トーマス・エドワード・ロレンス

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ロレンス

Lawrence, Thomas Edward

[生] 1888.8.15/16. トレマドック

[没] 1935.5.19. クラウズヒル

イギリスの考古学者,軍人,作家。「アラビアのロレンス」と呼ばれる。貴族出身で,オックスフォード大学で考古学を修め,1909年シリア,パレスチナに研究旅行し,11~14年ユーフラテス川流域の遺跡発掘に従事。 14年陸軍省の依頼で,調査を名目にシナイ半島を偵察中,第1次世界大戦が始り,オスマン帝国の参戦後,エジプトでアラブ担当情報将校となった。 16年メッカのアミルで会ったフサイン・イブン・アリーを扇動してオスマン帝国に対して反乱を起させ,その息子のファイサル付きの連絡将校として,帝国軍の後方攪乱にあたった。 17年アカバを奇襲占領,のち帝国軍に捕われたが脱走。 18年ダマスカス攻撃に参加後ロンドンに帰り,19年パリ講和会議に出席。 21年植民地省のアラブ問題顧問として,アラブ処遇問題の解決に努めた。 22年辞任し,偽名でイギリス空軍に兵士として入隊したが発覚。 23年 T. E.ショーと改名し,戦車隊に入隊。 25年航空隊に移り,35年3月除隊。その後まもなくオートバイ事故で死亡。主著『知慧の七柱』 Seven Pillars of Wisdom (1926) 。