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'''ニジェール共和国'''(ニジェールきょうわこく、{{Lang-fr|République du Niger}})、通称'''ニジェール'''は、[[西アフリカ]]の[[サハラ砂漠]]南縁の[[サヘル]]地帯に位置する[[共和制]][[国家]]。[[首都]]は[[ニアメ]]。[[内陸国]]であり、[[アルジェリア]]、[[マリ共和国|マリ]]、[[ブルキナファソ]]、[[ベナン]]、[[ナイジェリア]]、[[チャド]]、[[リビア]]と隣接する。
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'''ニジェール共和国'''(ニジェールきょうわこく、{{Lang-fr|République du Niger}})、通称'''ニジェール'''
  
== 国名 ==
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アフリカ大陸中西部の内陸国。北はアルジェリア,リビア,東はチャド,南はナイジェリア,ベナン,西はブルキナファソ,マリに国境を接する。中部の牧畜可能なステップ地帯,南部の農耕可能なサバナ地帯を除くと国土の大半はサハラ砂漠。年平均気温は地域により最低-2~16℃,最高 46~50℃。 14世紀頃からガーナ,ソンガイ,マリ,ハウサなどの諸王国が栄えたが,18世紀末からヨーロッパ人が進出,1890年イギリスとフランスによる植民地分割の協定の結果,最終的に 1904年に現在の国境が定められた。当初はフランス領スーダン (現マリ) に属したが,1922年フランス領西アフリカの一部,1946年フランス海外領,1958年フランス共同体内の自治国となり,1960年独立。農業と牧畜を主とし,人口が集中する南部では,[[ハウサ族]]などがラッカセイ,ワタ,自給用の穀物などを栽培。中部,北部はプール族 ([[フルベ族]] ) ,ベルベル族 ([[ベルベル人]] ) [[トゥアレグ族]]などがヤギ,ウシを主とする遊牧を営む。しかし 1970年代以降,干魃やイナゴの害に悩まされ,食糧自給は達成されていない。中北部のアルリトなどアイル山地でウラン,スズを産し,スズはナイジェリアへ,ウランはフランス,イタリア,ドイツ,日本へ輸出。ほかの主要輸出品はラッカセイ,綿花,皮革製品,家畜など。鉄,タングステンなどの鉱脈も有望で,開発が期待されている。輸出はベナンのコトヌー港と結ぶ鉄道・道路輸送に依存。ウラン採掘には日本の企業も参加している。住民はハウサ族が約 50%,ほかはジェルマ=ソンガイ族,プール族,トゥアレグ族など。大部分がイスラム教徒。公用語はフランス語であるが,[[ハウサ語]],ジェルマ語も広く用いられる。
正式名称はフランス語で、{{Lang|fr|''République du Niger''}}(レピュブリク・デュ・ニジェール)。通称、{{Lang|fr|''Niger''}}。公式の英語表記は、{{Lang|en|''Republic of Niger''}}(リパブリク・オヴ・ナイジャもしくはニージェア)。通称、{{Lang|en|''Niger''}}。日本語の表記は、'''ニジェール共和国'''。通称、'''ニジェール'''。
+
 
 
国名の由来は、国内を流れる[[ニジェール川]]より。ニジェール川の語源は、遊牧民[[トゥアレグ族]]により、この川がニエジーレン(n'egiren)「川」、またはエジーレン(egiren)「川」と呼ばれていたことによる。これがフランス人に伝えられ、[[ラテン語]]で「黒」を意味するニジェール(niger)と転訛した。
 
 
 
ニジェール (Niger) とナイジェリア(Nigeria) は本来は同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に、現在のように別の国を指すこととなった。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{main|{{仮リンク|ニジェールの歴史|en|History of Niger}}}}
 
[[File:Photo1906 Zinder overview.jpg|thumb|フランス要塞から写した旧首都[[ザンデール]]([[1906年]])]]
 
 
 
=== ソンガイ帝国 ===
 
9世紀頃、ニジェール川流域に[[ソンガイ帝国]]が興った。早くから北アフリカとの交易があり、イスラム化が進んでいた。13世紀に[[ハウサ人]]の[[ハウサ諸王国]]が都市国家群を建設した。14世紀には[[マリ帝国]]の地方領となった。
 
16世紀前半にはソンガイ帝国に支配されたが、世紀末には帝国がモロッコに敗れ、崩壊した。
 
 
 
=== フランス植民地時代 ===
 
19世紀末には、イギリスとフランスが進出し、[[1898年]]両国の協定によって[[フランス]]が[[20世紀]]までに全土を領有([[フランス領西アフリカ]])。フランスは{{仮リンク|ザルマ人|en|Zarma people|label=ジェルマ人}}を優遇し、最大民族の[[ハウサ人]]などを支配させる政策を採った。[[1900年]]には[[:en:Sultanate of Agadez]]([[1449年]]-[[1900年]])も併合された。[[1916年]]、[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]の貴族[[:en:Ag Mohammed Wau Teguidda Kaocen|Kaocen Ag Mohammed]]が[[アガデス]]で蜂起した([[:en:Kaocen Revolt]])。翌年、反乱はフランス軍に鎮圧された。[[1922年]]に[[フランス領西アフリカ]]の一部に再編された。[[1926年]]、ハウサ人が多数派の[[ザンデール]]からジェルマ人が多い[[ニアメ]]に行政機能が移され、遷都した。
 
 
 
=== 独立・ディオリ政権 ===
 
[[1958年]]自治国となり、[[1960年]][[8月3日]]に[[共和国]]として独立し、初代大統領には[[アマニ・ディオリ]]が就任した。
 
独立によって[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]居住地は、[[マリ共和国]]・[[アルジェリア]]・ニジェールに分割されて抗議の声が高まり、さらに冷戦下で重要性の高まっていた[[アガデス州]]の[[アーリット]]と[[アクータ鉱山]]から産出する[[ウラン]]の軍事的重要性などの複合的な要因から、{{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (1962年-1964年)|en|Tuareg rebellion (1962–64)}} が勃発した。産出するウランの一部は、フランスに輸出され、そこで濃縮されたものが日本に持ち込まれている。
 
 
 
=== 軍政期(最高軍事評議会) ===
 
[[1974年]]4月、[[陸軍]]の[[セイニ・クンチェ]]参謀長が[[クーデター]]で軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。[[憲法]]は停止され、[[議会]]・[[政党]]活動も中止。[[1987年]][[11月]]にはクンチェが死亡し、[[アリー・セブ]]が後継者となった。
 
 
 
=== セブ政権 ===
 
[[1989年]]9月の国民投票で新憲法が承認され、12月の選挙で[[アリー・セブ]]が[[大統領]]が選出され、形式的に民政移管。[[1990年]]、中央政府の資源独占に不満を持つ[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]と{{仮リンク|トゥーブゥー人|en|Toubou people|label=トゥーブゥー族}}の反政府勢力との間で{{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)|en|Tuareg rebellion (1990–95)}} が勃発。
 
 
 
=== ウスマン政権 ===
 
[[11月]]に[[複数政党制]]を導入。12月に新憲法を国民投票で承認。[[1993年]][[2月]]の議会選で6党の連合体「変革勢力同盟」が、軍事政権時代の[[与党]]「[[社会発展国民運動]](MNSD)に大差で勝利。3月の大統領選では[[民主社会会議]](CDS)の[[マハマヌ・ウスマン]]党首が当選。4月に[[マハマドゥ・イスフ]]が首相に就任。
 
 
 
[[1995年]]1月の総選挙では MNSD などの[[野党]]連合が勝利し、2月に{{仮リンク|ハマ・アマドゥ|en|Hama Amadou}}MNSD書記長が[[首相]]就任。4月、自治を求める[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]および{{仮リンク|トゥーブゥー人|en|Toubou people|label=トゥーブゥー族}}反政府勢力と和平合意。
 
 
 
=== 軍政期(救国委員会) ===
 
[[1996年]]1月、軍のクーデターで[[イブライム・バレ・マイナサラ]]陸軍参謀長を議長とする「救国委員会」が軍事政権を樹立。
 
 
 
=== マイナサラ政権 ===
 
7月の大統領選でマイナサラ議長がウスマン前大統領をやぶり当選。12月マイナサラ大統領は救国委員会を解散、{{仮リンク|アマドゥ・シセ|en|Amadou Cissé}}前経済相を首相に任命したが、[[1997年]]11月には野党との対立やストライキ問題を解決できないとして解任、{{仮リンク|イブライム・ハッサン・マヤキ|en|Ibrahim Hassane Mayaki}}外相を新首相に。
 
 
 
=== 軍政期(国家和解評議会) ===
 
[[1999年]]4月、再び軍がクーデターを起こし、大統領警護隊がニアメの空港でマイナサラ大統領を銃殺した。そして警護隊隊長の[[ダオダ・マラム・ワンケ]]少佐を議長とする軍事政権「国家和解評議会」が実権を掌握。議会を解散し、憲法を停止した。軍事政権による憲法草案の是非を問う国民投票が7月行われ、約90%の支持で承認された。新憲法は大統領と首相の権力分担を規定。
 
 
 
=== ママドゥ政権 ===
 
[[File:Nigerien MNJ fighter technical gun.JPG|thumb|{{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)|en|Tuareg rebellion (2007–09)}}]]
 
 
 
10月の大統領選で軍の元幹部で MNSD党員の[[タンジャ・ママドゥ]]が当選した。ママドゥ大統領は12月、MNSD書記長の{{仮リンク|ハマ・アマドゥ|en|Hama Amadou}}元首相を首相に任命した。
 
 
 
[[2000年]]3月、[[マハマドゥ・イスフ]]元首相が率いる[[ニジェール民主社会主義党]](PNDS)を中心とした野党勢力が「民主勢力連合」(CFD) を結成。6月 MNSD など大統領支持勢力が議会多数派の「民主勢力同盟」(AFD) を結成した。[[2001年]]2月、[[大学]]への政府補助金50%以上削減に抗議した学生が各地でデモ、警官隊と衝突。政府は{{仮リンク|アブドゥ・ムムニ大学|en|Abdou Moumouni University}}(旧ニアメ大学)を閉鎖。4月マイナサラ大統領銃殺事件の捜査を求める支持者ら数千人が首都でデモ。[[2002年]]7月、賃金や待遇に抗議した軍兵士が南東部の[[ディファ]]で反乱を起こし、[[ラジオ]]局を占拠。政府は同月のうちに、ディファに非常事態宣言を発令した。反乱は8月にはニアメにも拡大したが、政府軍が鎮圧。200人以上の兵士が逮捕された。
 
 
 
[[ニジェール川]]の{{仮リンク|レテ島|en|Lete Island}}の帰属問題をめぐり、[[ベナン]]と[[国境]]紛争を抱える。[[2000年]][[5月]]、島に建設中のベナン政府施設をニジェール軍が破壊。6月に双方が会談したが決裂し、[[アフリカ統一機構]](OAU、現[[アフリカ連合]])などに仲裁を要請し[[2001年]][[6月]]、両国は結論を[[国際司法裁判所]](ICJ)の判断にゆだねることで合意した。
 
 
 
[[2004年]]末の大雨で[[サバクトビバッタ]]が発生した結果(「{{仮リンク|サバクトビバッタの大量発生 (2004年)|en|2004 Africa locust infestation|label=サバクトビバッタの大量発生}}([[2003年]] - [[2005年]])」、「[[サバクトビバッタ#2003-2005年の蝗害|2003-2005年の蝗害]]」)、[[マラディ]]、[[タウア]]、[[ティラベリ]]、[[ザンデール]]で「{{仮リンク|ニジェール食料危機 (2005年-2006年)|en|2005–06 Niger food crisis}}」が起こった({{仮リンク|サヘル旱魃|en|Sahel drought}}を参照)。[[2007年]]には{{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)|en|Tuareg rebellion (2007–09)}} が勃発した。
 
 
 
ママドゥ大統領は[[2009年]][[8月4日]]に新憲法制定に関する国民投票を行うと表明した。[[憲法裁判所]]は違法な決定と判断したが、ママドゥは憲法裁判所を解散させ、投票を強行する構えを見せた[[:en:Nigerien_constitutional_referendum,_2009|[:en]]]。この国民投票は予定通り実施され、新憲法は採択された。これにより、[[2012年]]の新憲法施行までの3年間、ママドゥが現行憲法のもとで引き続き政権を率いることになり、更に現行憲法に存在した3選禁止規定が新憲法では削除されたことで、2012年以降もママドゥが大統領職に留まり続ける可能性が出てきた。
 
 
 
=== 軍政期(民主主義復興最高評議会) ===
 
[[2010年]]2月、ママドゥ大統領が3期目を目指し任期延長を強行しようとしたことから、国内の緊張が悪化。[[2月18日]]、再び軍が[[ニジェール軍事クーデター (2010年)|クーデター]]を起こし、軍が大統領と閣僚を拘束。国軍高官が憲法の停止を宣言し、「[[民主主義復興最高評議会]](Supreme Council for the Restoration of Democracy、CSRD)」による軍事政権の樹立を宣言し、憲法の停止と政府の解散の宣言、国境の閉鎖、夜間外出の禁止を発令した<ref>[http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2697873/5357641 ニジェールでクーデター、「民主主義の回復を」] AFPBB News 2010年2月19日閲覧。</ref>。このクーデターに対し国際社会は批判を強めているが、一方で数千人の市民が軍の兵舎の周囲に集まり「軍万歳」などと叫びながら軍事政権への支持を示すなど国民はクーデターを歓迎しているという<ref>[http://www.afpbb.com/article/politics/2698497/5358444 ニジェールのクーデターに国際社会の非難強まる、国民はクーデターを歓迎]AFPBB News 2010年2月20日</ref>。[[サル・ジボ]]が暫定国家元首に就任した。
 
 
 
=== イスフ政権 ===
 
[[2011年]][[4月7日]]、選挙による新大統領に[[マハマドゥ・イスフ]]が選ばれた。
 
 
 
== 政治 ==
 
[[File:Mahamadou Issoufou-IMG 3628.jpg|thumb|200px|[[マハマドゥ・イスフ]]大統領]]
 
<!-- ''詳細は[[ニジェールの政治]]を参照'' -->
 
ニジェールは[[共和制]]・[[半大統領制]]をとる立憲国家で、現行[[憲法]]は[[1999年]][[7月18日]]に制定されたもの。[[2009年]][[8月4日]]に新憲法に関する国民投票が実施され、賛成多数で承認されたことにより[[2012年]]に半大統領制から完全な[[大統領制]]へと移行することが決まっていたが、2010年クーデターにより今後の展望は不透明である。
 
 
 
=== 元首 ===
 
{{See also|ニジェールの大統領}}
 
 
 
[[元首|国家元首]]である[[大統領]]は[[国民]]の直接選挙により選出され、任期は5年。3選禁止の規定があったが、2009年の新憲法承認により再選制限は撤廃された。
 
 
 
=== 行政 ===
 
{{See also|ニジェールの首相}}
 
 
 
[[首相]]および[[閣僚]]は大統領により任命される。
 
 
 
=== 立法 ===
 
{{See also|ニジェールの政党}}
 
 
 
[[立法]]府は[[一院制]]で、正式名称は「[[国民議会 (ニジェール)|国民議会]]」。定数は113議席で、議員は国民の直接選挙により選出される。113議席のうち105議席は民族や地域に関係なく[[政党名簿比例代表]]制度により、残り8議席は[[小選挙区制]]により[[少数民族]]から選出される。議員の任期は5年である。5%以上の投票が得られない政党には議席は配分されない。
 
 
 
ニジェールは[[複数政党制]]が機能しており、中でも[[中道右派]]の[[社会発展国民運動]](MNSD)、[[左派]]の[[ニジェール民主社会主義党]]、そして[[中道政治|中道]]の[[民主社会会議]](CDS)の3党が有力である。
 
 
 
=== 司法 ===
 
{{節スタブ}}
 
 
 
== 軍事 ==
 
選抜[[徴兵制]]。兵役は2年。陸軍5,200人、空軍100人、憲兵隊1,400人、共和国警備隊2,500人、国家警察隊1,500人。2002年の国防予算は3,300万ドル。
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
[[ファイル:Niger departments named.png|thumb|250px|ニジェールの地方行政区分]]
 
{{Main|ニジェールの行政区画}}
 
 
 
ニジェールは7つの州 (région) と1つの首都特別区 (capital district) から構成されている。
 
 
 
* [[ニアメ|ニアメ首都特別区]] (Niamey capital district)
 
* [[アガデス州]] (Agadez)
 
* [[ディファ州]] (Diffa)
 
* [[ドッソ州]] (Dosso)
 
* [[マラディ州]] (Maradi)
 
* [[タウア州]] (Tahoua)
 
* [[ティラベリ州]] (Tillabéri)
 
* [[ザンデール州]] (Zinder)
 
 
 
===主要都市===
 
{{Main|ニジェールの都市の一覧}}
 
主要な都市は[[ニアメ]](首都)、[[ザンデール]]、[[マラディ]]がある。
 
 
 
== 地理 ==
 
[[Image:Niger Topography.png|thumb|250px|地形図]]
 
<!-- ''詳細は[[ニジェールの地理]]を参照'' -->
 
国土の3分の2を[[砂漠]]が占め、北部は乾燥している。南部は[[ステップ気候]] (BS) に属し、6月~10月が雨季に当たり多湿。農耕は南部に限られるものの、南部全域が[[サヘル]]地帯に属しており、近年[[砂漠化]]が激しい。最高地点は中央部のイドゥカル・ン・タジェ山 (別称バグザン山、標高2022m) で、最低地点はニジェール川の標高200mである。
 
 
 
== 経済 ==
 
<!-- ''詳細は[[ニジェールの経済]]を参照'' -->
 
[[ファイル:Niamey from grand mosque theatre 2006.jpg|thumb|left|首都[[ニアメ]]]]
 
[[農業]]、[[畜産|畜産業]]、[[鉱業]]が主産業。[[後発開発途上国|世界最貧国]]の1つでもある。
 
 
 
農業は自給農業が中心で、南部に限られる。降雨量は少なく[[灌漑]]も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業である。そのため降雨量に収量は大きく左右され、しばしば[[旱魃]]が起こる。
 
 
 
鉱業の主力である[[ウラン]]は確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇っている。[[アクータ鉱山]]など、日本にもゆかりのある鉱山があり、ウラン関連産業が全雇用の約20%を占める。
 
 
 
1997年の旱魃で国民の4分の1が飢餓の危機に陥った。さらにウラン価格の低下、度重なる政情不安による海外援助の途絶により、1999年末には国家経済が事実上の破産状態に陥った。しかし、2000年12月に[[国際通貨基金]] (IMF) などは貧困削減対策として、ニジェール政府が背負う8億9,000万[[ドル]]の[[債務]]免除を発表し、7,600万ドルの融資を決定するなど明るい兆しも見えてきている。
 
 
 
国民総所得:77億ドル<ref>http://databank.worldbank.org/data/download/GNI.pdf</ref>(1人当たり370ドル<ref>http://databank.worldbank.org/data/download/GNIPC.pdf</ref>、2016年)
 
 
 
[[通貨]]:[[CFAフラン]]
 
{{Clearleft}}
 
 
 
== 国民 ==
 
[[ファイル:Tahoua Niger Kids1 2006.jpg|thumb|ニジェールの子供たち]]
 
{{main|{{仮リンク|ニジェールの人口動態|en|Demographics of Niger}}}}
 
===民族===
 
[[ハウサ族]]55 - 60%、{{仮リンク|ザルマ人|en|Zarma people|label=ジェルマ}}-[[ソンガイ族]]20 - 24%、{{仮リンク|カヌリ人|en|Kanuri people|label=カヌリ族}}、[[フラニ族]]約10%、[[トゥアレグ族]]8 - 10%、{{仮リンク|トゥーブゥー人|en|Toubou people|label=トゥーブゥー族}}、{{仮リンク|ディファ・アラブ|en|Diffa Arabs|label=ディファ・アラブ族}}、{{仮リンク|グルマ人|en|Gurma people|label=グルマ族}}などの[[ネグロイド|黒人]]。
 
 
 
===言語===
 
[[フランス語]]が[[公用語]]だが、[[ハウサ語]]、[[ジェルマ語]]、[[フラニ語]]などの各民族語が主流。
 
 
 
===宗教===
 
[[イスラーム]]が80%。他に[[アニミズム]]、[[キリスト教]]も。
 
 
 
===教育===
 
{{節スタブ}}
 
 
 
== 文化 ==
 
[[ファイル:Fachi-Bilma-Dünen.jpg|thumb|世界遺産[[アイル・テネレ自然保護区]]]]
 
<!-- ''詳細は[[ニジェールの文化]]を参照'' -->
 
 
 
=== 世界遺産 ===
 
{{Main|ニジェールの世界遺産}}
 
 
 
=== 祝祭日 ===
 
{| class="wikitable" border="1" style="margin:0 auto"
 
|+ 祝祭日
 
! 日付 !! 日本語表記 !! 現地語表記 !!備考
 
|-
 
|[[1月1日]]||[[元日]]||Jour de l'An||
 
|-
 
|[[4月24日]]||コンコードの日||
 
|-
 
|[[5月1日]]||[[メーデー]]||
 
|-
 
|[[8月3日]]||独立記念日||Fête de l'Indépendance||
 
|-
 
|[[12月18日]]||共和国の日||Jour de la République||
 
|-
 
|[[12月25日]]||[[クリスマス]]||Noël||
 
|}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 牧英夫『世界地名ルーツ辞典』1989/12
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[ニジェール関係記事の一覧]]
 
* [[ダカール・ニジェール鉄道]](マリ国内に至ったところで建設は事実上放棄されている)
 
* [[サヘルの声]](国営ラジオ放送)
 
* [[後発開発途上国]]
 
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Niger|Niger}}
 
 
* [http://www.niger-gouv.ne/ ニジェール共和国政府] {{fr icon}}
 
* [http://www.niger-gouv.ne/ ニジェール共和国政府] {{fr icon}}
 
* [http://www.presidence.ne/ ニジェール大統領府] {{fr icon}}
 
* [http://www.presidence.ne/ ニジェール大統領府] {{fr icon}}
235行目: 55行目:
 
* [http://www.niger-tourisme.com/accueil.php ニジェール政府観光局] {{fr icon}}{{en icon}}
 
* [http://www.niger-tourisme.com/accueil.php ニジェール政府観光局] {{fr icon}}{{en icon}}
  
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+
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[[Category:ニジェール|*]]
 
[[Category:ニジェール|*]]

2018/10/16/ (火) 22:42時点における最新版

ニジェール共和国
République du Niger
国の標語:Fraternité, Travail, Progrès
(フランス語: 友愛、労働、進歩)
公用語 フランス語[1]
首都 ニアメ
最大の都市 ニアメ

面積

総計 1,267,000km221位
水面積率 極僅か

人口

総計(2013年 16,899,327人(63位
人口密度 13.3人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年 2兆3,976億[2]CFAフラン
GDP (MER)

合計(2008年 53億[2]ドル(137位
GDP (PPP)

合計(2008年101億[2]ドル(132位
1人あたり 738[2]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年8月3日
通貨 CFAフラン (XOF)
時間帯 UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1 NE / NER
ccTLD .ne
国際電話番号 227

ニジェール共和国(ニジェールきょうわこく、フランス語: République du Niger)、通称ニジェール

アフリカ大陸中西部の内陸国。北はアルジェリア,リビア,東はチャド,南はナイジェリア,ベナン,西はブルキナファソ,マリに国境を接する。中部の牧畜可能なステップ地帯,南部の農耕可能なサバナ地帯を除くと国土の大半はサハラ砂漠。年平均気温は地域により最低-2~16℃,最高 46~50℃。 14世紀頃からガーナ,ソンガイ,マリ,ハウサなどの諸王国が栄えたが,18世紀末からヨーロッパ人が進出,1890年イギリスとフランスによる植民地分割の協定の結果,最終的に 1904年に現在の国境が定められた。当初はフランス領スーダン (現マリ) に属したが,1922年フランス領西アフリカの一部,1946年フランス海外領,1958年フランス共同体内の自治国となり,1960年独立。農業と牧畜を主とし,人口が集中する南部では,ハウサ族などがラッカセイ,ワタ,自給用の穀物などを栽培。中部,北部はプール族 (フルベ族 ) ,ベルベル族 (ベルベル人 ) ,トゥアレグ族などがヤギ,ウシを主とする遊牧を営む。しかし 1970年代以降,干魃やイナゴの害に悩まされ,食糧自給は達成されていない。中北部のアルリトなどアイル山地でウラン,スズを産し,スズはナイジェリアへ,ウランはフランス,イタリア,ドイツ,日本へ輸出。ほかの主要輸出品はラッカセイ,綿花,皮革製品,家畜など。鉄,タングステンなどの鉱脈も有望で,開発が期待されている。輸出はベナンのコトヌー港と結ぶ鉄道・道路輸送に依存。ウラン採掘には日本の企業も参加している。住民はハウサ族が約 50%,ほかはジェルマ=ソンガイ族,プール族,トゥアレグ族など。大部分がイスラム教徒。公用語はフランス語であるが,ハウサ語,ジェルマ語も広く用いられる。

外部リンク



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