テオドロ公国

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テオドロ公国英語: The Principality of Theodoroギリシア語:Θεοδόρο)は、12世紀から14世紀にかけてクリミア半島南西部に位置していた小国家である。「ゴティア」としても知られる。首都はマングプ。地理的に近接するトレビゾンド帝国と同盟関係にあり、また北方のジョチ・ウルスに服属していた。

この公国を統治した王朝は、ビザンツ帝国の皇帝を輩出したコムネノス朝を盟主とするいわゆる「御一門」の一部を構成した準皇族ガブラス家である。 14世紀後半、王族の一部はモスクワに移住し、モスクワに修道院を設立した。彼らは「ゴブリン」のあだ名で呼ばれ、一時期、モスクワ大公国の財政管理を世襲的に担当していた。 16世紀に至って、彼らは自分たちの名字を「ゴールロビン」に変えた。

1475年5月、オスマン帝国の司令官ゲディクアフメット・パシャフェオドシヤを征服し、1475年の終わりにはマングブを陥落させ、公国を滅ぼした。以後、オスマン帝国の属国になったクリミア・ハン国の領域を除いて、クリミア半島のかつてのテオドロ公国の版図を含む南部一帯はオスマン帝国の領土となった。

テオドロの君主たち

(この間、君主の歴代や系譜は不明)