AV男優
AV男優(エーブイだんゆう)とは、アダルトビデオに、主に性行為をする者として出演している男優である。
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概説
過去にはサオ師とも呼ばれた時期があった。
AV女優が自身の経験と感性、指導された演技をもってセックス時の反応を身体で表現することで主役になるのだとすれば、AV男優は撮影や映像作りの流れをリードするのがその役目である。AV(アダルトビデオ)の主役が女優である以上、AV男優はそのAV女優の性交時の反応(演技を含む)を引き出す側に徹することが多い。AV男優は相手との性交を通じて性的欲求を充足することが出来ると思われがちであるが、実際は明るいライトに晧々と照らし出され、大勢のスタッフ(AV監督、カメラマン、音声スタッフ、スチールカメラマンなど)がいるなかで「見せるための性交」をせねばならないので、自分が満足するための性交ができない[1]。
1980年代のAV男優は、一般の俳優上がりのAV男優が多かった。清水大敬、山本竜二らはその代表例である。当時はジャケット裏にAV男優の顔が映っており、さらにAV男優名がクレジットに載せられていたが、現在ではAV男優名がクレジットされることはほとんどない[2]。
AV男優のルックスについては、イケメン系、個性派俳優系、オタク系、キモ系など様々である。身長も高身長から低身長、体格も肥満体型からスリム体型、さらに年齢層も若者から高齢者と多種多様である。これは、出演するAV女優や作品の設定によって求められる男優像が大きく異なるためである。
近年は鈴木一徹、月野帯人などイケメン系の若手男優が注目されているが、彼らの多くは23歳〜24歳ほどでデビューし、3年以上のAV男優キャリアを積んでから注目されるのが一般的で、若手AV女優に比べると年齢層は高い。
2012年現在、推定10000人ともされる現役AV女優に対して、現役AV男優は約70人ほどで、プロのAV男優として認知されている者は約20人ほどとされている。トップクラスのAV男優の年収は1000万円以上になり、高級マンションに住み、高級車を乗りまわす生活を送っている者もいるが、大半のAV男優が独り立ちできずに消えていくことになる[3][4]。年に数千人がデビューしては消えていくAV女優と比べ、一定の実績を築けば長く活躍できるが、それでも10年以上現役で一流とされるAV男優は十数人程である[5]。
日本初のAV男優は、ドキュメンタリー番組『日本の花嫁』(1971年)に出演した田原総一朗である[6]。
歴史
1980年代
1982年、裏ビデオ『洗濯屋ケンちゃん』が発表される。主人公は男性で、久野一之が演じた。1980年代の男優は一般の俳優上がりが多かった。例えば、栗原良は大野剣友会所属で、戦隊もののモモレンジャーの着ぐるみを着ていた。清水大敬は黒澤明の『影武者』に出演している。山本竜二は嵐寛寿郎の甥で、血筋としては俳優のサラブレッドである。この時代は本番行為はあまり行われておらず、秋吉宏樹のように本番NGの男優もいた[7]。80年代は女優の過激なプレイが一般的ではなく、フェラチオをするのが精いっぱいだった。女優に特色が付けずらい分、女優を生かすために、男優が個性を出すことが求められた。逆に言えばこの時代は男優で売っていた時代で、続く90年代と合わせて男優の黄金時代とも言える。この時代は、AVのジャケット裏に男優も名前と顔写真が掲載されていた[7]。
1987年に平本一穂がAV男優事務所「セイリオス」を設立。これは若手AV男優のサークルとしても機能しており、その中から、やがて「ナンパの帝王」と呼ばれる島袋浩が育っていった[7]。
1990年代
1990年、樹まり子が素人男性と絡む人気シリーズ『男優さん、いらっしゃい』に、当時まだ一般人だったチョコボール向井が登場する。これは男優界にとってターニングポイントとなった。当時、中肉中背が基本だった男優界に大きな筋肉を持つ男優が登場した為である。チョコボール向井は、彼メインの企画が制作されるほど高い人気を獲得した。今現在、一般的にイメージされる典型的なAV男優像は、彼のそれである[7]。1995年頃、80年代に二枚目役として出演していた加藤鷹が、潮吹き作品で取り上げられるようになる。元々、潮吹きは吉田潤が有名であったが、95年頃に麻生早苗や細川百合子などの女優が登場し、潮吹きブームが起こると、吉田はあまり注目されず、イケメンだった加藤にポジションを奪われた[7]。
90年代にナンパ作品が制作されるようになった。1993年から始まった沢木和也と剣崎進の『ナンパ帝国』シリーズや、『島袋浩のザ・ナンパスペシャル』が有名である。そこでは、キャラクターが立っていて、トークやナンパも出来る男優が育ってきた。また、90年代の早い時期にお色気番組『ギルガメッシュナイト』が始まり、飯島愛などの女優のアイドル化が進んだ。それと同時に、チョコボール向井を始めとする男優の人気も上がっていった。1994年には、1人の女優を10人の有名男優が責める『人間廃業』シリーズが制作された[7]。
90年代後半からソフト・オン・デマンド、シャトルジャパン、ワープ、アタッカーズなどレーベルからセル作品が台頭を始める。美女が大量のゴックンをするなどハードなプレイをする作品が出回り始めた。その当たりから汁男優が登場し、「顔のない男優」が台頭してきた[7]。
2000年代
この時代は、AV男優にとって冬の時代と言える。1990年代までは女優を覚醒されるのは、男優の役割であったのに対し、ソフト・オン・デマンドをはじめ企画系作品でセルを売るのが主流になると、企画で女優を覚醒させるようになった。すると、個性の強い男優は不要となり、チョコボール向井や加藤鷹などの一握りの有名男優とイケメン男優の時代となった。2000年に及川奈央がデビューして以降、美人女優が急増した為、対比的に吉村卓などのキモメン男優が重用されたが、それはあくまでも例外である[7]。また、主観タイプの映像が主流となったこともあり、魅力的な体を持つ男優が使われるようになった。男性が見ていて不快感を起こさない程度の細マッチョで、なおかつセックスができる男優である。その代表格が、しみけん、戸川夏也、黒田将稔である。ベテラン勢ではチョコボール向井や加藤鷹は残っていたものの、出演本数としては彼らに抜かれて行った。また、加藤はドグマやエクソシスターズなどのスカトロ作品に出演するなど仕事の仕方が変わっていった[7]。
1998年にジャニーズ系イケメンの南佳也が登場し、活躍した。女優から指名を受けることもあり、美形女優のデビュー作の相手は大抵、南だったし、「南なら顔射や口内射精OK」という女優も存在したほどだった[7]。
2010年代
この時代を代表する男優は、しみけんである。イケメン、筋肉質、ナンパもできるというこれまでの男優の良い点を合わせた「完璧体」[7]のような存在である。彼のハメ撮り作品は高い人気を得ている[7]。
2008年、女性向けAVメーカーシルクラボが登場。ここに出演する男優は「エロメン」[8]と呼ばれる。同メーカーの初期からの出演者である一徹、月野帯人、ムーミン(現・ムータン)を合わせて「エロメン三銃士」、そこに志戸哲也を加えて、「エロメンカルテット」と呼ばれる[7]。この後を追う男優として倉橋大賀[9]、有馬芳彦[10]などがいる。シルクラボは、「専属男優」というシステムを作り、2012年に一徹と専属契約を結んだ。男優の専属契約は業界初であり[11]、業界を超えて注目を集めた[12]。彼らはそれまでのAV男優のように日焼けした強靭な肉体を持たず、肩幅も狭ければ胸板も厚くない。また、加藤鷹などのポルノスターのように語るべきセックス哲学があるわけでもない。その代り、彼らは、しなやかに長い手足と美しい白い肌を持ち、アイドル並みに綺麗な顔をしている[13]。
2013年、AV男優の本音に迫ったドキュメンタリー映画『セックスの向こう側〜AV男優という生き方』が公開される(監督は髙原秀和、えのき雄次郎)。出演者は 日比野達郎、速水健二、山本竜二、平口広美、加藤鷹、栗原良、平本一穂、島袋浩、田淵正浩、トニー大木、ミートボール吉野、森山龍二、吉村卓、黒田将稔、しみけん、鳴沢賢一、阿川陽志、森林原人、沢井亮、平井シンジの20名[14]。
デビューから引退まで
- 大手AVメーカー(MOODYZなど)には「汁男優友の会」が存在する場合もある。入会金や年会費は無料。18歳以上で顔出しOKの男性なら、誰でも入会可能である。
- 仕事内容は非常に厳しい。常にベストな仕事(芝居、絡み、射精)を求められるため、スポーツ選手並みのしっかりとした体調管理が必要である。更にいかなるAV女優とでもいい絡みが出来、撮影進行や画角を考え、常に撮影がスムーズに進行出来るようにするためのホスト並みの気配りが一流男優には要求される。また性感染症の危険性もあるため、特に多忙の男優は常に性病検査(尿検査と血液検査の2つ)を行っている。
- AV男優としての寿命は人それぞれで、数作で消える者から20数年以上活動する者もいる。AV男優からAV監督やスタッフに転じる場合もある。
- AV現場のスタッフが撮影現場においてAV監督に促され、半ば無理やりにAV男優の仕事をさせられる場合もある。
AV男優の仕事
- AV女優はAV男優を指名出来るが、AV男優がAV女優を指名することはできない。印象や体の相性が良い、話が合ってやりやすいなどの理由で、売れっ子のAV女優から男優が指名されることがままある。逆の理由でNG男優が指名されることもある。会ったこともないAV女優からNG男優にされることもある[15][16]。作品によっては、ニューハーフと絡むケースもある。
- AV女優とプライベートな関係になると、AV女優を抱えるプロダクションからNG男優に指定されることもある[17][18]。AV女優に手を出すAV男優はメーカーからも嫌われ、起用禁止のお達しがでて、事実上の出入り禁止になる[19]。ただし、AV女優に嫌われないような適度なコミュニケーション能力も必要である[17]。
- 撮影時間は短い時で約30分、長い場合は1週間など様々である。AV男優は一日数回の射精を数日間の撮影期間中続けるだけの体力と勃起力、そして、射精時にはある程度の精液量を出すことが求められる場合もある。
- 売れっ子AV男優は多くの現場をこなすため、ED薬のバイアグラやレビトラに頼っているAV男優もいる[20][21]。
AV男優のギャラ
- 汁男優を卒業した男優たちのギャラは、一現場1万円〜2万円である。キャリア5年以上で出演本数が200本以上のAV男優のギャラは、一現場3万円〜4万円である。男優歴が10年以上で出演本数も2000本以上のトップAV男優のギャラは、一現場約5万円ほどである[22]。
擬似本番について
- 草創期から1980年代にかけては8割ほどが擬似(本当には挿入せず、挿入しているフリだけをすること。現在はモザイクが細かくなったことにより、疑似での撮影はかなり難しくなってきている)で、1990年代でも半分ほどが擬似本番だった[23]。
一般芸能界との関連
- AV男優や過去にAV男優を経験した人物が、一般向けの映画やテレビドラマに出演することがある。
- 日本のAV男優では加藤鷹の知名度が高く、「AV男優」の肩書きで数多くのマスメディアに登場している。このほか、田口トモロヲ、山本竜二、清水大敬らは俳優として一般向け作品でも幅広く活躍している。
AV男優一覧
- 参照:
出典
- ↑ [裸一貫 チョコボール向井 p.82~83]
- ↑ AVマイスター・東風克智が語る AV男優30年史
- ↑ 『セックスの向こう側〜AV男優という生き方』
- ↑ [あの人の年収がズバリ!わかる本 p.179~180]
- ↑ AVマイスター・東風克智が語る AV男優30年史
- ↑ 日本初のAV男優は田原総一朗さんだった
- ↑ 7.00 7.01 7.02 7.03 7.04 7.05 7.06 7.07 7.08 7.09 7.10 7.11 7.12 東風克智. AVマイスター・東風克智が語る AV男優30年史. インタビュアー:VABO編集部. VABO. . 2018-4-29閲覧.
- ↑ “『PINK TOKYO』イベントレポート「性欲を受け入れてくれる安心感」――女がエロメンで満たされる欲望とは”. サイゾーウーマン. (2014年3月21日)
- ↑ “三銃士も登場!エロメン人気過熱中”. R25. (2013年3月22日)
- ↑ “あぁセクシー…AV界の新星“エロメン”有馬芳彦インタビュー【画像付き】”. J・SPA!. (2014年9月9日)
- ↑ “AV界の“向井理”は人気エロメン 女がはまるAVとは”. dot.. (2013年5月22日)
- ↑ “これだけ分かれば業界ツウ! 品田英雄の「要チェックワード」”. 日経トレンディ. (2013年6月18日)
- ↑ 北原みのり (2011). アンアンのセックスできれいになれた?. 朝日新聞出版. ISBN 978-4022508072.
- ↑ “セックスの向こう側〜AV男優という生き方”. (2013年)
- ↑ AVマイスター・東風克智が語る AV男優30年史
- ↑ [裸一貫 チョコボール向井 p.72~73]
- ↑ 17.0 17.1 [裸一貫 チョコボール向井 p.80~83]
- ↑ AV黄金時代・序章──太賀麻郎という名の伝説
- ↑ [AV女優のお仕事場 溜池ゴロー p.128]
- ↑ ベテランAV男優“ゴールドフィンガー”加藤鷹「俺たちは『強制撤去』されている
- ↑ 有名男女13人「人生引き際」の美学 (6) チョコボール向井 時代の変化に「飲食店」オーナーに転身 「もうプロの男優が必要ないと痛感した」
- ↑ [哲学 チョコボール向井 p.45~46]
- ↑ [哲学 チョコボール向井 p.169~171]