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『'''三教指帰'''』(さんごうしき、さんごうしいき)は、[[空海]]による、宗教的寓意小説に仮託した出家宣言の書。
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『'''三教指帰'''』(さんごうしき、さんごうしいき)
  
== 「聾瞽指帰」から「三教指帰」へ ==
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平安初期の仏教書。3巻。空海24歳のときの著作。延暦(えんりゃく)16年(797)12月1日の手記がある。序文では自伝を述べ、出家を宣言する。上巻では亀毛(きもう)先生が儒教の立身出世の道を説き、中巻では虚亡隠士(きょぶいんし)が道教の不老不死の神仙(しんせん)術を述べる。下巻は空海の自画像と思われる仮名乞児(かめいこつじ)が登場して、無常の賦(ふ)、受報の詞(ことば)、生死海(しょうじかい)の賦などを唱え、すべてのものに対する仏の慈悲の教えこそもっとも優れたものであるとする。他の2人の人物は仮名乞児の説く仏教に服し、終わりに3人が十韻の詩を合唱して幕が下りるという構成。詩の趣旨は、人々の性向、素質、能力に応じて、それぞれに儒教、道教、仏教などさまざまな教えがあるが、そのなかですべての者を救済する大乗仏教が優れている、と説く。本書は中国六朝(りくちょう)から唐代にかけて行われた四六駢儷体(しろくべんれいたい)で書かれた思想劇であり、わが国漢文学史上の白眉(はくび)とされる。なお、別本に空海の真筆『聾瞽指帰(ろうこしいき)』3巻(国宝)があり、『三教指帰』の草本といわれる。
序文から、[[延暦]]16年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]([[797年]][[12月23日]])に成立していることがわかる。空海が24歳の著作であり、出家を反対する親族に対する出家宣言の書とされている。ただし、この時の題名は『'''聾瞽指帰'''』(ろうこしいき)であり、空海自筆とされるものが現在も[[金剛峯寺]]に伝えられて[[国宝]]に指定されている。その後、[[天長]]年間に同書を序文と十韻詩の改訂して朝廷に献上した際に書名を『三教指帰』に改めたと考えられている。阿部龍一は『聾瞽指帰』の改訂には50代になった空海の心境の変化や仏教思想の深化(特に「真言」への理解)を反映させるとともに、社会的地位の変化に伴って『聾瞽指帰』の特に序文に記された当時の律令国家においては反社会的な性格を有する儒教批判・[[文章経国主義]]批判を抑制したものになっている(阿部は周囲との対立を乗り越えて仏教を最上のものとして体制の統治イデオロギーであった儒教を捨ててその外側に出る決意を文章にした『聾瞽指帰』の執筆時と、体制の内側において密教の朝廷への導入を進めている中で体制の統治イデオロギーであった儒教との相互協力を打ち出す必要があった校訂及び『三教指帰』への改題時の違いと評する)。そして、朝廷に献上された『三教指帰』が宮廷で広く読まれたことが『[[続日本後紀]]』承和2年3月25日条に記された空海の薨伝から分かる。また、任官試験の1つである[[対策]]においても三教の関係について問われる場合も多く、『三教指帰』を読むことは当時の貴族社会においては実用的な意味も有していた<ref name=abe>阿部龍一「『聾瞽指帰』の再評価と山林の言説」根本誠二 他編『奈良平安時代の〈知〉の相関』(岩田書院、2015年) ISBN 978-4-87294-889-9</ref>。
 
  
流麗な四六[[駢儷体]]で書かれている。[[蛭牙公子]]、[[兎角公]]、[[亀毛先生]]、[[虚亡隠士]]、[[仮名乞児]]の5人による対話討論形式で叙述され、[[戯曲]]のような構成となっている。亀毛先生は[[儒教]]を支持しているが、虚亡隠士の支持する[[道教]]によって批判される。最後に、その道教の教えも、仮名乞児が支持する[[仏教]]によって論破され、仏教の教えが儒教・道教・仏教の[[三教]]の中で最善であることが示されている。[[弁証法]]的な手法によって、仏教が論理的に称揚されている。日本における最初の比較思想論であり、思想の主体的実存的な選択を展開した著作である。<ref>『日本思想全史』清水正之88頁</ref>
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== 評価 ==
 
[[宗教学者]]の[[島薗進]]は、本書における[[儒教]]と[[道教]]の記述が仏教の記述と比べて不十分かつ深みがないと指摘している<ref>島薗進『宗教学の名著30』28頁([[ちくま新書]]、2008年)</ref>。しかし、本書は3つの宗教を比較し、空海自身とそれらとの関係について考察しているため、日本における宗教学の先駆けと位置付けることができるとしている<ref>島薗進『宗教学の名著30』27-34頁(ちくま新書、2008年)</ref>。
 
 
 
阿部龍一は、改訂前の『聾瞽指帰』に対するこれまでの内容面に対する評価の低さや後世における空海が真言宗の開祖・弘法大師であることを前提とした研究を批判し、空海出家時の心境や密教との出会い、出家当時の仏教環境などを知る上で重要な資料であるとしている<ref name=abe/>。
 
 
 
== 古注釈書 ==
 
* [[三教指帰注集]]
 
* [[三教勘注抄]]
 
* [[三教指帰注]]
 
* [[三教指帰註抄]]
 
 
 
== 主な訳注文献 ==
 
* 『三教指帰』([[加藤精神]]訳註、[[岩波文庫]]、1935年) [[角川文庫]]版は子と孫。
 
* 『弘法大師著作全集 第三巻』[[勝又俊教]]編(山喜房佛書林、1973年)
 
* 『三教指帰 性霊集』[[渡辺照宏]]・[[宮坂宥勝]]校注 〈[[日本古典文学大系]]71〉([[岩波書店]]、1965年)
 
* 『弘法大師 空海全集 第六巻』(山本智教訳注、[[筑摩書房]]、1984年、再版2001年)
 
* 『三教指帰 文鏡秘府論・序』([[福永光司]]訳注、[[中公クラシックス]]、2003年)
 
* 『空海 三教指帰』(加藤純隆、加藤精一訳注、[[角川ソフィア文庫]]、2007年)
 
 
 
== 出典 ==
 
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== 関連項目 ==
 
* [[十住心論]]
 
* [[三教]]
 
* [[レーゼドラマ]]
 
 
 
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[[Category:中国の宗教]]
 
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2019/4/28/ (日) 18:40時点における最新版

江戸時代の刊本。巻中 「虚亡隠士(きょぶいんし)論」 空海著 1697年(元禄10)刊 国立国会図書館所蔵.jpg

三教指帰』(さんごうしき、さんごうしいき)

平安初期の仏教書。3巻。空海24歳のときの著作。延暦(えんりゃく)16年(797)12月1日の手記がある。序文では自伝を述べ、出家を宣言する。上巻では亀毛(きもう)先生が儒教の立身出世の道を説き、中巻では虚亡隠士(きょぶいんし)が道教の不老不死の神仙(しんせん)術を述べる。下巻は空海の自画像と思われる仮名乞児(かめいこつじ)が登場して、無常の賦(ふ)、受報の詞(ことば)、生死海(しょうじかい)の賦などを唱え、すべてのものに対する仏の慈悲の教えこそもっとも優れたものであるとする。他の2人の人物は仮名乞児の説く仏教に服し、終わりに3人が十韻の詩を合唱して幕が下りるという構成。詩の趣旨は、人々の性向、素質、能力に応じて、それぞれに儒教、道教、仏教などさまざまな教えがあるが、そのなかですべての者を救済する大乗仏教が優れている、と説く。本書は中国六朝(りくちょう)から唐代にかけて行われた四六駢儷体(しろくべんれいたい)で書かれた思想劇であり、わが国漢文学史上の白眉(はくび)とされる。なお、別本に空海の真筆『聾瞽指帰(ろうこしいき)』3巻(国宝)があり、『三教指帰』の草本といわれる。



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