三浦恭資

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三浦 恭資(みうら きょうし、1961年1月9日 - )は、日本自転車プロロードレーサー。佐賀県鳥栖市出身。日本では「キング」と呼ばれる[1]マウンテンバイク(クロスカントリー)でも活躍し、オリンピックに出場した。現在は日本代表チームの監督も務める。

来歴

中学時代にツール・ド・フランスのテレビ放送をきっかけに自転車に目覚め、鳥栖工業高2年でインターハイに出場。卒業後、多くの実業団で活躍し、フランス、オランダ、アメリカなどでも活動。

1987年スイスのティーグラー、翌1988年エリートチームのマビックティチノビッタと契約。同年、ソウル五輪に出場。1990年のツール・ド・おきなわと1991年の宇都宮国際ロードレース(現・ジャパンカップサイクルロードレース)で優勝。1994年から1997年まで、ベルギーのサクソントニスタイナーでプロ契約選手として活動。MTBでもアジア王座を獲得し、アトランタ五輪に出場。シドニー五輪にもコーチとして参加。

2000年に「キナンCCD」を設立。UCIコンチネンタルプロチーム設立に参加。2002年には台湾チーム「GIANT A.R.T.」設立に参加。2007年現在も現役選手でありつつ、日本のナショナルチーム監督を務めている。

2009年にはツール・ド・おきなわ市民レース130キロメートル部門に出場し、スプリント勝負を制して優勝している[2]

2010年、台湾で行われたレースにて優勝したが、レース中に関係車両につかまっていたことが判明し、優勝を剥奪されている[3][4]

外部リンク