キール条約

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キール条約(キールじょうやく、Treaty of Kiel)は、1814年1月14日スウェーデン王国デンマーク=ノルウェー連合王国の間で締結された国際条約。スウェーデンとノルウェー同君連合が成立する契機となった。なお、キールバルト海に面したドイツ北部の軍港であるが、当時はデンマーク王がキールを首府とするホルシュタイン公爵を兼務していた。

1807年からナポレオン戦争にフランス側として参戦していたデンマークは、1813年にスウェーデン軍によるユトランド半島侵攻を許し、その結果としてこの条約が結ばれることとなった。これによりデンマークはノルウェーをスウェーデンに割譲し、プロイセン王国が代償としてバルト海南岸にあるスウェーデン領ポメラニア(旧ポメラニア公国)を領有することとなった(ポンメルン州English版Deutsch版)。ただノルウェー領であったアイスランドグリーンランドフェロー諸島は、デンマークの領有として残された。

しかし、この条約は実際には履行されず、ポンメルンはプロイセン王国が併合した。また、この条約締結の知らせを受けたノルウェー副王クリスチャン・フレデリック(後のデンマーク王クリスチャン8世)が反乱を起こした。ノルウェーは1814年5月17日独立を宣言し、クリスチャン・フレデリックが国王に選出された。しかしスウェーデンはノルウェー独立を認めず、王太子カール・ヨハンが軍を率いてノルウェー軍を屈服させた(スウェーデン・ノルウェー戦争English版)。クリスチャン・フレデリックは王位を捨てて出国し、8月にモス条約が締結されて、ノルウェー王にはスウェーデンのカール13世が即位した。これ以降1905年までスウェーデンとノルウェーは同君連合となった(スウェーデン=ノルウェー)。この条項は、ウィーン議定書ウィーン会議)にも載せられ、ナポレオン戦争後のウィーン体制として帰結した。

外部リンク

条約全文


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