「文屋朝康」の版間の差分
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文屋 朝康(ふんや の あさやす)は、平安時代前期の官人・歌人。縫殿助・文屋康秀の子。官位は従六位下・大膳少進。子に康永がいる。
経歴
寛平4年(892年)駿河掾、延喜2年(902年)大舎人大允のほか、大膳少進を歴任した。
「寛平御時后宮歌合」「是貞親王家歌合」の作者として出詠するなど、『古今和歌集』成立直前の歌壇で活躍した。しかし、勅撰和歌集には『古今和歌集』に1首と『後撰和歌集』に2首が入集しているに過ぎない[1]。
- 小倉百人一首
- 37番 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける(『後撰和歌集』秋中308)
官歴
注記のないものは『古今和歌集目録』による。