漆器

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漆器の文箱に、沈金の技法で描かれた松葉。
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乾燥作業中の様子

漆器(しっき)は、木や紙などに(うるし)を塗り重ねて作る工芸品である。日常品から高級品、食器、根付、または車体[1]までと様々な用途がある。狭義には「漆を塗った食器」の意味であるが、それに捉われない。漆を表面に塗ることで器物は格段に長持ちする。

ウルシから採れる加工した樹液をと言い、これを加工された素地(きじ:素材が木の場合には「木地」)に下地工程、塗り工程と、細かく挙げると30から40になる手順を経て漆器に仕上げていく。この工程は漆工と言われそれぞれに名前があり、生産地別で考え出された漆工も合わせると多岐にわたる。

利用される素地には、よく乾燥された木材、竹、紙、金属などがあり、現代では合成樹脂も使われている。更に、漆にセルロースナノファイバー(CNF)を混ぜて光沢や強度を高める技術が開発される[2]など、時代とともに変化している。

アジアの漆器

漆器は日本だけでなく東アジア東南アジア南アジア地域、と広く見られる。

日本では北海道垣ノ島遺跡から約9000年前の副葬品が出土しており、これが世界最古の漆工芸品であるとされる。この発見により、日本が縄文時代早期前半から漆工芸技術を持っていたことが判明した。漆工の発達やその伝播、郷土の文化と相俟って数々の産地が起こった。現在でも多くの場所で使用され、その技術が受け継がれている。

中国では自然木のウルシが、特に河北省湖北省四川省雲南省などに生えている[3]。古代の遺品として浙江省河姆渡遺跡で発見された約7400年前の木製の弓[4]が、最古のものとされる。日本と同様に多くの美術的価値の高い漆芸品が残っている。現在でも日常品として多く生産され使用されている。

朝鮮半島では紀元前代の漆が塗られた耳杯や案(机、台)などが出土している[5]。また、高麗時代、李氏朝鮮時代と優れた芸術品が知られている。水鳥や柳の写景的な表現、独特な菊唐草文様の現存漆芸品[注釈 1]があり、李氏朝鮮時代の品には螺鈿も使用され、民芸的作風を持っている[6]

ベトナムでは漆塗技術はソン・マイ(en:Lacquer painting#sơn mài)として知られている。ハノイに1920年に設立されたベトナム美術大学から著名な漆芸家が輩出され、彼らは既存の職人を巻き込んで漆芸品に革新をもたらした。 その後衰退が見られたが、1980年代に政府が漆器の文化的、経済的需要を見込み、漆器を含む工芸品に投資する会社を奨励した。結果、今日ではベトナム産の漆器を見かけることになった[7]

ミャンマーではビルマウルシ(en:melanorrhoea usitata)から採れる樹液が原料である。絞り出された樹液は淡い黄色をしているが空気に触れると黒に変化する。漆塗され磨かれると耐水や耐熱に優れる漆面となる。16世紀にバインナウンマニプルチェンマイ、中国の雲南省などを征服した際、連れ帰った大勢の職人が製作したのが始まりとされる。 バガンが主要生産地で、200年続く伝統的な漆工が現在も成されている。この15年で旅行者の減少、樹脂の高騰が原因で三分の二以上の製作所が閉鎖されている[8][9]

欧州の『漆器』

ウルシの生息域は東アジアから南アジアに限られており、漆器は当地域の特産品と言える。東洋で製作された漆器は16世紀末から西欧に輸入され、ヨーロッパの人々は最初は単に模倣品を作って楽しんだが、東洋から来る美しさと耐久性を兼ね備えた漆器を自分達で生産しようと、漆の代わりに、ワニスシェラックなどを使った新しい技法を編み出した。それらの溶剤および模倣作品は「ジャパン」、技法が「ジャパニング」と呼ばれた[10][11]。その技法はシノワズリの流行とともに主にフランス、イギリス、ドイツへと広まっていった。18世紀に入ると開発が進み、さらなる耐久性と、当時東洋の「漆」が持っていなかった白色の表面を手に入れた。これは欧州で生まれた独自技術である[12]。20世紀には、建築家アイリーン・グレイジャン・デュナンといった漆芸家が活動した。

「japan」の呼称

中国の陶磁器(Chinese ceramics)だけでなく「磁器」全般をチャイナ(China)と表記するように、日本では、日本の漆器(Japanese lacquerware)に限らず「漆器」全般をjapanと表記されていることがある。しかし、上記の欧州の漆器でも述べたように日本の漆器の模倣品「ジャパニング」の意味もあるため、日本製をjapanと表記するのは誤りという意見がある[注釈 2]。(ラッカー#ジャパニングデコパージュも参照)英米の英語辞典にはjapan欄に「漆」、「漆器」の意味は載っていない[10]

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中国の漆箱、細かく彫漆されている
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カンボジアでの製作風景

最古の漆器

長江河口にある河姆渡遺跡で発掘された木弓は、放射性炭素年代測定で約7500~7400年前と確認されたことから、漆器は中国が発祥地で技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。ところが、北海道函館市南茅部地区から出土した漆の装飾品6点が、米国での放射性炭素年代測定により中国の漆器を大幅に遡る約9000年前の縄文時代早期前半の装飾品であると確認された[注釈 3]。縄文時代の集落と生活様式の変遷が確認できる垣ノ島遺跡からは、赤漆を染み込ませた糸で加工された装飾品の他に、黒漆の上に赤漆を塗った漆塗りの注口土器なども発見されている。さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土したの枝は、放射性炭素(C14)年代測定法による分析の結果、世界最古の約 12600年前のものであると確認された[13]。更なる調査で技術的に高度な漆工芸品である「赤色漆の櫛」も出土、 この他に、木製品、丸木船、縄、編物、その加工に用いられた工具なども相次いで出土しており、漆工芸品も含めた木材加工の関連品が発見されている[注釈 4]。こういった遺構、遺品から、日本では縄文時代早期末以降にはウルシが生育していたとされる[14]

上記の垣ノ島遺跡から出土した漆器は2002年12月28日の深夜、8万点に及ぶ出土文化財や写真、図面とともに火災にあった。幸い形の認識と繊維状の痕跡がはっきりと視認できる部分は焼失を免れ、2004年の4月には12ページの調査報告『垣ノ島B遺跡出土漆製品の分析と保存処理』が出された[15]

脚注

注釈

出典

参考文献

関連項目

外部リンク