東海新報
東海新報(とうかいしんぽう)は、東海新報社が編集・発行する岩手県の大船渡市、陸前高田市と、気仙郡住田町を対象にした地域新聞[1]。2012年8月時点の発行部数は14,000部[1]。
Contents
概要
1958年に岩手新報、河北新報の記者だった鈴木正雄が中心となって創刊した。誌名は岩手県の最東端にある地域新聞ということで「東海」とした。
主な収入源は広告収入で、創刊時から地元の有力企業や公的な団体からの外部資本は入れていないとしている[1]。紙面は地域情報で占められ、共同通信や時事通信の配信は受けていない[1]。社説の掲載は無く、コラム「世迷言」が東海新報の言論を担っている。
2011年4月1日発行分から題字がそれまでの縦書きから横書きに変更された。
釜石市を拠点にする岩手東海新聞(休刊中)と紙名が似ているが、本紙との間に資本・業務などの関係は存在しない。
論調
ジェイ・キャストが運営するJ-CASTニュースによると、保守的な論調であると認識されているとする[1]。当時の内閣総理大臣小泉純一郎の「靖国神社」参拝を積極的に支持した[2]が、これは日本の新聞で内閣総理大臣の「靖国神社」参拝を支持した数少ない三紙のうちのひとつである。他の二紙は産経新聞、三重県の伊勢新聞である(この三紙は記事中の年号表記が元号表記中心というのも共通している)。
発行所
テレビ・ラジオ欄
- ※2011年3月11日付まで
- 最終面上段
- 最終面下段
- ※新聞休刊日の前日は中面に掲載。
- ※2011年3月13日~3月31日はテレビ・ラジオ欄の掲載なし。4月1日発行分から7月22日発行分までは地上波(在盛局)のみ掲載。7月23日発行分からは地上波(在盛局のみ)に加え、1/3サイズでNHK BS1、NHK BSプレミアム、BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSジャパン、BSフジ、BSイレブンのBSデジタル局が掲載。
元号表記
「平成xx年(20xx年)」と「元号(西暦)」と表記し、日本の祝日には題字下の広告欄に日章旗と祝日名を表記している。
震災後の状況と発行紙面データの配布
東海新報社の公式サイトは2011年3月11日の東日本大震災発生当日の午前中で更新がストップしたままとなっていたが、2011年4月1日付けでサイトの更新が再開された。
岩手県胆江地域の情報を扱う地方紙である胆江日日新聞は、気仙地域(大船渡市、陸前高田市、住田町)の詳細な情報を確認したいという岩手県内外の人たちの声に応え、3月17日に、記者2人と営業社員1人を東海新報社に訪問させて津波被害を受けた大船渡、陸前高田市の状況を取材した[3]。
その際に、東海新報社から震災直後に発行した紙面のpdfデータを託され、同社サーバーに同データをアップロードして紙面公開がなされている[4]。
一方、「東海新報」としての新聞発行のほうは震災翌日、その日出勤できた半数の社員全員で号外を製作し、夜更けに刷り上ったA3判のカラーコピー2000枚を手分けして避難所へ運んだ。13日以降は自家発電装置を使い輪転機を回して従来の8ページから4ページに減らしモノクロ印刷でしのいだ。[5]
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 “「冷静にというが、冷静になってほしいのは韓国の方」 岩手地域新聞の大新聞批判にネットで絶賛の声”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2012年8月27日) . 2013閲覧.
- ↑ “世迷言(2006年8月16日付)”. 東海新報. (2006年8月16日) . 2013閲覧.
- ↑ “『私たちは負けない』 被災地の新聞社 奮闘 古里に希望の光明を 発刊断行、住民励まし(大船渡・東海新報)”. 胆江日日新聞. (2011年3月22日)
- ↑ 東海新報紙面データ
- ↑ 2011年4月19日付朝日新聞「ニッポンみんなで」より
外部リンク