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'''ジブチ共和国'''(ジブチきょうわこく)、通称'''ジブチ'''は、[[アフリカ]]北東部に位置する[[共和制]][[国家]]。首都は[[ジブチ市]]。公用語は[[アラビア語]]で[[アラビア半島]]に極めて近い[[アラブ連盟]]の加盟国であるため、[[中東]]に含まれる場合もある。[[エリトリア]]、[[エチオピア]]、[[ソマリア]]と接し、[[紅海]]、[[アデン湾]]に面する。
+
'''ジブチ共和国'''(ジブチきょうわこく)、通称'''ジブチ'''
 
 
== 国名 ==
 
正式名称はフランス語で、''République de Djibouti''(レピュブリク・ドゥ・ヂブティ)。通称、''Djibouti''(ヂブティ)。アラビア語で、{{lang|ar|''جمهورية جيبوتي''}}({{transl|ar|''jumhūrīyat jībūtī''}}; ジュムフーリーヤ・ジーブーティー)。
 
 
 
公式の英語表記は、''Republic of Djibouti''(リパブリック・オヴ・ヂブーティ)。通称、''Djibouti''(ヂブーティ)。
 
 
 
日本語の表記は、'''ジブチ共和国'''。通称、'''ジブチ'''。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{main|{{仮リンク|ジブチの歴史|en|History of Djibouti}}|プント国|アダル・スルタン国|{{仮リンク|Habesh Eyalet|en|Habesh Eyalet}}|{{仮リンク|Egypt Eyalet|en|Egypt Eyalet}}}}
 
 
 
=== スエズ運河建設 ===
 
[[19世紀]]後半の[[1859年]]から[[フェルディナン・ド・レセップス]]の[[スエズ運河会社]]による[[スエズ運河]]の建設が始まった。同[[1859年]]に[[フランス第二帝政]]は[[タジュラ湾]]の[[オボック]]港を[[租借]]した。1862年に[[フランス第二帝政]]はダナキル族からオボック港を購入した。[[1868年]]にイギリスがエチオピアに侵攻した({{仮リンク|イギリスのアビシニア出兵|en|British Expedition to Abyssinia|label=アビシニア出兵}})。
 
 
 
[[1881年]]に[[フランス第二帝政]]はオボックに[[フランス・エチオピア通商会社]]を設立した<ref>[[吉田昌夫]]『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、55頁。</ref>。[[1884年]]にイギリスが[[:en:Warsangali Sultanate|Warsangali Sultanate]]に侵攻し、植民地化した([[イギリス領ソマリランド]])。[[エチオピア帝国]]の皇帝[[メネリク2世]]は、イタリア王国との[[エリトリア戦争]]に敗れ、[[1889年]]に[[ウッチャリ条約]]を締結した。[[エチオピア帝国]]は、イタリア王国へ{{仮リンク|イタリア王国領エリトリア|en|Italian Eritrea|label=イタリア領エリトリア}}を割譲した。
 
 
 
=== フランス領ソマリ ===
 
[[エチオピア帝国]]の皇帝[[メネリク2世]]は、イタリア離れと軍事力増強のためにフランスに接近を試み、[[1894年]]に[[ジブチ市]]からエチオピアの[[ハラール (エチオピア)|ハラール]]までの鉄道敷設権をフランス企業に与えた<ref>吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、64-65頁。</ref>。タジュラ湾周辺に勢力を拡大した[[フランス]]は、[[第一次エチオピア戦争]]([[1895年]]6月 - [[1896年]]11月)中の1896年[[5月20日]]に{{仮リンク|フランス領ソマリ (1896年 - 1967年)|fr|Côte française des Somalis|en|French Somaliland|label=フランス領ソマリ}}([[1896年]] - [[1967年]])としてこの地を[[植民地]]化した。
 
 
 
=== ソマリランド戦争 ===
 
[[File:EthiopiaRAND1908.jpg|thumb|left|180px|植民地時代([[1908年]])のアフリカ北東部。緑色の[[フランス領アファル・イッサ|フランス領ソマリランド]]が現在のジブチである。]]
 
{{Main|第一次世界大戦|[[アフリカ戦線 (第一次世界大戦)|アフリカ戦線]]|{{仮リンク|ソマリランド戦線|en|Somaliland Campaign}}}}
 
 
 
[[1900年]]に[[サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン|ムハンマド・ビン・アブドラ]]が[[イギリス領ソマリランド]]で蜂起し({{仮リンク|ソマリランド戦線|en|Somaliland Campaign|label=ソマリランド戦争}})、{{仮リンク|デルヴィッシュ国|en|Dervish State}}を建国。[[エチオピア帝国]]皇帝[[メネリク2世]]は、イギリスと共同でデルヴィッシュ国を攻撃した。当初はデルヴィッシュ国が優勢で、イギリスは内陸部から撤退したが、インド洋沿岸部の植民地から進出したイタリアは[[1908年]]までに[[イタリア領ソマリランド]]の形成に成功した。
 
 
 
また、[[1894年]]に[[ジブチ市|ジブチ港]]から[[エチオピア]]を結ぶ[[ジブチ・エチオピア鉄道]]の建設が開始され、[[1902年]]には[[ディレ・ダワ]]までが開通し、[[1917年]]に[[アディスアベバ]]まで全通する<ref>[[岡倉登志]]「コラム16 アジス・アベバ=ジブチ鉄道」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、363頁。</ref>とジブチ港の重要性は高まった。
 
 
 
[[1913年]]に皇帝[[メネリク2世]]が死去すると、ムハンマド・ビン・アブドラは、新皇帝[[リジ・イヤス]]と婚姻関係を結ぼうとした。[[第一次世界大戦]]が勃発するとリジ・イヤスは、枢軸国の[[オスマン帝国]]や[[ドイツ]]と同盟して[[スエズ運河]]を経由するイギリスとインド・東洋間の連絡線を脅かし({{仮リンク|第一次世界大戦下の南アラビア|en|South Arabia during World War I|label=南アラビア戦線}}、{{仮リンク|シナイ半島・パレスチナ戦線|en|Sinai and Palestine Campaign}})、エチオピアを取り囲む英仏伊の全てを敵とした。[[1916年]][[9月27日]]にエチオピアでクーデターが起こり、リジ・イヤスは廃位された。イギリス軍は、[[1920年]]1月からの[[:en:Somaliland campaign (1920)|Somaliland campaign]]で追いつめたもののムハンマドを取り逃がしたが、[[12月21日]]にムハンマドが64歳で病死し、20年に及んだソマリランド戦争は終結した。
 
 
 
=== 第二次世界大戦後 ===
 
[[1947年]]の時点でフランス領ソマリの総人口は96,100人であり、内24,500人が[[アファル人]]であった<ref>[[岡倉登志]]「第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、352頁。</ref>。[[1945年]]の[[第二次世界大戦]]終結後、「[[アフリカの年]]」こと[[1960年]]頃を境に、[[アフリカ]]諸国の[[独立]]が進んだが、フランス領ソマリには[[ソマリ人|ソマリ系]]の[[イッサ人]]とエチオピア系の[[アファル人]]の対立のために複雑を極めた独立問題は進まず、[[フランスの海外県・海外領土|フランスの海外県]]に留まっていた。
 
 
 
=== フランス領アファル・イッサ ===
 
隣国[[ソマリア]]の[[大ソマリア主義|汎ソマリ主義]]がフランス領ソマリのイッサ人に波及することが懸念される中、[[1967年]]の住民投票によって引き続きフランス領であることを選択した後、[[フランス領アファル・イッサ]]([[1967年]] - [[1977年]])と改称された<ref>[[岡倉登志]]「第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、352-354頁。</ref>。その後、議会選挙でアファル人の進歩党が圧勝。また、イッサ人を基盤とする独立アフリカ人民同盟も勢力をのばし独立を要求した。
 
 
 
=== 独立 ===
 
その結果、[[1977年]]にジブチ共和国として独立し、イッサ人出身の[[ハッサン・グレド・アプティドン|グレド]]が大統領に就任した。しかし、民族対立はおさまらず、[[1991年]]に{{仮リンク|ジブチ内戦|en|Djiboutian Civil War}}が勃発。グレド大統領は脱部族政策を打ち出すとともに大統領の直接選挙制をも導入し、[[1993年]]に4選された。
 
 
 
その後、グレド大統領の後継[[イスマイル・オマル・ゲレ|ゲレ]]が[[1999年]]に大統領に当選、[[2001年]]に内戦が終結した。
 
 
 
国境を巡って隣国[[エリトリア]]と対立しており、1990年には二度の軍事衝突が起きている。停戦が成立したが、国境線を巡る緊張は続いた。2008年[[6月10日]]、{{仮リンク|ジブチ・エリトリア国境紛争|en|Djiboutian–Eritrean border conflict}}で再び両軍の間で戦闘が起きた。ジブチ政府はエリトリアが再び国境線に軍を増強しているとして非難し、国際社会の介入を求めた。
 
 
 
== 政治 ==
 
<!-- ''詳細は[[ジブチの政治]]を参照'' -->
 
ジブチは[[共和制]]、[[大統領制]]をとる[[立憲主義|立憲]]国家である。現行[[憲法]]は[[1992年]][[9月4日]]に制定されたもの。
 
 
 
[[元首|国家元首]]である[[大統領]]は、[[国民]]の直接選挙により選出され、かつては任期は6年で3選が禁止されていたが、2010年に大統領の任期を5年に短縮する代わりに再選制限が撤廃された。[[首相]]と[[閣僚]]は大統領が任命する。
 
 
 
{{See also|ジブチの大統領一覧|ジブチの首相一覧}}
 
 
 
議会は[[一院制]]で、定数65議席(イッサ人議員33議席、アファル人32議席)。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。
 
 
 
ジブチは[[1992年]]の新憲法制定以来、[[複数政党制]]を導入しているが、[[進歩人民連合]] (RPP) が事実上の一党支配を続けている。その他の政党には親RPP派の[[統一民主回復戦線]] (FRUD)、[[国民民主党 (ジブチ)|国民民主党]] (PND)、反RPP派の[[民主共和同盟]] (ARD)、[[民主改革開発運動]] (MRDD) など。
 
 
 
{{See also|ジブチの政党一覧}}
 
 
 
最高[[司法]]機関は[[最高裁判所]]である。
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
[[ファイル:Map of Djibouti in Japanese.png|thumb|ジブチの地図。]]
 
{{Main|ジブチの地方行政区画}}
 
 
 
ジブチは、5つの州と1つの市に分かれている。そして、さらに15の地区に区分される。
 
 
 
* [[ジブチ市]]
 
* [[アリ・サビエ州]]
 
* [[アルタ州]]
 
* [[ディキル州]]
 
* [[オボック州]]
 
* [[タジュラ州]]
 
 
 
=== 主要都市 ===
 
{{Main|ジブチの都市の一覧}}
 
主要な都市は[[ジブチ市]](首都)、[[アリ・サビエ]]、[[タジュラ]]がある。
 
 
 
== 地理 ==
 
[[File:Satellite image of Djibouti in November 2001.jpg|thumb|ジブチの衛星写真。]]
 
[[File:DjiboutiLacAssal2.jpg|300px|thumb|[[アッサル湖]]近くを行く[[ラクダ]]の列。湖で採れる塩は古代から貴重な資源である。]]
 
{{Main|ジブチの地理}}
 
狭義のアフリカ[[大地溝帯]]の北端に位置する。[[アデン湾]]に望み、海沿いは平野が広がり、西部には高原が広がる。最高地点は北部のエリトリアおよびエチオピアとの国境三重会合点に位置する[[ムーサ・アリ山]] (標高2028m) である。最低地点は[[アッサル湖]]の標高マイナス153mで、アフリカで最も低い。国土中央部には[[バラ砂漠]]と呼ばれる[[砂漠]]が、標高1,500mほどの地帯には[[ダイの森]](Forêt de Day)と呼ばれる[[森林]]地帯が、[[タジュラ湾]]沿いの海岸には[[マングローブ]]林が存在する。
 
 
 
[[1991年]]11月から[[東京農業大学]]が[[ジブチ農業省]]と共にジブチ国内で[[砂漠緑化]]事業を行っていた<ref>[[#東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000)|東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:2-3)]]</ref>。
 
 
 
== 軍事 ==
 
{{main|ジブチの軍事}}
 
現在も[[フランス軍]]が駐留している<ref>陸海空軍は部隊として駐留、ジャンダルムリ(Gendarmerie)は連絡要員を置く。</ref>。ジブチ港に[[フランス海軍]]基地を設けるとともに、[[フランス陸軍]]は、[[第5海外混成連隊 (フランス軍)|第5海外混成連隊]]1個[[連隊]]を派遣し、[[フランス空軍]]は[[ミラージュ2000]][[戦闘機]]及び、ごく少数の輸送機・ヘリコプターを派遣することによりジブチの防空任務を行っている。
 
{{main|ジブチ駐留フランス軍}}
 
 
 
[[対テロ戦争]]の一環として、[[ドイツ]]の[[シュトゥットガルト]]に司令部を持つアメリカ地域[[統合軍 (アメリカ軍)|統合軍]]である[[アメリカアフリカ軍]]隷下の[[CJTF HOA]]([[:en:Combined Joint Task Force - Horn of Africa|アフリカの角共同統合任務部隊 (Combined Joint Task Force - Horn of Africa)]])
 
の司令部及び隷下の各部隊が駐留している。また、[[第150合同任務部隊]]の拠点の一つになっている。
 
 
 
このほか[[イタリア軍]]も基地を設けている<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASK896WZMK89UHBI03L.html|title=中国基地 世界にらむ/東アフリカ・ジブチ|work=|publisher=『[[朝日新聞]]』朝刊|date=2017年8月15日}}</ref>。
 
 
 
=== 海賊問題と日中の海外基地 ===
 
近年、ソマリア沖・アデン湾で急増・多発している「[[ソマリア沖の海賊]]」問題は国際社会にとって重大な脅威となっている。海賊行為の対処のための活動では、日本の[[自衛隊]]も「[[海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律]]」に基づき、2017年2月時点で[[P-3|P-3C]]哨戒機2機と隊員約170人が派遣されている<ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2017020902000130.html|title=【核心】海賊激減なのに拡張 ジブチの自衛隊「海外基地」|work=|publisher=[[東京新聞]]|date=2017-02-09}}</ref>。当初は米軍、[[アタランタ作戦|欧州連合(EU)部隊]]の協力を得て活動していたが、2011年7月7日、自衛隊の海外拠点がジブチ国際空港近くに開設された。自衛隊にとっては事実上初の海外[[基地]]となる。この拠点は海賊対策のほか、ジブチ軍駐屯地に出向いての兵士への道路整備[[建設機械|重機]]の操作指導などアフリカ諸国との軍事交流にも使われている。警備強化のため2017年度、施設敷地は15haと3ha拡張される計画である<ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2017020902000130.html|title=【核心】海賊激減なのに拡張 ジブチの自衛隊「海外基地」|work=|publisher=[[東京新聞]]|date=2017-02-09}}</ref>。
 
 
 
[[2015年]]1月18日、現地を訪問した[[防衛大臣]]・[[中谷元]]が海賊対策だけでなくテロ対策など幅広い活動が出来るように法整備を進める考えを示した。
 
 
 
[[2015年]]2月末には、これらの国際的な海賊対策を行う国連加盟国合同軍[[第151合同任務部隊]]の司令官として、日本人(海自)が着任する事が発表された。戦前の旧日本海軍時代を含めても日本国籍の人物が欧米諸国やアジア各国が参加する多国籍艦隊の指揮を任された事はほとんどなく、事実上史上初の日本人国際部隊司令官だといえる。
 
 
 
かねてから[[セーシェル]]などアフリカに軍事拠点を設けることを検討し<ref>{{Cite news|url=http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-360162.html |title=中国、セーシェルでの海軍プレゼンスを検討 |work=|publisher=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]|date=2011-12-14|accessdate=2018-08-21}}</ref><ref>{{Cite news|url=中国海軍、インド洋に足場 セーシェルと協力 |title=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1203X_S1A211C1FF1000/|work=|publisher=[[日本経済新聞]]|date=2011-12-12|accessdate=2018-08-21}}</ref>、国のシンボルである{{仮リンク|ジブチ人民宮殿|en|People's Palace, Djibouti City}}や大統領府<ref>{{Cite news|url=Port de Djibouti: China’s First Permanent Naval Base in the Indian Ocean|title=https://idsa.in/issuebrief/port-de-djibouti-chinas-first-permanent-naval-base-in-the-indian-ocean_msingh_220216|work=|publisher=idsa|date=2016-02-22|accessdate=2018-07-24}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.dtic.mil/dtic/tr/fulltext/u2/1038215.pdf |title=China’s Military Support Facility in Djibouti: The Economic and Security Dimensions of China’s First Overseas Base |format=PDF |accessdate=2018-07-24}}</ref>などを建設してジブチと強い関係を構築してきた[[中華人民共和国]]も海賊対策([[中華人民共和国のソマリア沖海賊対策]])やアフリカにおける[[国際連合平和維持活動|PKO]]の補給・休息を理由として、ジブチに[[中国人民解放軍]]初の海外基地を開設した<ref>{{Cite news|url=http://thediplomat.com/2017/07/china-officially-sets-up-its-first-overseas-base-in-djibouti/|title=China Officially Sets Up Its First Overseas Base in Djibouti|work=|publisher=The Diplomat|date=2017-07-12}}</ref>。この「ジブチ保障基地」開設を宣言した2017年7月11日に、駐留部隊を載せた[[071型揚陸艦|揚陸艦「井崗山」]]と[[半潜水艇]]「東海島」の2隻が[[湛江|広東省湛江]]を出港。8月1日にジブチ国防相らを招いて進駐式を開いた<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/DA3S13067282.html|title=中国、初の国外軍事拠点/ジブチ、PKOなど後方支援|work=|publisher=『[[朝日新聞]]』朝刊|date=2017年8月2日}}</ref>。中国の基地は約36haと自衛隊より広く、高さ10m程度の[[塀]]や監視塔で防備されている<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASK896WZMK89UHBI03L.html|title=中国基地 世界にらむ/東アフリカ・ジブチ|work=|publisher=『[[朝日新聞]]』朝刊|date=2017年8月15日}}</ref>。基地に隣接する{{仮リンク|ドラレ港|en|Port of Doraleh}}では中国企業が開発に携わっており<ref>{{Cite news|url=https://www.cnn.co.jp/world/35117518.html |title=変化する中国の国防戦略<上> 財政支援通じてアフリカに進出 |work=|publisher=[[CNN]]|date=2018-04-29|accessdate=2018-08-29}}</ref>、同港の親会社の株式は[[招商局集団]]が所有することから隣接する基地と同様の中国の対アフリカ戦略を担ってるとする見方もある<ref>{{Cite news|url=hhttps://www.sankei.com/world/news/180111/wor1801110014-n5.html |title=人民解放軍、ジブチに拠点 隠された思惑に気付かず中国の“浸入”を許す四国の1・3倍程度の小国 |work=|publisher=[[産経ニュース]]|date=2018-01-11|accessdate=2018-08-29}}</ref>。
 
 
 
== 経済 ==
 
[[File:Djibouti Ville.jpg|thumb|250px|首都[[ジブチ市]]]]
 
 
 
[[国際通貨基金|IMF]]の推計によると、[[2013年]]のジブチの[[国内総生産|GDP]]は14億5千万ドルである。一人当たりのGDPは1,593ドルで世界平均の約15%に留まるが、隣接する[[エチオピア]]や[[エリトリア]]が500ドル台なのと比べると高い水準にある。<ref name="imf201410" />
 
 
 
ジブチ港の貿易と中国の援助により電化した[[ジブチ・エチオピア鉄道]]の収益に依存する典型的な[[中継貿易]]国家。ジブチ港はエチオピアの海上貿易のほとんどを担っている。その他フランス軍等の駐留による利益。[[ソマリア沖の海賊]]の影響で中継貿易が半減し、船舶保険の高騰で経済的打撃をもっとも受けていた。近年、ジブチが海賊に対応する各国の拠点となったため、船舶保険の掛け金は低下している。
 
 
 
[[第一次産業]]の従事者は多いものの、自然環境の厳しさなどの要因から、農業は未発達で食料自給率は極めて低い。農業人口は約12万人、国民の25%程を占めるものの、可耕地面積は国土の0.5%に当たる100,60ヘクタールほどであり、食料自給率も約3%しかない<ref>[[#高橋(2000)|高橋(2000:32-33)]]</ref>。
 
 
 
== 国民 ==
 
=== 民族 ===
 
{{bar box
 
|title=民族構成(ソマリア)
 
|titlebar=#ddd
 
|float=right
 
|bars=
 
{{bar percent|[[イッサ人]]([[ソマリ人]])|orange|60}}
 
{{bar percent|[[アファル人]](エチオピア系)|blue|35}}
 
{{bar percent|その他|black|5}}
 
}}
 
 
 
構成民族は、[[ソマリ人]]系の[[イッサ人]]が60%、エチオピア系の[[アファル人]]が35%であり、[[フランス人]]、[[アラブ人]]、[[イタリア人]]やアファル人以外のエチオピアの民族など、その他が5%となっている<ref name=2013cia/>。イッサ人とアファル人の対立から、[[1990年代]]に内戦が起こった。
 
 
 
=== 宗教 ===
 
人口の94%が[[ムスリム]]([[イスラム教]])、6%が[[キリスト教]]となっている<ref name=2013cia/>。
 
 
 
=== 言語 ===
 
[[フランス語]]と[[アラビア語]]が[[公用語]]であるが、現地住民の間においては[[ソマリ語]]と[[アファル語]]が、それぞれ広く使われている。
 
 
 
=== 教育 ===
 
{{main|{{仮リンク|ジブチの教育|en|Education in Djibouti}}}}
 
2003年の推計によれば、15歳以上の国民の[[識字率]]は67.9%(男性:78%、女性:58.4%)である<ref name=2013cia>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/dj.html CIA World Factbook "Djibouti"]2013年7月3日閲覧。</ref>。2007年の教育支出はGDPの8.4%だった<ref name=2013cia/>。[[2007年]]のジブチの[[就学率]]は男性が29.0パーセント、女性が21.9パーセントと世界的に見ても低い水準である<ref>[http://hdrstats.undp.org/en/countries/data_sheets/cty_ds_DJI.html 国連開発計画・人間開発報告書2009年版]{{en icon}},2009-11-14閲覧。</ref>。
 
 
 
また、[[高等教育]]機関は近年まで存在していなかったが、[[2006年]]に[[ジブチ大学]]が開学した。
 
 
 
== 文化 ==
 
[[File:A Somali man.jpeg|thumb|180px|伝統的な帽子を被った[[ソマリ人]]の男性。]]
 
ソマリア系のイッサ人やエチオピア系のアファル人等各民族にそれぞれ独自の文化や習慣がある。
 
 
 
[[カート (植物)|カット]]を噛む習慣がある<ref>[[#東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000)|東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:68)]]</ref>。
 
 
 
=== 食文化 ===
 
街のレストランでは[[フランスパン]]が出される<ref>[[#東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000)|東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:69)]]</ref>。食料自給率が低いため、農産物や青果のほとんどをエチオピアやソマリアから輸入している<ref>[[#東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000)|東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:66)]]</ref>。
 
 
 
=== 祝祭日 ===
 
{| class="wikitable"
 
|+ 西暦に基づく祝祭日
 
!日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考
 
|-
 
|1月1日 || [[元日]] || ||
 
|-
 
|5月1日 || [[メーデー]] || Fête du Travail ||
 
|-
 
|6月27日 || [[独立記念日]] || Fête de l'Indépendance ||
 
|}
 
{| class="wikitable"
 
|+ [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]に基づく祝祭日
 
!日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考
 
|-
 
|[[ムハッラム]]1日||ヒジュラ暦新年|| ||
 
|-
 
|ラビーウ=ル=アウワル12日||[[ムハンマド]]生誕祭|| ||
 
|-
 
|ラジャブ27日||ムハンマド昇天祭|| ||
 
|-
 
|シャウワール1日|| [[イード・アル=フィトル|断食明けの祭り]] || ||
 
|-
 
|ズー=ル=ヒッジャ10日|| [[イード・アル=アドハー|犠牲祭]] || ||
 
|}
 
 
 
官公庁はこれらの祝日のほか毎週金曜日が休日となる<ref>[http://www.jica.go.jp/seikatsu/pdf/Africa/Djibouti-p.pdf JICA基本情報](PDF),2009-06-28閲覧。</ref>。
 
 
 
== 著名な出身者 ==
 
* [[アーメド・サラ]] - 男子[[マラソン]]選手
 
* [[アヤンレ・スレイマン]] - 男子[[中距離走]]選手
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書|author=[[岡倉登志]] |translator= |editor=岡倉登志編著 |others= |chapter=第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人 |title=エチオピアを知るための50章 |series=エリア・スタディーズ68 |origdate= |origyear= |origmonth= |edition=初版第1刷 |date=2007-12-25 |publisher=[[明石書店]] |location=[[東京]] |id= |isbn=4-7503-2682-5 |volume= |page= |pages=351-356 |url= |ref=岡倉(2007)}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[高橋悟]] |translator= |editor= |others= |chapter= |title=砂漠よ緑に甦れ――ジブティ共和国十年の熱き戦い |series= |origdate= |origyear= |origmonth= |edition=初版 |date=2000-05-18 |publisher=[[東京農業大学出版会]] |location=  |id= |isbn= |volume= |page= |pages= |ref=高橋(2000)}}
 
* {{Cite book|和書|author=東京農大 砂漠に緑を育てる会編 |translator= |editor= |others= |chapter= |title=ジブティの砂漠緑化100景――もうひとつのアフリカガイド |series= |origdate= |origyear= |origmonth= |edition=第2版 |date=2000-11-01 |publisher=[[東京農業大学出版会]] |location=  |id= |isbn= |volume= |page= |pages= |ref=東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000)}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[吉田昌夫]] |translator= |editor= |others= |chapter= |title=アフリカ現代史II──東アフリカ |series=世界現代史14 |origdate= |origyear= |origmonth= |edition=2版1刷発行 |date=1990-02-10 |publisher=[[山川出版社]] |location=[[東京]] |id= |isbn=4-634-42140-2 |volume= |page= |pages= |url= |ref=吉田(1990)}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
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* [[ジブチ関係記事の一覧]]
 
* [[ジブチの通信]]
 
* [[ジブチの交通]]
 
* [[日本とジブチの関係]]
 
** [[刈谷市]] - フレンドシップ相手国に指定されている
 
  
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[[アフリカ]]大陸北東部の国。北は[[エリトリア]],西,南は[[エチオピア]],南東は[[ソマリア]]と国境を接し,東は[[アデン湾]]と[[紅海]]の接続点の海域に臨む。国土の大部分は火山性の台地で,[[アカシア]]など低木類の生えた[[砂漠]]。中央部に海面下約 150mの低地とアッサル湖がある。気温は 10月~4月は 20~30℃,5~9月は 30~45℃。年降水量は沿岸部で 130mm,北部や山地で 380mm。内陸部は乾燥が激しく農業には適さない。住民はソマリ族とエチオピア系のアファル族が主で,国境を越えた部族間のつながりが強い。ほかに[[アラブ人]]やアフリカ人とヨーロッパ人の混血,フランス人などが居住する。ほとんどはヒツジ,ヤギ,ウシを主とする[[遊牧民]]で,イスラム教徒([[スンニー派]])。公用語は[[フランス語]],[[アラビア語]]。1862年[[フランス]]が[[オボク]]を占領。1888年フランス植民地ソマリランドとなり,イギリス領ソマリランドとの国境が定められた([[ソマリランド]])。1946年フランス海外領に昇格,1956年自治権を得,1967年の住民投票で独立を拒否,フランス海外領にとどまることとなり,領土名をアファルイッサと改称。1977年5月の住民投票で独立を決定,同 1977年6月ジブチ共和国として独立。資源に乏しく,経済は,皮革,塩などを輸出するほか,ジブチ港とエチオピアの[[アジスアベバ]]を結ぶ鉄道(1917完成)により,エチオピアの[[中継貿易]],港湾業務など外港の役割を果たすことと寄港船舶の物資補給などに依存。
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== 外部リンク ==
 
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* 政府
 
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2018/11/1/ (木) 01:02時点における最新版

ジブチ共和国
République de Djibouti(フランス語)
جمهورية جيبوتي (アラビア語)
国の標語:なし
公用語 アラビア語フランス語
首都 ジブチ
最大の都市 ジブチ

面積

総計 23,000km2146位
水面積率 0.1%

人口

総計(2016年 900,000人(158位
人口密度 38人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2013年 2,587億[1]ジブチ・フラン
GDP (MER)

合計(2013年 15億[1]ドル(168位
GDP (PPP)

合計(2013年27億[1]ドル(168位
1人あたり 2,916[1]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1977年6月27日
通貨 ジブチ・フラン (DJF)
時間帯 UTC (+3)(DST:なし)
ISO 3166-1 DJ / DJI
ccTLD .dj
国際電話番号 253

ジブチ共和国(ジブチきょうわこく)、通称ジブチ

アフリカ大陸北東部の国。北はエリトリア,西,南はエチオピア,南東はソマリアと国境を接し,東はアデン湾紅海の接続点の海域に臨む。国土の大部分は火山性の台地で,アカシアなど低木類の生えた砂漠。中央部に海面下約 150mの低地とアッサル湖がある。気温は 10月~4月は 20~30℃,5~9月は 30~45℃。年降水量は沿岸部で 130mm,北部や山地で 380mm。内陸部は乾燥が激しく農業には適さない。住民はソマリ族とエチオピア系のアファル族が主で,国境を越えた部族間のつながりが強い。ほかにアラブ人やアフリカ人とヨーロッパ人の混血,フランス人などが居住する。ほとんどはヒツジ,ヤギ,ウシを主とする遊牧民で,イスラム教徒(スンニー派)。公用語はフランス語アラビア語。1862年フランスオボクを占領。1888年フランス植民地ソマリランドとなり,イギリス領ソマリランドとの国境が定められた(ソマリランド)。1946年フランス海外領に昇格,1956年自治権を得,1967年の住民投票で独立を拒否,フランス海外領にとどまることとなり,領土名をアファルイッサと改称。1977年5月の住民投票で独立を決定,同 1977年6月ジブチ共和国として独立。資源に乏しく,経済は,皮革,塩などを輸出するほか,ジブチ港とエチオピアのアジスアベバを結ぶ鉄道(1917完成)により,エチオピアの中継貿易,港湾業務など外港の役割を果たすことと寄港船舶の物資補給などに依存。

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). . 2014閲覧.