タイペイ]]」として出場する際には、[[w:zh:梅花旗|梅花旗]]と呼ばれる旗を国旗の代わりとして使用している。また、[[台湾独立運動|台湾独立派]]([[外省人]]国家の中華民国体制を解体し台湾[[本省人]]国家の建国を目指す人々)には青天白日満地紅旗を外来政権の旗と捉えて国旗と認めていない人もいる。{{-}}
 
 
== 歴史 ==
 
{{Main|中国の歴史|中華民国の歴史}}
 
* [[1911年]][[10月10日]]:[[武昌起義]]
 
{{中国の歴史}}
 
; [[中華民国の歴史|中国大陸統治時代]]
 
:* [[1912年]][[1月1日]]:中華民国臨時政府が成立。[[孫文]]が臨時大総統職に就任。その後[[袁世凱]]が大総統に就任([[北京政府]])。
 
:* [[1913年]][[10月6日]]:日本政府をはじめ、13カ国が中華民国を承認<ref>[[宇野俊一]]ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 [[講談社]]、1991年、1008頁。ISBN 4-06-203994-X。</ref>。日本政府は「支那共和国」と呼ぶことに決めた<ref>[[宇野俊一]]ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 [[講談社]]、1991年、1009頁。ISBN 4-06-203994-X。</ref>。
 
:* [[1916年]]:袁世凱が[[中華帝国 (1915年-1916年)|中華帝国]][[皇帝]]即位を宣言するが、内外の反対により断念。間もなく、袁世凱の死去により、各地の[[軍閥]]による全面的な内乱状態になる。いわゆる[[北京政府]]、[[北洋軍閥]]政府が対外的に中国を代表する中華民国政府として1928年まで存続。
 
:* [[1919年]]:[[徐樹錚]]、[[外蒙古#清朝からの独立を宣言したモンゴル政権とその実効支配領域|外蒙古]][[ウランバートル|庫倫]]に進攻、[[ボグド・ハーン政権|モンゴル]]の自治権を奪う(翌年[[ボグド・ハーン]]を[[冊封]])。
 
:* [[1920年]]:[[ニコラエフスク]]で[[赤軍]]を支援して[[日本軍]]を撃破する([[尼港事件]])。
 
:* [[1921年]]:中国軍、外蒙古より撤退。ソ蒙修好条約でソ連がモンゴルの独立を承認。
 
:* [[1927年]][[3月]]:[[南京事件 (1927年)|南京事件]]で[[国民革命軍]]が列国の大使館・租界を襲撃し、[[アメリカ軍]]・[[イギリス軍]]による反撃を受ける。蒋介石は[[上海クーデター]]を起こし[[共産主義|共産主義者]]を検挙する。
 
:* [[1928年]][[6月9日]]:[[蒋介石]]が[[中国国民党]]を支持基盤とする[[蒋介石政権|南京国民政府]]を樹立(首都:[[南京市|南京]])。[[北京]]を''北平''と変更する。
 
:* [[1929年]][[7月]]:満洲に侵攻したソ連軍によって[[奉天軍閥]]が撃破される([[中ソ紛争]])。
 
:* [[1931年]][[9月18日]]:[[満州事変|満洲事変]]勃発。
 
:* [[1932年]][[3月1日]]:[[満州国|満洲国]]建国宣言。1945年崩壊。
 
:* [[1933年]][[5月31日]]:[[国民革命軍]]と[[日本軍]]との間で[[塘沽協定|塘沽停戦協定]]が締結される。
 
:* [[1936年]][[12月12日]]:[[西安事件]]により[[国共内戦|剿共作戦]]を止め対日戦へ転換。
 
:* [[1937年]][[7月7日]]:[[日本]]と南京国民政府との間で[[日中戦争]]が勃発。首都[[南京攻略戦|南京陥落後]]、蔣介石率いる南京国民政府は[[武漢市|武漢]]、[[重慶市|重慶]]へ撤退。
 
:* [[1938年]]:日本政府の支援によって、[[汪兆銘]]を首班とする[[汪兆銘政権|汪兆銘国民政府]]が南京に成立。
 
:* [[1943年]]:[[アメリカ合衆国]]・[[イギリス]]との新条約を締結。これにより、約100年に及ぶ[[治外法権]]と[[租界]]が事実上解消。
 
{{台湾の歴史}}
 
; 陸台両地域統治時代([[国共内戦]])
 
:* [[1945年]]
 
:** [[8月14日]]:[[中ソ友好同盟条約]]に調印<ref>[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450814.T1J.html ソ華友好同盟条約(「ソヴィエト」社会主義共和国聨邦中華民国間友好及同盟条約)] 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室</ref>。
 
:** [[9月2日]]:降伏文書に調印。[[第二次世界大戦]]における中華民国の勝利と日本の[[日本の降伏|敗戦]]が決定し、汪兆銘国民政府が崩壊。
 
:** [[10月15日]]:[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の一般命令第1号に基づき、[[国民革命軍]]が[[台湾]]に進駐。[[10月25日]]に[[台湾光復]]式典を開く。
 
:** [[10月24日]]:南京国民政府が国際連合に「中国」代表として加盟し、[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]における[[常任理事国]]の地位を獲得。蒋介石が[[中国共産党]]の[[毛沢東]]と会談(国共首脳会談)。
 
:* [[1946年]]:[[国共内戦]]が激化。南京国民政府が南京に復す。[[モンゴル人民共和国]]の独立を正式に承認(後に取り消したものとされる)。
 
:** [[2月3日]]:国民政府に協力・蜂起した日本人居留民が[[八路軍]]に処刑される([[通化事件]])。
 
:* [[1947年]]:
 
:** [[2月28日]]:台湾で[[二・二八事件]]が発生。
 
:** [[12月25日]]:[[中華民国憲法]]を公布<ref>[http://www.judicial.gov.tw/constitutionalcourt/p07_2.asp?lawno=45 中華民國憲法] 中華民国司法院大法官</ref>。
 
:* [[1948年]][[4月18日]]:[[動員戡乱時期臨時条款]]([[戒厳]])施行。
 
:* [[1949年]][[10月1日]]:[[ソビエト連邦]]からの間接支持を受けた[[中国人民解放軍|共産党軍]]の反撃を受け、[[アメリカ政府]]の支援と援助を受けたにもかかわらず、[[中華民国軍]]が敗退。南京国民政府が崩壊。
 
; [[台湾国民政府]]時代
 
:* [[1949年]][[12月7日]]:[[蒋介石]]、一旦崩壊した南京国民政府を台湾において再始動し、実効統治区域内で「動員戡乱時期臨時条款」に基づく戒厳を発令。
 
:* [[1950年]]1月:イギリス、中華民国と断交し中華人民共和国を承認。蒋介石、[[中華民国総統|総統]]職に就任。政府の活動が本格化。[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]米陸軍元帥訪台。
 
:* [[1951年]]:サンフランシスコ講和会議においてイギリスが中華民国代表の招請を拒否。
 
:* [[1952年]][[4月28日]]:[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]](1951年9月8日調印)の発効と[[日本国と中華民国との間の平和条約|日華平和条約]]の調印(8月5日発効)。これらの条約により、日本は台湾・[[パラセル諸島|西沙諸島]][[スプラトリー諸島|南沙諸島]]の権利、[[権原]]および請求権を保持しないことを宣言(ただし、両条約とも台湾の帰属先を明言したものではない)。中華民国政府と日本の[[国交]]が成立。
 
:* [[1953年]]:中ソ友好同盟条約を破棄しモンゴル独立の承認を取り消す。
 
:* [[1958年]]:[[金門県]]で、中国人民解放軍との間に[[金門砲戦|八二三砲戦]]が勃発。
 
:* [[1960年]]:[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]米大統領訪台。
 
:* [[1961年]]:[[ビルマ連邦|ビルマ]]の雲南人民反共志願軍第1、2、4軍が台湾へ撤収。残り第3軍(軍長:[[李文煥]])、第5軍(軍長:[[段希文]])が[[タイ王国|タイ]]へ転進。
 
:* [[1965年]]:[[李宗仁]]元代総統、大陸へ。
 
:* [[1971年]][[10月25日]]:[[国際連合総会]]にて、[[アルバニア決議|国際連合総会決議2758]]が可決され、「中国」の代表権を喪失。同時に国際連合から脱退。
 
:* [[1972年]]:日本政府がモンゴル人民共和国と国交正常化。[[日中国交正常化|日本国と中華人民共和国の国交樹立]]により日華平和条約が失効。日本との国交を断絶。
 
:* [[1975年]][[4月5日]]:蒋介石総統死去。1978年に息子[[蒋経国]]が跡を継ぎ総統となる。
 
* [[1979年]][[12月]]:[[美麗島事件]]が勃発。
 
* [[1987年]]:台湾島で[[戒厳]]を解除、その後に他地域でも順次解除。
 
* [[1988年]]1月:蒋経国総統死去。[[李登輝]]が総統代行に就任。
 
* [[1990年]]5月:李登輝が正式に総統に就任。
 
; [[総統民選期の中華民国|台湾総統民選時代]]
 
* [[1996年]][[3月23日]]:[[直接選挙]]による[[中華民国総統|総統]]選出が実施され、李登輝が当選。
 
* [[2000年]]:総統に[[民主進歩党]]の[[陳水扁]]が選出され、中国国民党が初めて[[野党]]となる。
 
* [[2002年]]:台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域として、[[世界貿易機関]]に加盟。
 
* [[2004年]]:陳水扁が民選総統として初めて再選される。
 
* [[2005年]]:[[連戦]]国民党主席が中華人民共和国を訪問。[[胡錦濤]]共産党総書記と1945年以来60年ぶりの国共首脳会談を行う。
 
* [[2008年]]:総統選で中国国民党主席の[[馬英九]]が民進党の謝長廷を破って当選し、国民党が8年ぶりに政権を掌握。
 
* [[2012年]]:馬英九が総統に再選される。
 
* [[2016年]]:総統選で初の女性総統として[[蔡英文]]が選出される。
 
* 2018年 : 米台間で互いに高官が自由に出入りできる台湾旅行法がアメリカで成立する<ref>[http://www.peoplenews.tw/news/b666677d-8ec6-41bc-978d-9e40f711881e 川普即將簽署《台灣旅行法》]</ref>。
 
 
== 政治 ==
 
{{Main|中華民国の政治|中華民国憲法|台湾問題}}
 
中華人民共和国や[[ベトナム]]や[[シンガポール]]、かつては[[インドネシア]]や[[マレーシア]]など、周辺には実質的な[[一党独裁制]]を敷いている・敷いていた国家が多いが、中華民国も例外ではなかった。中華民国では[[1928年]]より[[党国体制]]が敷かれ、[[蒋介石]]とその息子[[蒋経国]]による[[世襲]]の独裁の下で[[戒厳]]が施行され、[[共産主義政党]]や[[本省人]]による[[台湾独立]]や完全選挙([[国民大会]]や[[立法院]]での大半の議席は大陸選出枠としてほぼ固定化していた)を求める政党は「国家安全法」と「人民団体法」により存在を許されなかった。このような状況が改められたのは戒厳が解かれた[[1987年]]からである。
 
 
=== 「二つの中国」 ===
 
[[ファイル:Cairo conference.jpg|right|200px|thumb|[[カイロ]]会談に列席した[[蒋介石]](左)。中央は[[フランクリン・D・ルーズベルト]]、右は[[ウィンストン・チャーチル]]]]
 
{{main|二つの中国}}
 
[[中華民国の政治]]において特筆すべきことは、中華民国政府も[[中華人民共和国]]の[[中国共産党]]政府と同様、自らを「『[[中国]]』の正統政府」であるとしている点である。これは、歴代の中華民国政府が、[[蒋介石]]率いる[[中国国民党]]が[[中国大陸]]を統治していた[[1947年]]に施行した『[[中華民国憲法]]』に基づいて政府を樹立していることに由来しており、[[1949年]]の[[毛沢東]]率いる中国共産党による[[北京市|北京]]を[[首都]]とする中華人民共和国樹立は「反乱団体(「[[共匪]]」)による非合法行為」としてきた。
 
 
このような中華民国政府の主張は国際的に受け入れられており、中華人民共和国成立後も[[国際連合|国連]]をはじめとする国際社会における「中国」の代表権も中華民国政府にあった。[[香港]]問題を抱え中華人民共和国に対して政治的配慮を必要としていた[[イギリス]]を除き、ほとんどの[[西側諸国]]が当初は中華民国政府を「『中国』の正統政府」として認めていた。
 
 
[[冷戦]]下における[[アメリカ合衆国]]と[[ソビエト連邦]]を中心とした東西両陣営の政治的駆け引きの中、[[アルバニア決議]]によって中華民国政府が国連の中国代表権を失い脱退してからは、西側諸国においても中華民国政府を「『中国』の正統政府」として承認する国が減少した。そのため[[2018年]]現在では、[[バチカン]]や[[パラグアイ]]など、18カ国のみが承認しているという状況である。ただし中華民国政府は、[[日本]]やアメリカ、[[フランス]]などをはじめとする多くの非承認国にも「[[台北経済文化代表処]]」などと称される利益代表部を置いており([[中華民国在外機構]]参照)、相手国も台湾にそのカウンターパートを設置しているため、国際的な交流は一定程度保たれている。
 
 
なお中華民国とバチカンの外交関係の歴史は古く、[[第二次世界大戦]]中の[[1942年]]に確立されている。一方で、中華人民共和国は1951年からバチカンと断交状態にある。しかし、近年になって両国は国交樹立に前向きな姿勢を示しており<ref>{{Cite news|url=http://en.radiovaticana.va/news/2016/08/27/vatican_sec_of_state_hopes_for_improved_relations_with_china/1254058 |title=Vatican Sec of State hopes for improved diplomatic relations with China |newspaper=[[バチカン放送]] |date=2016-08-27}}</ref>、急速に接近している<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20170203/ddm/007/030/033000c |title=
 
中国・バチカン  雪解け 関係正常化へ 習氏「台湾統一」の布石|newspaper=[[毎日新聞]] |date=2017-02-03}}</ref>。
 
 
=== 歴代総統 ===
 
{{See|中華民国総統}}
 
 
== 治安・消防組織 ==
 
[[File:TCPD LUXGEN 7 MPV Patrol Car 20131214a.jpg|200px|right|thumb|[[w:zh:臺北市政府警察局|台北市警]]のパトカー]]
 
中華民国において、[[治安]]維持及びに[[消防]]([[救急搬送|救急]]・[[捜索救難|救難]]・[[防災]]を含む)業務を担う組織としては下記のものがある。
 
*[[警察]]:[[中華民国の警察|内政部警察署]]
 
*[[沿岸警備隊]]:[[中華民国行政院海岸巡防署|行政院海岸巡防署]]
 
*[[出入国管理]]:[[w:zh:內政部移民署|内政部移民署国境事務大隊]]
 
*[[憲兵]]:[[中華民国憲兵]]
 
*[[消防]]:[[w:zh:內政部消防署|内政部消防署]]
 
 
== 情報機関 ==
 
[[1928年]]に成立した[[国民政府]]は、中国大陸統治時代に[[軍閥#地方に割拠する軍事組織・軍事集団|各地の軍閥]]と対峙したほか、[[日本]]([[抗日戦争]])や「[[共匪]]」([[国共内戦]])と長期にわたる軍事衝突を続けていた。また、[[1949年]]以降も「[[一つの中国]]」(正統な「中国政府」の立場)を巡って[[中華人民共和国]]と激しく対峙していたため、国府は敵対組織に対する強力な[[諜報]]・[[防諜]]能力を必要としていた。このような経緯があり、[[1990年代]]の[[民主化]]以降も、中華民国には下記の通りに[[情報機関]]が存在している。
 
*[[総統府]]・[[国家安全会議]] (NSC, National Security Council)
 
** [[国家安全局 (中華民国)|国家安全局]] (NSB, National Security Bureau)
 
*[[国防部 (中華民国)|国防部]]
 
** [[中華民国国防部軍事情報局|軍事情報局]] (MIB, Military Intelligence Bureau)
 
** [[中華民国国防部電訊発展室|電訊発展室]] (CDO, Communications Development Office)
 
* [[法務部 (中華民国)|法務部]]
 
** [[中華民国法務部調査局|調査局]] (MJIB, Ministry of Justice Investigation Bureau)
 
 
== 軍事 ==
 
{{Main|中華民国国軍}}
 
=== 中華民国国軍 ===
 
[[国民革命軍]]を前身とする[[中華民国国軍]]は[[中華民国憲法]]第36条に規定されており、[[中華民国総統]]が陸海空軍の統帥権を持つ。国防部組織法・国防部参謀本部組織法・国防部政治作戦局組織法・国防部軍備局組織法・国防部軍医局組織法・国防部主計局組織法の、いわゆる国防六法で定義されている。
 
 
[[中華民国憲法]]第20条により[[徴兵制度]]が敷かれていたが、[[中華民国徴兵規則|徴兵規則]]の変更で2012年1月1日から徴兵を「停止」し、[[志願制度]]へ移行中である。<ref>ただし、2012年以降も「4箇月間の軍事訓練」を受ける義務は残っているので、本来の意味での徴兵制廃止ではなく、実質的には「兵役期間の1年から4箇月への短縮」である。</ref>当初は2014年に完全な志願制への移行(4箇月の軍事訓練も廃止)を予定していたが<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0317&f=politics_0317_001.shtml 台湾:2014年末までに徴兵制廃止—緊張緩和などで]([[サーチナ]])</ref>、[[国防部 (中華民国)|国防部]]は2016年まで達成不可能としている<ref name="hakusyo">[http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2015/html/n1134000.html 平成27年版防衛白書 第1章第3節-4 台湾の軍事力など]([[防衛白書]])</ref>。
 
 
2012年以前の[[徴兵制度]]では、満19歳以上の男子国民は、常備兵役として12カ月間の[[兵役]]義務(2003年までは22カ月)を有していたが、[[良心的兵役拒否]]権が認められていた。制度の移行期間中は、1994年1月1日以降に出生した男性については2013年1月1日より4箇月の常備兵役の軍事訓練を受けることにし、1993年12月31日以前に出生した男性については、徴兵を受けていない者あるいはまだ徴兵に就いていない者は兵役法第25条3項の規定に基づいて1年間の期限で代替役(兵役の代わりに公的機関で勤務)につく。兵役では、基礎訓練と専門訓練をそれぞれ8週間ずつ行う。基礎訓練は1日8時間の計320時間、専門訓練は1日7時間の計280時間。訓練終了後は予備役に編入される。訓練終了時の合格基準は、基礎は腹筋運動と腕立てを2分間25回ずつと19分以内の3000メートル完走、専門段階では腹筋と腕立てを2分間32回ずつと17分以内の3000メートル完走となっている。
 
 
'''中華民国国軍'''は、正規軍で約21.5万人、予備役で約180万人の兵力を擁しており、正規軍の内訳は[[中華民国陸軍|陸軍]]13万人、[[中華民国海軍|海軍]]3万5000人([[中華民国海軍陸戦隊|陸戦隊]]9000人)、[[中華民国空軍|空軍]]3万8000人、[[中華民国憲兵|憲兵]]5000人である。[[主力戦車]]926両以上、[[駆逐艦]]・[[フリゲート艦]]24隻、[[潜水艦]]4隻、[[作戦機]]約400機となっている。なお、中華民国国軍の最も重要な[[軍事基地]]は[[中国大陸]]沿岸の[[金門島]]である。アメリカ合衆国は、米華間の協定である「[[台湾関係法]]」を根拠に兵器の輸出を行っている。
 
 
[[1949年]]以降の中華人民共和国との軍事的対立を背景として、中華民国の軍事施設には自国製のみならず[[フランス]]製やアメリカ製の最新鋭の[[兵器]]、[[軍用機]]、軍用船が装備されている。だが、中華民国の[[国防]]関係予算が[[2015年]]度を基準として過去20年間ほぼ横ばいの増減となっている一方、中華民国と敵対する[[中華人民共和国]]が継続的に高い水準で国防費を増加させており<ref name="hakusyo" />、政府は特別予算を組むなどして対応している。将来的には総兵力を27万5000人から21万5000人まで削減し、兵士の専門性を高める予定でいる<ref name="hakusyo" />。女性兵士の割合は7.7%で、女性軍人は約1万5000人となっている。上限は8%だが、将来的には女性定員枠を拡大する方針を明らかにしている。
 
 
[[2015年]]([[民国紀元|民国]]104年)度の[[国防]]関係予算は、3,128億[[ニュー台湾ドル|元]]で、国家予算全体に占める割合は16.17%となっている<ref name="ROC hakusyo">[http://report.mnd.gov.tw/pagefb1b.html?sn=36&lang=tw 中華民國104年國防報告書 第三編第六章第二節 策劃國防財力](中華民国国防部の防衛白書)</ref>。過去10年の国家予算に占める国防関係費の比率は2008年以降減少しており<ref name="ROC hakusyo" />、[[GDP]]に対する比率も約2%で推移している<ref>[https://www.sipri.org/databases/milex SIPRI Military Expenditure Database]([[ストックホルム国際平和研究所]])</ref>。
 
 
=== 台湾関係法 ===
 
{{See also|台湾関係法}}
 
また[[アメリカ合衆国]]は正式な国交が無いが、中華民国が軍事的脅威にさらされた場合は、[[台湾関係法]]に基づき中華民国を助けることとなっており、事実上の同盟関係にある。実際に、1996年3月23日に行われた総統選挙の前後に、「独立派」と目される李登輝総統の再選を阻止しようとした、中華人民共和国の[[中国人民解放軍]]が、台湾島近海に「実験」と称して[[弾道ミサイル]]を発射し、[[第三次台湾海峡危機]]になったことに対し、[[アメリカ軍]]は[[正規空母]][[インディペンデンス (CV-62)|インディペンデンス]]と[[ニミッツ (空母)|ニミッツ]]などを中心とした艦隊を派遣し、これに対抗した。
 
 
== 国際関係 ==
 
[[File:RC (Taiwan).png|thumb|right|400px|中華民国(台湾)の外交関係{{legend|#008000|[[国交]]を結んでいる国(邦交國)}}
 
{{legend|#0080ff|非公式な外交関係を持つ国}}]]
 
 
=== 国家承認している国 ===
 
{{main|中華民国の在外機構の一覧}}
 
[[2018年]][[5月25日]]現在、中華民国を[[国家承認]]している国家は18カ国である<ref>{{Cite web |date=2018-05-24 |url=https://www.sankei.com/world/news/180524/wor1805240047-n1.html |title=台湾また断交 今度はブルキナファソ |work=産経ニュース |publisher=産経デジタル |accessdate=2018-05-25}}</ref>。「国民政府を認めるか、北京政府を認めるか」という「[[一つの中国]]」論により、この18カ国は[[中華人民共和国]]とは国交を結んでいないが<ref name=taiwandankou/>、このうち[[ニカラグア]]・[[ナウル]]・[[セントルシア]]・[[キリバス]]などは、かつて中華人民共和国と国交を結んで後に、中華民国と国交を回復した[[国家]]である<ref>{{cite book|last1= Shinn|first1=David H.|last2=Eisenman|first2=Joshua|date=2012|title=China and Africa: A Century of Engagement|location=[[Philadelphia]]|publisher=[[University of Pennsylvania Press]]|page=248|isbn=081-220-800-5}}</ref><ref>{{Cite news |title=Taiwan President to Stop in US |newspaper=[[ワシントン・ポスト]] |date=2007-01-05 |url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/01/05/AR2007010502229.html |accessdate=2017-06-19}}</ref>。
 
{{Col-begin}}
 
{{Col-4}}
 
[[オセアニア]]:6ヶ国
 
* {{flagicon|Kiribati}} [[キリバス|キリバス共和国]]
 
* {{flagicon|Marshall Islands}} [[マーシャル諸島|マーシャル諸島共和国]]
 
* {{flagicon|Nauru}} [[ナウル|ナウル共和国]]
 
* {{flagicon|Palau}} [[パラオ|パラオ共和国]]- 中華民国に最も近い承認国。
 
* {{flagicon|Solomon Islands}} [[ソロモン諸島]]
 
* {{flagicon|Tuvalu}} [[ツバル]]
 
{{Col-4}}
 
[[ヨーロッパ]]:1ヶ国
 
* {{flagicon|Vatican City}} [[バチカン|バチカン市国]]
 
[[アフリカ]]:1ヶ国
 
* {{flagicon|Swaziland}} [[スワジランド|スワジランド王国]]
 
{{Col-4}}
 
[[ラテンアメリカ]]:10ヶ国
 
* {{flagicon|Belize}} [[ベリーズ]]
 
* {{flagicon|El Salvador}} [[エルサルバドル|エルサルバドル共和国]]
 
* {{flagicon|Guatemala}} [[グアテマラ|グアテマラ共和国]]
 
* {{flagicon|Haiti}} [[ハイチ|ハイチ共和国]]
 
* {{flagicon|Honduras}} [[ホンジュラス|ホンジュラス共和国]]
 
{{Col-4}}
 
* {{flagicon|Nicaragua}} [[ニカラグア|ニカラグア共和国]]
 
* {{Flagicon|Paraguay}} [[パラグアイ|パラグアイ共和国]] - 中華民国承認国中で最大の面積を擁する国家
 
* {{flagicon|Saint Kitts and Nevis}} [[セントクリストファー・ネイビス|セントクリストファー・ネイビス連邦]]
 
* {{flagicon|Saint Lucia}} [[セントルシア]]
 
* {{flagicon|Saint Vincent and the Grenadines}} [[セントビンセント・グレナディーン|セントビンセントおよびグレナディーン諸島]]
 
{{Col-end}}
 
 
{{Seealso|中華民国とパラグアイの関係}}
 
 
=== 国家承認をしていないが実質的に外交関係を継続している国 ===
 
[[第二次世界大戦]]以前に多くの国々と国交を樹立していた経緯から、現在国交を結んでいない国々との間でも実質的に外交関係を継続している。その中でも旧統治国である日本や旧同盟国のアメリカ合衆国、[[西欧諸国]]との関係を重視している。こうした国々の多くでは、事実上の[[大使館]]として[[台北経済文化代表処]]が設置されている。
 
* {{flag|Japan}}
 
:第二次世界大戦後の[[1952年]]に[[日華平和条約]]が調印され、日本は中華民国との国交を回復した。しかし、[[1972年]]の[[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]調印による[[日中国交正常化]]を受けて日華間の国交を断絶する措置により現在は国交がない。ただし、経済交流を従来通り維持させるため、事実上の[[大使館]]・[[領事館]]の役割を果たす民間の利益代表部([[日本台湾交流協会]])を設置し、外交関係を維持している。そのため、両国政府が利益代表部を通じて[[二国間協定]]を締結したり、[[親書]]の交換がされたりしている。また、超党派の[[日華議員懇談会]]を中心にして、[[外交#議員外交など|議員外交]]も盛んに行われている。馬英九総統は日台関係を「[[台日特別パートナーシップ|特別なパートナーシップ]]」と位置づけ、経済貿易・文化・青少年・観光・対話の5つのテーマを主軸に交流強化を推進している。与野党政治家の往来も活発に行われている。
 
* {{flagicon|United States of America}} [[アメリカ合衆国]]
 
:第二次世界大戦において同盟国として戦い、戦後も[[米華相互防衛条約]]を結んで同盟関係を保ってきたが、[[1979年]]に国交を断絶して同条約は失効し、中華人民共和国を「中国を代表する政府」として承認している。一方で国交断絶前の歴史的経緯から「[[台湾関係法]]」を制定しており、台湾を諸外国の[[国家]]および[[政府]]と同等に扱うことで東アジアの不安定化を防いでいる。台湾関係法では、原子力協定や武器売却などの、1979年以前に両国との間で締結された条約を有効なものと認めている。米台間の大使に相当する者には[[外交特権]]が付与されており、与野党政治家の往来も活発に行われている。
 
 
=== 冷戦後の動向 ===
 
李登輝総統(任期:[[1988年]] - [[2000年]])時代に入り、中華民国政府は中華人民共和国の存在を「反乱団体による非合法行為」と規定しなくなったが、今でも「『中国』の正統政府」という主張は変えていない。そのため、中華民国国内では、「『中国』の正統政府」であることをやめ[[#中華民国の実効支配地域|実行支配地域]]のみを統治する政府として国家を再編することで、中華民国の新たな国際社会復帰を模索する動きも活発化している。[[2005年]][[8月1日]]には、[[陳水扁]]総統が「中華民国は台湾」と語っており、中華民国の国家としての定義は国内において二分している状況である。
 
 
さらに21世紀初頭では、中国大陸と台湾地域を統治することを前提とした中華民国の国家体制から脱却し、台湾地域のみの統治を前提とした国家を創出する[[台湾独立運動]](台独運動、または台独)も活発化しており、そのことが問題をより複雑化している。もっとも、台湾地域においては、この問題に関するさまざまな意見が存在しているものの、少なくとも台湾地域が中華人民共和国に属するものではないという点では世論の大勢が一致している。そのため、中華民国の立法府たる[[立法院 (中華民国)|立法院]]の議員は、主に「台湾の主権は中華民国に属する」とする[[泛藍連盟|泛藍]]派と、「台湾の主権は中国の国家には属さない」とする[[泛緑連盟|泛緑]]派(台独派)のいずれかに大別される。
 
 
世論調査では、「実質的に[[共産主義]]政党の中国共産党による一党独裁国家であり、言論や思想、宗教選択の自由すら許されていない中華人民共和国」と完全に分離して、議会制民主主義体制が堅持されている現在の状況を維持したいとの意見が大勢であり、中華人民共和国との統一や中華民国体制からの独立を望む声は少数意見である。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行っている。
 
 
アメリカ、イギリスなどの中華人民共和国と国交のある諸国の政府も、公式には中華人民共和国の唱える「一つの中国」政策を支持しているものの、大統領制議会民主国家を維持することを望む中華民国の国民の意向を尊重することと、中国共産党の一党独裁国家であり、言論の自由が抑圧されている中華人民共和国<ref>{{cite news|title=中国政府、Chinese Wikipediaへのアクセスを遮断|author=IDG Japan|newspaper=ITmedia ニュース|publisher=アイティメディア|date=2004-06-15|url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0406/15/news055.html|accessdate=2012-02-18}}</ref><ref>{{cite news|title=天安門事件の記念日を前に、中国でTwitter遮断|author=ロイター|newspaper=ITmedia ニュース|publisher=アイティメディア|date=2009-06-03|url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/03/news063.html|accessdate=2012-02-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090611171917/http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/03/news063.html|archivedate=2009年6月11日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>によるアジアにおける軍事的覇権を牽制する意味からも、この状態の維持を事実上支持している。また、日本は中華人民共和国の唱える「一つの中国」政策を「理解し、尊重する」という表現にとどめ、承認しているわけではないが、中華民国との正式な国交はなく、事実上アメリカ、イギリスなどと同様の立場を取っている。なお、[[安倍内閣|第二次安倍政権]]下では台湾と中国が明確に別の国であるとして取り扱う事が多くなるなど、情勢の変化が起こっている<ref>{{cite news |title=民進党の政権復帰と両岸関係(下)慎重だが日台関係強化に期待 当面は「冷たい平和」維持か メールマガジン「オルタ」 |publisher=海峡両岸論65号 |date=2016-04-XX |url=http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E6%B0%91%E9%80%B2%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%A8%A9%E5%BE%A9%E5%B8%B0%E3%81%A8%E4%B8%A1%E5%B2%B8%E9%96%A2%E4%BF%82%EF%BC%88%E4%B8%8B%EF%BC%89 |accessdate=2016-04-23}}</ref>。
 
 
[[2000年代]]後半に入り、中華民国と国交を有していた[[中央アメリカ]]の[[コスタリカ]]が2007年に中華人民共和国と国交を開き、その他[[パナマ]]、[[ニカラグア]]、[[ホンジュラス]]などの中央アメリカ諸国も世界第二位の[[経済大国]]となった中華人民共和国との経済関係を重視する方針を打ち出しているが、[[中国国民党]]の[[馬英九]]政権の立場を尊重する[[中国共産党]]の意向により、中華人民共和国はこれら経済的な関係の深まる中央アメリカ諸国との国交を樹立していなかった<ref>{{cite news |title=アングル:中国と経済的な関係深める中米諸国、台湾の孤立化進む恐れ ロイターニュース 国際
 
|publisher=朝日新聞デジタル、ロイタージャパン |date=2013-08-07 |url=http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201308070065.html |accessdate=2013-08-12}}</ref>。しかし、[[民主進歩党]]の[[蔡英文]]政権に交代してからは[[ガンビア]]、[[サントメ・プリンシペ]]、パナマ、[[ブルキナファソ]]と相次いで国交を樹立するなど、台湾との断交を迫る外交路線に回帰した<ref name=taiwandankou>{{Cite web|url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-06-13/ORGSAB6K50XS01|title=パナマが中国と国交樹立へ、台湾と断交-蔡政権さらに追い込まれる|publisher=[[ブルームバーグ]]|language=|date=2017-06-13|accessdate=2017-06-13}}</ref>。
 
 
== 地理 ==
 
[[File:Republic of China (orthographic projection).svg|thumb|right|300px|中華民国が主張する国土<br />{{Legend|#346633|実効支配域([[台湾地区]])}}{{Legend|#49c746|領有権を主張する地域}}[http://www.chinayouth.org.hk/China/rocmap.html 中華民國全圖(外部リンク)]も参照]]
 
[[ファイル:Zhonghua Minguo Quhua Fanti.svg|thumb|300px|中華民国が主張する国土に周辺諸国との[[領土問題]]を反映させた地図([[中国語]])]]
 
[[File:Locator map of the ROC Taiwan.svg|[[台湾地区]]の位置図|thumb|right|300px]]
 
{{Main|[[中華人民共和国の地理|中国の地理]]}}
 
中華民国の主張する国土の総面積は 11,418,174[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]] である。中華民国の国土は、[[中華民国憲法増修条文]]によって下記の通りに区分されている。
 
 
# 自由地区([[台湾地区]]):中華民国政府の[[実効支配]]が及ぶする範囲。台湾島(台湾)、[[澎湖諸島]]、金馬地区([[金門県]]、[[連江県 (中華民国)|連江県]])、[[東沙諸島]]、及び[[南沙諸島]]の一部から成り立っており、日本や中華人民共和国、[[フィリピン]]等と領海を接している。{{Main|台湾の地理}}
 
# 大陸地区([[中国大陸]]):自由地区を除いた中華民国の領土。中華人民共和国政府が実効支配している区域([[中国大陸]]、及びに[[香港]]・[[マカオ]])に加え、以下の地域の領有権主張も含まれている。
 
* [[蒙古地方|外蒙古]]([[モンゴル国]]、[[ロシア]]の[[トゥヴァ共和国]])
 
* [[清|清朝]]が[[ロシア帝国]]に割譲させられた領土
 
** [[江東六十四屯]](ロシア領)
 
** [[パミール高原]]([[タジキスタン]]・[[パキスタン]]・[[アフガニスタン]]領に分かれている)
 
* [[インド]]の[[アルナーチャル・プラデーシュ州]]
 
* [[ミャンマー]]北部の地域
 
** [[ミッチーナー|ミッチーナ]]以北の地域
 
** [[胡康河谷]]
 
** [[江心坡]]
 
** [[南坎]]
 
* [[ブータン]]の東の一部
 
* [[日本]]の[[東シナ海]]にある[[尖閣諸島]]
 
* [[南シナ海]]海域(いわゆる[[九段線]])
 
 
これは、中華民国が[[清|清朝]]の全てを継承した国家という認識によるものであり、中華民国は国交のない[[モンゴル人民共和国]](現在の[[モンゴル国]]の前身)の独立を一旦承認したものの、1953年に取り消したものとされてきた(詳細は[[中華民国の政治#対蒙関係|対モンゴル国関係]]を参照)が、2003年に中華民国とモンゴルとの間に事実上の大使館が建設された他、2010年に中華民国政府は、「我が国の領土にモンゴルは含まない。」との見解を示している。当然[[2004年]]に中華人民共和国がロシアと確定させた[[アムール川]]の現国境線も認めていない。さらに日本の主権下にある[[尖閣諸島]]に[[1969年]]、「青天白日旗」を掲揚し、付近海域の石油採掘権をアメリカ企業に与えた上に、[[1971年]]6月以降は中華人民共和国による同様の主張に対抗すべく、領有権を主張している。[[南シナ海]]の[[東沙諸島]]および[[南沙諸島]]の全域([[九段線]])の領有権も主張している。
 
 
建国当初の中華民国は中国大陸を領有する国家であり、[[1895年]]に日清間で締結された[[下関条約]]により、清朝から日本に割譲された台湾島一帯はその版図に含まれていなかった。しかし[[#概要|前述の通り]]、第二次世界大戦中の[[1943年]]に出された[[カイロ宣言]]において同地域は中華民国に返還すべきであるとされている。
 
 
中華民国は、[[1945年]]の[[日本の降伏|日本の敗戦]]により、台湾島一帯を「中国の一部」として実効支配下においた。その後、[[国共内戦]]の結果、中華民国は[[1955年]]までに[[台湾省]]([[1947年]]成立)、[[福建省]]の一部以外の領地を全て喪失し、[[1912年]]の建国から一貫して統治している地は福建省の[[金馬地区]]のみとなっている。しかし「『中国』における唯一の正統政府」を自任する中華民国は大陸部の統治権の主張を放棄せず、中華民国政府が発行する官製地図『中華民国全図』には前記地域を中華民国国土として掲載してきた。しかし[[2004年]]1月、[[内政部 (中華民国)|内政部]]は、実効支配地域外を含めた『中華民国全図』の新規発行を停止する決定を発表し、今後公式な国土範囲にも変化がある可能性が示唆されている。
 
 
=== 気候 ===
 
[[ファイル:Taiwan-central-cross-highway-cloudsea.jpg|200px|thumb|right|台湾島山岳部]]
 
{{Main|台湾#気候|台湾の気候}}
 
 
=== 領土問題 ===
 
上記のように、中華民国は中国大陸(中華人民共和国の[[実効支配]]地域)、[[モンゴル]]、[[パミール高原|パミール]]などを自国の領土であると主張している。中華人民共和国も、台湾および[[福建省]][[金門県]]、[[連江県]]の領有を主張している。日本の[[尖閣諸島]]についても、双方が自国の領土であると主張している(詳細は[[尖閣諸島問題]]を参照のこと)。
 
 
[[東沙諸島]]と[[南沙諸島]]については、中華人民共和国と実効支配を、[[フィリピン]]、[[ベトナム]]、[[マレーシア]]、[[ブルネイ]]とは領有権を争っている。
 
 
==== 中華民国の実効支配地域(台湾地区) ====
 
* [[台湾|台湾島]]
 
* [[澎湖諸島]]
 
* [[金門島]]
 
* [[馬祖列島]]
 
* [[烏キュウ郷|烏坵]]
 
* [[東沙諸島]]
 
* [[南沙諸島]]
 
** [[太平島]]
 
** [[中洲島]]
 
 
==== 沖縄県への認識 ====
 
[[ファイル:Taiwan Taoyuan International Airport D3 Ci122 Guidance display 20140105.jpg|200px|thumb|那覇空港行き便の行き先表示]]
 
中華民国では、[[沖縄県]]地域を「[[琉球]]」と称することがある。[[琉球王国]]がかつて[[明|明朝]]や[[清|清朝]]の[[冊封国]]であり、[[沖縄返還]]が中華民国政府との協議を経ずに進められたことを中華民国側は不満としていたともいわれるが、中華民国側は、沖縄県地域に対する日本の主権を否定していない<ref>{{cite news|title=中琉協会の名称変更 中国時報「沖縄は日本の領土」|newspaper=琉球新報|publisher=琉球新報社|date=2006-05-31|url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-14113-storytopic-1.html|accessdate=2012-02-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110722124442/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-14113-storytopic-1.html|archivedate=2011年7月22日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。しかし、例えば桃園国際空港の那覇空港行き便の行き先表示は「琉球」(英字表記は「Okinawa」)である。ちなみに香港国際空港から那覇空港行き便の行き先表示は「沖縄島」となっている。
 
 
== 行政区分 ==
 
[[File:ROC Administrative Subdivisions zh-hant.svg|thumb|300px|left|1949年制定の[[大陸地区]]を含めた中華民国の行政区画]]
 
[[ファイル:Political divisions of the Republic of China (Taiwan).svg|200px|thumb|中華民国[[台湾地区|自由地区]]の行政区分(「釣魚台列嶼」とは[[尖閣諸島]]のことだが、領有権については紛争がある→[[尖閣諸島問題]])]]
 
* 中華民国の公式な行政区分については[[南京国民政府の行政区分]]を、[[台湾地区]](政府の[[実効統治]]範囲)の行政区分については[[台湾の行政区分]]を参照のこと。
 
 
=== 概要 ===
 
中華民国の行政区分は[[中華民国憲法]]第11章の条文によって規定されており、第一級行政区分として省と[[直轄市 (中華民国)|直轄市]]、[[蒙古地方|蒙古]]・[[西蔵地方|西蔵]]の自治区域、及び[[海南特別行政区]]<ref>[[行政院]]直属の区域。ただし、中華民国憲法上に特別行政区に関する規定はない。</ref>が[[1949年]]時点で定められていた。
 
 
だが、この行政区分は[[南京国民政府]]が[[大陸地区]]を[[実効支配]]している時代に規定されたため、[[国共内戦]]で中華民国の実効支配区域が[[台湾地区]]のみに狭められると、実際の[[行政]]実務([[地方自治]])との整合性が欠如した内容となってしまった<ref>[[台湾地区]]と[[台湾省]]の範囲がほぼ重なるため、中央政府と台湾省政府の管轄区域もほぼ重複してしまい、省単位での[[地方自治]]が事実上機能しなくなっていた。</ref>。そのため、中華民国政府は非効率な行政組織の改善を目的として、[[1997年]]の[[中華民国憲法増修条文|憲法増修条文]]第四次改正で省が持つ[[地方自治]]の権限を実質的に廃止し、省政府の機構を[[中華民国行政院|行政院]]の出先機関として中央政府に組み込んだ。1997年の省政府に対する措置を[[台湾]]では「虚省化」(省の名目化)あるいは「凍省」(省機能の凍結)と呼んでおり、これ以降の中華民国で[[台湾省]]および[[福建省 (中華民国)|福建省]]は地方行政区分として機能していない。
 
 
ただし、憲法増修条文によって省の機能に変更が加えられてはいるものの、省という行政組織自体は今なお存続している。また、[[1949年]]に南京国民政府が制定した中華民国全土の[[南京国民政府の行政区分|行政区分]]についても、直轄市が6市増えた点を除いては変更措置が取られていないため、公式には今なお大陸地区を含めて有効とされている。
 
 
なお、[[中華民国海軍]]の艦艇の中には、大陸を統治していた当時の地名で、中国大陸の都市に由来する名称を採用した艦艇が存在している([[康定級フリゲート#同型艦|康定級フリゲート]]等)。また、[[台北市]]には[[ウルムチ]]の旧名である「迪化」に由来する[[迪化街]]がある。
 
 
=== 主要都市 ===
 
*台湾の主要都市については、[[台湾#主要都市|台湾の項目]]を参照のこと。
 
中華民国[[台湾地区|自由地区]]の主要都市としては、[[台湾島]]の北部盆地に位置し、[[1949年]]から「中華民国中央政府所在地」<ref>[http://dict.revised.moe.edu.tw/cbdic/ 重編國語辭典]の「臺北市」の項目より。</ref>となっている[[台北市]]が先ず挙げられる。台北市は[[1947年]]に設置された[[台湾省]]の省都も兼ねていたが、省都については[[1957年]]に台北市から台湾島中部にある[[南投県]][[南投市]][[中興新村]]へと移されている。その他の主要都市には、[[直轄市 (中華民国)|直轄市]]の[[新北市]]、[[桃園市]]、[[台中市]]、[[台南市]]、及び[[高雄市]]があり、いずれも台湾島北部から西部にかけて位置している。
 
 
==== 首都 ====
 
[[Image:KMTretreat.svg|250px|right|thumb|[[国共内戦]]時における中央政府の流転経路図。なお、[[西昌市]]に移ったのは[[w:zh:西南軍政長官公署|西南軍政長官公署]]と[[国防部 (中華民国)|国防部]]の一部機関。]]
 
[[画像:Zongtongfu01.jpg|right|250px|thumb|[[南京市]]に現存する[[太平天国天王府跡|旧総統府]]の正門<br/>「総統府」の文字が掲げられている]]
 
{{Main|{{仮リンク|中華民国の首都|zh|中華民國首都}}}}
 
 
中華民国の首都は、[[1931年]][[6月1日]]から[[1947年]][[12月24日]]までは法律で[[南京市|南京]]と明示されていたが、1947年[[12月25日]]以降は正式な首都がどこか法律等で明確にされていない。また、[[1949年]][[12月7日]]以降は中華民国の中央政府機構が[[台北市|台北]]に置かれているが、中華民国政府は歴史的な経緯から台北市をあくまで[[臨時首都]]<ref name="kouryu"/>、あるいは「([[国共内戦]]に伴う)戦時首都」<ref name="shinbunkyoku"/>と見なしている。以下、中華民国における首都の変遷について述べる。
 
 
[[1912年]][[1月1日]]の建国時に、[[孫文]]は中華民国の首都を南京に置いたが、同年[[3月10日]]に[[北京政府]]が成立すると首都は[[北京市|北京]]へと移された。その一方で、北京政府に対抗する[[国民政府]]が[[1925年]]に[[広州市|広州]]で樹立さると、[[北伐|第一次北伐]]([[1926年]] - [[1927年]])を経て1927年4月に中央政府を南京へ移転した([[南京国民政府]]の成立)。これにより、中華民国は一時的に首都が2か所となったが、第二次北伐によって[[1928年]][[6月3日]]に北京政府が消滅すると、[[蒋介石政権]]は[[6月15日]]に北京の名称を北平(ほくへい、ベイピン:Běipíng)へ改称し、北京が首都でないことを明確にした。
 
 
その後、蒋介石政権は[[1931年]][[5月12日]]に[[憲法]]制定までの[[基本法]]として{{仮リンク|中華民国訓政時期約法|zh|中華民國訓政時期約法|label=中華民国訓政時期約法}}を制定([[6月1日]]施行)するが、同法第五条で「{{lang|zh-Hant-TW|中華民國國都定於南京}}」(中華民国の国都は南京に定める)と明記し、初めて中華民国の首都を法的に確定させた。
 
 
[[日中戦争]]時、蒋介石政権は戦局の悪化を受けて[[1937年]][[11月19日]]に中央政府の[[重慶市|重慶]]移転を決定し、[[南京戦]]で南京が陥落する直前の[[12月11日]]に正式な「戦時首都」となった。この過程で、一時的に[[武漢市|武漢]]に中央政府が置かれている。戦時中、[[日本軍]]は蒋介石政権に代わる「中国政府」として[[1940年]]に[[汪兆銘政権]]を樹立し、首都を南京に置く一方、北京にも[[華北政務委員会]]を設置した。両者は[[1945年]]の[[日本の降伏]]直後に瓦解し、蒋介石政権は戦後処理が一段落ついた[[1946年]][[5月5日]]に首都機能を南京へと正式に戻した。
 
 
終戦後、蒋介石政権は戦時中に中断していた「[[中華民国憲法]]」の制定準備に取り掛かったが、その際に国都(首都)を南京とするか北平(北京)とするかで激烈な討論が巻き起こった。[[1946年]][[11月15日]]から南京の国民大会堂(現・{{仮リンク|南京人民大会堂|zh|南京人民大會堂}})で{{仮リンク|制憲国民大会|zh|制憲國民大會|label=制憲国民大会}}が開催され、憲法の草案として[[1936年]]に国民政府が作成・発表した{{仮リンク|五五憲草|zh|五五憲草}}が用いられた。草案では第七条で首都を南京としていた<ref>{{lang|zh-Hant-TW|第七條 中華民國,國都定於南京。}}(中華民国の国都は南京に定める。)[https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BA%94%E6%86%B2%E8%8D%89 五五憲草]([[ウィキソース]]より)</ref>が、国民大会での議論を経て一度は北平に改められた。
 
 
しかし、国民大会主席団の代表であった蒋介石が、国都は必ずしも憲法で定める必要はないと説明し、一度は国民大会を通過した第七条「{{lang|zh-Hant-TW|中華民國,國都定於北平}}」(国都は北平に定める)を条文ごと削除してしまった。そのため、中華民国憲法は首都に関する規定がないまま1946年[[12月25日]]に制憲国民大会で承認され、1947年12月25日に施行された。憲法の施行と同時に中華民国訓政時期約法も廃止されたため、これ以降中華民国は首都がどこかを規定する法律が存在しない状態になった。
 
 
もっとも、国民政府は首都の所在地という名目的な問題を気にしている状況ではなかった。1946年頃から激しさを増していた[[国共内戦|内戦]]において、[[国民革命軍]]([[中国国民党]])が[[ソビエト連邦|ソビエト]]の全面的な支援を得た[[中国人民解放軍]]([[中国共産党]])に次第に勝てなくなっていったからである。中華民国憲法は予定通り1947年12月25日に施行された。しかし1949年1月には戦局が決定的に劣勢となり、同年[[1月16日]]に国民政府は中央政府の所在地を南京から[[広州市|広州]]へ移転することを余儀なくされた。この時点でもはや国民政府に共産党の勢いを止める力はなく、[[1月31日]]には北京、[[4月23日]]には南京を人民解放軍に奪取され、同年[[10月14日]]には広州も陥落した。中央政府機構は陥落前日に所在地の広州を辛くも脱出できたが、人民解放軍に追われるままに[[重慶市|重慶]](同年[[10月13日]])、[[成都市|成都]]([[11月29日]])と中央政府の所在地を次々と移転し、ついには1949年[[12月7日]]に大陸を脱出して台北へと移転することとなった。
 
 
台北移転当初、[[台湾国民政府]]は「全中国を代表する国家」という立場から台北遷都を一時的なものとし、「大陸反攻」(武力による大陸部の奪還)後に再び中央政府所在地を南京に戻すつもりであった。この理由により「公式な」首都は南京のままとされ、台北は事実上の「臨時首都」という扱いとなった。しかし第二次世界大戦後の[[冷戦]]体制が確立されると、[[両岸関係史|両岸関係]]の劇的な変化を回避することを望む国際環境下で「大陸反攻」が絶望的になり、[[1971年]]に中国代表権問題に関わる[[アルバニア決議|国際連合総会決議2758]]により[[国際連合]]における代表権を喪失した後は、中華人民共和国を「全中国を代表する国家」として政府承認する方針が国際的な主流となり、中華民国は外交上孤立していくこととなった。中華民国政府はこの状況下でも「全中国を代表する国家」という立場を今日まで固持し続けており、そのために事実上の首都である台北の扱いも「臨時首都」および「中央政府所在地」のままとなっている。
 
 
上記の政府見解を反映し、中華民国の小中学生向けの[[国定教科書]]でも南京を首都とした記載が続けられてきたが、台湾独自路線を追求する民意の高まりとその結果の[[民主進歩党|民進党(中華民国)]]政権の誕生の結果の一つとして[[2003年]]版教科書(『[[認識台湾]]』)からは台北を首都とする記述が登場し、教科書における状況変化が見られる。しかし「首都・台北」と表記した場合、台湾独立政策の体現とし中華人民共和国との軋轢が生じる可能性を考慮され、教科書では「中華民国の中央政府は台北にある」という間接的な表現をしている。
 
 
[[2016年]]現在、[[教育部 (中華民国)|中華民国教育部]]が編纂・公開する『重編國語辭典』<ref>[http://dict.revised.moe.edu.tw/cbdic/ 教育部重編國語辭典修訂本]</ref>では、首都と[[同義語]]の「國都(国都)」の項目において、南京を「国都」、台北を「中央政府所在地」と解説している。
 
 
ちなみに、2016年5月に退任した[[馬英九]]前総統は同年8月に母校の[[国立台湾大学|台湾大学]]で行った講演の中で、「'''(中華民国の首都は)ここ、台北だ'''」と発言した<ref>[http://mjapan.cna.com.tw/news/apol/201608090009.aspx 馬前総統、「中華民国の首都は台北」 学生への回答で明言/台湾]</ref>。馬前総統は「中華民国の首都」について質問した[[ソウル大学]]の学生に対し、「(国民政府が中国大陸から台湾に移転した)'''1949年より前の首都は南京だが、今は台北だ'''」と説明した上で、「'''首都とは中央政府の所在地'''で、その'''中央政府は現在台北にある'''」と発言したという。
 
 
== 経済 ==
 
{{main|台湾の経済}}
 
[[ファイル:31-January-2004-Taipei101-Complete.jpg|thumb|200px|[[台北市]]の[[台北国際金融センター|台北國際金融センター]] ([[台北101|Taipei 101]]) ]]
 
[[ファイル:Ddm 2004 028 Kaohsiung Harbor.jpg|thumb|200px|[[高雄市|高雄]]港]]
 
[[ファイル:East Gate of Tainan Science Park.JPG|thumb|200px|[[台南サイエンスパーク]]]]
 
[[2009年]]の[[GDP]]は3785億ドル(約32兆円)であり<ref>[http://www.imf.org/external/ IMF]</ref>、[[神奈川県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>[http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html#kenmin 国民経済計算] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100210185302/http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html |date=2010年2月10日 }}</ref>。しかし、2015年には5230.1億ドルになり<ref>[https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2016/02/weodata/weorept.aspx?sy=2015&ey=2015&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&pr1.x=56&pr1.y=10&c=528&s=NGDP%2CNGDPD%2CNGDPDPC%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a= World Economic Outlook Database, October 2016] IMF 2017年2月3日閲覧。</ref>、しばらくは増え続けると予想されている。同年の一人当たりのGDP(購買力平価PPP)は46,833ドルであり<ref>[https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2016/02/weodata/weorept.aspx?sy=2015&ey=2015&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&pr1.x=56&pr1.y=10&c=528&s=NGDP%2CNGDPD%2CNGDPDPC%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a= World Economic Outlook Database, October 2016] IMF 2017年2月3日閲覧。</ref>、世界21位である。
 
 
[[1912年]]の中華民国の成立当初、清朝の対外賠償金を継承し、鉄道や税関などの収入源を賠償金の担保として列強の支配下に置かれていたため危機的な経済状況にあった。
 
 
建国当初の政争に加え、中国共産党軍との対立、さらに[[日中戦争]]と国内での混乱が続いたことで経済状況が悪化し、物資が軍需用として優先使用され、その物資の輸送も限定された交通手段に頼っており国民経済は困窮を極めた。
 
 
1945年の第二次世界大戦終結により、特に満洲および台湾では大日本帝国が遺した資産を活用した工業化などによる経済建設を計画したが、まもなく開始された[[国共内戦]]により経済政策の実施は頓挫、国民党が行った紙幣の濫発による急激なインフレなどで台湾地域の国民経済は崩壊の淵に立たされることとなった。
 
 
[[1949年]]に国共内戦に敗れ、領土を台湾のみに縮小された国民党政府は「大陸反攻」を実現すべく国力の充実を図り、経済方面でも濫発した貨幣(国民党軍が発行した旧台湾ドル)を廃して[[ニュー台湾ドル]]を発行しインフレを抑制、傾斜生産方式を採用した工業化を図るとともに、冷戦下のアメリカからの経済援助を活用しての経済政策を実施、それまで農業と農業関連の加工業が主であった台湾の経済を軽工業、やがては重工業へと転換させることに成功し、現在ではアジア有数の先進工業国としての地位を確立、特に[[パーソナルコンピュータ]]や[[マザーボード]]、[[液晶]]、[[レーザー]]モジュールやなどの高度な技術開発力を必要とする[[情報技術]]関連機器や、[[自動車]]や[[オートバイ]]とその部品、付加価値の高い[[自転車]]、家電製品とそのための電子部品をはじめとする製造業、[[海運]]や航空業でその強みを発揮し、世界トップクラスの外貨準備高を擁する経済大国へと変貌している。
 
 
[[2000年代]]以降は、中華人民共和国や[[インド]]などの、低賃金の単純労働力を提供する発展途上国の台頭によって、高度な開発、生産力を必要としない製造業においては、工場の海外進出に伴う産業の空洞化が進行したが、これに対し政府は情報技術へのさらなる投資とあわせて、[[バイオ産業]]などより高い技術を有する産業に重点を置く政策に転換しつつある。
 
 
世界中に広がる[[華僑]]ネットワークに駆使した世界戦略も強みである。アメリカや日本で注文を取り、中華人民共和国やベトナムに製造させる仲介的戦略も、この華僑ネットを利用している。近年は高雄港や基隆港、台中港が中国大陸や[[東南アジア]]、および[[太平洋]]地域における海運の重要なハブとしての地位を獲得しており、[[コンテナ]]取扱高世界一を誇る一大海運企業である[[長栄海運]]などがそれを後押しする形となっている。
 
 
中華民国の経済は日本経済との共通点が多い。資源小国であることから技術力、工業生産力に依拠し、世界市場で優位に立てる高付加価値製品を開発製造することによって、外貨を獲得する[[加工貿易]]が基本である。独立志向の強さが国民性であり、それが経済に活力を与えると同時に、大企業の成長に必要な人材の確保が困難な一面もある。
 
 
1000万人以上の観光客を目標にした観光戦略を打ち出し、[[2010年]]に[[中華人民共和国]]と締結した[[両岸経済協力枠組協議|海峡両岸経済協力枠組協議]]や[[日台投資協定]]・[[日台オープンスカイ協定]]締結などにより[[2011年]]には600万人以上の観光客が訪れた。そして、外貨収入は1兆円を超えている。
 
 
シンガポールなどとの[[自由貿易協定]] (FTA) や[[環太平洋戦略的経済連携協定]] (TPP) 参加を検討しており、経済自由化や金融緩和にも力を入れるとされている。2016年11月の失業率は3.87% (45万5000人) になっており、[[経済協力開発機構]] (OECD) 平均と比較しても大きく下回っていて、雇用も比較的安定している。
 
 
=== 日本経済との関係 ===
 
中華民国と日本とは、実効統治する台湾がかつて[[日本統治時代の台湾|日本領]]であったなど歴史的に関係が深く、地理的に近いことから、貿易をはじめとした経済的交流が非常に緊密である。その象徴として、台北の[[台北101|台北国際金融センター]]ビルは日本の[[熊谷組]]を中心としたJV(共同事業体)が施工しているほか、日本の[[新幹線]]の信号・車両技術を導入した[[台湾高速鉄道]](台湾新幹線)も台北〜左営([[高雄市]])間に運行中である。多くの日本企業が進出しているだけでなく、中華民国の企業も日本に進出するなど、経済的交流は年々強まっている。工業団地に日本企業を積極的に誘致を続けている他にも、[[中華人民共和国]]に日本企業が進出する際に、台湾企業と組むケースが多くなっている。
 
 
2011年現在、日本は台湾にとって最大の輸入先であり、日本から台湾への投資件数もトップであり、台湾にとって2番目の貿易相手国である。台湾は日本にとって4番目の貿易パートナーである。
 
 
=== 中華民国の代表的な大企業 ===
 
* [[漢翔航空工業]] 中華民国の元国営企業である軍用機メーカー。[[中華民国空軍]]傘下の組織をルーツとするが、現在では国内外の民間機の製造分担請負等も担当。
 
** {{仮リンク|ITEC|en|International Turbine Engine Company|zh|國際渦輪引擎公司|}} アメリカ合衆国の[[ハネウェル]]社との合弁企業である[[航空用エンジン]]メーカー。国産戦闘機[[F-CK-1 (航空機)|IDF経国号]]のエンジンを開発したほか、各国の軍用[[練習機]]向けエンジンを製造している。
 
* [[鴻海精密工業]] 世界最大の EMS 企業
 
* [[TSMC]] 世界最大の半導体製造ファウンダリー
 
* [[ASUS]]
 
* [[エイサー (企業)|Acer]] 世界有数のパソコン・PC関連機器メーカー。
 
* [[BenQ]](ベンキュー)2001年にエイサーグループから独立
 
** [[AU Optronics]] (AUO) BenQ グループの液晶パネルメーカー
 
* [[GIGABYTE]]
 
* [[MediaTek]] ファブレスIC設計企業である
 
* [[クアンタ・コンピュータ]]
 
* [[Micro-Star International]] (MSI)
 
* [[HTC (企業)|HTC]]
 
* [[裕隆汽車]] (Luxgen)
 
* [[SYM]] (三陽機車)台湾を代表するスクーターメーカー
 
* [[キムコ|KYMCO]] (光陽機車)SYMと同じく台湾を代表するスクーターメーカー
 
* [[東元電機]]
 
* [[大同公司]]
 
* [[ジャイアント・マニュファクチャリング]]
 
* [[台湾銀行]]
 
* [[中国信託商業銀行]]
 
* [[エバーグリーン・グループ]]
 
** [[長栄海運]]
 
** [[エバー航空]](長栄航空)
 
** [[ユニー航空]](立栄航空)
 
* [[チャイナエアライン]](中華航空)
 
** [[マンダリン航空]]
 
* 國泰人壽(生保)グループ
 
* 新光人壽(生保)グループ
 
** [[新光三越]] 日本の[[三越]](現[[三越伊勢丹ホールディングス]])グループと共同設立された、台湾最大のデパート
 
* [[統一企業]]グループ(小売業界最大手)
 
** [[統一超商]](台湾[[セブンイレブン]])
 
** [[統一時代百貨]]
 
* [[台湾プラスチックグループ]](台湾最大の企業グループ)
 
* [[ナンカンタイヤ]]
 
 
== 交通 ==
 
{{See|台湾の交通}}
 
<!--
 
中華民国は[[鉄道]]・[[道路]]・[[航路]]ともに発達しており、日帰りで台湾島を一周することも可能である。
 
 
=== 鉄道 ===
 
==== 在来線 ====
 
[[ファイル:Xu 2003 001 Hualian.jpg|thumb|200px|right|[[台北駅]]に到着する[[西部幹線]]の「自強号」]]
 
[[台湾の鉄道|中華民国の鉄道]]は、国営の[[台湾鉄路管理局|台灣鐵路管理局]](略称は台鐵)の路線が台湾島を一周しており、[[自強号|{{lang|zh-tw|自强號}}]](日本の[[特別急行列車|特急]]に相当)、[[キョ光号|莒光號]](日本では、[[急行列車|急行]])、[[復興號]](日本では[[快速列車]])そして平快、普通(日本では[[普通列車]])が各都市を繋いでいる。
 
 
以上は[[機関車]](電気・ディーゼル)に客車を連結した編成であるが、別に[[復興号|通勤電車]]と呼ばれる電車が大都市近郊を走っている。東海岸非電化線区を走る自強は四国の特急車両に似た気動車である。中華人民共和国と同じく列車のことを「汽車」ではなく「火車」と呼ぶ。
 
 
==== 捷運 ====
 
市内や近接地区を結ぶ鉄道交通ネットワークとして、[[捷運]] (MRT) がある。これは日本の[[地下鉄]]や[[新交通システム]]に相当する。最初に、[[台北市]]政府による[[台北捷運]]が[[台北捷運木柵線|木柵線]](新交通システム)を1996年に開通させ、翌年に[[台北捷運淡水線|淡水線]](地下鉄)の一部を開業した。高雄市による[[高雄捷運]]も2008年に一部路線を開通させた他、他の都市でも建設中もしくは計画中である。
 
 
==== 台湾高速鉄道 ====
 
[[ファイル:Zhōngzhèngjīchángjiéyùn.JPG|thumb|200px|right|[[台湾高速鉄道]]の[[桃園駅 (台湾高速鉄道)|桃園駅]]]]
 
台北・高雄を結ぶ都市間鉄道として、最高速度 300km/h の[[台湾高速鉄道]](略称は高鐵)が2007年1月に開通した。日本の[[新幹線車両]]([[台湾高速鉄道700T型電車|700T型]])を導入し、中華民国初の大型[[BTO]]として台鐵とは別個に建設・運営が行われている。
 
 
日本にとっては、初の新幹線車両の海外輸出となるが、相次ぐトラブルで開業が大幅に遅れた上、受注の背景から欧州の信号技術と日本の車輌を組み合わせた折衷型システムとなり、開業時の運転手は全て欧州人となるなど、開業は相当な難産であった。しかし、台北から高雄までの所要時間87分、運賃は台鐵と航空便の中間となる1490台湾ドルで、自強号の最速列車でも3時間59分かかる台鐵([[西部幹線|縦貫線]])はもはや競争相手とはならない。航空路線も大幅な減便を強いられ、有力な競争相手となるのは低運賃の高速バスとみられている。高速鉄道の開業後、台鐵は縦貫線の地域の輸送機関としての再構築を模索している([[台鉄捷運化]]を参照)。
 
 
また新幹線の導入予定が無い東部幹線の速達化をはかるため、[[2004年]]に台鐵は[[丸紅]]を通して[[日立製作所]]に[[JR九州885系電車|885系]]のOEM車両を6編成48両発注し、名称は[[太魯閣号]](タロコごう、[[:zh:太魯閣號|zh:太魯閣號]])とした。
 
 
=== 道路 ===
 
[[ファイル:Taiwan.jpg|thumb|200px|right|台北市内の道路]]
 
[[高速道路]]には基隆・台北と高雄を結ぶ[[中山高速公路]]と、[[フォルモサ高速公路]]の2本があり、さらには主要国道・省道が中華民国全土に張り巡らされている。そのことから、数多くの[[バス (交通機関)|バス]]会社が高速バスを走らせており、大都市間を結んでいる。直接都市間を結ぶこともあり、渋滞が厳しい台北周辺を除けば、所要時間は特急列車と大差ない。中華民国では航空路と高速バスの整備により、特に西部幹線(基隆 - 高雄・屏東)では鉄道輸送は苦戦している。
 
 
かつては公営の「台湾汽車客運」([[中国語]]の汽車は自動車の意味)が高速バス事業を担っていたが、[[2001年]]の民営化に伴い「[[国光汽車客運]]」に再編された。またそれと相まって高速バス事業の自由化が進み、複数の会社による競合の結果、2列シート・軽食・飲物のサービス付き・カーテン・トイレ完備などの豪華なバスが大都市間で24時間運行されるようになっている。このために、民営バス会社は中華民国の人々にとって大切な足になっているが、連休などでは慢性的な渋滞にしばしば巻き込まれている。
 
  
都市部では市内バス路線が整備されているが、古い車両が多く使用されている、バス停で乗降客がスムーズに乗降できないなどの理由で利用頻度は高くなかったが、近年では台北市を中心に車両の更新、バス専用レーンの設置などにより大幅な改善が見られ利用者も増加傾向にある。しかし大衆交通網が未完成のため一般的には[[タクシー]]や自家用車、スクーターを利用することが多い。各種車両が入り乱れている台湾の市内地域では激しい渋滞と、運転マナーに起因する交通事故が多発している。
+
'''中華民国'''(ちゅうかみんこく)
  
また[[国際運転免許証]]に関しては、中華民国が[[ジュネーブ条約]]に加盟していないため、多くの外国人が運転する場合には、現地での運転免許取得が必要であるが、日本人に関しては、[[2007年]][[9月19日]]より日本と中華民国両政府の間で免許証の相互承認が認められるようになり、短期旅行者がレンタカーなどを運転できるようになった。
+
[[辛亥革命]]の結果,清朝に代って中国に成立した共和国の国号。 1912年1月に[[孫文]]を臨時大総統として成立したが,次いで[[袁世凱]]が大総統となり,以後軍閥戦争が繰返された。孫文の指導する国民党は 1924年中国共産党と提携,反封建の目的を果すため「北伐」,すなわち北方軍閥の討伐に乗出した。しかし孫文の没後,[[蒋介石]]を中心とする国民党右派は,帝国主義諸国と結んで[[上海クーデター]]により 1928年正式に国民政府を樹立し,中国を統一した。
  
=== 航空 ===
+
国民政府は共産党を弾圧したが,その後日本の侵略が激化すると 38年3月「抗戦建国綱領」を制定し,[[第2次国共合作]]が成立した。
[[ファイル:114841339003n9u2.jpg|thumb|200px|right|エバー航空の[[マクドネル・ダグラス]][[MD-90]]]]
 
航空機は台湾島と金門島などの各離島を結んでいる他、主要都市を結んだ高頻度運行サービスを提供しており、料金も割引チケットを使えば鉄道やバスと遜色ないので人気は高い。
 
  
中華民国の航空会社としては、日本では[[成田国際空港|成田空港]][[中部国際空港]]、[[福岡空港]]などに乗り入れている[[チャイナエアライン]](中華航空、China Airlines)が有名であるが、21世紀初頭では成田空港や[[関西国際空港]]、[[新千歳空港]]、福岡空港、[[仙台空港]]などに乗り入れている[[エバー航空]](長栄航空、Eva Airways)も急速に乗り入れ都市を増やしたことから日本に浸透してきている。これらの航空会社以外にも、中華民国には[[遠東航空]]、[[復興航空]]、[[立栄航空]]や[[華信航空]]などがある。なお、これらの航空会社のいくつかはチャイナエアラインやエバー航空の子会社である。
+
しかし依然として国共の対立は続き,1945年8月の日中戦争終了ののち内戦が激化,1949年 10月[[北京]][[中華人民共和国]]が成立すると国民党政府は台湾に渡り,今日まで中華民国と称している。
  
国際空港としては、[[台湾桃園国際空港]]、[[高雄国際空港]]、[[台中空港|台中清泉崗国際空港]]があり、[[花蓮空港]]を国際空港に昇格させる計画もある。
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1971年10月中華人民共和国が[[国際連合]]での合法的権利を回復したことにより,国民党政府は国連脱退を声明,1972年9月中華人民共和国と日本との国交正常化により,対日断交を宣言した。
  
==== 日本との航空便 ====
+
1992年8月,中韓国交樹立による韓国との断交で,アジアで国交を有する国はなくなった。
[[ファイル:China AL Airbus-A340-300X B-18802.jpg|thumb|200px|right|チャイナエアラインの[[エアバスA340]]]]
 
日本との間には、チャイナエアラインやエバー航空、[[日本航空インターナショナル|日本航空]]、[[全日本空輸]]、[[キャセイパシフィック航空]]、[[ノースウエスト航空]]、[[ユナイテッド航空]]が台北や高雄と成田空港との間にそれぞれ1日1便から数便を就航させている他、福岡空港や[[那覇空港]]、中部国際空港、新千歳空港、関西国際空港、仙台空港にも定期便を就航させている。また21世紀初頭の[[北海道]]旅行ブームに伴い、[[函館空港]]や[[釧路空港]]、[[旭川空港]]などの北海道内の空港へのチャーター便も多く運航されている。
 
 
 
なお、1972年に日本と中華人民共和国の間に[[日中共同声明]]が出され国交が築かれたことに伴い[[1974年]]4月に締結された日中航空運輸協定内の条項に基づき、[[2002年]]まで中華民国の航空会社は[[1978年]]に開港した成田空港への乗り入れを禁止されていたため、[[東京国際空港|羽田空港]]に乗り入れていた。
 
 
 
==== 中華民国路線向け会社 ====
 
[[ファイル:JAA-plane-JA8130.JPG|right|220px|thumb|日本アジア航空の[[ボーイング747]]型機]]
 
[[日本航空]]グループの国際路線は、同グループで国際線を受け持つ[[日本航空インターナショナル]]により運航されているが、1972年に日本と中華人民共和国の間に[[日中共同声明]]が出され国交が築かれたことに伴い、1974年4月に締結された日中航空運輸協定内の別の条項に基づき、日本航空名義で中華民国への便を運行することができなくなってしまった。
 
 
 
そこで、別会社として設立された[[日本アジア航空]]が中華民国への便を運航することで、日本航空グループにおける中華民国航路を補う役割を担っていた。また[[全日本空輸]]の場合は、国内ローカル路線専用航空会社であったグループ会社の[[エアーニッポン]]が同じ役目を担っていたが、[[2008年]][[4月]]より後述の通り直接運行、親会社便名となった。
 
 
 
また[[旅行会社]]についても中華人民共和国の旅行商品を扱う会社が中華民国の商品を同時に扱うことができなかったため、中華民国を専門に扱う別会社が設立された、アジア旅行開発(日本アジア航空系)、ユナイテッドツアーズ([[近畿日本ツーリスト]]系)以外は親会社に合併された。
 
 
 
[[ヨーロッパ]]の航空会社も、中華人民共和国に路線があるところは日本航空と同じような問題を抱えることになった。そこでこれらの航空会社が採った方策は、日本アジア航空のような別会社を作るのではなく、別会社を装った別の名前の会社名の塗装を施した専用機材で運航するというものであった。名義には日本アジア航空に倣って「アジア」をつけたものが多かった。
 
 
 
* [[KLMオランダ航空]] -> KLM Asia(荷蘭亞洲航空公司)
 
* [[ブリティッシュ・エアウェイズ]] -> British Asia Airways(英亞航空公司)運行中止
 
* [[エールフランス]] -> Air France Asie (後期は貨物便のみ)(法亞航空公司)運行中止
 
 
 
これらの塗装を施された機体は機体繰りなどの関係で日本などにも飛来していた。他にも、[[ドイツ]]の[[ルフトハンザドイツ航空]]の場合は、全日空と同じくグループ会社の[[コンドル航空]]が運行していた。なお、アメリカや[[東南アジア]]の航空会社の場合はそのままの社名・塗装で両国へ運行されている。
 
 
 
最後まで別会社による運行を行っていたのは日本のみであったが、日華間の協議の結果、親会社による直接運行が認められることとなったため、2008年4月より、日本アジア航空便は日本航空インターナショナル、エアーニッポン便は全日本空輸による直接運行、親会社便名による運行になった。ある意味で航空業界が「正常化」したといえる。
 
 
 
=== 船舶 ===
 
台湾島と[[澎湖諸島]]、[[金門島]]などの離島との間は船便によっても結ばれており、航空路線が発達した今日でも利便性がある。台湾島と澎湖諸島を結ぶ船便は[[高雄市|高雄港]]([[台華輪]])・[[台南市|台南安平港]]([[ゆにこん|今日之星]])・[[嘉義市|嘉義布袋港]]([[満天星客輪]])から毎日出ている。
 
 
 
台湾島と[[緑島郷|緑島]]・[[蘭嶼]]を結ぶ船便は[[台東市|台東富岡港]]から、台湾島と金門島を結ぶ船便(金門快輪というフェリー)は高雄港から、台湾島と馬祖列島を結ぶ船便(台馬輪および合富輪)は基隆から、それぞれ出航している。
 
-->
 
==科学技術==
 
上記のように世界的な競争力を持つ企業もあり、高度な[[科学技術]]力を有している。台湾出身の[[李遠哲]]は1986年に[[ノーベル化学賞]]を受賞した。後に李が院長に就任した[[中央研究院]]が、[[自然科学]]と[[社会科学]]を含めた[[国家アカデミー]]の役割を担っている。
 
 
 
===宇宙開発===
 
1991年に宇宙開発に着手した。[[台湾国家宇宙センター]]が中心となり、[[アメリカ]]に委託しての[[人工衛星]]の打ち上げと運用、[[ロケット]]の開発に取り組んでいる。[[地球観測衛星]]「FORMOSAT(フォルモサット)」シリーズのうち、初めて自主開発した「FORMOSAT-5」(フォルモサット5号)を2017年8月25日、[[スペースX]]社のロケットにより打ち上げる予定である<ref>[http://www.sankei.com/world/news/170821/wor1708210045-n1.html 台湾、初の自主開発衛星打ち上げへ/対中偵察衛星には難関][[産経新聞]]ニュース(2017年8月21日)</ref>。
 
 
 
== 国民 ==
 
<!-- {{Main|中華民国の国民}} -->
 
=== 国民の定義と人口 ===
 
{{Main|台湾の人口}}
 
[[File:Taiwan population pyramid (Nov 2012).svg|thumb|right|台湾の[[人口ピラミッド]] ]]
 
中華民国の[[国民]]は、中華民国憲法第3条の規定によって「中華民国の[[国籍]]を有する者」とされており、[[2016年]]の時点で 2353万9816人となっている。[[人口密度]]は平均 650.42人/km<sup>2</sup>([[2017年]]1月)である。人口密度が1千万人以上の国では世界2位になった。
 
 
 
==== 民族と省籍矛盾 ====
 
中華民国の国民は大きく[[漢民族]]と[[台湾原住民|原住民族]]にわかれる。中華民国政府が認定した原住民族は、2008年現在で14民族50万人弱であり全人口の約2%である。中華民国では、国民である国内各民族が融合して'''[[中華民族]]'''を形成するとされており、中華民国憲法第5条によって各民族間の平等が定められている。また中華民国国民には省籍が存在し、在籍する[[省]]によって[[本省人]]と[[外省人]]に分けることがある。原住民族は広義には本省人に含まれるが、通常は分けて考えられる。この区分に従うと、中華民国編入後の台湾島一帯では、人口が多い本省人が政治的には少数派の外省人に支配される構図が浮かび上がるが、これは[[省籍矛盾]]と呼ばれ、長年にわたり社会問題とされてきた。
 
 
 
==== 客家と移民 ====
 
広義の[[客家]]人は約500万人であり、全人口の約22%である。中華民国に帰化している人口は7万1398人であり、全人口の約0.3%である。
 
 
 
==== 新移民(外国籍) ====
 
外国籍配偶者の数は約40万人で中国とベトナム国籍([[在台ベトナム人]])が最も多く、約8万6000人であり他にはタイ・インドネシア・フィリピンの順である。外国籍の人口は約65万人である。
 
 
 
=== 言語 ===
 
{{Main|台湾#言語}}
 
中華民国の公用語は[[国語 (中国語)|国語]]と称されている。国語は基本的には中華人民共和国で使われている[[普通話]]と同一言語とされるが、21世紀初頭では政治・文化・社会の違いにより語彙や発音などの細かい部分に多少の相違点が生じているため[[台湾国語|台湾国語や台湾華語]]と称されることも多い。
 
 
 
[[繁体字|正体字(繁体字)]]と呼ばれる簡略化されていない漢字の字体を標準としている。これは日本の[[旧字体]]に近いが、中華人民共和国で大幅に簡略化された[[簡体字]]とは大きく異なる。ただし実際の生活においてはある程度の略字や俗字が使用されている。漢字の発音表記には[[北京政府]]時代に制定された[[注音符号]]を教育で使用しており、[[コンピュータ]]や[[スマートフォン]]への入力に広く用いられている。
 
 
 
日常生活では[[台湾語]]([[ビン南語|{{lang|zh-tw|閩南語}}]])、[[客家語]]なども用いられている。
 
 
 
=== 宗教 ===
 
{{Main|台湾の宗教}}
 
 
 
=== 教育 ===
 
{{Main|台湾の教育}}
 
中華民国は[[教育]]制度として[[国民小学]](小学校)6年間と[[国民中学]](中学校)3年間が[[義務教育 (台湾)|義務教育]]とされている。21世紀初頭では小中学をあわせた「九年一貫課程綱要」に基づいてカリキュラムが編成されている。[[儒教]]圏の例に漏れず学歴社会であり、[[高等教育]]を受ける者が多い。
 
 
 
民主化後、[[国語 (中国語)|国語]]以外の言語、すなわち[[台湾語]]、[[客家語]]、[[台湾原住民]]語の教育が義務付けられたが、中国国民党による戒厳令時代はすべて国語のみで教育することとされていた。このため、1920年代生まれ前後の世代は台湾語(または客家語)のみで国語が話せない者がおり、その下の世代では両方を解するが、1950年生まれ世代前後以下では標準語のみで台湾語を解しない者が少なくない(特に北部の都市部)。たとえ話せたとしても発音に標準語の訛りがある場合も多い。
 
 
 
従って同じ「台湾人」でも高齢者と若者との間でコミュニケーションが成り立たないということも珍しくない。日本統治時代には[[日本語]]での教育が義務付けられていたため日本語を話すことのできる高齢者も多い。
 
 
 
=== 医療 ===
 
{{Main|台湾の医療}}
 
 
 
== 文化 ==
 
{{Main|中華文化|台湾の文化}}
 
=== 代表的な文化施設 ===
 
[[ファイル:Chiang_Kai-shek_memorial_amk.jpg|thumb|300px|right|[[中正紀念堂]]]]
 
; [[中正紀念堂]]
 
: 台北市の中正区にある中正紀念堂は、1975年に死去した初代総統・蒋介石の業績を称えるために建てられた高さ70メートルの建築物であり、紀念館の外観には中華民国の思想が視覚的に反映されている。
 
; [[国立故宮博物院]]
 
: [[台北市]]の士林区にある国立故宮博物院は、国共内戦に敗れた中華民国政府が台湾へと撤退する際に、北京の故宮(旧[[紫禁城]])と南京の[[南京博物院|国立中央博物院]]から持ち運んだ中国歴代の貴重な美術品を収納・展示している[[博物館]]である。
 
 
 
: 国立故宮博物院のコレクションは、宋、元、明、清の歴代宮廷の収蔵文物を継承しており、その内容も数も極めて豊富である。これらの文物の発展は、近代中国社会の変遷と密接な関係がある。中華民国が建国されて13年後、清朝を退位した溥儀皇帝を紫禁城から追放し、宮廷にあった文物を点検すると同時に、故宮博物院を設立した。
 
 
 
: 1925年10月10日、故宮博物院が正式に設立された。この時から、歴代皇室と宮廷が所蔵していた貴重な文物は、中華文化遺産として永く後世に伝えられることとなり、全ての人々が自由に宮廷に出入りし、国の至宝を鑑賞できるようになった。初代院長は易培基(1880-1973)氏で、1925-1931年は北平故宮博物院の啓蒙の時代であるといえる。
 
 
 
=== 象徴的な施設 ===
 
[[File:R9_ZhongShan_S._Rd._Wiki.jpg|right|thumb|250px|[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]は[[三線道路]]の一部だった[[台北市]]の[[中山南路 (台北市)|中山南路]]]]
 
; [[台湾桃園国際空港]]
 
: [[桃園県]]にある[[台湾桃園国際空港]] は、中華民国最大の[[国際空港]]である。以前は、中華民国の初代総統である[[蒋介石]]の本名から取った'''中正国際空港'''(英語名は蒋介石の英語 Chiang Kai-Shekの頭文字から'''C. K. S. airport'''、チャイナエアラインの機内放送(日本語)では「蒋介石国際空港」と紹介していた)であった。しかし台湾[[複数政党制]]の導入を経て、さらに[[中国国民党]]が下野してからは、この名称を用いることに批判的な論調が増え、最終的に[[2006年]]に台湾桃園国際空港と改称された。
 
; [[台北101]]
 
: 台北市信義区にある超高層ビル。高さ508mで地上101階+地下5階から成る。旧称は「台北国際金融センター(臺北國際金融大樓)」。7年間の工期を経て[[2004年]]、それまで世界一だった[[マレーシア]]([[クアラルンプール]])の[[ペトロナスツインタワー]]を超える建築物として竣工した。コンサートやイベントで使用される「台北'''南港101'''」は、これとは別の施設。
 
; 道路名
 
: 中華民国の道路名は、「[[中山路]]」(中山は国父とされる[[孫文]]の中国語圏で最も知られる名前)、「[[中正路]]」(中正は初代総統である蒋介石の本名)といった国家指導者の名を冠したものや、「民族路」、「民權路」と「民生路」といった国家の基本思想である[[三民主義]]に基づくもの、「南京路」「重慶路」「杭州路」といった中国大陸の地名を冠したものが多数を占めている。ただ、21世紀初頭では中華民国の「台湾化」の影響から、[[台湾原住民|台湾原住民族]]の名に由来する[[凱達格蘭大道]]([[ケタガラン族|ケタガラン]]大道の意、[[台北市]])のように台湾に由来のある道路名も登場している。
 
 
 
=== 食文化 ===
 
{{Main|中華料理|台湾料理|中華街}}
 
 
 
==== 世界遺産登録 ====
 
{{Main|台湾#世界遺産候補}}
 
中華民国は、[[国際連合]]から脱退しているため、[[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ)への加盟を認められておらず、[[世界遺産]]が一つも登録されていない。しかし、陳水扁政権発足後から、[[行政院]]を中心に世界遺産登録を目指す動きが活発化しており、[[2003年]]には世界遺産登録候補地として12か所が選定されている。
 
 
 
=== 暦と祝祭日 ===
 
{{Main|民国紀元|台湾の祝祭日}}
 
中華民国では、建国年である[[1912年]]を元年とする'''民国紀元'''を[[西暦]]と併用している。民国紀元は中華民国における行政の公式暦法とされ、一般に誕生年も「民国N年」「民前N年([[1911年]]以前)」と表現される。民国紀元も太陽暦によるが、祝日(國定假日)、民間の年中行事は[[旧暦]]で行うものもあり、日常生活では併用されている。2016年完全週休二日制度を実施した、労働者にも公務員(2001年に開始され)と同様の完全週休二日制が実施された。合計9日の祝日がある。
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
 
{{Reflist}}
 
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
 
* 若林正丈『台湾の政治——中華民国台湾化の戦後史』東京大学出版会 2008年 ISBN 9784130301466
 
* 若林正丈『台湾——分裂国家と民主化』東京大学出版会, 1992年
 
* 酒井亨『「親日」台湾の幻想』 扶桑社 2010年
 
* 黄霊芝/下岡友加 編『戦後台湾の日本語文学 黄霊芝小説選』 渓水社 2012 ISBN 9784863271869
 
* 松岡格『台湾原住民社会の地方化ーーマイノリティの20世紀 』研文出版 2012年 ISBN 9784876363421
 
* 龍應台著、天野健太郎訳 『台湾海峡一九四九』 白水社 2012年 ISBN 9784560082164
 
* 川上桃子『圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会 2012年 ISBN 9784815807030
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
* [[中国関係記事の一覧]]
 
* [[中華民国の歴史]]
 
* [[中華民国におけるLGBTの権利]]
 
 
* [[台湾]]
 
* [[台湾]]
* [[台湾関係記事の一覧]]
 
* [[Taiwan Today]](今日台湾)政府が開設したニュースサイト
 
* [[事実上独立した地域一覧]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{sisterlinks
 
| commons = 中華民國
 
| commonscat = Republic of China
 
| s = Category:中華民国
 
| voy = Taiwan
 
| d = Q865
 
}}
 
; 政府
 
 
:* [http://www.gov.tw/ 我的E政府] - 中華民国の政府総合サイト {{zh icon}}{{en icon}}
 
:* [http://www.gov.tw/ 我的E政府] - 中華民国の政府総合サイト {{zh icon}}{{en icon}}
:* [http://www.president.gov.tw/ 中華民国総統府] {{zh icon}}{{en icon}}
 
:* [http://www.taiwanembassy.org/JP/mp.asp?mp=202 台北駐日経済文化代表処] - 実質的に日本における中華民国の大使館、領事館の機能を果たす {{ja icon}}
 
:
 
; 日本政府
 
:* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taiwan/ 日本外務省 - 台湾] {{ja icon}}
 
:* [http://www.koryu.or.jp/ 公益財団法人日本台湾交流協会] - 実質的に中華民国における日本大使館の機能を果たす
 
; 観光
 
 
:* [http://www.taiwan.net.tw/ 台湾交通部観光局] {{zh icon}}{{en icon}}{{ja icon}}{{ko icon}}{{de icon}}{{fr icon}}{{es icon}}{{nl icon}}
 
:* [http://www.taiwan.net.tw/ 台湾交通部観光局] {{zh icon}}{{en icon}}{{ja icon}}{{ko icon}}{{de icon}}{{fr icon}}{{es icon}}{{nl icon}}
:* {{Wikivoyage-inline|zh:臺灣|中華民国{{zh-hk icon}}}}
 
:* {{Wikivoyage-inline|en:Taiwan|中華民国{{en icon}}}}
 
:
 
; その他
 
:* [http://www.jetro.go.jp/world/asia/tw/ JETRO - 台湾] {{ja icon}}
 
:* [http://www.youtube.com/watch?v=0bhe1EnfU5c&feature=related: Youtube 中華民国国歌]
 
:* {{CIA World Factbook link|tw|Taiwan}} {{en icon}}
 
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:* {{wikiatlas|Taiwan}} {{en icon}}
 
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''このページは[[プロジェクト:国|ウィキプロジェクト 国]]のテンプレートを使用しています。''
 
  
{{先代次代|[[台湾の歴史]]|'''中華民国'''<br />1945年-現在|[[日本統治時代の台湾|日本統治時代]]<br />1895年-1945年|-}}
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{{先代次代|[[台湾の歴史]]|'''中華民国'''<br />1945年-現在|日本統治時代<br />1895年-1945年|-}}
  
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2018/8/19/ (日) 20:36時点における版

中華民国
中華民國
国の標語:なし
公用語 中華民国国語(台湾国語)[1]
首都 台北市[2][3][4]
最大の都市 新北市

面積

総計 36,189.505km2134位
水面積率 10.3%

人口

総計(2018年 23,571,990人(56位
人口密度 650.95人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2018年 18兆9354億新台湾ドル (NT$)
GDP (MER)

合計(2018年 6132,95億ドル(22位
GDP (PPP)

合計(2018年1兆2348億ドル(22位
1人あたり 52,304ドル
建国

辛亥革命勃発1911年10月10日
建国宣言1912年1月1日
北伐完了1928年12月29日
台湾光復1945年10月25日
台北遷都1949年12月7日
通貨 新台湾ドル (NT$) (TWD)
時間帯 UTC +8(DST:なし)
ISO 3166-1 TW / TWN
ccTLD .tw
国際電話番号 886

中華民国(ちゅうかみんこく)

辛亥革命の結果,清朝に代って中国に成立した共和国の国号。 1912年1月に孫文を臨時大総統として成立したが,次いで袁世凱が大総統となり,以後軍閥戦争が繰返された。孫文の指導する国民党は 1924年中国共産党と提携,反封建の目的を果すため「北伐」,すなわち北方軍閥の討伐に乗出した。しかし孫文の没後,蒋介石を中心とする国民党右派は,帝国主義諸国と結んで上海クーデターにより 1928年正式に国民政府を樹立し,中国を統一した。

国民政府は共産党を弾圧したが,その後日本の侵略が激化すると 38年3月「抗戦建国綱領」を制定し,第2次国共合作が成立した。

しかし依然として国共の対立は続き,1945年8月の日中戦争終了ののち内戦が激化,1949年 10月北京中華人民共和国が成立すると国民党政府は台湾に渡り,今日まで中華民国と称している。

1971年10月中華人民共和国が国際連合での合法的権利を回復したことにより,国民党政府は国連脱退を声明,1972年9月中華人民共和国と日本との国交正常化により,対日断交を宣言した。

1992年8月,中韓国交樹立による韓国との断交で,アジアで国交を有する国はなくなった。

脚注

  1. 公共交通機関での放送言語として台湾語客家語も指定されている。
  2. 中華民国の首都を定める法令は現存しない.
  3. 台北案内 - 歴史と政治公益財団法人日本台湾交流協会台北事務所)
  4. 臺灣簡史>國際危機與兩岸關係(中華民国行政院新聞局

関連項目

外部リンク

  • 我的E政府 - 中華民国の政府総合サイト (中国語)(英語)
  • 台湾交通部観光局 (中国語)(英語)(日本語)(朝鮮語)(ドイツ語)(フランス語)(スペイン語)(オランダ語)
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