ヨハネス10世 (ローマ教皇)

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ヨハネス10世Ioannes X860年頃 - 928年6月)は、ローマ教皇(在位:914年3月 - 928年5月)。教会慣用名はヨハネ[1]

人物略歴

イタリアトッシニャーノ生まれ。教皇登位は914年3月であった[1]クレモナ司教リウトプランドによると、ラヴェンナ大司教であった時より、ローマの有力貴族テオフィラットの妻テオドラと関係があったとされ、その真偽は定かではないが、教皇登位後もテオフィラットの強い支持を受けた。しかし、テオフィラット夫妻が920年代初めに死去すると、やがてイタリア王ウーゴと接近するようになった。しかし、のちのローマ教皇ヨハネス11世の母で、テオドラの娘であったマロツィアトスカーナ辺境伯グイードと結婚しており、マロツィアとグイードはウーゴの勢力の増大を望まなかった。そのため、最終的にヨハネスは、マロツィア夫妻により獄死に追い込まれた[2]。928年6月のことであった。

脚注

  1. 1.0 1.1 小林(1966)巻末「歴代法王表」p.5
  2. 『クロニック世界全史』(1994)p.256

参考文献

関連項目