バルバロッサ作戦
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バルバロッサ作戦 | |
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戦争: 第二次世界大戦(独ソ戦) | |
年月日: 1941年6月22日 - 12月 | |
場所: ロシア西部 ウクライナ ベラルーシ リトアニア ラトビア エストニア | |
結果: 枢軸軍の戦術的勝利・戦略的敗北 | |
交戦勢力 | |
ドイツ国 ルーマニア王国 フィンランド ハンガリー王国 スロバキア共和国 クロアチア独立国 イタリア王国 支援国 |
ソビエト連邦 |
戦力 | |
4,000,000 | 2,680,000 |
損害 | |
戦死 186,452 行方不明 45,000 戦傷 655,000 |
戦死 802,191[1] 戦死・負傷・捕虜・行方不明者 3.000.000 航空機 21,200[2] 戦車 20,500 |
バルバロッサ作戦(バルバロッサさくせん、ドイツ語: Unternehmen Barbarossa (英語Operation Barbarossa)ウンターネーメン・バーバロサ)
第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始されたドイツ国によるソビエト連邦奇襲攻撃作戦の秘匿名称。今日では独ソ戦序盤の戦闘の総称とされる場合もある。枢軸国以外にも、親枢軸のスペインやフランス国(ヴィシー政権)が派兵している。
作戦名は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世のあだ名「Barbarossa」(「赤ひげ」、イタリア語のbarba「あごひげ」+rossa「赤い」 )に由来する。フリードリヒ1世は伝説的な人物で、民間伝承によると現在も眠り続けており、ドイツに危機が訪れた時に再び目覚めて帝国に繁栄と平和をもたらすとされた。それにあやかっての命名、また第3回十字軍総司令官として戦果を残し、ボヘミア王国とハンガリー王国に神聖ローマ帝国の影響を拡大した実績から、対ソ戦にふさわしいと判断されたと考えられている。
ドイツ陸軍はポーランド侵攻の「白作戦」、フランス侵攻の「黄作戦」「赤作戦」など、攻勢作戦名に色名を付ける伝統があり、それの発展形とも考えられる。バルバロッサ作戦が頓挫した影響か、翌年の攻勢作戦はまた「青作戦」と純粋な色名に戻された。
脚注