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| 略名 =カナダ
 
| 略名 =カナダ
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'''カナダ'''([[英語|英]]・{{Lang-fr-short|'''Canada'''}}、{{IPA-en|ˈkænədə}} {{audio|En-ca-Canada.ogg|聞く}} '''キャ'''ナダ、{{IPA-fr|kanada}} キャナダ、カナダ)は、10の[[カナダの州|州]]と3の[[カナダの州#カナダの準州|準州]]を持つ[[連邦]][[立憲君主制]][[国家]]である。[[イギリス連邦]]加盟国であり、[[英連邦王国]]のひとつ。[[北アメリカ大陸]]北部に位置し、[[アメリカ合衆国]]と国境を接する。[[首都]]は[[オタワ]]([[オンタリオ州]])。国土面積は世界最大の[[ロシア]]に次いで広い。
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'''カナダ'''([[英語|英]]・{{Lang-fr-short|'''Canada'''}}、{{IPA-en|ˈkænədə}} {{audio|En-ca-Canada.ogg|聞く}} '''キャ'''ナダ、{{IPA-fr|kanada}} キャナダ、カナダ)
 
 
歴史的に[[先住民]]族が居住する中、外からやってきた英仏両国の[[植民地]]連合体として始まった。1763年から[[イギリス帝国]]に包括された。1867年の連邦化をきっかけに独立が進み、1931年[[ウエストミンスター憲章]]で承認され、[[1982年憲法]]制定をもって政体が安定した<ref>[http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3487777_po_201101d.pdf?contentNo=1 カナダ憲法 - 国立国会図書館デジタルコレクション]</ref>。一連の過程においてアメリカと政治・経済両面での関係が深まった。{{要出典|[[第一次世界大戦]]のとき首都には[[イングランド銀行]]初の在外金準備が保管され、[[1917年]]7月上旬に[[JPモルガン]]へ償還するときなどに取り崩された<ref name=RSS />。1943年に[[ケベック協定]]を結んだ([[#鉱業|当時のウラン生産力]]も参照)。1952年には[[ロスチャイルド]]の主導で[[ハイドロ・ケベック電力公社#チャーチル滝|ブリンコ(BRINCO)]]という自然開発計画がスタートしている<ref name=BRINCO />。結果として1955年と1960年を比べて、[[ウラン]]生産量は約13倍に跳ね上がった<ref>Nuclear Energy Agency/ International Atomic Energy Agency, "The Red Book Retrospective" and "Uranium: Resources, Production and Demand"</ref>。1969年に石油自給国となる過程では、開発資金を供給する[[ビッグバン (金融市場)#モルガンの米国預託証券|セカンダリー・バンキング]]へ[[機関投資家]]も参入したので、カナダの政治経済は機関化したのであった。|date=2018年7月}}
 
 
 
[[立憲君主制]]で、[[カナダ政府|連邦政府]]の運営は首相を中心に行われている。{{要出典|[[#パワー・コーポレーション|パワー・コーポレーション]]と政界の連携により[[北米自由貿易協定]](NAFTA)に加盟した。|date=2018年7月}}
 
 
 
== 国名 ==
 
日本政府による公式名は「'''カナダ'''」<ref>{{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/canada/data.html|title=日本国外務省&nbsp;{{!}}&nbsp;北米&nbsp;{{!}}&nbsp;カナダ|accessdate=2008-05-23}}</ref>。日本における[[国名の漢字表記一覧|漢字表記]]は「'''加奈陀'''」であり、「'''加'''」と略される。[[中国語]]における表記は「'''{{Lang|zh|加拿大}}'''」。国名は[[セントローレンス川]]流域[[イロコイ連邦|イロコイ族]]の「村落」を意味する語「カナタ」(kanata)に由来する<ref name="Canadian Heritage">{{cite web|title=Origin of the Name, Canada|url=http://www.pch.gc.ca/pgm/ceem-cced/symbl/o5-eng.cfm|publisher=Canadian Heritage|year=2008|accessdate=2012-01-16|language=英語、フランス語}}</ref>。連邦制を強調するため、「'''カナダ連邦'''」、「'''カナダ連邦政府'''」などの呼称が使われることもある。
 
 
 
[[1982年憲法]]が制定される前には複数の名称が存在したが、現在は公用語の英語とフランス語の双方で「'''Canada'''」のみが公式名と定められている<ref>{{cite web|url=http://laws.justice.gc.ca/en/const/annex_e.html|title=Canada Act 1982&nbsp;{{!}}&nbsp;Constitutional Act, 1982|accessdate=2008-05-23}}<br/>{{cite web|url=http://laws.justice.gc.ca/fr/const/annex_f.html|title=Loi de 1982 sur le Canada&nbsp;{{!}}&nbsp;Loi constitutionnelle de 1982|accessdate=2008-05-23}}</ref>。建国時には国号は'''カナダ王国'''({{lang|en|Kingdom of Canada}})とすることも検討されていた。初めて「Canada」の名が使われたのは1791年のことである<ref name="Canadian Heritage"/>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{main|カナダの歴史|カナダ史年表}}
 
 
 
[[ファースト・ネーション]](先住民)や[[イヌイット]]の言い伝えでは先住民たちは[[創造神話|時の始まり]]からこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部[[ユーコン準州]]に26,500年前、南部[[オンタリオ州]]には9,500年前に人類がいたことが示されている<ref>{{cite journal| last=Cinq-Mars| first=J.| year=2001| title=On the significance of modified mammoth bones from eastern Beringia| journal=The World of Elephants - International Congress, Rome| url=http://www.cq.rm.cnr.it/elephants2001/pdf/424_428.pdf|format=PDF| accessdate=2006-05-14}}</ref><ref>{{cite web| author=Wright, J.V| publisher=Canadian Museum of Civilization Corporation| url=http://www.civilization.ca/archeo/hnpc/npvol04e.html| title=A History of the Native People of Canada: Early and Middle Archaic Complexes| date=September 27, 2001| accessdate=2006-05-14}}</ref>。
 
 
 
=== 植民地時期 ===
 
[[ファイル:Voyageur canoe.jpg|thumb|19世紀まで[[毛皮貿易]]はカナダで最も重要な産業だった。[[毛皮貿易|毛皮貿易路]]の支配を巡って[[ビーバー戦争|フランスとイロコイ族の戦争]]が起こっている。19世紀の初めには[[伐採|材木業]]が毛皮貿易よりも重要になった。]]
 
[[ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化|ヨーロッパ人の到来]]は西暦[[1000年]]に[[ヴァイキング]]が[[ランス・オ・メドー]]に居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。その後、[[1497年]]にイタリア人のジョヴァンニ・カボト([[ジョン・カボット]])が[[イングランド]]のために大西洋側を探検し<ref>{{cite encyclopedia| title=John Cabot| encyclopedia=Encyclopædia Britannica Online| publisher=Encyclopædia Britannica| url=http://www.britannica.com/eb/article-9018457/John-Cabot}}</ref>、[[1534年]]には[[フランス]]の[[ジャック・カルティエ]]がこれに続いた<ref>{{cite encyclopedia| encyclopedia=World book Encyclopedia| title=Cartier, Jacques| accessdate=2007-09-01| publisher=World Book, Inc.| isbn=071660101X}}</ref>。
 
 
 
[[1603年]]に到着したフランスの探検家[[サミュエル・ド・シャンプラン]]は、[[1605年]]に初めてのヨーロッパ人定住地をポート・ロワイヤル(現ノバスコシア州アナポリス・ロイヤル)に築き、[[1608年]]には[[ケベック・シティー|ケベック]]を建てた。これらは後にそれぞれ[[アカディア]]とカナダの首都となった。 ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:[[フランス系カナダ人]])は[[セント・ローレンス川]]流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人と[[カトリック教会|カトリック]]宣教師たちは[[五大湖]]、[[ハドソン湾]]そして[[ミシシッピー川]]流域から[[ルイジアナ]]を探検した。イングランドは[[1610年]]に[[ニューファンドランド島]]に漁業基地を設け、南部(現アメリカ合衆国領)に[[13植民地]]を築いた。
 
 
 
1670年、[[ハドソン湾会社]]が設立された。毛皮の[[倉庫証券]]は通貨としても使われた。[[1689年]]と[[1763年]]に一連の[[北米植民地戦争]]が起こり、その結果、[[ユトレヒト条約]]([[1713年]])で[[ノバスコシア州|ノバスコシア]]が[[イギリス帝国|英国]]の支配下となり、[[七年戦争]]([[フレンチ・インディアン戦争]])の[[パリ条約 (1763年)|パリ条約]]でカナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲された。
 
 
 
[[1763年宣言]]は[[ケベック州|ケベック]]をヌーベルフランスから分離し、[[ケープ・ブレトン島]]を[[ノバスコシア州|ノバスコシア]]に加えた。これはまたフランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限した。[[1769年]]にセント・ジョンズ島(現在の[[プリンス・エドワード・アイランド州]])が独立した植民地となった。ケベックでの紛争を避けるため、[[1774年]]に[[ケベック法]]が制定され、ケベックの領域が五大湖から[[オハイオ川]]まで拡大され、ケベックにおいてはフランス語とカトリック信仰、[[フランス法]]が許された。これは13植民地の多くの住民を怒らせることになり、[[アメリカ合衆国の独立|アメリカ独立]]への動因となった<ref>{{cite web | author= |publisher= |title= Wars on Our Soil, earliest times to 1885 |accessdate=2006-08-21 |url=http://www.civilization.ca/cwm/gallery1/revolution2_e.html}}</ref>。 [[パリ条約 (1783年)|1783年のパリ条約]]によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。戦後におよそ5万人の[[ロイヤリスト|王党派]]がアメリカからカナダへ逃れている<ref name="moore">{{cite book |first= Christopher |last=Moore |year=1994 |title=The Loyalist: Revolution Exile Settlement |publisher=McClelland & Stewart |location= Toronto |isbn=0-7710-6093-9}}</ref>。一部の王党派のために沿岸諸州の[[ニューブランズウィック州|ニューブランズウィック]]がノバスコシアから分割された。[[ケベック州|ケベック]]の英語話者王党派のために[[1791年]]法が制定され、フランス語圏の[[ローワー・カナダ]]と英語圏の[[アッパー・カナダ]]がそれぞれ独自の議会を持った。この分断策は1837年にローワーとアッパーの両方で反乱が起きて無意味となった。
 
 
 
[[ファイル:Fathers of Confederation LAC c001855.jpg|thumb|『連邦の父たち』ロバート・ハリス画。[[シャーロットタウン会議]]と[[ケベック会議 (1864年)|ケベック会議]]の場面を混合して描いている。カナダの連邦化([[:en:Canadian Confederation|コンフェデレーション]])は鉄道債務を連邦政府に肩代わりさせた([[カナダの歴史#カトリック帝国ができる前に|詳細]])。]]
 
アッパーおよびローワー・カナダは[[米英戦争]](1812年戦争)の主戦場となった。カナダ防衛は英国系北アメリカ人に一体感をもたらした。[[穀物法]]制定(1815年)と[[人身保護法 (イギリス)|人身保護法]]廃止(1816年)により、英国と[[アイルランド]]からの大規模な移民が始まった。{{要出典|1817年に[[モントリオール銀行]]ができて、合衆国とは対照的な勅許銀行体制の原点となった。|date=2018年7月}}
 
 
 
1837年に[[カナダの歴史#両カナダ反乱・ダラム報告書|責任政府]]を求める反乱が起こり、その後のダーラム報告では責任政府とフランス系カナダ人の英国文化への同化が勧告された<ref name="ce_durhamreport">{{cite web |author=David Mills |publisher= Historica Foundation of Canada |url=http://www.canadianencyclopedia.ca/index.cfm?PgNm=TCE&Params=A1ARTA0002473 |title=Durham Report |accessdate=2006-05-18|work=Canadian Encyclopedia}}</ref>。1840年憲法法により、アッパーおよびローワー・カナダはカナダ連合に合併した。議会においては、フランス系および英国系カナダ人はともにフランス系カナダ人の権利の復活のために努力した。[[1849年]]に英領北アメリカ植民地全土に責任政府が設置された。<ref>[http://www.thecanadianencyclopedia.com/index.cfm?PgNm=TCE&Params=A1ARTA0006792 Canadian Cofederation: Responsible Government|publisher=Library and Archives Canada]</ref><ref>[http://www.collectionscanada.gc.ca/confederation/023001-2974-e.html Library and Archives Canada Canadian Cofederation: Responsible Government]</ref>
 
 
 
[[1846年]]に英国と米国による[[オレゴン条約]]が結ばれ[[オレゴン境界紛争]]が終結した。これによってカナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、[[バンクーバー島|バンクーバー・アイランド植民地]]([[1849年]])と[[ブリティッシュコロンビア|ブリティッシュコロンビア植民地]]([[1858年]])への道を拓いた。{{要出典|また、[[ルパート・ランド]]と[[北極圏]]地域の既得権を分解し企業家を育てた。|date=2018年7月}}[[ニューファンドランド (ドミニオン)|ニューファンドランド]]には[[大西洋横断電信ケーブル]]が敷設され、{{要出典|本国の手綱となった。|date=2018年7月}}西方で[[ゴールドラッシュ]]が起きたことなどから[[:en:Population of Canada|カナダの人口]]が増えていった。一方で、フランス系カナダ人が[[ニューイングランド]]へ流れ出た。
 
 
 
[[フェニアン襲撃]]に対応しながら憲政会議を重ね(写真参照)、[[1867年]][[7月1日]]に[[英領北アメリカ法|1867年憲法法]]が採択された。[[オンタリオ州|オンタリオ]]・[[ケベック州|ケベック]]・[[ノヴァスコシア州|ノヴァスコシア]]・[[ニューブランズウィック州|ニューブランズウィック]]が統合され、「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられた<ref>{{cite book | last=Farthing |first= John |title= Freedom Wears a Crown |location= Toronto |publisher=Kingswood House |year=1957 |id = ASIN B0007JC4G2}}</ref> 。カナダはルパートランドと北西地域を合わせた[[ノースウエスト準州]]を統治することが前提とされた。この地では不満を抱いた[[メティ (カナダ)|メティ]](フランス系と先住民の混血)によるレッド・リヴァーの反乱が起こり、[[1870年]]7月に[[マニトバ州]]がつくられた。ブリティッシュコロンビア植民地とバンクーバーアイランド植民地([[1866年]]に合併)は[[1871年]]に、[[プリンスエドワードアイランド州|プリンスエドワードアイランド]]植民地は[[1873年]]に、連邦へそれぞれ加入した。{{要出典|後者は極端に面積が小さいのに連邦の一州となった他、さまざまな経済利権を連邦から勝ち取った。|date=2018年7月}}
 
 
 
=== カナダ自治領 ===
 
<!--[[ファイル:Canadian tank and soldiers Vimy 1917.jpg|thumb|1917年のヴィミーリッジの戦いで勝利したカナダ兵。]]-->
 
[[ファイル:Canada provinces evolution 2.gif|thumb|right|カナダ連邦以降の州と準州の拡大を示した動画地図。]]
 
[[カナダ進歩保守党|保守党]]の[[ジョン・A・マクドナルド]][[カナダ首相|首相]] は萌芽期のカナダ産業を守るための関税政策を制定した。西部を開拓するために政府は[[カナダ太平洋鉄道]]をふくむ3本の大陸横断鉄道を助成した。自治領土地法により開拓者のために大平原が解放され、そしてこの地域の治安維持のために[[王立カナダ騎馬警察|北西騎馬警察]]が設立された。[[1898年]]、ノースウェスト準州での[[クロンダイク・ゴールドラッシュ]]の後、政府は[[ユーコン準州]]を設置した。[[カナダ自由党|自由党]]の[[ウィルフリッド・ローリエ]]政権下ではヨーロッパ大陸からの移民が大平原に定住し、[[アルバータ州|アルバータ]]と[[サスカチュワン州|サスカチュワン]]が[[1905年]]に州に昇格している。{{要出典|1877年[[ブタ戦争 (サンフアン諸島)|ブタ戦争]]の処理に[[ドイツ帝国]]の介入があった([[カナダの歴史#ローリエを買うハンブルク|詳細]])。|date=2018年7月}}
 
 
 
{{要出典|1900年から1913年までイギリスの対カナダ投資額は40倍に増えて総額17億5000万ドルとなった。その6割が公債・鉄道に集中した。逆にアメリカからの投資は、総額こそイギリスの1/3強であったが6割以上が工業と鉱産・森林資源に投下され、しかも経営権をともなう普通株の取得やカナダに子会社・分工場を設立する直接投資であった。分工場はカナダ企業として各自治体からの助成を獲得した。その製品はカナダ産として優遇を受けながら大英帝国へ輸出された。[[カルテル]]として名高い1909年10月9日のゲーリー晩餐会にはカナダの製鋼会社も参加した<ref>William Serrin, ''Homestead: the glory and tragedy of an American steel town'', Times Books, 1992, p.141. "On October 9, 1909, the steel masters of the United States and Canada gathered at a Gary dinner in Gary's honor."</ref>。1909年から企業の合併ブームが起こった([[カナダの歴史#ビーヴァーブルック男爵|詳細]])。|date=2018年7月}}
 
 
 
[[1914年]]、英国の宣戦布告に伴いカナダは自動的に[[第一次世界大戦]]に参戦、志願兵を西部戦線へ派遣した。彼らは後にカナダ軍団の一部となり、ヴィミーリッジの戦いやその他の大きな戦いで重要な役割を果たしている。[[1917年]]には保守党のロバート・ボーデン首相がフランス語圏ケベックの住民たちの反対にもかかわらず徴兵制を導入して徴兵危機が起こっている。{{要出典|[[第一次世界大戦]]のとき首都には[[イングランド銀行]]初の在外金準備が保管され、1917年7月上旬に[[JPモルガン]]へ償還するときなどに取り崩された<ref name=RSS>Richard Sidney Sayers, The Bank of England 1891-1944, Cambridge University Press, 1976, pp.87-88; p.104.</ref>。JPモルガンは連邦債・州債・カナダ企業証券の引受大手であった。|date=2018年7月}}
 
 
 
[[1919年]]にカナダは英国とは別個に[[国際連盟]]へ加盟した。この時期[[ヴィクター・キャヴェンディッシュ (第9代デヴォンシャー公爵)|ヴィクター・キャヴェンディッシュ]]が総督であった。{{要出典|1922年4-5月、入国審査に職種要件を枢密院令により設けた。英米系移民は適用から除外された。[[アルフレッド・ミルナー|ミルナー幼稚園]]出身のレオ・エイマリ([[:en:Leo Amery|Leo Amery]])が移民法([[:en:Empire Settlement Act 1922|Empire Settlement Act 1922]])の導入へ尽力した。英国政府と汽船会社の共同助成により<ref>[[:en:Command paper|Cmd.]]4689, "Report to the Secretary of State for Dominion Affairs of the Inter-Departmental Committee on Migration Policy", 1934, pp.22-23.</ref>、農民となる少年移民が粘り強く集められた。1928年、カナダへやってきたエイマリに[[ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング]]が移民政策は採算が合わないと主張した<ref>Library and Archives of Canada, ''Mackenzie King Diaries'', January 25, 1928.</ref>。この年カナダは他の植民地を引き離して最高値の27,521人のイギリス移民を受け入れた<ref>W.A.Carrothers, ''Emigration from the British Isles'', London, 1929, p.310.</ref>。|date=2018年7月}}
 
 
 
=== 独立と世界大戦 ===
 
[[ファイル:British Columbia Regiment 1940.jpg|thumb|right|150px|1940年、[[ニューウエストミンスター]]市内を行進するブリティッシュコロンビア連隊に近づく少年(「[[Wait for Me, Daddy|待ってよ、パパ]]」)。]]
 
 
 
[[1931年]]、[[ウエストミンスター憲章]]によりカナダの独立が承認された。{{要出典|同年9月に通貨の対米ドル相場が急落して、合衆国からの資金調達ができなくなった。この年[[マニトバ州]]の小麦プールが破産した。小麦プールとは、霜などから作物を守れる倉庫の持てない農民が共同設立した会社で、資金を担保に[[モントリオール銀行]]などから金を借りて、作物の買いつけ・貯蔵運搬・輸出営業を全て担う、民主的アグリビジネスであった。これをメインバンクが再生してから[[カナダ銀行]]ができた。|date=2018年7月}}
 
 
 
1930年代の[[大恐慌]]にカナダ国民は大いに苦しめられた。{{要出典|このため社会主義政党の[[協同連邦党]]がアルバータとサスカチュワンで福祉制度を実施した。1935年からのマッケンジー・キング率いる自由党政権は、開戦ぎりぎりまで親ドイツ政策をとったのでイギリスからの資金流入が鈍った([[カナダの歴史#ベルリンというメッカ|詳細]])。[[1939年]]に[[第二次世界大戦]]が勃発し、キングは[[9月10日]]に独自に対独宣戦布告した。急ごしらえの訓練を経て、12月[[カナダ軍]]が英国に到達した。カナダ軍は[[大西洋の戦い (第二次世界大戦)|大西洋の戦い]]・[[ディエップの戦い]]・[[ノルマンディーの戦い]]に参加し[[ナチス・ドイツ]]を打倒した。この大戦では110万人のカナダ人が軍務に従事した。カナダ経済は戦争需要による好景気に活気づいた。1940年代から1950年代の[[トミー・ダグラス]]知事が福祉政策をとった。愛国者と貧しい人が兵役に志願して疲弊し、豊かな人は英米の投資競争にあやかって肥えた。|date=2018年7月}}[[1945年]]の終戦後にカナダは[[国際連合]]の原加盟国となり、再びアメリカへ接近した。
 
 
 
{{要出典|1950年12月、イギリス[[供給省]]が20年間のアルミニウム供給契約を[[アルキャン]]と結んだ<ref>"Long-term contract for aluminium", ''The economist'', 23 December 1950, p.1,163.</ref>。1952年には[[ロスチャイルド]]の主導で[[ハイドロ・ケベック電力公社#チャーチル滝|ブリンコ(BRINCO)]]という自然開発計画がスタートしている<ref name=BRINCO>菅原歩 [https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj1966/36/1/36_1_84/_pdf N・M・ロスチャイルド商会の鉱業投資(1952-1960) BRINCOの設立と初期活動] 経営史学 36(1), pp.84-103, 2001年</ref>。1951年12月から1955年11月までの期間、'''SGウォーバーグ'''<ref group=注釈>[[ユーロ債]]市場を開拓してから[[BNPパリバ]]と密接に関係。[[スイス銀行コーポレイション]]を経て現[[UBS]]。</ref>、[[N・M・ロスチャイルド&サンズ]]、[[サミュエル・モンタギュー]]、ロバート・ベンソン([[:en:Kleinwort Hambros|Robert Benson]])、ハンブローズ(現[[ソシエテ・ジェネラル]])などが次々とカナダへ投資子会社を設立した<ref>菅原歩 [http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/45414/1/10167405.pdf ロバート・ベンソン商会の経営改革と事業拡張] 経済論叢 167(4) 2001年4月</ref>。1952年から[[リオ・ティント]]が進出の勢いを加速させた<ref>菅原歩 [https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj1966/42/2/42_2_3/_pdf リオ・ティント社の対カナダ投資、1952-1956年] 経営史学 42(2), 2007年9月, pp.3-29.</ref>。1956年[[スエズ危機]]をめぐりアメリカへカナダが接近すると、翌年に[[インペリアル・ケミカル・インダストリーズ]]と製紙会社のボウォーター([[:en:Bowater|Bowater]])のイギリス系商社が一斉にカナダへ大規模投資をくりだした<ref name=saiken>菅原歩 「イギリス対外投資におけるカナダの位置 ドル圏投資「再建」政策を中心に」 社会経済史学 66(5), 2001年1月 69-82頁</ref>。そしてカナダ横断パイプラインが敷設されだした([[カナダの歴史#キング・バランス|詳細]])。建材を提供した[[ラファージュ]]は、1956年カナダのセメント業界で75%ものシェアを獲得したが、同年マルセル・デモン([[:fr:Marcel Demonque|Marcel Demonque]])の発案で[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]に容量2万トンの工場を建設し、翌々年から稼動させた<ref>''International Directory of Company Histories'', Vol.3, p.704.</ref>。|date=2018年7月}}
 
 
 
{{要出典|第二次世界大戦は、第一次世界大戦よりも一層、イギリス対外資産を減少させた(1939-45年に約11億ポンド減)。主因はドル資産を中心とした資産売却であった。この減少過程を投資受け入れ国別に見ていくと、1939-45年の絶対額では[[インド]]・[[パキスタン]]の減少額が最大であり、次いでカナダ、アメリカとなっている。1946-48年では絶対額で[[アルゼンチン]]の2.67億ポンドが群を抜いており、あとはカナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ブラジルとつづく。カナダが上位に来ないのは、カナダの対外問題大臣サン・ローラン([[:en:Louis St. Laurent|Louis St. Laurent]])の意向である。彼はイギリスのカナダ証券売却に強く反対し、対英借款交渉では見返りにカナダへ投資するように要求していた。カナダの経常収支は、特にアメリカに対して赤字基調であり、それが主に、巨額のアメリカ資本で埋め合わせられていた{{Refnest|group=注釈|1947-57年にかけてのアメリカ[[外債]]市場では準内国債であるカナダ債と[[世界銀行]]債の比率が8割以上を占めていた<ref>『現代証券事典』 日本経済新聞社 1981年 416頁</ref>。}}。そこでカナダはイギリスのシェア拡大を望んだのである。1950-51年、アルキャンへ供給省から1800万ポンドと2300万ポンドが投資された。1952年夏、アメリカ復興金融公庫([[:en:Reconstruction Finance Corporation|Reconstruction Finance Corporation]])から受けていた融資を返済したイギリスは、担保として凍結されていた巨額のアメリカ証券を処分できるようになった。イギリス大蔵省はおよそ5億USドル分を保有・売却した。1952年8月、大蔵省と[[イングランド銀行]]は、売上げを英国企業によるカナダ投資へ使うことに合意した。この英国企業を新設するかどうかは議論されたが、最終的には[[シティ・オブ・ロンドン|シティ]]のマーチャント・バンクを通じて資金を投下することになった。<ref name=saiken />|date=2018年7月}}
 
 
 
{{要出典|実際にSGウォーバーグやロスチャイルドを具体例とするマーチャント・バンクが投資子会社を設立した。その資金は当時でいうところのフリンジ・バンキング、後に[[ビッグバン (金融市場)#モルガンの米国預託証券|セカンダリー・バンキング]]と呼ばれ社会問題化するホールセールから出ていた。しかしマーチャント・バンクはシティに対する忠誠心が低い者もあった。SGウォーバーグはイングランド銀行の庇護する引受商社ではなかったのである。セカンダリー・バンキングの機動性はモルガンの考案した[[米国預託証券]]によっていたので、シティ外の[[機関投資家]]もセカンダリー・バンキングへ参入し、苛烈な競争を展開した。カナダでは1967年銀行法の付帯条項で銀行金利が自由化され、住宅用[[モーゲージ]]貸出がスタートした<ref>[[OECD]] 『世界の規制改革』 上巻 日本経済評論社 2000年 87頁</ref><ref group=注釈>モーゲージは後に[[証券化]]されて[[ユーロカレンシー]]の[[信用創造]]に拍車をかけた。</ref>。1969年、カナダ原油の輪出が初めて輸入を上回った<ref name=oil>水戸考道 『石油市場の政治経済学』 九州大学出版会 2006年 99頁</ref>。この傾向は1970年代まで続き、石油の国際収支は1962年の1億7400万ドルの赤字から、1972年には3億3400万ドルの黒字へと変わった<ref name=oil />。|date=2018年7月}}
 
 
 
=== 戦後時期 ===
 
1960年、カナダ権利章典が制定された。これは州の同意が得られなかったので連邦権限の範囲で運用された。[[1965年]]に現在の[[カナダの国旗|サトウカエデの葉の国旗]]が採用・掲揚された。[[1969年]]には二カ国語[[公用語]]が実施された。[[1971年]]には[[多文化主義]]が宣言されている。ケベックでは近代からナショナリスト運動([[:en:Quebec nationalism|Quebec nationalism]])が続いており、1960年代の経済改革([[静かなる革命]])につながった<ref name="QR">{{cite web| last=Bélanger| first=Claude |publisher=Marionopolis College, Montreal| url= http://faculty.marianopolis.edu/c.belanger/quebechistory/events/quiet.htm| title= Quiet Revolution| work=Quebec History| date=August 3, 2000| accessdate=4 May 2008}}</ref> 。[[1970年]]に運動がエスカレートし[[ケベック解放戦線]]が[[オクトーバー・クライシス]]を引き起こした。このころから1982年のカナダ憲法制定にかけて、首相の[[ピエール・トルドー]]が連邦の一体化を強力に推進した。
 
 
 
{{要出典|1963年から1968年にかけて、SGウォーバーグを媒介にカナダ経済は[[ユーロ債]]市場とリンクした<ref>菅原歩 [http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/45512/1/10170303.pdf ユーロ市場の形成とS・G・ウォーバーグ商会 1963-1968年 (1)] 2002年9月</ref><ref>菅原歩 [http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/45533/1/10171102.pdf ユーロ市場の形成とS・G・ウォーバーグ商会 1963-1968年 (2)] 2003年1月</ref>。機関化に伴い<ref group=注釈>トランスアーバン([[:en:Transurban|Transurban]])は典型。</ref>、[[ユニバーサルヘルスケア|ユニバーサルヘルスケア制度]]・年金制度([[:en:Canada Pension Plan|Canada Pension Plan]]){{Refnest|group=注釈|2017年には21年ぶりの制度改革が行われた。2019-23年に所得代替率を1/3まで引き上げ、2024-25年に保険料賦課対象所得を114%まで拡大する。<ref>『年金制度の展望 改革への課題と論点』 年金綜合研究所 2017年 図表3-6 カナダ年金プランの拡大の主要設計パラメータ</ref>}}・学生ローンといった[[社会民主主義]]的諸制度も創設された。これらの政策については地方政府、特にケベックとアルバータが管轄権の侵害であると反対している<ref group=注釈>この論争は戦前から続いている([[カナダの歴史#ベルリンというメッカ|詳細]])。</ref>。1970年、[[ムーディーズ]]のカナダ証券協会([[:en:Canadian Securities Institute|Canadian Securities Institute]])が発足{{Refnest|group=注釈|カナダの証券会社は規模が小さかったので、カナダの機関投資家や企業は大口の証券取引を[[メリルリンチ]]などアメリカの証券会社に依頼することが多かった<ref>楠本博 『金融制度改革で変わる銀行・証券業務』 東洋経済新報社 1990年 31頁</ref>。}}。1973年、新生マニトバ・プールが事実上の小麦独占体となった。1975年、企業集中に関する王立委員会([[:en:Royal Commission on Corporate Concentration|Royal Commission on Corporate Concentration]])が開かれた。構成員は三人だけである。まず一人目が[[ロバート・ブライス (カナダの官僚)|ロバート・ブライス]]、二人目が税務専門家のディッカーソン(Robert Dickerson)であり、三人目のピエール([[:fr:Pierre Nadeau|Pierre Nadeau]])は今日の[[トタル]]であるペトロフィナ・カナダ社長で[[カナダロイヤル銀行]]の重役だった<ref name=C5>Colin H. Goff and Charles E. Reasons, ''Corporate Crime in Canada'', Pentice-Hall of Canada, 1978, pp.75-76.</ref>。パワー・コーポレーション([[:en:Power Corporation of Canada|Power Corporation of Canada]])が同会議を利用し、[[エドワード・プランケット・テイラー]]のアーガス・コーポレーションを買収しようと三年間も調整を試みた。一方、[[投資信託]]のパトナム([[:en:Putnam Investments|Putnam Investments]])がパワー・コーポレーションの計算で、アメリカの[[アセット・マネジメント]]市場に、これからずっと利用できるような貪欲ともいえる足がかりを提供した<ref>''International Directory of Company Histories'', Vol.198, p.377. "For Power Corporation Putnam provided a long-coveted toehold in the U.S. asset management market."</ref>。|date=2018年7月}}
 
 
 
{{要出典|1981年、パワー・コーポレーションが[[BNPパリバ]]と[[コンパニー・ナショナル・ア・ポトファイ]]の二社をともない、ベルギーの投資銀行[[グループ・ブリュッセル・ランバート]]に参加した。パワー・コーポレーションのポール・デズマレー([[:en:Paul Desmarais|Paul Desmarais]])は、1984年から首相の[[ブライアン・マルルーニー]]と懇意であった<ref>Robert A. Hackett, Richard S. Gruneau, Canadian Centre for Policy Alternatives, ''The Missing News: Filters and Blind Spots in Canada's Press'', University of Toronto Press, 2000, p.131. "Desmarais has close ties with both former Prime Minister Brian Mulroney and Prime Minister Jean Chrétien"</ref>。
 
[[1982年]]に英国カナダ法の改正による[[1982年憲法|カナダ憲法]]成立が決まり、「権利と自由憲章」がつくられカナダは完全な主権国家となった<ref name="bickerton">{{cite book| author=Bickerton, James & Gagnon, Alain-G & Gagnon, Alain (Eds).| title=Canadian Politics| publisher=Broadview Press| edition=4th| location=Orchard Park, NY| isbn=1-55111-595-6| year=2004}}</ref>。
 
ケベック分離派の[[テロリズム]]の10年後に当たる[[1980年]]に、[[ケベック州]]の連邦からの分離に関する[[住民投票]]が行われたが拒否され、[[1989年]]には憲法改正も試みられたが失敗している<ref name="dickinson" />。同年、ポール・デズマレーがドムタール(Domtar)買収に失敗。ドムタールは王立委員会のときアーガス側企業であった<ref name=C5 />。1993年から首相の[[ジャン・クレティエン]]は、1990年に自由党党首となるまでパワー・コーポレーションの重役であった<ref>''The Missing News: Filters and Blind Spots in Canada's Press'', [https://books.google.co.jp/books?id=f-Bu6KzhtHgC&pg=PA132&dq=power+corporation+of+canada+Desmarais&hl=ja&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=power%20corporation%20of%20canada%20Desmarais&f=false p.132.]</ref>。マルルーニーとクレティエンの政権リレーにより[[北米自由貿易協定]]が実現した。参加したメキシコには負い目があった([[ニューヨーク連邦準備銀行#機関化サロン]])。[[1995年]]に二度目の住民投票が行われたが、50.6%対49.4%の小差で拒否された<ref name="dickinson">{{cite book| first=John Alexander| last=Dickinson| coauthors=Young, Brian| year=2003| title=A Short History of Quebec| publisher=McGill-Queen's University Press| edition=3rd| location=Montreal| isbn=0-7735-2450-9}}</ref> 。[[1997年]]に最高裁から州による一方的な連邦脱退は違憲であるとの判断が下され、交渉による連邦からの脱退を規定した法律が定められた<ref name="dickinson" />。|date=2018年7月}}
 
 
 
国内の先住民問題ではオカ、イペルウッシュ、ガスタフセン湖で土地問題を巡り様々な法廷闘争と幾度かの暴力沙汰が起きた。[[1999年]]にカナダ政府はイヌイットの自治政府である[[ヌナブト準州]]をつくり、[[ブリティッシュコロンビア州]]では土地問題で[[ニスカ族]]との最終合意に達している。[[2008年]]には首相が先住民を対象とした寄宿学校問題([[:en:Canadian Indian residential school system|en]])で過去の政府の行いを謝罪している。
 
 
 
== 政治 ==
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの政治|en|Politics of Canada}}}}
 
1982年憲法'''第33条'''はカナダ憲法最大の特徴をなす。連邦議会・州議会の立法に対して最高裁が違憲判断を下したときでも、立法府が譲らなければ違憲判決の発効を先延ばしできるのである。猶予は最長5年間だが何度も更新できる。この制度を利用したケベック州の反動が立憲してすぐに起こった。しかし多様な経済政策が問題の顕在化を防いでいる。
 
 
 
=== 政治体制 ===
 
{{Main|英領北アメリカ法|1982年憲法}}
 
[[政治体制|政体]]は[[立憲君主制]]である。公式には[[イギリスの君主|イギリス国王]]が国家[[元首]](但しカナダではあくまで[[カナダ国王]]の扱い)となる<ref>[http://www.pch.gc.ca/jubilee/e-biography.htm Golden Jubilee: Biography] Royal Style and Titles Act ( R.S., 1985, c. R-12 ) [http://laws.justice.gc.ca/en/showdoc/cs/R-12///en?page=1 Royal Style and Titles Act]</ref>。形式的には[[カナダの総督|カナダ総督]]がカナダ国王の代理を務め、また実質的な首長は、総選挙により選出される[[カナダ政府|連邦政府]]の[[カナダの首相|首相]]である。
 
{{See also|カナダ国王|カナダの総督|カナダ首相}}
 
 
 
現行のカナダの[[憲法]]は[[1982年]]に施行されたため「[[1982年憲法]]」と呼ばれている。この憲法により、二言語[[多文化主義]]・[[ケベック州]]の特殊性・原住民居留地の特殊性などが認められている。
 
 
 
=== 行政 ===
 
{{Main|カナダ首相}}
 
政府は、[[議院内閣制]]を採用している。カナダは、歴史的に各州の合意により連邦が設立された経緯があることから、州に大幅な自治権が認められており、それぞれの州に首相、内閣及び議会がある。このためカナダにおける政治とは、州政府対連邦政府の駆け引きそのものということもできる。
 
 
 
=== 立法 ===
 
{{Main|カナダ議会}}
 
[[ファイル:Canada Parliament2.jpg|thumb|220px|[[カナダ議会]]議事堂。]]
 
[[立法府]]たる[[議会]]は[[オタワ]]に所在し、[[カナダ議会]]は[[元老院 (カナダ)|上院]]定数105名、[[庶民院 (カナダ)|下院]]定数338名の[[二院制]]を採用している。
 
 
 
主な[[政党]]には[[中道右派]]・[[保守主義]]の[[カナダ保守党]]、[[中道左派]]・[[自由主義|リベラリズム]]の[[カナダ自由党]]の[[二大政党]]と、中道左派・[[社会民主主義]]政党の[[新民主党]]、[[ケベック州]]の[[地域政党]]である左派の[[ブロック・ケベコワ]]、環境保護主義の[[カナダ緑の党]]がある。
 
{{See also|カナダの政党}}
 
 
 
[[1993年]]の下院[[総選挙]]で、与党・[[カナダ進歩保守党]]が改選前の169議席のうち167議席を失うという大惨敗を喫したことは、[[議会制民主主義]]が発達している[[先進国]]の[[政権与党]]が壊滅的な敗北を喫した例として、[[小選挙区制]]のモデルケースの一つとなる歴史的選挙であった。
 
 
 
=== 司法 ===
 
[[ファイル:Supreme Court of Canada.jpg|thumb|220px|[[カナダ最高裁判所]]。]]
 
一般的に[[アメリカ合衆国]]よりも[[リベラル]]な国民性で知られ、[[死刑]]制度を廃止している。
 
 
 
[[1989年]]の[[モントリオール理工科大学虐殺事件]]をきっかけに[[銃規制]]が強化されており、[[拳銃]]の携帯については一般には認められておらず、拳銃を携帯できるのは警察、軍、司法関係と現金輸送を行う民間業者など非常に限られている。
 
 
 
しかしながら、農村部を中心に[[狩猟]]が非常に盛んであり[[猟銃]]の保持率は高いが、銃を使った犯罪発生率は極めて低い。
 
 
 
=== 軍事 ===
 
{{Main|カナダ軍}}
 
カナダは1950年代から1990年代にかけて数多くの[[国際連合平和維持活動|国連平和維持活動]]に参加し、なるべくなら[[集団安全保障]]体制を望んでいた。しかし[[キューバ危機]]の後[[北大西洋条約機構|NATO]]へ急接近した。[[2001年]]にはNATO主導の[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガニスタン紛争]]にも派兵している。
 
 
 
一方で、[[2003年]]の[[イラク戦争]]への参加は拒否した。
 
 
 
== 国際関係 ==
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの国際関係|en|Foreign relations of Canada}}}}
 
{{See also|カナダとアメリカ合衆国の関係|日加関係}}
 
カナダは[[イギリス連邦|英連邦]]に加盟している。カナダは世界の先進7ヶ国([[G7]])および主要8ヶ国([[G8]])の一つである。
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
{{main|カナダの州}}
 
カナダは10の州(プロビンス、province)と3つの準州(テリトリー、territory)に区分されている。
 
人口は[[2015年]][[7月1日]]の推計値<ref>[https://www.citypopulation.de/php/canada-metro.php|title= City Population]閲覧日:2016年12月16日</ref>。
 
[[ファイル:Political_map_of_Canada.png|right|300px|]]
 
{{地域区分表|CONTENTS=
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ブリティッシュコロンビア州]]
 
|NAMEL=British Columbia
 
|POP=4,683,139
 
|CAPJ=[[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]
 
|CAPL=Victoria
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#449284;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[アルバータ州]]
 
|NAMEL=Alberta
 
|POP=4,196,457
 
|CAPJ=[[エドモントン]]
 
|CAPL=Edmonton
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#98af85;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[サスカチュワン州]]
 
|NAMEL=Saskatchewan
 
|POP=1,133,637
 
|CAPJ=[[レジャイナ]]
 
|CAPL=Regina
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#9cce59;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[マニトバ州]]
 
|NAMEL=Manitoba
 
|POP=1,293,378
 
|CAPJ=[[ウィニペグ]]
 
|CAPL=Winnipeg
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#b8da6b;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[オンタリオ州]]
 
|NAMEL=Ontario
 
|POP=13,792,052
 
|CAPJ=[[トロント]]
 
|CAPL=Toronto
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#f8c300;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ケベック州]]
 
|NAMEL=Québec
 
|POP=8,263,600
 
|CAPJ=[[ケベック市]]
 
|CAPL=Ville de Québec
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#f4b97f;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ニューブランズウィック州]]
 
|NAMEL=New Brunswick / Nouveau-Brunswick
 
|POP=753,871
 
|CAPJ=[[フレデリクトン]]
 
|CAPL=Fredericton
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#eb8990;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ノバスコシア州]]
 
|NAMEL=Nova Scotia
 
|POP=943,002
 
|CAPJ=[[ハリファックス]]
 
|CAPL=Halifax
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#db214c;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ニューファンドランド・ラブラドール州]]
 
|NAMEL=Newfoundland and Labrador
 
|POP=527,756
 
|CAPJ=[[セントジョンズ (ニューファンドランド・ラブラドール州)|セント・ジョンズ]]
 
|CAPL=St. John's
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#f7c5b4;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[プリンスエドワードアイランド州|プリンスエドワード島州]]
 
|NAMEL=Prince Edward Island
 
|POP=146,447
 
|CAPJ=[[シャーロットタウン]]
 
|CAPL=Charlottetown
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#a0223a;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ユーコン準州]]
 
|NAMEL=Yukon Territory
 
|POP=37,428
 
|CAPJ=[[ホワイトホース (ユーコン準州)|ホワイトホース]]
 
|CAPL=Whitehorse
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#798992;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ノースウェスト準州|北西準州]]
 
|NAMEL=Northwest Territories
 
|POP=44,088
 
|CAPJ=[[イエローナイフ]]
 
|CAPL=Yellowknife
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#96aebe;">■</span>
 
}}
 
{{地域区分表列
 
|NAMEJ=[[ヌナブト準州]]
 
|NAMEL=Nunavut
 
|POP=36,919
 
|CAPJ=[[イカルイト]]
 
|CAPL=Iqaluit
 
|ETC=<span style="font-size:20pt;color:#75c5f0;">■</span>
 
}}
 
}}
 
 
 
=== 都市圏人口 ===
 
{| class="infobox" style="text-align:center; width:97%; margin-right:10px; font-size:90%"
 
|-
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" |
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[カナダの州|行政区分]]
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" |
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[カナダの州|行政区分]]
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口
 
|-
 
|-----
 
|align="center"| '''1'''
 
|align="center"| '''[[トロント]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]
 
|align="right"|6,129,934
 
|align="center"| '''11'''
 
|align="center"| '''[[ロンドン (オンタリオ州)|ロンドン]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]
 
|align="right"|506,418
 
|-----
 
|align="center"| '''2'''
 
|align="center"| '''[[モントリオール]]'''
 
|align="center"| [[ケベック州]]
 
|align="right"|4,060,692
 
|align="center"| '''12'''
 
|align="center"| '''[[ハリファックス]]'''
 
|align="center"| [[ノバスコシア州]]
 
|align="right"|417,847
 
|-----
 
|align="center"| '''3'''
 
|align="center"| '''[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]'''
 
|align="center"| [[ブリティッシュコロンビア州]]
 
|align="right"|2,504,340
 
|align="center"| '''13'''
 
|align="center"| '''[[セントキャサリンズ]]'''/'''[[ナイアガラフォールズ (オンタリオ州)|ナイアガラフォールズ]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]
 
|align="right"|408,222
 
|-----
 
|align="center"| '''4'''
 
|align="center"| '''[[カルガリー]]'''
 
|align="center"| [[アルバータ州]]
 
|align="right"|1,439,756
 
|align="center"| '''14'''
 
|align="center"| '''[[オシャワ]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]
 
|align="right"|388,956
 
|-----
 
|align="center"| '''5'''
 
|align="center"| '''[[エドモントン]]'''
 
|align="center"| [[アルバータ州]]
 
|align="right"|1,363,277
 
|align="center"| '''15'''
 
|align="center"| '''[[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]'''
 
|align="center"| [[ブリティッシュコロンビア州]]
 
|align="right"|365,291
 
|-----
 
|align="center"| '''6'''
 
|align="center"| '''[[オタワ]]'''/'''[[ガティノー]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]/[[ケベック州]]
 
|align="right"|1,332,001
 
|align="center"| '''16'''
 
|align="center"| '''[[ウィンザー (オンタリオ州)|ウィンザー]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]
 
|align="right"|335,787
 
|-----
 
|align="center"| '''7'''
 
|align="center"| '''[[ケベック・シティー|ケベック]]'''
 
|align="center"| [[ケベック州]]
 
|align="right"|806,359
 
|align="center"| '''17'''
 
|align="center"| '''[[サスカトゥーン]]'''
 
|align="center"| [[サスカチュワン州]]
 
|align="right"|304,975
 
|-----
 
|align="center"| '''8'''
 
|align="center"| '''[[ウィニペグ]]'''
 
|align="center"| [[マニトバ州]]
 
|align="right"|793,428
 
|align="center"| '''18'''
 
|align="center"| '''[[レジャイナ]]'''
 
|align="center"| [[サスカチュワン州]]
 
|align="right"|241,422
 
|-----
 
|align="center"| '''9'''
 
|align="center"| '''[[ハミルトン (オンタリオ州)|ハミルトン]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]
 
|align="right"|771,703
 
|align="center"| '''19'''
 
|align="center"| '''[[シェルブルック (ケベック州)|シェルブルック]]'''
 
|align="center"| [[ケベック州]]
 
|align="right"|214,485
 
|-----
 
|align="center"| '''10'''
 
|align="center"| '''[[キッチナー (オンタリオ州)|キッチナー]]'''/'''[[ケンブリッジ (オンタリオ州)|ケンブリッジ]]'''/'''[[ウォータールー (オンタリオ州)|ウォータールー]]'''
 
|align="center"| [[オンタリオ州]]
 
|align="right"|511,319
 
|align="center"| '''20'''
 
|align="center"| '''[[セントジョンズ (ニューファンドランド・ラブラドール州)|セントジョンズ]]'''
 
|align="center"| [[ニューファンドランド・ラブラドール州]]
 
|align="right"|214,285
 
|-----
 
| colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" | 2015年推計値
 
|}
 
{{-}}
 
 
 
== 地理と交通 ==
 
[[ファイル:Canada topo.jpg|thumb|left|220px|カナダの地形図。]]
 
[[File:Longest_Rivers_of_Canada.png|thumb|220px|カナダの主な河川。]]
 
[[File:Canadian Horseshoe Falls with Buffalo in background.jpg|thumb|220px|[[ナイアガラの滝]]。]]
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの地理|en|Geography of Canada}}}}
 
{{See also|{{仮リンク|カナダの交通|en|Transport in Canada}}}}
 
{{See also|カナダの鉄道|カナダの空港の一覧}}
 
 
 
カナダの国土は[[北アメリカ大陸]]の北半分を占める。南および西は[[アメリカ合衆国]]と接する。東は[[大西洋]]、[[デイビス海峡]]、西岸の一部は[[太平洋]]、北は[[ボーフォート海]]、[[北極海]]に面する。国土の中央部の[[ウィニペグ湖]]から[[ロッキー山脈]]にかけては、広大な[[プレーリー]]地域である。[[五大湖水路|水路]]となる[[五大湖]]の北には[[カナダ楯状地]]が広がる。
 
 
 
[[ロシア]]に次いで世界で2番目に広大な国土を持つ国であり、北アメリカ大陸の約41%を占めている。なお、カナダの領土の54%は[[森林]]で占められている。[[ノースウエスト準州]]北西は[[湿地]]帯であり、地面や湖が凍る冬季でないと車両の通行が困難である。
 
 
 
人口密度は3.2人/km<sup>2</sup>で、国土の多くは[[北極圏]]内にある。[[エクメーネ|人の住める地域]]は面積に比して少ない。カナダ人の80%はアメリカ合衆国との国境から200km以内に住んでおり、人口の約40%がオンタリオ州に集中している。人口が最も多い地域は[[五大湖]]、[[セントローレンス川]]周辺である。そして、大半のカナダ人は、アメリカ合衆国とカナダ国境線に沿って約500キロ幅の細長い帯状に住んでおり、それより北は人口が極端に少ない。
 
 
 
== 気候 ==
 
[[ファイル:Rideau Canal in winter.jpg|thumb|凍り付いた[[リドー運河]]([[オタワ]])]]
 
太平洋側の西海岸沿岸部を除き、ほぼ全域が[[亜寒帯]]・[[寒帯]]に属する。
 
 
 
[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]や[[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]などが位置する西海岸の沿岸部は暖流の影響で[[温帯]]の[[西岸海洋性気候]]に属し、夏は涼しく乾燥していて過ごしやすく晴れる日が多いが、冬は温暖で雨が多い。北米屈指のスキーリゾートの[[ウィスラー (ブリティッシュコロンビア州)|ウィスラー]]などが位置するロッキー山脈の西側の山岳地帯は世界有数の豪雪地帯となっている。
 
 
 
[[アルバータ州]]から[[サスカチュワン州]]、[[マニトバ州]]にかけては、[[亜寒帯湿潤気候]]、[[湿潤大陸性気候]]に加えて[[ステップ気候]]も広がり降水量が少なく乾燥している。夏は比較的気温が上がるが、乾燥していて過ごしやすい。一方、冬は零下50度近くまで下がることもあり、シベリアに匹敵する酷寒地である。特に中央部に位置する[[ウィニペグ]]は大陸性の気候が顕著であり、[[レジャイナ]]や[[サスカトゥーン]]などと並び北アメリカで最も寒い都市([[アラスカ]]の[[アンカレッジ]]よりはるかに寒い。)とされる。
 
 
 
[[トロント]]や[[モントリオール]]などの大都市が位置し、人口が集中する[[セントローレンス川]]沿いは[[亜寒帯湿潤気候]]に属し、夏は比較的湿度が高く蒸し暑くなる。[[トロント]]などの[[オンタリオ州]]南端部ではそれほど厳しい寒さとはならないが、[[オタワ]]や[[モントリオール]]などでは最寒月の平均気温が-10度以下となり、-30度程度まで下がることもあるほど、寒さが厳しく降雪量も多い。[[ノバスコシア州]]や[[ニューファンドランド島]]などの大西洋側沿岸地方はより海洋性の気候の特色を有していくことになり、冬季は低気圧の発達により豪雪地帯となる。
 
北極圏などの北部地域は[[寒帯]]に属し[[ツンドラ気候]]が分布し[[永久凍土]]が広がっている。
 
 
 
カナダ国内における最高気温極値は[[サスカチュワン州]]の[[:en:Midale|Midale]]と[[:en:Yellow Grass|Yellow Grass]]で観測された45 °C、最低気温極値は[[ユーコン準州]]の[[:en:Snag|Snag]]で観測された−63 °Cであり、これは、アメリカ大陸で最も低い気温である。
 
 
 
{|class="wikitable" style="text-align:right;font-size:small"
 
|+カナダ各地の平年値(統計期間:1980年 - 2010、出典:[http://climate.weather.gc.ca/climate_normals/index_e.html カナダ気象庁])
 
!rowspan="2" colspan="2"|平年値<br>(月単位) 
 
!colspan="3"|太平洋岸
 
!colspan="4"|西部 
 
!colspan="4"|中部 
 
|-
 
!style="width:4em"|[[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]
 
!style="width:4em"|[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]
 
!style="width:4em"|[[プリンスルパート]]
 
!style="width:4em"|[[カムループス]]
 
!style="width:4em"|[[カルガリー]]
 
!style="width:4em"|[[エドモントン]]  
 
!style="width:4em"|[[フォートマクマレー]]
 
!style="width:4em"|[[サスカトゥーン]]
 
!style="width:4em"|[[ウィニペグ]]
 
!style="width:4em"|[[チャーチル (マニトバ州)|チャーチル]] 
 
!style="width:4em"|[[サンダーベイ (オンタリオ州)|サンダーベイ]]
 
|-
 
!colspan="2"|[[ケッペンの気候区分|気候区分]]
 
|[[西岸海洋性気候|Cfb]]||Cfb
 
|Cfb||[[ステップ気候|BSk]]
 
|BSk||[[湿潤大陸性気候|Dfb]]
 
|Dfb||BSk/Dfb
 
|Dfb||[[亜寒帯気候|Dfc]]
 
|Dfb|Dfb
 
|-
 
!rowspan="2"|平均<br>気温<br>(°C)
 
!最暖月
 
|16.9<br>(7月)||18.0<br>(7,8月)
 
|style="background:#0cf"|13.8<br>(8月)||style="background:#f90"|21.5<br>(7月)
 
|16.5<br>(7月)||17.7<br>(7月)
 
|17.1<br>(7月)||18.5<br>(7月)
 
|style="background:#fc0"|19.7<br>(7月)||style="background:#0cf"|12.7<br>(7月)
 
|17.7<br>(7月)
 
|-
 
!最寒月
 
|style="background:#f90"|4.6<br>(1月)||style="background:#f90"|4.1<br>(1月)
 
|style="background:#fc0"|2.4<br>(1月)||&minus;2.8<br>(1月)
 
|&minus;7.1<br>(1月)||style="background:#09f"|&minus;10.4<br>(1月)
 
|style="background:#09f"|&minus;17.4<br>(1月)||style="background:#09f"|&minus;15.5<br>(1月)
 
|style="background:#09f"|&minus;16.4<br>(1月)||style="background:#03f"|&minus;26<br>(1月)
 
|style="background:#09f"|&minus;14.3<br>(1月)
 
|-
 
!rowspan="2"|[[降水量]]<br>(mm)
 
!最多月
 
|152.6<br>(11月)||188.9<br>(11月)
 
|373.6<br>(10月)||37.4<br>(6月)
 
|94.0<br>(6月)||93.8<br>(7月)
 
|80.7<br>(7月)||65.8<br>(6月)
 
|90.0<br>(6月)||69.9<br>(9月)
 
|89.5<br>(8月)
 
|-
 
!最少月
 
|17.9<br>(7月)||35.6<br>(7月)
 
|108.8<br>(6月)||12.4<br>(2月)
 
|9.4<br>(1,2月)||12.0<br>(2月)
 
|13.2<br>(2月)||8.8<br>(2月)
 
|13.8<br>(2月)||16.6<br>(2月)
 
|20.5<br>(2月)
 
|-
 
!rowspan="2" colspan="2"|平年値<br>(月単位)
 
!colspan="5"|東部
 
!colspan="2"|大西洋岸
 
!colspan="4"|北部
 
|-
 
![[トロント]]
 
![[オタワ]]
 
![[モントリオール]]
 
![[ケベックシティ]]
 
![[:en:Labrador City|ラブラドール・シティ]]
 
![[ハリファックス]]
 
![[セントジョンズ (ニューファンドランド・ラブラドール州)|セントジョンズ]]
 
![[ホワイトホース (ユーコン準州)|ホワイトホース]]
 
![[イエローナイフ]]
 
![[イカルイト]]
 
![[:en:Eureka, Nunavut|ユーレカ]]
 
|-
 
!colspan="2"|[[ケッペンの気候区分|気候区分]]
 
|[[湿潤大陸性気候|Dfa]]||Dfb
 
|Dfb||Dfb
 
|Dfb||Dfb
 
|Dfb||Dfc
 
|Dfc||[[ツンドラ気候|ET]]
 
|ET
 
|-
 
!rowspan="2"|平均<br>気温<br>(°C)
 
!最暖月
 
|style="background:#f90"|21.5<br>(7月)||style="background:#f90"|21.0<br>(7月)
 
|style="background:#f90"|21.2<br>(7月)||style="background:#fc0"|19.3<br>(7月)
 
|style="background:#0cf"|13.8<br>(7月)||18.8<br>(7月)
 
|16.1<br>(8月)||style="background:#0cf"|14.3<br>(7月)
 
|17.0<br>(7月)||style="background:#3170B9"|8.2<br>(7月)
 
|style="background:#3170B9"|6.1<br>(7月)
 
|-
 
!最寒月
 
|&minus;5.5<br>(1月)||style="background:#09f"|&minus;10.3<br>(1月)
 
|&minus;9.7<br>(1月)||style="background:#09f"|&minus;12.8<br>(1月)
 
|style="background:#03f"|&minus;22.2<br>(1月)||&minus;5.9<br>(1月)
 
|&minus;4.9<br>(2月)||style="background:#09f"|&minus;15.2<br>(1月)
 
|style="background:#03f"|&minus;25.6<br>(1月)||style="background:#03f"|&minus;27.5<br>(1月)
 
|style="background:#3170B9"|&minus;37.4<br>(2月)
 
|-
 
!rowspan="2"|[[降水量]]<br>(mm)
 
!最多月
 
|78.1<br>(8月)||92.8<br>(6月)
 
|96.4<br>(11月)||121.4<br>(7月)
 
|113.9<br>(7月)||154.2<br>(11月)
 
|164.8<br>(12月)||38.1<br>(7月)
 
|40.8<br>(7月)||69.5<br>(8月)
 
|16.1<br>(8月)
 
|-
 
!最少月
 
|47.7<br>(2月)||54.3<br>(2月)
 
|62.7<br>(2月)||74.5<br> (2月)
 
|40.3<br>(2月)||93.5<br> (8月)
 
|91.6<br>(7月)||7.0<br>(4月)
 
|11.3<br>(4月)||18.7<br>(2,3月)
 
|2.2<br>(3月)
 
|-
 
|}
 
 
 
== 経済 ==
 
{{main|カナダの経済}}
 
 
 
<!--[[ファイル:Toronto central business district.jpg|right|200px|thumb|北米有数の[[世界都市]]である[[トロント]]はカナダ随一の[[金融センター]]である。]]-->
 
[[国際通貨基金|IMF]]によると、[[2010年]]のカナダの[[国内総生産|GDP]]は1兆5636億ドル(約130兆円)であり、世界第9位である<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2010/02/weodata/index.aspx IMF: World Economic Outlook Database]</ref>。20世紀初めまで経済の主体は[[農業]]だったが、[[モントリオール]]や[[トロント]]が[[金融センター]]となって、現在では世界有数の[[先進国|先進工業国]]となった。工業は自動車産業や機械産業が成長し、近年は[[情報技術|IT]]産業が発展してきている。カナダでは唯一の発券銀行として中央銀行の[[カナダ銀行]]があり、通貨[[カナダドル]]を発行、管理している。1ドル=100セントである。2012年3月29日にカナダ政府は実用性や製造コストなどの問題や理由により1セント通貨の製造を廃止することを発表している<ref>{{cite web |title=カナダが1セント硬貨廃止へ、「経済への負担重い」 |publisher=ロイター |date=2012-03-30 |url=http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE82T02W20120330 |accessdate=2012-04-01}}</ref>。[[世界金融危機]]のときにカナダ銀行総裁であった[[マーク・カーニー]]は、2013年からイングランド銀行総裁を務めている。カナダは[[京都議定書]]に署名はしたものの[[2011年]]12月に脱退を表明した<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/30004911.html カナダ、京都議定書は「過去のもの」 脱退を表明]CNN.co.jp</ref>。2009年の気候変動実績指標では最下位の[[サウジアラビア]]に次ぐ59位であり、二酸化炭素排出量は10年前より25%も増えている。
 
 
 
=== 鉱業 ===
 
王有の鉱山会社[[:en:Cape Breton Development Corporation|CBDC]] があるほど力を入れている。
 
 
 
鉱物資源に非常に恵まれており、世界シェア10位に入る鉱物が17種ある。以下では2003年時点の統計データに基づく。有機鉱物資源では、[[天然ガス]](6565千兆ジュール、3位)、燃料となる[[褐炭]](3695万トン、9位)のほか、[[石炭]](2954万トン)と[[原油]](9111万トン)の産出量も多い。[[ダイヤモンド]]の産出量も1120万カラットに及び、世界第6位である。
 
 
 
金属資源では、 [[ウラン]]鉱(1万トン、1位、世界シェア29.2%)、[[塩化カリウム|カリ塩]]鉱(820万トン、1位、世界シェア30.9%)、 [[イオウ]](903万トン、2位)、[[鉄鉱石|鉄鉱]](1980万トン、3位)、[[銀]]鉱(1309トン<!-- 万トンではない -->、3位)、[[タングステン]]鉱(2750トン<!-- 万トンではない -->、3位)、[[ニッケル]]鉱(16万トン、3位)、[[亜鉛]]鉱(100万トン、4位)、[[コバルト]]鉱(4304トン<!-- 万トンではない -->、5位)、[[塩化ナトリウム|塩]](1335万トン、5位)、[[鉛]]鉱(15万トン、5位)、[[金]]鉱(141トン<!-- 万トンではない -->、7位)、[[アンチモン]]鉱(143トン<!-- 万トンではない -->、8位)、[[銅]]鉱(56万トン、8位)が特筆される。このほか、[[マグネシウム]]鉱、[[リン]]鉱も採掘されている。銀は[[大不況 (1873年-1896年)]] のころからコバルトなどの工業用金属を[[選鉱]]するときに副産物として生産されており、世界的な供給過剰と価格の下落を引き起こした<ref>井村薫雄 『支那の為替と金銀』 上海出版協会 1923年 pp.250-251.</ref>。
 
 
 
カナダは[[第二次世界大戦]]のころ[[ベルギー領コンゴ]]や[[チェコスロバキア]]と並ぶ世界的なウラン供給国であった<ref>マーガレット・ガウィング 『独立国家と核抑止力』 電力新報社 1993年 p.399.</ref><ref>[[アインシュタイン=シラードの手紙]]</ref>。2000年となっては[[日本]]の[[天然ウラン#日本の輸入額|天然ウラン]]輸入元における取引額1位であった。
 
 
 
=== 貿易 ===
 
[[File:Tree map export 2009 Canada.jpeg|thumb|色と面積で示したカナダの輸出品目([[2009年]])]]
 
 
 
最大の貿易相手国は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で、輸出の5分の4以上、輸入の約3分の2を占める。鉱物、木材、穀物は現在も重要な輸出品だが、近年は工業製品が中心となっている。アメリカへの輸出品で最も多いのは、自動車と関連部品である。[[1989年]]にアメリカとの[[自由貿易協定|FTA]]が発効し、[[1994年]]には[[メキシコ]]も加わって[[北米自由貿易協定|NAFTA]]が結ばれた。アメリカ以外の主要輸出相手国は[[日本]]、[[イギリス]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[メキシコ]]、[[ドイツ]]、[[イタリア]]。主要輸入相手国は中国、メキシコ、日本、イギリス、ドイツである。主要輸出品は、自動車および自動車部品、精密機器、原油、天然ガス、金属および金属製品、産業用機械、通信機器、化学製品、木材、パルプ、小麦、魚類(サケ類、イクラ、マグロ等)、[[メープルシロップ]]など。輸入品は自動車部品、自動車、機械、化学製品、コンピューター、原油、通信機器などである。
 
 
 
== 国民 ==
 
カナダの人口は連邦化時点から単調増加を続けている。カナダでは[[社会保険番号]]が[[国民識別番号]]として運用される。
 
[[File:Canada population.svg|thumb|left|カナダ人口動態]]
 
[[File:Canadapop.svg|thumb|right|カナダ[[人口ピラミッド]]]]
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの宗教|en|Religion in Canada}}}}
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの人口統計|en|Demographics of Canada}}}}
 
{{main|[[カナダ人の一覧]]}}
 
{{Clear}}
 
<!-- (住民の人種構成、言語、宗教など) -->
 
=== 人種 ===
 
{{main|[[:en:Ethnic origins of people in Canada]]}}
 
{{bar box
 
|title=人種(2011年 カナダ国勢調査)
 
|titlebar=#ddd
 
|float=right
 
|bars=
 
{{bar percent|[[白人|ヨーロッパ系白人]]|blue|76.7}}
 
{{bar percent|[[東アジア|東アジア系]]|pink|4.8}}
 
{{bar percent|[[南アジア|南アジア系]]|yellow|4.8}}
 
{{bar percent|先住民族|orange|4.3}}
 
{{bar percent|[[黒人]]|Purple|2.9}}
 
{{bar percent|[[東南アジア|東南アジア系]]|silver|2.8}}
 
{{bar percent|[[西アジア]]・[[アラブ人|アラブ系]]|brown|1.8}}
 
{{bar percent|[[ラテンアメリカ|ラテンアメリカ系]]|black|1.2}}
 
{{bar percent|[[混血]]|red|0.5}}
 
{{bar percent|その他の[[有色人種]]|green|0.3}}
 
}}
 
 
 
2011年国勢調査によると、ヨーロッパ系白人が76.7%、黒人2.9%、先住民4.3%、中南米系やアジア系などを含むその他が16.2%となっている。その他の内訳は東アジア系(4.8%)、南アジア系(4.8%)、東南アジア系(2.8%)、西アジア・アラブ系(1.8%)、ラテンアメリカ系(1.2%)、混血(0.5%)、その他(0.3%)となっている。カナダの人種統計では、白人、先住民族以外を[[有色人種]]と分類し、全人口の19.1%を占めている。[[:en:Aboriginal peoples in Canada|先住民族]]はさらに北アメリカインディアン系をまとめた呼称である[[ファースト・ネーション|ファースト・ネーションズ]] (First Nations) (2.6%) 、インディアンとヨーロッパ白人の混血の[[メティ (カナダ)|メティ]](1.4%)、[[エスキモー]]民族の[[イヌイット]]の3つに分類されている。
 
 
 
カナダとアメリカの人種構成の違いは、もともと黒人[[奴隷]]がほとんど存在しなかったために黒人(2.5%)が非常に少なく、イギリス系、フランス系が人口の半数を占めていることである。アメリカと同じくアイルランド系とドイツ系とイタリア系も多いが、カナダはウクライナ系が非常に多いのが特徴で、[[ウクライナ]]・[[ロシア]]以外では最大規模である。またアメリカで非常に多いスペイン語圏出身者が少ない。アジア系が多いといってもカナダは大英帝国の植民地だった影響で大多数は南アジア系、中国系(特に[[香港]]など[[広東語]]圏)であり、逆にアメリカに多いアジア系の[[日系カナダ人|日系]]、[[韓国系カナダ人|韓国系]]、ベトナム系は比較的少ない。特にバンクーバーとトロントは巨大なアジア系人口を抱え、この2都市では白人は人口の半数弱を占めるに過ぎない。一方、アフリカ系は主に、トロント、モントリオールに集中している。1999年に中国系の[[エイドリアン・クラークソン]]、続いて2005年に[[ハイチ系カナダ人|ハイチ系]]の[[ミカエル・ジャン]]が総督に就任するなど、リベラルな国民性も合わせて人種には寛容な姿勢を示している。
 
 
 
中国系カナダ人は、1850年代、[[ゴールドラッシュ]]や鉄道建設の労働者としてカナダに流入したのが始まりである。カナダは中国系の排斥を意図して、[[人頭税]]を課したり、中国系排斥を狙った中国人移民法を1920年代に成立させている。これについて、カナダ政府は2006年に謝罪した。カナダには、政府関連事業に80万[[カナダドル]](約7500万[[円 (通貨)|円]])を5年間、無利子で融資した場合、永住権を獲得できるプログラムが有り、このプログラムに申し込む半数は中国系とされる。カナダでは、この投資額を引き上げる動きがあり、中国系を排斥する意図があるのではと一部で指摘されている<ref>{{cite news |title=中国人コミュニティー動揺 カナダ、富裕外国人への移民プログラム大幅見直し |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-4-19|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/140419/amr14041910060006-n1.htm |accessdate=2014-4-19 | author=黒沢潤 }}</ref>。2015年2月、中国人移民の急増に耐えかねたカナダ当局は、このプログラムを打ち切っている<ref>{{cite news |title=「中国の夢」の終焉 ~急増する富裕層の移民 |newspaper=WISDOM |date=2016-3-28|url=https://www.blwisdom.com/strategy/series/china/item/10455.html |accessdate=2016-6-5 | author=田中信彦 }}</ref>。
 
 
 
2006年の調査では住民の祖先は、[[イングランド人|イングランド]]系21%、[[フランス人|フランス]]系15.8%、[[スコットランド人|スコットランド]]系15.2%、[[アイルランド人|アイルランド]]系13.9%、[[ドイツ人|ドイツ]]系10.2%、[[イタリア人|イタリア]]系5%、[[華人|中国系]]4%、[[ウクライナ人|ウクライナ]]系3.6%、[[オランダ人|オランダ]]系3.3%、[[ポーランド人|ポーランド]]系3.1%、[[インド系移民と在外インド人|インド系]]3%である。また、3.8%のカナダ人が先住民族の血を引くと回答している。3分の1の国民が自らの民族をカナダ人であると主張しているが、これは、移民である祖先の出身国の民族意識よりも、民族的アイデンティティそのものはもはやカナダ人であると主張する人たちであり、大多数はイギリス系とフランス系であると思われる。
 
 
 
=== 言語 ===
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの言語|en|Languages of Canada}}}}
 
[[ファイル:Bilinguisme au Canada-fr.svg|thumb|カナダにおける英語と仏語使用地域。黄色は英語、茶色は仏語、薄茶色が両言語使用地域、白色は人口希薄地域を表す。]]
 
{{bar box
 
|title=母語話者(カナダ)2011
 
|titlebar=#ddd
 
|float=right
 
|bars=
 
{{bar percent|[[英語]]|red|56.9}}
 
{{bar percent|[[フランス語]]|Purple|21.3}}
 
{{bar percent|その他|black|21.8}}
 
}}
 
 
 
[[英語]]([[カナダ英語]]を参照)と[[フランス語]]({{interlang|en|Canadian French}}を参照)が[[1969年]]に制定された公用語法によって認められている[[公用語]]である。この公用語法では、連邦政府における[[英語]]と[[フランス語]]が平等な地位にあることが定められた。連邦裁判所、[[カナダ議会|連邦議会]]([[カナダ議会|カナダ国会]])や連邦政府機関のすべてで英仏二カ国語が平等に扱われる。カナダ国民は、十分に需要がある場合には連邦政府の行政サービスを英語またはフランス語にて受ける権利があり、公用語の少数派側であっても、すべての[[カナダの州|州]]・準州にて教育を受ける権利が保障されている。
 
 
 
2006年国勢調査<ref>[http://www12.statcan.gc.ca/census-recensement/2006/as-sa/97-555/p1-eng.cfm]</ref>によると、国民の約58%が[[英語]]、約22%が[[フランス語]]を第一言語としている。約98%が英語かフランス語のどちらかを話し(57.8%が英語のみを、13.3%がフランス語のみを、17.7%が両言語を話すことができる)
 
[[フランス語]]が主に使われている地域は[[ケベック州]]、[[オンタリオ州]]の[[オタワ]]などの東部地域と[[北オンタリオ地方]]、[[ニューブランズウィック州]]の[[アカディア]]人の多い地域、および[[マニトバ州]]の南部である。このうち、[[ケベック州]]は[[フランス語]]([[ケベック・フランス語]]を参照)のみを、[[ニューブランズウィック州]]は[[英語]]と[[フランス語]]を州の[[公用語]]とし、他州は[[英語]]のみを州の[[公用語]]としている。
 
 
 
なお、[[ユーコン準州]]では[[英語]]と[[フランス語]]が、[[ヌナブト準州]]では[[英語]]、[[フランス語]]、[[イヌクティトゥット語]]、イヌイナクトゥン語が、[[ノースウエスト準州]]では[[英語]]、[[フランス語]]、[[イヌクティトゥット語]]、イヌイナクトゥン語、[[クリー語]]、ドグリブ語、チペワイアン語、サウススレイビー語、ノーススレイビー語、グウィッチン語、イヌビアルクトゥン語も[[公用語]]となっている。
 
 
 
[[公用語]]以外の[[言語]]を使う住民も600万人ほどおり、[[中国語]]([[広東語]]が多い)の話者が103万人、[[イタリア語]]が45万人、[[ドイツ語]]が44万人、などである。また[[ファースト・ネーション|先住民]]の中には個々の部族の言語を使うものもいるが、多くの[[言語]]はだんだんと使われなくなっていく傾向にある。
 
 
 
カナダでは移民社会を構成しているので、200語以上の言語が国勢調査で母語として回答されている。中国語を母語とする人口は全体の3.3%であり、英語、フランス語に続く第三位の母語となっている。第四位は[[パンジャブ語]]であり増加中である。その他に母語として多いのは[[スペイン語]]、[[アラビア語]]、[[タガログ語]]、[[ウルドゥ語]]である。
 
 
 
カナダでは二カ国語主義の国家ではあるものの、英語とフランス語の両方で会話が出来るのは人口の17.4%である<!--これを多いと見るか少ないと見るかは主観による-->。ケベック州在住の英語話者の69%はフランス語も話せ、ケベック州以外に在住のフランス語話者の83.6%が英語も話せる。
 
 
 
=== 宗教 ===
 
{{bar box
 
|title=宗教構成(カナダ)
 
|titlebar=#ddd
 
|float=right
 
|bars=
 
{{bar percent|特になし|gray|16.5}}
 
{{bar percent|[[カトリック教会|カトリック]]|blue|43.2}}
 
{{bar percent|[[プロテスタント]]|brown|29.2}}
 
{{bar percent|その他のキリスト教|yellow|4.3}}
 
{{bar percent|その他の宗教|black|6.4}}
 
}}
 
 
 
2001年の国勢調査によると、[[キリスト教徒]]が多数(77%)を占める。内訳は[[アングロアメリカ]]圏でありながら、[[カトリック教会|カトリック]]が43.2%と最も多い。次に[[プロテスタント]]が29.2%、[[正教会]]・[[東方諸教会]]が1.6%となっている。
 
 
 
[[ムスリム]]が2%、[[ユダヤ教]]徒が1.1%、[[仏教]]徒が1.0%、[[ヒンドゥー教]]徒が1.0%、[[シーク教]]徒が0.9%。[[無宗教]]は16.5%である。
 
 
 
プロテスタントの力が政治的にも文化的にも強い影響力を持っているアメリカ合衆国と比べるとカナダはより世俗的である。これは教会出席率にも表している。アメリカ合衆国では
 
毎週教会に通う人の割合が43%で、全く通わない、もしくはほとんど行かないという人の割合はわずか8%である。一方、カナダでは毎週教会に通う人の割合が20%にとどまり、全く通わない、もしくはほとんど行かないという人の割合は38%と逆転している。
 
 
 
{{Clearleft}}
 
 
 
=== 市民結婚法 ===
 
{{See also|[[:en:Same-sex marriage in Canada]]}}
 
カナダでは、2005年7月20日に「市民結婚法([[:en:Civil Marriage Act|Civil Marriage Act]])」が成立し、[[結婚]]を「すべての他人を除外した2人の人物の[[合法]]的な連合」と定義している、つまり異性間の結婚と同性間の結婚に区別がなく現在世界で最も容易に[[同性結婚]]をすることが可能である。
 
 
 
=== 保健 ===
 
{{Main|カナダの医療}}
 
各州が運営するMedicareにより、一般税収を原資とした[[公費負担医療]]が実施されている。診察などは無料提供されているが、薬剤等を含む医療費における自己負担率は30%ほど<ref>[https://secure.cihi.ca/estore/productFamily.htm?pf=PFC588&lang=en&media=0]</ref>。
 
 
 
== 文化 ==
 
[[File:Raven-and-the-first-men.jpg|thumb|right|[[ビル・リード]]の1980年の作品「[[ワタリガラス]]と最初の[[人類]]」。ワタリガラスは先住民に共通した伝説に伝わる動物である]]
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの文化|en|Culture of Canada}}}}
 
 
 
カナダの文化はしばしば「進歩的、多様で、[[多文化主義]]的」<ref name="Cotter2011rt">{{cite book|author=Anne-Marie Mooney Cotter|title=Culture clash: an international legal perspective on ethnic discrimination|url=http://books.google.com/books?id=0AcvVUevrMYC&pg=PA176|date=February 28, 2011|publisher=Ashgate Publishing, Ltd.|isbn=978-1-4094-1936-5|page=176}}</ref>とされる。[[先住民]]の文化から、移住してきた[[ヨーロッパ]]系の文化、さらに近年の様々な国からの[[移民]]の持ち込む幅広いものが含まれ、混じり、重なり、形成されている。その中で政治的にも多文化主義が[[憲法]]で守られ、政策的にも推進されてきた<ref>{{cite web|url=http://www.parl.gc.ca/Content/LOP/ResearchPublications/prb0920-e.pdf|title=Canadian Multiculturalism|publisher=Library of Parliament|date=September 15, 2009|accessdate=2011-09-10|pages=1–7}}</ref>。[[ケベック州|ケベック]]では文化[[同一性|アイデンティティー]]は強く、[[ケベック・フランス語|仏語]]話者の評論家はケベック文化は[[英語]]圏と違った独自性を持つと強調する<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=NtvKidOH9pgC&pg=PA61|page=61|title=Political culture and constitutionalism: a comparative approach|first1=Daniel P|last1=Franklin|first2=Michael J|last2=Baun|publisher=Sharpe|year=1995|isbn=1-56324-416-0}}</ref>。しかしながらカナダは全体として、「文化の[[モザイク]]」(様々な[[人種]]・[[民族]]・地域文化が共存する)を形成しているとされる<ref>{{cite journal|last=Garcea|first=Joseph|coauthors=Kirova, Anna; Wong, Lloyd|title=Multiculturalism Discourses in Canada|journal=Canadian Ethnic Studies|date=January 2009|volume=40|issue=1|pages=1–10|doi=10.1353/ces.0.0069}}</ref>。国の政策でも[[ユニバーサルヘルスケア]]、[[富の再分配]]のための高い[[税金]]、[[死刑]]廃止、[[貧困]]撲滅への努力、多文化主義推進、厳しい[[銃規制]]、[[同性結婚]]合法化などが挙げられ、カナダの政策や文化上の社会的価値観を反映している
 
<ref>{{cite book
 
|first1 =Darrell | last1 =Bricker |first2= John |last2 =Wright
 
|title =What Canadians think about almost everything
 
|publisher =Doubleday Canada
 
|year =2005
 
|isbn =0-385-65985-7
 
|pages=8–23}}</ref>。[[カナダ料理]]の多様性は、カナダの経済社会がサラダボウル化していることを特に分かりやすく表現している。
 
 
 
=== 文学 ===
 
{{main|カナダ文学}}
 
『[[赤毛のアン]]』の作者[[L・M・モンゴメリ]]はカナダの文学者である。また[[サイバーパンク]]SF作家である[[ウィリアム・ギブソン]]はアメリカ合衆国出身だが、[[徴兵]]を拒否しカナダに移住したため、「カナダの作家」として扱われることがある。また、[[マーガレット・アトウッド]]もカナダの作家である。
 
 
 
=== 音楽 ===
 
[[ファイル:Ny-ottawa-jul-2006.jpg|thumb|180px|[[ニール・ヤング]]]]
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの音楽|en|Music of Canada}}}}
 
カナダの音楽は[[アメリカ州の先住民族|先住民族]]や[[ヨーロッパ]]からの[[移民]]をはじめとし、様々な人々によって創造・継承されてきた。1600年代以降より、カナダでは国際的に著名な作曲家、演奏家などの音楽家を輩出してきた<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=vtDhVXAkpxcC&pg=PA95|title=The cultural industries in Canada: problems, policies and prospects|first= Michael |last=Dorland|page=95|publisher=J. Lorimer|year=1996|isbn=1-55028-494-0}}</ref>。17世紀以降では[[教会]]や集会所、邸宅の大広間、学校、[[コンサートホール]]、[[レコード会社]]、[[ラジオ]]・[[テレビ]]局など様々な音楽の[[インフラ]]が形成されてきた<ref name="Gar" >{{cite book|url=http://books.google.ca/books?id=eZQch8ieRtsC&pg=PP1&dq=Music+in+Canada:+A+Research+and+Information+Guide,#v=onepage&q=&f=false |title=Music in Canada: A Research and Information Guide|author=Carl Morey|location=New York|publisher=Garland Publishing|year=1997}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.broadcasting-history.ca/timeline/CCFTimeline.html |title=The history of broadcasting in Canada |work=The Canadian Communications Foundation |accessdate=2012-03-18T06:16Z}}</ref>。これらの音楽は[[アメリカ合衆国]]からの影響を大きく受け<ref>Profiles of Canada. edited by Kenneth G. Pryke, Walter C. Soderlund. Boulder, Colo. : NetLibrary, 2000.(ISBN 0-585-27925-X)</ref><ref name="Historica" >{{cite web |url=http://www.thecanadianencyclopedia.com/index.cfm?PgNm=TCE&Params=U1ARTU0001624 |title=History of Canada in music |work=Historica Foundation of Canada |publisher=Canadian Encyclopedia|accessdate=2012-03-18T06:16Z |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110607130347/http://www.thecanadianencyclopedia.com/index.cfm?PgNm=TCE&Params=U1ARTU0001624 |archivedate=2011-06-07}}</ref><ref name="Scholars" >Canadian Music: Issues of Hegemony & Identity, eds Beveley Diamond & Robert Witmer. Canadian Scholars Press, 1994.</ref>ながらも、「カナディアン・ロック」と言うジャンルを生み出した<ref name="NicksSloniowski2002">{{cite book|author1=Joan Nicks|author2=Jeannette Sloniowski|title=Slippery pastimes: reading the popular in Canadian culture|url=http://books.google.com/books?id=skTVwTzT27cC&pg=PA219|year=2002|publisher=Wilfrid Laurier Univ. Press|isbn=978-0-88920-388-4|page=219}}</ref>。
 
 
 
[[ポピュラー音楽]]・ロックの分野では[[ニール・ヤング]]や[[ジョニ・ミッチェル]]、[[ザ・バンド]]らの優れたミュージシャンを輩出した。また、ゴードン・ライトフット、ゲス・フー、BTO、レナード・コーエン、アン・マレー、[[ラッシュ (カナダのバンド)|ラッシュ]]、ポール・アンカ、[[セリーヌ・ディオン]]、[[ニッケルバック]]、[[アヴリル・ラヴィーン]]、[[ダニエル・パウター]]、[[ジャスティン・ビーバー]]、[[ドレイク (ラッパー)|ドレイク]]らもカナダ出身である。[[ジャズ]]では、[[オスカー・ピーターソン]]が国際的に成功した。
 
 
 
カナダ記録芸術科学アカデミー({{interlang|en|Canadian Academy of Recording Arts and Sciences}})がカナダの音楽産業を代表し1970年より[[ジュノー賞]]の授与を行なっている。またカナダにおける音楽の放送は[[カナダ・ラジオテレビ通信委員会]]によって規制されている。
 
 
 
[[クラシック音楽]]の分野では、[[20世紀]]半ばに活躍した[[マレイ・アダスキン]]、[[ジョン・ワインツワイグ]]なども著名であり、また独創的な[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]解釈で名高い[[グレン・グールド]]などは[[トロント]]生まれである。また、[[モントリオール交響楽団]]は[[シャルル・デュトワ]]が指揮者を務めている間に実力を高め、北米大陸屈指のオーケストラとして知られるようになった。作曲家の[[レーモンド・マリー・シェーファー|マリー・シェーファー]]は[[サウンドスケープ]]の提唱者であり「魔法の歌(マジック・ソングズ)」「ガメラン」等の作品がある。
 
 
 
その他、カナディアン・カントリーミュージック賞、ケベック音楽に授与されるフェリックス賞など、様々なジャンルの音楽に授与される音楽賞が設けられている。
 
 
 
<!--=== 芸術 ===
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの芸術|en|Canadian art}}}}-->
 
 
 
=== 映画 ===
 
{{main|カナダの映画}}
 
カナダは公用語として英語とフランス語の両方を採用しており、両言語の映画が制作されている。なお、カナダにおける映画制作の主な拠点となっているのは、[[トロント]]、[[モントリオール]]、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]である。このうち、モントリオールでは[[モントリオール世界映画祭]]という、比較的名の知られた映画祭が開催される。
 
 
 
=== 世界遺産 ===
 
{{Main|カナダの世界遺産}}
 
カナダ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が5件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が6件存在する。さらにアメリカ合衆国にまたがって2件の自然遺産が登録されている。
 
 
 
=== 主な祝祭日 ===
 
{{Main|{{仮リンク|カナダの祝祭日|en|Public holidays in Canada}}}}
 
祝日は概ね、カトリックに傾くほど数が多い。世界史全体において、プロテスタントの隆盛に伴い減らされてきた。
 
<!-- 祝祭日 table -->
 
{| class="wikitable" style="text-align: left;font-size:small; margin-left:1em"
 
|-
 
! style="width:180px;" | 日付
 
! style="width:145px;" | 祝祭日<br/><span style="font-size:0.7em">(英語&nbsp;/&nbsp;仏語)</span></span>
 
! 備考
 
|-
 
| [[1月1日]]
 
| <span style="line-height:1.1em">[[元日]]<br/><span style="font-size:0.7em">New Year's Day<br/>jour de l'An </span></span>
 
| 法令による。
 
|-
 
| [[復活祭]]の直前の金曜日
 
| <span style="line-height:1.1em">[[聖金曜日]]<br/><span style="font-size:0.7em">Good Friday<br/>vendredi saint</span></span>
 
| 法令による。[[4月]]になることが多い([[イースター]]を参照)。
 
|-
 
| 復活祭の翌日
 
| <span style="line-height:1.1em">イースター・マンデー<br/><span style="font-size:0.7em">Easter Monday<br/>lundi de Pâques</span></span>
 
| [[4月]]になることが多い([[イースター]]を参照)。
 
|-
 
| [[5月25日]]の直前の月曜日
 
| <span style="line-height:1.1em">ヴィクトリア・デー<br/><span style="font-size:0.7em">{{interlang|en|Victoria Day}}<br/>fête de la Reine </span></span>
 
| [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の誕生日と現在の国王誕生祭(Sovereign's birthday、fête de la Reine、王朝節)。<ref>[http://www.pch.gc.ca/progs/cpsc-ccsp/jfa-ha/victoria_e.cfm Victoria Day]</ref>法令による。[[ケベック州]]では、パトリオットの祝日(fête des patriotes)として祝う。パトリオットの祝日は、愛国者の反逆(Patriotes Rebellion)の記念日。
 
|-
 
| [[7月1日]]
 
| <span style="line-height:1.1em">[[カナダ・デー]]<br/><span style="font-size:0.7em">Canada Day<br/>fête du Canada</span></span>
 
| カナダ[[建国記念日]]。法令による。[[1867年]]の[[英領北アメリカ法]]による3つの植民地の連邦自治開始(カナダ建国)を記念する日。
 
|-
 
| [[9月]]の第1月曜日
 
| <span style="line-height:1.1em">[[レイバー・デー]]<br/><span style="font-size:0.7em">Labour Day<br/>fête du travail</span></span>
 
| 法令による。労働者の日。
 
|-
 
| [[10月]]の第2月曜日
 
| <span style="line-height:1.1em">[[感謝祭]]<br/><span style="font-size:0.7em">Thanksgiving<br/>action de grâce</span></span>
 
| 法令による。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]とは異なる月に祝う。
 
|-
 
| [[11月11日]]
 
| <span style="line-height:1.1em">リメンバランス・デー<br/><span style="font-size:0.7em">[[:en:Remembrance Day#Canada|Remembrance Day]]<br/>jour du souvenir</span></span>
 
| [[第一次世界大戦]]終結の記念日。州によって祝日では無い事がある。
 
|-
 
| [[12月25日]]
 
| <span style="line-height:1.1em">[[クリスマス]]<br/><span style="font-size:0.7em">Christmas<br/>Noël</span></span>
 
| 法令による。
 
|-
 
| [[12月26日]]
 
| <span style="line-height:1.1em">[[ボクシング・デー]]<br/><span style="font-size:0.7em">Boxing Day<br/>lendemain de Noël</span></span>
 
| 法令による。
 
|}
 
 
 
==== その他の祝日 ====
 
* 2月第3月曜日「ファミリー・デー」(Family Day)<ref>Family Day - Canada [http://www.statutoryholidays.com/family-day.php]</ref>:アルバータ州、オンタリオ州、サスカチュワン州で設定。ブリティッシュコロンビア州では2月第2月曜日。マニトバ州では「[[ルイ・リエル]]・デー」、プリンスエドワード州では「アイランダー・デー」として設定されている。
 
* 8月第1月曜日「シビック・ホリデー」(Civic Holiday)<ref>First Monday in August Holiday [http://www.craigmarlatt.com/canada/for_more_information/feature.html]</ref>:ブリティッシュコロンビア州(ブリティッシュコロンビア・デー)、ニューブランズウィック州(ニューブランズウィック・デー)、ノースウエスト準州(シビック・ホリデー)、ヌナブト準州(シビック・ホリデー)、サスカチュワン州(サスカチュワン・デー)として設定されている。アルバータ州、マニトバ州、オンタリオ州、ノバスコシア州、プリンスエドワード州では雇用主によって休日となる。ニューファンドランド・ラブラドール州、ケベック州、ユーコン準州では休日ではない。
 
この他にも、いくつかの州で設定されている祝日、州ごとに設定された祝日などがある。
 
 
 
== スポーツ ==
 
{{Main|{{仮リンク|カナダのスポーツ|en|Sports in Canada}}}}
 
[[イギリス連邦|英連邦]]の一員であるカナダであるが、スポーツ文化においては旧宗主国[[イギリス]]の影響はあまり残っていない。隣国[[アメリカ合衆国]]とも一線を画す独自のスポーツ文化が存在する。
 
 
 
=== アイスホッケー ===
 
[[ファイル:The Colts applying pressure at the Battalion net.JPG|thumb|200px|[[アイスホッケー]]。]]
 
 
 
[[アイスホッケー]]は現在カナダで最も盛んなスポーツであり、[[国技]]にも制定されている<ref>アイスホッケーは冬季の国技。夏季の国技は[[ラクロス]]である</ref>。カナダの国土はアイスホッケーに非常に適した自然環境であり、冬の間は子供から大人までが娯楽でアイスホッケーを楽しむという人も多い。約58万人のカナダ人がアイスホッケーの競技者登録をしており、カナダ国内にはホッケー選手230人に一つの割合でインドアのアイスホッケーリンクが存在している<ref name="hockey">[http://www.mapletown.ca/archives/7337 アイスホッケー・ワールドカップ2004を終えて],メープルタウン・バンクーバー,2009年9月10日閲覧</ref>。
 
 
 
北米最大のプロリーグである[[NHL]]は[[1917年]]にカナダで設立され、その後[[アメリカ合衆国]]へと拡大した。現在カナダ7チーム、アメリカ合衆国23チームの計30チームからなる。NHL選手の半数以上がカナダ人である<ref name="hockey" />。{{要出典範囲|date=2018-04|アメリカ合衆国では[[NFL]]、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]、[[NBA]]に次ぐ4番手に位置づけられるNHLだが、カナダでは絶大な人気を有する。特にカナダ最大の都市[[トロント]]を本拠地とする[[トロント・メープルリーフス]]と第二の都市[[モントリオール]]を本拠地とする[[モントリオール・カナディアンズ]]は宿命のライバルとして知られている。NHLの優勝決定トーナメントである[[スタンレー・カップ]]にカナダのチームが勝ち進むと大きな盛り上がりを見せる。"The Great One"と称され、NHLの4つのチームを渡り歩いた[[ウェイン・グレツキー]]は、引退してもなおカナダの国民的英雄である。}}
 
 
 
男子は[[近代オリンピック|オリンピック]]では初採用となった[[1920年]]の[[アントワープオリンピックにおけるアイスホッケー競技|アントワープ五輪]]から[[1952年]]の[[オスロオリンピックにおけるアイスホッケー競技|オスロ五輪]]まで7大会で金メダル6度、銀メダル1度の圧倒的強さを誇っていたが、[[ソビエト連邦]]や[[欧州]]諸国の台頭に伴い、長らく金メダルから遠ざかった。[[2002年]]の[[ソルトレイクシティオリンピックにおけるアイスホッケー競技|ソルトレイクシティ五輪]]では50年ぶりの金メダルを獲得し、[[2010年]]の地元開催となった[[バンクーバーオリンピックにおけるアイスホッケー競技|バンクーバー五輪]]では男女とも金メダルを獲得している。
 
 
 
=== 野球 ===
 
[[ファイル:Toronto, Skydome, N.Y. Yankees vs. BlueJays.JPG|thumb|200px|[[ロジャース・センター]]でのメジャーリーグベースボールの試合。]]
 
 
 
[[野球]]は隣国アメリカ合衆国の影響を受け、カナダでもポピュラーなスポーツの1つである。[[パンアメリカン競技大会野球競技|パンアメリカン競技大会]]では[[2011年パンアメリカン競技大会における野球競技|2011年]]、[[2015年パンアメリカン競技大会における男子野球競技|2015年(男子)]]と2大会連続で優勝を果たし<ref>[http://www.toronto2015.org/news-details/costly-errors-sink-us-canada-wins-pan-am-baseball-gold-in-wild-final/4575 Costly errors sink U.S., Canada wins Pan Am baseball gold in wild final] Toronto2015 Pan Am/Parapan Am {{en icon}} (2015年7月19日) 2016年11月27日閲覧</ref>、優勝回数はキューバに次いで2番目に多いなど、野球強豪国の一つである。
 
 
 
カナダ最大の都市[[トロント]]を本拠地とする[[メジャーリーグベースボール]](MLB)の[[トロント・ブルージェイズ]]([[1977年]]設立、[[アメリカンリーグ東地区]])はアメリカ合衆国外に本拠地を置く唯一の球団である。ブルージェイズは世界初の本格的開閉式[[ドーム球場]][[ロジャース・センター]](旧称スカイ・ドーム)を本拠地としており、[[1992年のワールドシリーズ|1992年]]、[[1993年のワールドシリーズ|1993年]]には[[ワールドシリーズ]]を連覇した。当時はブルージェイズがMLB屈指の強豪球団であったため、{{by|1991年}}にはMLB史上初めて年間観客動員が400万人を突破した(1993年まで継続)。
 
 
 
近年でも{{by|2015年}}に地区優勝、{{by|2016年}}に[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]で[[プレーオフ]]進出などの好成績もあり、2016年の観客動員数はリーグ最多だった<ref>月刊Slugger2017年1月号</ref>。しかし、かつてカナダに本拠地を置くもう1つの球団として「モントリオール・エクスポズ」([[1969年]]設立、[[ナショナルリーグ東地区]])が存在したが、[[フランス語]]圏であるモントリオールは英語圏に比べて野球の認知度が低く、慢性的な財政難に悩まされ、[[2005年]]に[[ワシントンD.C.]]に移転し球団名も[[ワシントン・ナショナルズ]]に改めた。
 
 
 
;カナダ出身の野球選手
 
{{see also|Category:カナダの野球選手}}
 
[[ラリー・ウォーカー]]、1993年に日本の[[中日ドラゴンズ]]でプレー経験もある[[マット・ステアーズ]]、[[ジャスティン・モルノー]]、[[ジェイソン・ベイ]]、[[ジョーイ・ボット]]、[[エリック・ガニエ]]、[[ラッセル・マーティン]]、[[マイケル・ソーンダース]]、[[ブレット・ロウリー]]らが有名である。
 
 
 
=== カナディアンフットボール ===
 
[[ファイル:Canadian football positions.jpg|thumb|200px|[[カナディアンフットボール]]。]]
 
 
 
[[カナディアンフットボール]]はカナダでは単に[[フットボール]]と呼称し、隣国[[アメリカ合衆国]]で盛んな[[アメリカンフットボール]]に非常によく似たスポーツである。カナダではアイスホッケーに次いで人気のあるスポーツであり<ref name="The Canadian Press 2006-06-08">{{cite web | author = The Canadian Press| authorlink = :en:The Canadian Press | date = 2006-06-08 | url = http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/RTGAM.20060608.wsurvey8/BNStory/Sports/home | title = Survey: Canadian interest in pro football is on the rise | work = Globe and Mail | accessdate = 2006-06-08}}</ref>、国内8チームからなるプロリーグ[[カナディアン・フットボール・リーグ]](CFL)の優勝決定戦[[グレイ・カップ]]はカナダ最大のスポーツイベントである<ref name="Houston 2006-12-20">{{Cite web|url=http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/RTGAM.20061220.wsptcfl20/GSStory/GlobeSportsFootball/GlobeSports/?query=|title=Grey Cup moves to TSN in new deal|accessdate=2006-12-23|work=The Globe And Mail|year=2006-12-20|author=William Houston}}</ref>。
 
 
 
=== バスケットボール ===
 
[[バスケットボール]]の考案者はカナダ人の[[ジェームズ・ネイスミス]]であり、カナダの人気スポーツの1つとなっている。特に[[ノバスコシア州]]や[[オンタリオ州]]の南部で盛んである。[[トロント]]を本拠地とする[[NBA]][[トロント・ラプターズ]]([[1995年]]設立)は現在アメリカ合衆国外に本拠地を置く唯一のNBAチームである。ラプターズの設立と時を同じくして、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]にも[[バンクーバー・グリズリーズ]]が設立されたが、こちらは観客動員の低迷による経営難に悩まされ、[[2001年]]に[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]へと移転した。NBAでも多くのカナダ人選手が活躍しており、2年連続でシーズンMVPを獲得した[[スティーブ・ナッシュ]]はその代表格である。 
 
 
 
=== サッカー ===
 
旧宗主国イギリスの国技の1つである[[サッカー]]の人気は一部の移民一世世代を除いては、これまで隣国アメリカ合衆国と同様あまり高くなかった。しかし、近年は[[FIFAワールドカップ]]、[[UEFA欧州選手権]]などのテレビ中継の人気が高まり<ref>''The Globe and Mail'', Is the beautiful game finally ready to conquer North America? [http://www.theglobeandmail.com/sports/is-the-beautiful-game-finally-ready-to-conquer-north-america/article4373817/]</ref>、認知度が高まりつつある。大会開催中には自身または親世代の出身国チームの応援をする人々が増えており、各民族コミュニティーでは集まってテレビ観戦するなどの機会が増えている。
 
 
 
[[2007年]]には[[メジャーリーグサッカー]](MLS)で初めて米国外を本拠地とする[[トロントFC]]が誕生し、MLSのチーム中で最高の観客動員数を誇っている。[[2011年]]には[[バンクーバー・ホワイトキャップス]]、2012年には[[モントリオール・インパクト]]の参戦が決定した。さらには、[[オタワ]]にもMLSチーム参加が検討されている。2007年には[[2007 FIFA U-20ワールドカップ|FIFA U-20ワールドカップ]]が開催されている。日本人でも[[バンクーバー・ホワイトキャップス]]の[[工藤壮人]]が在籍している。[[サッカーカナダ女子代表]]は2012年の[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるサッカー競技|ロンドンオリンピック]]で3位に入り初の銅メダルを獲得。[[2015 FIFA女子ワールドカップ]]の開催国である。
 
 
 
[[2026年]]にはアメリカ合衆国、メキシコとともに[[2026 FIFAワールドカップ]]の共同開催国となる。
 
 
 
=== モータースポーツ ===
 
カナダでは[[フォーミュラ1]]の[[カナダグランプリ]]が1967年から毎年開催されている(2009年のみ不開催)。1978年からは[[モントリオール]]の[[ジル・ヴィルヌーヴ・サーキット]]が使用されている。また、[[インディカー・シリーズ]]も[[エキシビション・プレイス|トロント]]、[[エドモントン市中央空港|エドモントン]]の市街地コースで開催されている。[[NASCAR]]のカナダ国内選手権「NASCAR Canadian Tire Series」も国内各地で開催されている。
 
 
 
=== その他の種目 ===
 
[[カーリング]]は国民的なスポーツであり、現在行われている国際ルールはカナダで確立したもので、1807年に王立カーリングクラブが設立されたカナダは、現在も強豪国の1つである。[[ラクロス]]は北米プロリーグである[[メジャーリーグ・ラクロス]]のチームもある。
 
 
 
=== オリンピック等の行事 ===
 
カナダでは[[冬季オリンピック]]が2回、[[夏季オリンピック]]が1回開催されている。 
 
 
 
夏季オリンピック
 
* [[モントリオールオリンピック]](1976年7月17日 - 8月1日) 
 
 
 
冬季オリンピック
 
* [[カルガリーオリンピック]](1988年2月13日 - 2月28日) 
 
* [[バンクーバーオリンピック]](2010年2月12日 - 2月28日) 
 
 
 
カナダでは[[パンアメリカン競技大会]]が3回開催されている。3回開催された国はカナダのみである<ref>[http://nextstep-canada.com/blog/20150521/ 南北アメリカの総合競技大会パンナム・ゲームズがトロントで開幕] ''Next Step'' (2015年5月21日) 2016年11月27日閲覧</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group=注釈}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[カナダ関係記事の一覧]]
 
* [[ヌーヴェル・フランス]]
 
  
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北アメリカ北部にある国。[[イギリス連邦]]を構成する一自治国で,10の自治州と 3准州からなる。アメリカ合衆国の[[アラスカ州]]を除く北アメリカ大陸の北半を占め,南は[[エリー湖]]中のペレー島の北緯 41°41′から,北はコロンビア岬の北緯 83°6′の間に広がる。面積は[[ロシア]]に次いで世界第2位であるが,国土の大部分は山地や岩石地,極地で,開発された地域は国土の 3分の1以下。気候はかなり厳しく,1月の平均気温が 0℃以上となるのは[[バンクーバー]]付近のみ。耕地や居住地は,南の国境沿いや[[五大湖]]沿岸に集中し,中部から北部にかけては広大な針葉樹林帯([[針葉樹林]])や[[ツンドラ]],氷雪地帯が広がる。地形は,西部太平洋岸の[[ロッキー山脈]]と東部大西洋岸の[[アパラチア山脈]]の両者に挟まれた広大な地域で,高地,平原,低地の 3地域に大別できる。カナダへの植民は,1534年フランス人ジャック・[[カルティエ]]が[[セントローレンス湾]]に入り,[[セントローレンス川]]沿岸をフランスの植民地ニューフランスとしたのに始まる。しかし,ヨーロッパにおける[[七年戦争]]後のパリ条約(1763)により,北アメリカ大陸のフランス植民地がイギリスに割譲され,以後はイギリスの植民地となった。1864年,イギリスの 4植民地が連邦を結成してカナダとなり,1867年イギリス連邦カナダ自治領になった。1931年外交自主権を獲得して完全な独立国となり,1982年新憲法を公布,国権の最高機関を国会とし,イギリス君主は象徴とされた([[立憲君主制]])。国民は多くの民族からなるが,イギリス系とフランス系がそれぞれ約 4分の1を占める。フランス系は[[ケベック州]]を中心に東部の旧フランス植民地に多い。公用語は英語とフランス語。ケベック州では文化の独自性を主張し,分離独立を求める運動が続いている([[ケベック問題]])。植民の初期は,[[タイガ]]での毛皮獣の捕獲および毛皮の取り引きが主であったが,その後鉱物資源や林産資源の開発と農業開発が進んだ。南部の[[プレーリー]]地帯のコムギ栽培と畜産,[[カナダ楯状地]]の金,銀,銅,鉛,ニッケル,鉄,ウランなどの鉱業,[[アルバータ州]]を中心とする石油,天然ガスの採掘,東部や西部の林業などが盛んで,漁業も重要。五大湖からセントローレンス川沿岸を中心に,食品加工,石油精製,自動車などの工業が発達し,そのほかパルプ,製紙,製鉄,鉄鋼,機械,鉄道車両,ハイテク関連などの工業も盛んである。[[北大西洋条約機構]] NATO原加盟国。国際紛争で中立的な立場が評価され,国際連合のさまざまな[[平和維持活動]]に参加している。([[カナダ史]])
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カナダ
Canada
国の標語:A Mari Usque Ad Mare
(ラテン語: 海から海へ)
公用語 英語 フランス語
首都 オタワ
最大の都市 トロント

面積

総計 9,984,670km22位
水面積率 8.9%

人口

総計(2016年 3629万人(36位
人口密度 3.4人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年 1兆6,024億[1]カナダドル ($)
GDP (MER)

合計(2008年 1兆5,109億[1]ドル(9位
GDP (PPP)

合計(2008年1兆3,032億[1]ドル(13位
1人あたり 39,182[1]ドル
独立
 - BNA法
 - ウェストミンスター憲章
 - カナダ法 (Canada Act
イギリスから
1867年7月1日
1931年12月11日

1982年4月17日
通貨 カナダドル ($) (CAD)
時間帯 UTC -3.5 から -8(DST:-2.5 から -7)
ISO 3166-1 CA / CAN
ccTLD .ca
国際電話番号 1

カナダ: Canada英語発音: [ˈkænədə] キャナダ、フランス語発音: [kanada] キャナダ、カナダ)

北アメリカ北部にある国。イギリス連邦を構成する一自治国で,10の自治州と 3准州からなる。アメリカ合衆国のアラスカ州を除く北アメリカ大陸の北半を占め,南はエリー湖中のペレー島の北緯 41°41′から,北はコロンビア岬の北緯 83°6′の間に広がる。面積はロシアに次いで世界第2位であるが,国土の大部分は山地や岩石地,極地で,開発された地域は国土の 3分の1以下。気候はかなり厳しく,1月の平均気温が 0℃以上となるのはバンクーバー付近のみ。耕地や居住地は,南の国境沿いや五大湖沿岸に集中し,中部から北部にかけては広大な針葉樹林帯(針葉樹林)やツンドラ,氷雪地帯が広がる。地形は,西部太平洋岸のロッキー山脈と東部大西洋岸のアパラチア山脈の両者に挟まれた広大な地域で,高地,平原,低地の 3地域に大別できる。カナダへの植民は,1534年フランス人ジャック・カルティエセントローレンス湾に入り,セントローレンス川沿岸をフランスの植民地ニューフランスとしたのに始まる。しかし,ヨーロッパにおける七年戦争後のパリ条約(1763)により,北アメリカ大陸のフランス植民地がイギリスに割譲され,以後はイギリスの植民地となった。1864年,イギリスの 4植民地が連邦を結成してカナダとなり,1867年イギリス連邦カナダ自治領になった。1931年外交自主権を獲得して完全な独立国となり,1982年新憲法を公布,国権の最高機関を国会とし,イギリス君主は象徴とされた(立憲君主制)。国民は多くの民族からなるが,イギリス系とフランス系がそれぞれ約 4分の1を占める。フランス系はケベック州を中心に東部の旧フランス植民地に多い。公用語は英語とフランス語。ケベック州では文化の独自性を主張し,分離独立を求める運動が続いている(ケベック問題)。植民の初期は,タイガでの毛皮獣の捕獲および毛皮の取り引きが主であったが,その後鉱物資源や林産資源の開発と農業開発が進んだ。南部のプレーリー地帯のコムギ栽培と畜産,カナダ楯状地の金,銀,銅,鉛,ニッケル,鉄,ウランなどの鉱業,アルバータ州を中心とする石油,天然ガスの採掘,東部や西部の林業などが盛んで,漁業も重要。五大湖からセントローレンス川沿岸を中心に,食品加工,石油精製,自動車などの工業が発達し,そのほかパルプ,製紙,製鉄,鉄鋼,機械,鉄道車両,ハイテク関連などの工業も盛んである。北大西洋条約機構 NATO原加盟国。国際紛争で中立的な立場が評価され,国際連合のさまざまな平和維持活動に参加している。(カナダ史

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]