アントワーヌ・ラヴォアジエ

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アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ(ラボアジェなどとも、フランス語:Antoine-Laurent de Lavoisier, [ɑ̃twan lɔʁɑ̃ də lavwazje]1743年8月26日 - 1794年5月8日

フランスの化学者。弁護士の家に生れる。コレージュ・マザラン,法科大学で学び,在学中から地質学者 J.E.ゲタールについて地質調査を行い,科学への関心を深めていく。市街の照明施設に関するパリ科学アカデミーの懸賞に応募,注目を集めた (1766) 。科学アカデミー会員 (78) ,同幹事長 (87) 。また国家の徴税請負人となり (68) ,1772年には貴族の称号を買収。火薬監督官 (75) 。自分の広大な所有地で農事改良にもたずさわる。革命政権下で度量衡改正委員。しかし旧体制に深くかかわっていたため,逮捕投獄され (93) ,94年ギロチンにかけられ処刑された。ラボアジエの化学研究は包括的な枠組みのなかで既知の諸現象を精密な定量的実験に裏づけられた新しい解釈のもとに体系化し直し,近代化学の壮大な基礎を据えるものであった。代表的な業績を上げると,伝統的元素観に基づいて信じられていた水の土への転換説を決定的に否定したこと (69) ,燃焼に関する従来のフロギストン説を排して,少くとも 77年までには新しい酸化=燃焼理論を確立したこと,H.キャベンディッシュによる水の分解実験を知り,反フロギストン説の立場から新解釈を加え,水の組成を確定したこと (83) などがある。また彼の研究が精密秤量技術を駆使したきわめて定量的なものであったことは,近代化学研究の基礎となった質量保存の法則の明確な定式化 (89) を生んだ。さらに革新的な元素観に基づいて,新しい単体表 (33種) を提出し,また新しい化学の術語体系を C.ベルトレらとの共著『化学命名法』 Méthode de Nomendature Chimique (87) で提唱した。主著『化学要論』 (89) 。




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