「細川頼久」の版間の差分
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細川 頼久(ほそかわ よりひさ、生没年不詳)は、室町時代の武将。父は細川基之(もとゆき、満之の子)。細川和泉下守護家当主。阿波守、兵部大輔。子に4代将軍足利義持の一字を受けた持久(もちひさ)、弟に6代将軍足利義教(義持の弟)の一字を受けた教久(のりひさ)[1]がいる。
基久没後の文安5年(1448年)10月から応仁3年(1469年)頃まで和泉半国守護を務めた。
頼久は応仁3年には在国しており、子の持久が在京したという。文明年間初頭に没したと推測されている。
参考文献
岡田謙一「統源院殿春薹常繁小考-和泉下守護細川氏の法名を手がかりに-」『ヒストリア』167(1999年)